(有)妄想心霊屋敷

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新転地はお化け屋敷 第四十七章 報告 九

2012-05-18 20:46:35 | 新転地はお化け屋敷
 ということであるならばそこは惚れ込んだ者の弱みということで、あっさり陥落された僕は栞の言葉に従い始めるわけです。
「どうしてって言われても……別に不思議ってほどじゃなくないですか? 振られそうになってもちょっと粘ってみる、くらいのことは」
 つまり「どうしてそんなに」と言われても特別な理由なんてないわけで、むしろその質問の方こそ特別というか、そこ気になりますか? というか。
 あ、でもこれだけは言っておこう。
「ああ、でもみんながみんなそうするってわけじゃないんでしょうけどね。すっぱり諦めるっていうのもそれはそれで」
 という追加の一言に道端さんは「はあ」と生返事でしたが、栞はくすくすと笑ってみせるのでした。僕が何を思ってそう付け加えたのか把握したか、そうでなくともそのことを連想した、ということなのでしょう。
 すっぱり諦める。
 ――というのは美化し過ぎにも程があるのですが、僕は以前、最初から諦めていたに等しい恋をしていたことがありました。すっぱり諦めるというよりは、ずるずる諦め続けていたんですけどね。……美化どころか完全に別物ですね。
「栞様が幽霊だということについては、なんとも?」
「なんとも」
 自分でも笑いそうになっていたところ道端さんから質問が。気を取り直しつつ即答するのですが、しかしこれまた、付け加えの一言が必要な感じなのでした。僕が何とも思っていなかろうと、そこに込み入ったものがあるのは変わりませんしね、やっぱり。
「ただ、事情というか、栞が抱えてたものについては『なんとも』どころか必死になってましたけどね。そりゃあ好きな人のことですし、だったらまあ、なんとかしてあげたいわけですし」
 と言って、その抱えていたものについての具体的な話はしないでおきます。道端さんと大山さんの事情を尋ねたりしないのと同じく。それをどうするかは重要ですが、それが何なのかはそうでもないと思いますしね。
「抱えてたもの、ですか」
「はい。いきなり泣きそうな顔されたりいっそ泣かれたりしたら、そりゃあやっぱり気にしないわけには。……逆に、幽霊だからどうっていうのは、外に出掛ける時とかに他の人には見えてないってことくらいなんですよね」
 あとは酔っ払って壁を突き抜けた格好で寝てたとか――は、敢えて報告するようなことではないですよね。
 ともあれ、こんな言い方をすれば話題は「栞の抱える事情」から「幽霊」へ戻るわけです。道端さんの立場を考えればどうあってもそうならざるを得ないわけですが、まあ、狙い通りと言えば狙い通り。
「それは、確かに、実際に何がどうなるというのはそれくらいかもしれませんが」
「例えば」
 うろたえつつ、けれど何かはっきりとした意見を持っていそうな口ぶりの道端さん。僕はそこに言葉を重ね、強引にその台詞を中断させました。
「もし僕が栞と幽霊になる前から知り合いで、その後で幽霊になった栞と会っていたら、そういうふうに思ったりもしてたんでしょうけどね」
 実際に何がどうなるというのはそれくらいかもしれない。
 けれど。
 何かがどうにかなるまでもなく、幽霊はその存在自体が異質なのだから。
 ――道端さんは黙り込んでしまいました。
「まあ、そうだったとしても結果は今と同じだったんでしょうけど」
 見れば栞が少し不安そうな顔をしていたので、そんな一言を付け加えておきました。が、それは何もご機嫌取りというわけではなく、僕はそう確信しています。確信できています、という表現の方が的確かもしれませんが。
 ともあれ、栞の表情が和らいだところで、この話はここまでということにしておいて。
「幽霊じゃなかった頃を知ってる人っていうのが一人もいないんですよね、僕。だから、幽霊だっていうことと『そういうこと』が結び付かないというか」
 幽霊である以上は一度死を経験しているというのは分かっていますし、栞に限ればその周辺の細かい事情まで知らされています。が、それでもやっぱり、幽霊でない頃の面識の有無は、非常に大きいと思うのです。ここでみんなと付き合っていても、異質だとか怖いだとか、自分とは違うだとか、そんなふうには全く思えないですし。
「……まあ、僕が変わってるっていうのも否定はできないんでしょうけどね。でも、運が良かったっていうのもあると思いますよ。幽霊が見えてるのに、ここに引っ越してくるまでそれに気付いてなかったっていうのは」
 気付いていて、家守さんのような人に相談できるわけでもないままそれと長く付き合っていたりしたら、辛い思いの一つや二つはしていたことでしょう。
 よし、後で暇を見つけて家守さんに改めてお礼を言おう。
「そういうことに、なりますでしょうね」
 にわかにいい気分が湧き始めた僕に対し、道端さんはそれまで以上に心苦しそうな表情と声。目を伏せるというか目を逸らすというか、いっそ顔ごと僕のいる方向から僅かながらずれています。
 運が良かった、という話。それに納得してみせたということはつまり、「自分は運が悪かっただけ」と、そう思えたということです。
 思えた、なんて言い方をしつつ、けれど運が悪かったというだけの理由でこういうことになってしまったというのが、果たして本人にとっていいことだったのか悪いことだったのかは――まあ、今のその様子を見れば一目瞭然なのですが。
 しかしそれが真実かどうかはともかく、僕としてはそうとしか言いようがないわけです。特別に何をどうしたというわけでもないわけで、というか幽霊が見えていると知らなかった以上、何かをどうにかするなんて不可能だったわけですし。
 そして結局、知った今ですら特に何かをどうにかしたというわけでもなかったり。
「僕がここのみんなと仲良くさせてもらってるのも、栞とこういう関係になったのも、正直なところ良くも悪くも『幽霊かどうか』は関係してないんですよね。……すいません、なんか、だとしたら場違いな話になっちゃうんでしょうけど」
「い、いえ、そんなことは少しも。良かったです、お話を聞かせて頂けて」
 こんな言い方をすれば実情がどうあれ道端さんはそう返すしかないわけで、ならば少々卑怯な手段だったのかもしれませんが、ともあれそうやって上手い具合の締め括りで僕の話は終わりです。恐らくというか間違いなくというか、やっぱり僕以外の人の話にもなるんでしょうしね、この後。
「あ、それともちろん、このご飯についてもありがとうございます。唐揚げ以外もとっても美味しいです」
「それは良かった」
 うむ、やはり料理はいい。
「ふふん。幽霊かどうかは関係ない、か」
 一人で勝手にほっこりしていたところ、にわかに成美さんが口を開きます。この状況でそう出るということはつまり、僕の次の番を引き受けるということとほぼ同義なわけですが、果たしてそういうことなのでしょうか?
「どうなのだろうな。幽霊を相手にするというのと、人間の姿をした猫を相手にするというのでは、どちらのほうが驚くべきことなのだろうな?」
 ああなるほど。
 と、一瞬はそう思ったのですが、
「いや、成美さんはどっちにも当て嵌まっちゃってるじゃないですか」
「はは、まあそうなのだが」
 人間の姿をした猫。であり、かつ幽霊でもある成美さん。しかしそんな彼女もやはりというか何というか、僕と同じくつい最近結婚しているわけです。こちらは婿であちらは嫁だとか、こちらは一方だけが幽霊であちらは二人とも幽霊だとか、違うところも多々ある――というか違うところの方が多いわけですが。
「そもそもの話、いまいちよく分からんのだ。猫は、というか人間以外の全ての動物は、初めから幽霊というものが存在している世界で生きているからな。それが人間にとってどれほど驚くべきことなのか、というのは」
 幽霊というものが存在している世界、というのは当然ながら認識上の話として。
 まあそうなんですよね、驚くも何も人間以外の動物は初めから幽霊をいるものとして扱っているわけでして。
「うーん、どっちが上か悩むくれえには驚くべきことだと思うぞ。人の姿をした猫ってのと」
 と、その人の姿をした猫さんの旦那さんが言いました。言われた当人は「はは、そうか」と軽く流していましたが、お前がそれを言うかという話ではないでしょうかこれ。
「ところで――道端と大山だったな? いきなりだが、わたしから一つ質問だ」
 おや。
「はい」
「何でしょうか」
 道端さんはともかくここまで殆ど喋らなかった大山さんですが、名指しされればさすがにそういうわけにもいかないようで、しっかりはっきり返事をしてみせるのでした。……なんて言い方をするとまるで返事をしたくなさそうに聞こえてしまいますが、もちろん僕にその辺のことなんかが分かるわけもなく。
「お前達は何かしらの事情があって幽霊が怖くなって、それで今日ここに来ているわけだが、今の話を聞いてどうだ? 自分も人間以外の動物として生まれてきたかったとか、そんなふうに思ったりはするか? だとすれば幽霊が怖いだなんてことは絶対になくなるわけだが」
 …………。
 いきなりな割にはごっつい質問でした。
 というわけで、道端さんも大山さんも、それに対する返事を口にするまで少々の時間を要するのでした。まさかこんなこと、これまで考えたこともなかったでしょうしね。
 で、少々の時間を要して最終的にどうなったかというと、道端さんが横目で大山さんに視線を送り、それに気付いた大山さんが同じく道端さんに視線を送り返したのでした。
 といってお互い何かしら言葉を発するわけではなく――つまり、相手の出方を窺っているということなのでしょうか? 互いが抱える事情はともかく、立場は同じということになるわけですし、まあ、そういうことにもなるのでしょう。
 さて。しかし実際のところそうして視線を重ねていたのはそう長い時間ではなく――といって、目が合って慌てて逸らしたというふうでもなく――二、三秒くらいだったでしょうか? それくらいで二人は正面を向き直り、それぞれ成美さんにこう答えるのでした。
「いいえ」
「自分も、そんなふうには」
 少々の時間を取った割には二人とも落ち着いて答えたというか、確信めいた口調で答えるのでした。
 となれば僕としてはそう答えた理由まで訊いてみたいところではあったのですが、けれどそれよりも早く成美さんがふっと鼻を鳴らして言いました。
「そうか。それでいい、結構なことだ」
「ってのは、どういうことなんだ?」
 即座に食い付いたのは大吾。となるとますます僕は質問をするタイミングを逃してしまうわけですが、こちらはこちらで気になるので耳を傾けてみます。
「幽霊が怖いというのはだ。それが本人にとってどれだけ重大なことであったとしても、これまで生きてきた中の一部でしかないだろう? なのにそこだけ取り上げて『他の動物に生まれたかった』などと言うことが、褒められたものなわけがないからな。幽霊が怖いという、それ以外の全てが勿体無いだろう」
「うーん、まあ、そういう言い方をすりゃあそうなるんだろうな」
 分かったような分かっていないような曖昧な返事をする大吾なのでした。が、それも仕方がないことなのでしょう、これまで生きてきた中、つまり人生どうのとは、スケールが大き過ぎますし。
「で」
 眉をひそめる大吾を尻目にそれまでよりやや強い語調でその一単語、というか一文字を発した成美さんは、すると軽く笑いながらこう話を進めます。
「なんとなくこう思った者もいるのではないか?『実際に猫から人間になったお前が言うようなことか』と。別に生まれ変わったとかそういうわけではないにせよ、まあ、近い話ではあるのだしな」
 言われてみればそうですが、言われるまでそうは思いませんでした。他の人はどうなんでしょうか? なんて、確認しようとは思いませんけどね。
「だが、わたし自身のことについても今言った意見は変わらん。つまりわたしは、わたしがこうして人間の姿で生活していることを、ある意味では後ろめたく思っているわけだ。実際、姿だけでなく中身の方もどんどん人間に近付いているしな」
 なんだか成美さんの話はさっきから「いきなり」続きのような気がしますが、ともあれこれまたいきなりなお話なのでした。後ろめたく思ってるって、そんなこと言われたら大吾がどう思うか――。
 と思ったら大吾、意外にも平気そうな顔をしていたのでした。いっそ「なんだその話か」とでも言わんばかりです。言ったわけじゃないですけど。
 で、成美さんの方は、「まあしかし」なんて言いながらその大吾の肩にぽんと手を乗せます。大吾も座ってるとはいえ、小さい方の身体だったら立ち上がらないと無理のある姿勢になってたんだろうなあ。……というのはもちろん完全に無駄話なわけですが。
「わたしの場合はこいつと、あともう一人――人間的に言えばもう一匹か? の、夫が居てくれるからな。最低限の部分は保つことができているのだ、二人の理解と助力のおかげでな」
 その話に対する感想は、まあさておきまして。
 何やら栞が小さくくすっと息を漏らしていたので、「どうかした?」とこれまた小さく尋ねてみました。笑う場面ではなかった筈ですしね、間違いなく。
「いや、今日、お買い物の時に同じ話を聞いててね」
「へえ」
 なんで買い物中にこんな話になったのか、というのは今訊いたりはしないでおきましょう。というのも、成美さんの話にはまだ続きがあったのです。しかもそれまでより少しトーンを落として。
「さっきの日向と同じことを言うようだが、わたしのそれは運が良かっただけだ。もし大吾がわたしの『猫だった頃』を尊重してくれていなければ、今頃わたしは完全に人間になってしまって――いや、そこまで首尾よく人間に成り切れるとは言い切れんが、少なくとも『猫だった頃』のことは完全に消え去っていただろうな。わたし自身がそれを望んでいなくとも、止められはしなかっただろう」
 運が良かっただけ。
 僕は何も全体を代表してそう言ったというわけではなく、飽くまで僕個人の話としてそのフレーズを口にしたのですが、何やら成美さんにも流用されてしまいました。
「というようなことが頭をよぎって、最初の質問が出てきたわけだ。起こり得ないことである以上はどうあっても想像に止まることなわけだが、それでもなお忌避すべき、悲しいことだろうからな。他の動物に生まれたかった、などと考えるのは」
 もちろんその質問に対する二人の返事が「いいえ」だった以上、それは杞憂に過ぎないわけですが、しかしそれでも成美さんとしては言わずにはいられなかったのでしょう。なんせ成美さんの場合は「起こり得る」わけですから、大吾と猫さんのおかげでそうならずに済んでいるとはいえ、それに隣したことへの不安というか恐怖というか何というか、そういったものはしっかり味わってしまっているのでしょうし。
 ……などと言っている僕はもちろん味わっていないわけで、だからそれがどれほど恐ろしいことかというのも、今一ぴんと来ていないのが正直なところではあるのですが。
「――うむ、食事中はお前の番だと日向に話をさせておきながらつい割り込んでしまったが、わたしの話は以上だ。もちろん、そちらから質問があれば今後も答えるがな」
 ということだそうで成美さん自身、手元の料理に目と箸を落とし始めます。
 で、一方。仕方ないことではあるのですが、道端さんと大山さんはやっぱりあんまり食べる暇がないようです。うーむ、話が出てくるのはいいけどこれはこれでなあ。
 と思ったその時、隣からこんな一言が。
「だそうなので道端さん大山さん、食事の方、ごゆっくりどうぞ」
 それはなんてことのない一言ではありましたが、しかし道端さんと大山さんにとっては、割と有難い一言だったのではないでしょうか? というわけで、ナイス栞。
 そういうことになったのならば率先して雑談を、などというふうに考えたわけではないのですが、こちらも同じく落ち着いて料理に手を出し始めたところ、思い浮かぶことがありました。
「そういえば大吾」
「ん?」
「今日の散歩ってどうなの?」
「えらいアバウトな訊き方だなおい」
「いや、もう済ませてるのかどうかも分からないし、そうでなくても今日はマンデーさんだし」
「あー、まあな」
 というわけで僕と大吾の二人、だけでなく他にも数名ほどの視線がマンデーさんへと。
 今日はマンデーさん。つまり今日は月曜日ということになるのですがそれはどうでもよくて、マンデーさんの散歩は、基本的にマンデーさんとジョンのお二人だけで自主的に行われるものなのです。つまりはデートですね。
「あらいやですわ。ねえ、ジョンさん」
 マンデーさんは言いました。
「ワウ」
 ジョンは応えました。
「さすがに、こんな時にまで二人だけで抜け出したりは致しませんわ。中止なり、逆に皆さんと一緒に行くなり、判断は大吾さんにお任せ致します」
「オレかよ」
「あら、他にどなたにお任せしろと?」
「……だわな」
 という会話が発生するからには今日の散歩、もといデートはまだだったのでしょう。お客様が来る前、そうでなくとも僕が帰ってきて全員が集合する前にしておけばよかったのに、と思わないではないですが、まあしかしマンデーさん本人が(あとジョンも同じ意見なのでしょう、多分)ああ言っているなら、その厚意に乗っかっておくべきなのでしょう。
「あ、私、できれば皆さんと一緒に行けたらなーって……」
 任された大吾が結論を出すより前におずおずとそう申し出たのは、ナタリーさん。野暮ではあるのでしょうが、「皆さんと」というよりは「道端さん大山さんと」なのでしょう。そりゃまあ、メインはどうやったってその二人になりますしね。
「って言ってますけど、大丈夫ですか?」
 というわけで大吾、ナタリーさんの申し出を伝える相手はその道端さんと大山さん。二人はここに残る、という選択肢は初めからないようです。僕に言わせたってそうなりますけど。
「散歩、ですか?」
 返事をしたのは道端さん。もう少しで味噌汁に口を付けるところだったので、ちょっと残念。
「この辺ちょっと出歩くだけなんで距離とかは全然大したことないです。時間も、まあ十分とかそんくらいですし」
 そう言われて、けれどちょっと考える仕草をする道端さん。まあまだこの後仕事が残ってるわけですしね、服の寸法を計るっていう。
 とはいえさすがに十分そこらで予定がどうなるというわけでもなく、
「分かりました、ご一緒させていただきます」
 そう言って道端さんが頭を下げると、隣の大山さんもそれに倣うのでした。唐揚げを頬張っていたので返事はできないようでした。

『ごちそうさまでした』
 というわけで食事も終わりです。
 真面目なお話が済んだ後は入れ替わりに食が進み始め、そうなるとあとはもう繰り返し繰り返し褒められるばかりなのでした。いやはや。ふふふ。
「というわけでさっき話した通り、まあ今すぐにとは言わないが、この後散歩に出掛けることになるわけだが……」
 表には出ないように喜びの笑みを浮かべていたところ、なにやら成美さんがそんなふうに。で、その話の対象が誰だったのかというと、その後動き始めた顔の向きからしてどうやら家守さんだったようで。
「いいことを思い付いたのだが、一つ相談に乗ってもらえないだろうか?」
「おっ、なっちゃんから相談とは久々だねえ。うんうん、一つと言わず十個でも百個でも乗っちゃうけど、何かな?」
 そういえば成美さんが家守さんのお世話になるのって火の玉三つが起こった時ぐらいだなあ、と今更ながら。もちろんそれは僕が知っている範囲の話であって、そもそも「人の姿」云々からして家守さんのお世話の結果なわけですが。初めて大人の身体になった時もそうでしたしね。
 で、本当に十個でも百個でも問題にしなさそうな笑みを浮かべている家守さんに対して、成美さんがどういう相談を持ち掛けたのかと言いますと。
「自己紹介のついでということで、少しの間だけ猫の姿に戻してはもらえないだろうか?」
 やはりというか何というか、霊能者としての家守さんへの相談なのでした。管理人という立場上、それ以外の相談だった可能性だって充分にあったわけですが、でもまあやっぱり最初に想像するのはそっちですよね。家守さんですし。
「あと、できれば人間の言葉は使えるままがいいな」
「おっけー。――だけど、今すぐにここでってわけにはいかないかねえ」
 おや、と。
 了承した後はささっと手早く済ませてくれる家守さんにしては珍しく、今回は何か条件が悪いようでした。猫から人の姿になるなら服を用意しなければなりませんが、逆に人の姿から猫に戻るだけであれば、別に「今すぐにここで」でも問題ないように思うのですが……?
「どうかしたんですか?」
 尋ねてみたところ、まず返ってきたのは「キシシ」といういつもの厭らしい笑みでした。
「分かんないかなあ、こーちゃん。だいちゃんは分かってるみたいだけどねえ」
 大吾? とは思いましたが、でもまあ成美さんの話なんですし、だったら僕が気付かなくて大吾が気付くようなこともそりゃああるでしょうよ、とも。
 で、ここでその大吾が動きます。
「タオル借りてもいいですか?」
「うん。あとせっかくだし、だいちゃんも立ち会う? なっちゃんもまあ、さすがにだいちゃんなら問題ないだろうし」
「……そうですね。そうします」
 という会話がなされている一方で、成美さんは照れ半分嬉しさ半分といった様子の笑みを浮かべていました。はて、タオルがどうとか一体何の話なのか。
 ――は、さすがに気付きましたとも。そこまで言われて気付かないほど忘れっぽくはありませんとも。そこまで言われなきゃ忘れたままだったとも言いますけど。
 真面目なほうの話でも出てきましたが、成美さんはどんどん人間に近付いています。今の話もまたそのうちの一つということになるのですが、成美さんは、猫の姿でも「裸で人前には出られない」のです。
 もちろん猫なので全身を毛が覆ってはいるわけですが、それこそ人間に置き換えて考えてみると、じゃあもし全身が覆われるほど毛深かったら服着ずに外歩けるかって話ですしね。もちろん無理ですし、無理を通したところで通常通り警察の方のご厄介になるでしょうし。

 と、いうわけで。
「覗いちゃ駄目だよー」
 成美さん、そして洗面所からタオルを取ってきた大吾を引き連れて私室に踏み入った家守さんは、そう言ってすたんとふすまを閉じるのでした。
 それはまあもちろんのことなのですが、すると隣の栞が笑いながらこんな一言。
「孝さんはデリカシーがないなあ」
「面目ありません」
 覗きの話ではなく。というのは、当たり前として。
 うーん、こっちでは笑い話で済むにしても成美さんにはちゃんと謝っといた方がいいかなあ。――なんて思っていたところ、「あの」と躊躇いがちな呼び掛けが。
「今のは、どういう……?」
 道端さんでした。こちらについては僕と違って「事情を知っているのに忘れているだけ」というわけではなく、ならばデリカシーがないという評価には当て嵌まらないのでしょう。タオルの用途が「全身に巻いて身体を隠す」だなんて、何も知らない状態からじゃあ思い付く方が難しいでしょうしね。
 待ち時間はそう長くない筈ですが、それはこの説明に掛かるだって同じようなもの。というわけで家守さん達が出てくるまでの間に、その辺りを説明しておくことにしました。


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