(有)妄想心霊屋敷

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新転地はお化け屋敷 第四十一章 前日 十二

2011-07-01 20:27:05 | 新転地はお化け屋敷
 すると、栞さんの口からも同じ単語が出てきました。
「甘えたこと言ってるっていうのは、分かってるんだけどね。さっきから」
「僕だって分かってますけどね、甘えたこと言われてるっていうのは」
 膝の上に座っているというこの状況で、甘えたことを言っているという栞さん。けれどその声色は、甘えているどころかむしろ辛そうなものなのでした。
 しかし、珍しいことではありません。栞さんはそういう人で、しかも僕は、栞さんのそういうところが好きなのです。好きであるからにはよく見ているわけで、だからそろそろ、察せられてきてしまうところも。
 抱く、というほどではないにせよ栞さんの腰にまわしていた手。その一方に力を入れて栞さんを強く抱き寄せ、そしてもう一方の手は、いつものあの位置に。胸の傷跡の跡、です。
 僕のそんな行動に対して、栞さんは何も言いませんでした。しかし、傷跡の跡に当てた僕の手に、自分の手を重ねてきました。……これも、よくあることでした。
「栞さんを幸せにしてあげたいと思える事が幸せです――っていうのは、どうですか? 幸せかどうかの、具体例の一つとしては」
 本当は「幸せです」の部分で言い切るつもりだったのですが、急に照れ臭くなって応急処置的かつ反射的に付け足してしまいました。残念ながら、そういう臭い台詞が似合う男ではないんでしょうしね。
「良くない」
 あれ。
「なんてことに、なるわけないでしょ?」
 少々無理をしてこちらを向き直った栞さんは、それこそ幸せそうな笑顔なのでした。ならば今言ったその内容通り、そんな表情を見た僕も、同じく幸せな気分になってしまいます。
 まあ、栞さんの意地悪な言い方のおかげでもあるんでしょうけどね。
「具体例の一つってことは、他にもあるの?」
「たった一つだけってことはないですよ、そりゃあ。大きなことから気持ち悪いぐらい細かいことまで、様々ですとも」
「うーん、気持ち悪いぐらいっていうのは、気になるなあ」
 訊いてほしいからわざわざそんな言い方をした、というところは白状しないでおきました。するまでもなく気付かれてるでしょうけどね、こんな幼稚な考えは。
「栞さんが庭掃除してるとこを眺めてる時とか」
 細かいことではあるのですが、しかし断じて誇張などではなく、きっちりかっきり事実なのです。
 しかし栞さん、怪訝な表情に。
「細かいかなあ? それって」
「まあ、掃除が好きな人からすれば細かくはないのかもしれませんけどね」
「うーん……。じゃあ逆に、『私はこうくんが料理してるところを見るのが好き』って言ったら?」
「いやいや、それは細かくないでしょう? 恋人のエプロン姿に頬が緩んじゃうとか、そこそこ見聞きするシチュエーションじゃないですか」
「…………」
「……ごめんなさい。どっちもどっちですよね、冷静になったら」
 というかそもそも僕が挙げた例は男性が女性を見る場合のものであって、女性が男性のエプロン姿にときめいたりするのかと言われたら、かなり自信がありません。例えばこんな――あ、いや……。
「ま、どっちでもいいんだけどね。細かくても細かくなくても、好きなことに変わりはないんだし」
 遣り込められてしょげていることに加え、何故かやたら体格のいい男性のエプロン姿を想像してしまって気が滅入ったりもしている僕に対し、栞さんは楽しそうな様子でそう言ってくるのでした。
 ぐぬう、そりゃまあ対比としての男性と女性をイメージする場合、男性はそんなふうになっちゃったりもするでしょうけど、だからってエプロン姿……。
「あと今言ったの、本当だからね? こうくんが料理してるところ見るのが好きっていうの。それだって私の『幸せかどうかの具体例の一つ』なんだよ、ちゃんと」
 妙な想像とそこからくる陰鬱さは、その言葉で吹き飛ばされてしまいました。
「あ、いや……」
「あはは、そんな照れなくてもいいのに」
 テンションの落差に思考が付いていけなかったというか、まあ、そんな感じでございます。
「ところでこうくん」
「はい?」
 直前まで楽しそうに笑っていたというのに、急に真面目な声色になる栞さん。もともとは幸せというものについての真面目な話題だったわけですから、つまり、そういう方向に戻るということなのでしょう。
「エプロンしてた方がいいの?」
 !!
「――ええと、そりゃあ、してたほうがいい物だから『料理する時の格好』に含まれてるんじゃないんですかね? コック帽とか三角巾とかと一緒で」
「そういう意味じゃなくて。って、まあ言わなくても分かってる顔してるけど」
 ……なんで恋人のエプロン姿がどうとか口走っちゃったんでしょうね。実際には僕も栞さんも、あと一応家守さんも含めて、いつもしてないのに。
「多分、質問に対する返事の方も語っちゃってるんじゃないですか? 顔」
「うん、そうだね。なんかこう、見てるこっちが恥ずかしいような顔してる」
 と言う栞さんは顔も声も再度和らいでいたわけですが、しかしその割には「嬉し恥ずかし」でなく侮蔑されたように感じてしまうのは、なんなのでしょうか。自責の念でしょうか。
「んー、それってやっぱり、料理が好きだからなのかな。それとも、そこは関係なくて男の人って大体そうだったり?」
「ぐっ、な、なんかすっごい答え難い質問ですねそれ」
「あれ、そう?」
 料理が好きだからというのはちょっと違うような気がするのですがしかし、だからと言って安易に「男はみんなそうです」なんて応えてしまうというのも、下手に栞さんの中の男性像を貶めるだけに終わってしまいそうな。いくら恋人相手とはいえ、世の男性を代表した発言なんて僕にはその、荷が重いです。
 ここまで来てしまったらもう、僕個人が女性のエプロン姿に頬を緩ませるような人種であることは否定しませんけど。
「じゃあ逆に、栞さんはどうですか? 僕がエプロンしてたりしたら」
 それはもちろん話題を逸らすための質問でした。僕が料理をしている姿が好きだと言ってくれたことを鑑みてもなお露骨すぎるような気もしますが、けれど栞さん、案外「うーん」と真面目に考え込んでくれました。
「私のは、そういうのとはちょっと違うかなあ。こう、手捌き? とかがいいなあっていう見方だし。ほら、料理に限った話じゃないけど、下手な人から見た上手い人って格好よく見えるでしょ? だからエプロンの有無はあんまり」
 今の栞さんを下手だと評する人は僕を含めてほぼいないと思いますが、そう思われているのは悪い気はしません。
「あ、もちろんそれがこうくんだからっていうのは、あるんだろうけどね」
 ちょっと慌てた様子でそう付け加えてくるのもまた可愛らしい――ではなくて。変に話を途切れさせたらまた男性とエプロン姿の女性の話になってしまうわけで。
 しかしだからと言ってずっと栞さんにエプロンの話を振り続けるのも無理がありますし、だったらなんとか自然な感じでエプロンの話題そのものを終了させてしまうほかないでしょうか。ならばううむ、そのためにはどうすればいいか……。
「まあでも栞さん、ここでああだこうだ言っても結局は」
「ん?」
「家守さんの前でエプロン付けてたりしたら、多分ああだこうだ言われちゃうでしょうし」
「あー、楓さんならあるかもね、それだけのことからでも」
 さすがは家守さん、苦し紛れのこの扱いが当然のように通る。ごめんなさい。
「でもそうなったら、『楓さんもエプロン付けて高次さんに見せ付けてみたらどうですか?』とか言っちゃえば何とか切り抜けられそうな気もするけどね」
 さすが家守さん大好きな栞さんだけあって、そんな対処法がすんなりと立案できてしまうのでした。なるほど、高次さん絡みで弄られるとすっごい弱いですもんね、家守さん。
「怖いくらい強気ですね」
「負けてばっかりはいられないからね。もう、『お世話になる側』は卒業しなくちゃなんだろうし」
 変わらず楽しげな様子でそう言った栞さんでしたが、けれど。
「…………」
 僕は言葉を詰まらせてしまいました。不覚にも、としておいた方がいいでしょうか?
 そして至近距離で向かい合っている以上、僕のその様子に栞さんが気付かないわけもなく。不味いことを言ったかな、と顔にはっきり表れてしまっているのでした。
 でももちろん、それは不味いことでもなんでもありません。
「そうですよね」
 家守さんのあの意地悪ですら「お世話」として受け取り、そしてそれを、こうまで楽しそうに語る栞さん。
 普段からそんなふうに感じているから、こんなにも家守さんのことが好きなんだろうなあ。
 ――そんなふうに思ってしまうと、僕ではなく家守さんが好かれているという話なのに、栞さんが愛しくて仕方がなくなってしまいました。
「でしょ?」
 ぎゅう、と強く抱きしめた栞さんは、どこか安心したような、けれど誇らしそうでもある声で、そう囁いてくるのでした。
 僕は暫くそのままでいるつもりだったのですが、しかし栞さんに身体を離すような動きを感知し、ならばそれに任せます。
 再度向かい合った栞さんはにこにこと微笑んでいて、そしてそのまま、こう話を続けてきました。
「だって私と楓さん、そんなに年変わらないんだよ? 私が二十二で、楓さんが二十七なんだし。それがこんなに一方的な関係って、ふふ、おかしいもんね」
 栞さんは笑っていました。ならばそれは真面目な懐疑というよりは、笑い話の類なのでしょう。
 一方的な関係。年長者と年少者ではあるわけですが、「おかしい」という評価がつくのであれば、いっそ母と娘ぐらいの関係をイメージして言ったのかもしれません。そしてそれに対する僕の感想は、そういうことであっても分からないではない、というものでした。
 実際にこれほどまで仲のいい「母と娘」というものは珍しいのかもしれませんが、理想像として思い浮かべるものであれば、それくらいであっても変ではないでしょうし。
 ……本当のご両親ともそうありたかったとか――いや、それはさすがに考え過ぎかもしれませんけどね。
「それに同調して『おかしい』とは、なかなか言い難いですけどね。当人はいいとしても、女性の年齢関係で笑うっていうのはちょっと」
「あはは、それもそうか」
 おかしい、と言い難いのは本当でしたがしかし、それが女性の年齢絡みの話だから、というのは思い付きで挙げた嘘でした。
 栞さんならそれくらいお見通しなのかもしれませんが、見通されようがそうでなかろうが、僕としては別にどちらでもいいことなのでした。今この場で「おかしい」と言うこと、それを避けられさえすれば。
 栞さんは、微笑んだ表情のままでじっと僕の目を見ていました。けれどその後出てきた話題は、その視線とはあまり関係のなさそうなものでした。
「楓さんと私は五歳差だけどさあ、よく考えたらこうくんとだってそれに近いんだよね。こうくん、十八歳だし」
「四歳差ですねえ」
 普段はそんなの全く気になりませんけど、というのは、栞さんからすれば嬉しい言葉なのでしょうか? 受け取りようによっては機嫌を損ねさせてしまうような気もしたので、ならば言わないではおきましたが。
「うーん、困ったな」
 言わないでおいたところ、栞さんが顔を渋くさせました。
「何がですか?」
「楓さんにお世話になってた分はこうくんに引き継いでもらうことになるしね、みたいな感じで話を広げようと思ってたんだけど……さすがにちょっと情けないのかなあ。今の、年の話を考えたら」
 なるほど、そういうことですか。
 納得したところでそれに対する応答を考えていたところ、「あ、引き継いでもらうって言っても何から何までってことじゃないからね?」と。
「そりゃあ私自身、そういうお世話が要らなくなるようになろうとは思ってるし」
 ふむ。栞さんがそう言うからには、そうなっていくんでしょう。なんせ栞さんですし。
 その注釈については、そういうことでいいとしておきまして。
「それがもし本当に情けないことだったとしても、僕には関係ないですけどね。彼女に頼りにされないのとどっちが情けないんだって話ですし」
「そっか。これまで何度も言ってくれてたもんね、頼りにして欲しいって」
「そういうことです。――それに」
「それに?」
 それは、言うか言うまいか悩んでいたことでした。悩んでいたことの筈だったのに、ついつい「それに」と言ってしまいました。ならばもう、言ってしまうしかないのでしょう。
「彼女どころか、お嫁さんとして迎えようとしてるんですし」
 どうしてそれが今更「言うか言うまいか」なのかというと、変に明日のことを意識させてしまうのもな、という考えからです。夕食時、家守さんと高次さんが来れば間違いなく明日の話になるわけですから、それまでの間くらいはゆったりしていてもいいんじゃないか、と思ったのです。
 思った割に、あっさりとこの展開ですが。
「そうだね」
 そして栞さんの反応もまた、あっさりとしたものでした。僕の危惧は何だったのかというくらいあっさりそう言い、そして同じく僕の危惧は何だったのかというくらい、あっさり笑顔になってくれたのでした。
「情けないとか言ってないで、むしろ『自分も同じくらいこうくんのお世話をしないと』くらいに思っとかなきゃって話だよね」
 たった今、僕の危惧は何だったのか、なんて思った僕ですが、そうでした。そんな危惧が無駄になるような人だからこそ、僕は栞さんを選んだんでした。
 弱いところもあるけれど、それを自分の強さで補える。そんな、とても格好いい人。
「栞さん」
「ん?」
「なんか、キスしていいですか?」
「なんかって、あはは、変な頼み方。そりゃあ構わないけど……ああそうだ、だったら私からもお願い」
 何かお願いがあるらしい栞さんは、しかしそのお願いを口にはしないまま僕の手をとり、そしてそれをそのまま、胸の傷跡の跡にあてがわせました。
「私が言うことじゃないけど、凄いことだと思うよ。『ここ』がどういう意味を持ってるのかちゃんと知ってて、なのに『ここ』に触ったまま、キスができるって」
「……今更な話ですけどね」
 悲しい事実と、暗い記憶。僕が触れている個所には、かつてそういったものが詰め込まれていました。既にそれらと決別した今、ここにあるのは「思い出の思い出」ということになりましょうか。
 それに触れ、それを感じたまま、キスをする。
 それは、そんなにも凄いことなのでしょうか?
「うん、今更。そんなふうに言ってしまえる人だから――だから、愛してる。こうくんのこと」
「僕だってそうです。それで納得できてしまう人だから――」
 僕が今更と言ったからといって、すぐそれに同調するのは難しいことな筈です。なんせ「思い出の思い出」は、栞さん自身の話なのですから。悲しい事実も暗い記憶も、栞さん自身のものなのですから。
 だというのに、僕のたった一言で、それを飲み込めてしまう。そんな人だから。
「だから、愛してます。栞さんのこと」
 だから明日は、何が何でも絶対に。
 まるで凄いこととは思えない容易いキスを前に、僕はそんな思いを胸に焼き付けたのでした。


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