(有)妄想心霊屋敷

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新転地はお化け屋敷 第二十五章 お留守番の終わり 六

2009-05-06 21:00:53 | 新転地はお化け屋敷
「まあまあ、これはこっちから頼んでるお仕事なんだし。――というわけでこーちゃん、はい」
 なだめに入った家守さん、しかし次の瞬間には会話相手が僕へ。はいと言われていつものあのワンパクなズボンのポケットから差し出されたのは……封筒?
「先月の分も合わせての、お給料です。これまでご苦労様でした」
 ――おお、ついに。
 手渡されるその際に「あ、もちろん、これからもよろしくね」と付け足されてしまいましたが、そんな言葉のアヤには気付けもしないのでした。なぜなら、
「……重くないですか?」
 受け取った給料入りの封筒、重いのです。と言うか、厚いです。期待とか期待とかで期待がいっぱいです。期待し過ぎて不安なくらいです。
「今月に纏めた先月分も入ってるし、必要経費として食材代も入ってるからね。あ、講義料はアタシ一人分だけど、食材代はしぃちゃんの分も入ってるから」
「えっ!?」
 驚きのあまり声を上げてしまった。と思ったら、上げてなかった。僕ではなく栞さんでした。
「そそそんな、払ってもらうなんて駄目ですよ。栞だってお給料もらってるんだし、なのに自分のことで楓さんにお金払わせるなんて、そんなの駄目です」
「やあ、そうは言ってもねえ。そもそもこの料理教室はアタシの頼みで開講したんだし、しぃちゃんはご飯食べる必要はないんだし。なのにしぃちゃんの分がこーちゃんの自腹ってのもさ」
「栞が自分で払います。食材代だけじゃなくって、楓さんと全く同じことしてたんだから講義料も」
「いやねえ? アタシだってそれをちらっとでも考えないわけではないんだけど」
 言い分だけを聞くなら、栞さんのほうが正論なんだろう。だけど。
 家守さんの目がこちらを向きます。お久しぶりの意地悪そうな目です。
「恋人からお金取る? こーちゃん」
 そう、その通り。
 そういうことなのです。外食をしておごるだとか割り勘だとかいう話ならまだしも、自分の部屋で一緒に食事をしているだけなのです。世のカップルさん達は、そこでわざわざ食費を請求するものなのでしょうか?――いや、そんなことはないのでしょう。
 しかし、栞さんは食い下がりません。
「でも料理教室が始まった時はまだ、そういう関係じゃなかったじゃないですか。……いや、それが理由でお金払わないっていうのもまだ納得できないですけど」
 後半はともかく前半は、それもまたその通りなのです。この教室が始まることになったのは引っ越してきた直後と言ってもいいようなタイミングで、だからもちろん栞さんとは、今のような関係ではありませんでした。その時期に交わした契約なのだから、今の関係を引き合いに出すのはおかしいと。なるほど確かにそれも道理なのです。
 ――でも、ちょっと待った。
 それってつまり、契約内容をはっきりとさせておかなかった僕が悪いのではないでしょうか? なんたって、お給料をもらった今の段階で、その金額に驚いたくらいなのですから。
「はい」
 挙手します。
「こーちゃん先生、どうぞ」
 指名されます。
 まずは咳払いを一つ。おほん。
「えー、栞さんの分を除いた家守さんからの講義料と食材代については、有難く受け取らせていただきます。それはいいですね?」
 はい、と返事二つ。
「では栞さんの分です。栞さんの言う『家守さんに払わせるのは駄目だ』という話も、家守さんの言う、こ……『恋人からお金を取るか』という話も、実によく分かります。どちらもその通りだと思います」
 家守さんからは、「うーん、まあ」と。
 一方、栞さんは無言のままです。つまりは、家守さんの言い分がやっぱり納得できるものではないと。ならばそちらについてもう一押し。
「理屈の上でもそうなんですけど、何より僕自身、栞さんからお金を取りたくはないです。――これは別に恋人だから贔屓してるとかそういう感情論じゃなくて、立場や状況的にそうならざるを得ないんだと受け取ってください」
 言わなかったらまず確実にただの贔屓話なんで、そう付け加えておきました。まあ、それでも苦しいのは分かってますけど、でもこれは本心なのです。
「そこで僕の結論ですけど、栞さんからは一切代金を受け取らないし家守さんにも払わせない、というのはどうでしょう」
「アタシはまあ、こーちゃんがそう言うならねえ。しぃちゃんに負担がないってのは賛成だし」
 家守さんはそう言ってくれました。
「…………」
 栞さんは難しい顔のままでしたが――それでも、無言のまま渋々とではありますが、頷いてくれました。
 何も言わずに様子を窺っていた高次さんはそこで、歯を見せつけるようなニカッとした笑顔を、こちらへ向けてきます。それが単純に「良かったね」という意味での笑みなのか、それともほんの少し前の家守さんと同じく意地悪な笑みなのかは、判断できませんでした。

「もちろん、分からないんでもないんだけどね」
 栞さんの分の食材代を家守さんにお返しし、問題が解決して二人だけになった、その後。
「でもやっぱり、楓さんと同じ扱いが良かったなあ」
 栞さんは空気が抜けた風船のようにしおしおと、テーブルへ伏せってしまうのでした。
「すいません」
 しおしおと潰れてしまった栞さんへ、僕はきびきびと頭を下げます。
「初めからしっかり決めておけば、こうはならなかったんでしょうけど」
 なんせあの頃はまだまだ引っ越してきた直後で、家守さんの勢いに慣れてなかったりなんだり。しかも、ただでさえ毎晩料理をご指導するなんてのは突拍子もない話なのに、その相手が知り合ったばかりの……あー、綺麗な女性だなんて、それにもう一人、そのー……可愛い女の人だなんてことになったら、恥ずかしい話ながら女性慣れなんてする機会もなかった僕にとっては、そこ以外の点を考える余裕がなかったと言いますか。
 ――いやまあ、言い訳なんですけどね。後になってからでも、話をしようと思えばできたわけですし。
「栞さんのあれと同じようなことですよね。掃除は誰にも手伝わせないっていう」
「まあ、うん。でも、お金のことを考えてとか、そこまでの話じゃあないんだけどね」
 僕が毎日料理の先生をしているのと同じく、栞さんは毎日、庭の掃除(時々空き部屋の掃除も)をしている。一緒に行動している時間が多いこともあって、そこへ立ち会うこともちょくちょくあるんだけど、手伝いましょうかと言ってみて首を縦に振られたことは一度もない。
 お金のことを考えてではないとは言え、根本的には同じ種類の話なんだろう。料理教室に栞さんも参加している以上は、それについて考えなければならなかった、ということだ。
「……あー、でも」
 栞さんが体を起こしました。
「お金のことでうじうじしてるって、かなり不格好だよね。もう決まったことだし、止めにするよ。ごめんね」
 言い終えた後は、いつもの笑顔。それはもちろん気が楽になるというか、喜んで受け入れるべき事象なんだろうけど――でもこの場合、栞さんの立ち直りを待つのではなく、僕のほうからそれを促さなければならなかったのではないだろうか? それこそ、不格好というか。
「初めてのお給料、おめでとうございます」
「ありがとうございます」
 お金のことでうじうじすることを止めた栞さんは、お金のことを喜び始めました。いきなりまるで別の話で雰囲気を誤魔化されるよりはずっと自然で、それがあってかなかってか、こちらの返事もするりと引き出されてしまいます。
「一月経ったんだねー」
「正確には、一月とちょっとですね」
「そっか、一月とちょっとか」
 わざわざ修正を入れる必要があるかどうか微妙なところだと思わないでもない修正を入れてみたところ、くすくすと笑う栞さん。
「いろいろあったね、一月とちょっとの間に」
「ありましたね」
「栞と孝一くんのことはもちろん、それ以外のことも」
「ですね。本当にいろいろ」
 お給料が入ったことが何かの明確な区切りになるわけじゃないけど、それでも引っ越してきてからこれまでを思い返してみます。
 いろいろ思い返した結果、過剰なくらい充実した一月とちょっとだった、と結論付けることになりました。
「今日一日だけですら、いろいろあったもんね」
「ありましたね」
「清明くん、風邪治ってたらいいんだけどなあ」
「ですねえ。庄子ちゃんのほうは、次に会うのが楽しみです」
「楽しみだねー」
 清明くん、お母さんと話はできただろうか?
 庄子ちゃん、大吾と成美さんのことも、大吾が見えるようになったことも、おめでとう。
 さらりと話題にするにはどこか抵抗があるその二つだけど、栞さんも考えていることは同じなのでしょう。風邪のこととか、こちらが見えるようになったこととかは、まあ、深入りしない程度に表面をなぞった結果として出てきたものなのですから。
 しかし、
「…………」
「…………」
 表面をなぞっただけで本当に言いたいことは別にある、ということで、二人そろって言葉に窮してしまいます。むむう、ここからどうしたらいいんでしょうか?

 お互いに無言のまま、暫く時間が経ちました。そしてそうしているうち、二人の間に流れていた空気も、少しずつ変化していきました。軽く柔らかだったものから、重く湿ったようなものへと。
「……清明くんも庄子ちゃんも、辛かっただろうね」
「そう、でしょうね」
 もう目に見えて辛そうだった清明くんはもとより、庄子ちゃんだってそういうことになるんだろう。
 ついさっき家守さんと高次さんから聞いた、大吾を目にしての涙。それは分類するなら嬉し涙ということになるんだろうけど、涙を流すほどの嬉しさだというのはつまり、それまで押さえ込んでいたものがあった、ということになるんだと思う。
 でももちろん、
「それを外野が追っかけるのも――同情? ですかね? それもちょっと、どうなんだろうかって気はしますけど」
「あ、うん。それはそうだよね」
 いくら気の毒だと思ってみたところで、極めて身近な人が亡くなってしまったという経験が僕にはない。だから気安く……自分としてはそういうつもりはないけど、客観的に見ればそういうことになるんだろう。気安く同調してしまうのは、多分、褒められるようなことではない。
 清明くんと話をしていた時にそれを抜きにできていただろうか? と、今になって思う。
 そして同時に、目の前の彼女。
「あ、いやでも、栞さんは……」
「ん? なに?」
 躊躇う。だけど。
 今になって躊躇うことではない、のかもしれない。
「身近な人が亡くなってしまったっていう経験、僕にはないです。でも、栞さんはその、自分自身が――ですし」
 躊躇うことではないとしつつも、やっぱり口調は籠りがちになってしまう。
 そんな僕の発言に対して栞さんはというと、目を丸くするのでした。ただしそれは一瞬だけのことであって、その一瞬が終わってしまうと、それを収めるどころか微笑みさえ。
「まあ、そうなんだけどね。でもやっぱり、別の話といえば別の話だし」
 脱線することなく続く会話。心配が杞憂に終わってほっと一息ついたのは、言うまでもありません。そして杞憂だったからには「それはともかく」ということにしておいて、
「そうですか。じゃあ、そうなんでしょうね」
 こちらもやっぱり僕に経験はない。なので、そんな受け答え。
「そうなんだと思うよ」
 本人が体験しての発言であるがゆえに、ただそれだけだとも言ってしまえる言葉にも、しっかりと説得力がある。ならば僕が異論を挟む余地はなく、そのつもりになろうとすら思わない。
 何か思い浮かべることがあるとすれば、この言葉に説得力を備えさせている栞さんの体験への想いと、そしてその体験を含んだこの言葉を嫌な顔一つせずに発してくれる、いま目の前にいる栞さんへの想いだろうか。
「というわけで孝一くんの言う通り、同情は止めにしよう。二人の話をするなら、それを前提として、だね」
 自分で言い出したことなのに、同意するのが気持ちいい。気分がスッとする。栞さんのこういうところは上手いと言うか、何と言うか。心強い?……うーん、別に何かに立ち向かってるってわけじゃないしなあ。
「それで孝一くん、まずは清明くんのことだけど」
「あ、はい」
 そうそう、今は栞さんの話でなくて。
「孝一くんも庄子ちゃんも『思いっきり泣いてみてもいいんじゃないか』って話、清明くんにしてたけど、清明くんはそうするのかな」
「どうでしょうね。その場ではまあ、分かってもらえたふうでしたけど、そうは言っても話をした本人の前ですしねえ。どっちみち『嫌だ』とは返ってこないでしょうし」
 もちろん僕は清明くんについての理解がそこまで深いわけではないけど、でもそんな気がする。イエスかノーかと問われたら、はっきりイエスと答えるか渋々イエスと答えるかの二択、つまり結局は一択になってしまう、というような。
 とは言え、それは何も清明くんが特別にそうだという話でもない。むしろ、いつでもイエスかノーかをはっきりと言い切れる人のほうが珍しいんじゃないか、という程度の話だ。
「んー、まあ、そうなるよね。ただその、孝一くんと庄子ちゃんの二人からでしょ? それで、さっきも言ったけど、孝一くんは清明くんと同じ経験をしたことがなくて、庄子ちゃんはあるでしょ? それって言ってみれば、別の立場の二人が別の立場なのに同じことを言ってきたってことなんだから、清明くんからすれば納得の材料になる部分もあったんじゃないかな」
「『別の立場の二人が同じことを言ってきたんだから、それは正解に近いんじゃないだろうか』ってことですか?」
「うん」
 言われて考えてみれば確かに、話を聞く側としてはそういうことになるのかもしれない。僕としてはたまたま庄子ちゃんが同じことを言ってくれていたというだけの話だったけど……ただ、まあ、なまじそれが自分の意見でもあるので、正解かどうかの自信はどうだと問われると、辛いところがないわけでもない。偉そうに言い聞かせておいてなんだよって話になってしまうけど。
 とは言え、それでも。
「話を正解だと思ってもらえたら、話をした側としては嬉しいですけどね」
「だよね、やっぱり」
 それともう一つ。
「間違いだと思われたとしても、そう結論付けるまでにこっちの話をしっかり考えてもらえたんなら、やっぱり嬉しいです」
「そっか。そうだね」
 その場合、話を聞かされた側からすれば鬱陶しいだけなんでしょうけど、それでも。身勝手な話なんですけどね。
「どっちだとしても、元気になってくれたらいいね」
「ですよね」
 同情はなしにしようと決めてある以上、それは元気がなかった様子を元とした同情心ではなく、ただただその言葉通りの意味だけを含んだものだ。だからこそ陰りを見せる様子もなく、栞さんの表情は明るかった。
 だけども実際に会話をした僕としてはもう一つ、清明くんが元気になったとして、そこへ自分が関われているであろうことが嬉しいという、これまた身勝手な思いも込めていた。
 身勝手だと言うからには抑え込むべき思いなんだろうけど、なかなかそうもいかないのでした。
 投げっ放し感はあるものの、所詮外野でしかない僕達にはそれが精一杯。ならば、次の話も恐らくはそうなるんでしょう。
「それで、庄子ちゃんだけど」
 というわけで、次の話です。
「毎度毎度思わされますけど、庄子ちゃん、本っ当に大吾のこと好きですよね」
「あそこまで仲の良い兄妹って、珍しいかもね」
 僕も栞さんも一人っ子なので、実感のほどは分かりません。それでも、そう思わされざるを得ないのです。あの二人については。
 ……で、一度はその仲の良い兄との死別という経験をした庄子ちゃん。なのですが、そこで一つ。
「それはやっぱり、一度、離れ離れになったからってことなんでしょうかね?」
 あんまり平然と言い放つのもどうかと思うけど、それでもできるだけ声色が後ろ向きにならないように気を付けながら。
 離れ離れという言葉への言い換えをしたものの、栞さんはそれだけでも得心してくれました。
「あるんだろうけど、でもやっぱり、そうなる前からっていうのもあるんだと思うよ。大吾くんがここに住むようになる前のことは知らないから、実際に見たってわけじゃないけど」
「……ですよね、やっぱり」
 想像する時間を挟んでから、頷く。「仲が悪い」どころか、「仲が良いというわけでもない」程度の想像すら、登場人物があの二人だと上手くいかないのでした。
「傍から見るだけだったら、口の悪い二人だってだけなんでしょうけど」
「かもね。でもちょっと知り合うだけで、ぜんぜん見方変わっちゃうよね」
 すぐに妹の悪口を言う兄と、その兄を馬鹿呼ばわりしつつ蹴りだ何だを叩き込む妹。一般的には喧嘩なんだろうけど、少し見ていれば、そうでないことはすぐに分かる。
 良くも悪くもストレートなのです。しかも兄妹揃って。
「初めは戸惑っただろうね、声だけなんて」
「でしょうね。僕なんかほら、見えてまでいるのに大慌てでしたし。しかもその時点では知り合いでもなんでもない人達だったのに」
「ちょっとテーブルをすり抜けて見せただけなのに、気絶しちゃってたもんねー」
「楽しそうに言われちゃうと、ちょっと気が滅入りますけどね」
 そう言っても栞さんは楽しそうな顔のままなのでした。むむう、今でもまだ恥ずかしい。
 例えば明美さんも気絶したとは聞いてるけど、それは相手が自分の夫である清さんだったからだろうし、庄子ちゃんなんかになるとそれこそ――
「自分からここに来たんですよね? 庄子ちゃんって」
「え? えっと、いつの話?」
「始めてここにきた日です」
「ああ、うん、そうだね。大吾くんは来て欲しくなかったみたいだったから」
 最近の大吾はそうでもないけど、最近までの大吾はそうだった。それは、「今はそうじゃないみたいだけどね」と付け加える栞さんの言葉の通り。
「庄子ちゃん、とんでもなく勇気が要りますよね。それって」
「そうだね。なんたってここは『お化け屋敷』だし、大吾くんを探してここに来たってことは――そういう、ことだしね」
 初めから信じていたわけではないだろう。初めてここへ来た時点でもまだ、信じていたわけではないだろう。
 それでも、庄子ちゃんはここへ来た。必然的に生まれることになるであろう、「そんなことがあるわけがない」という、常識からくる否定。それと同時に「お化け屋敷にお化けとして存在する兄」という、残酷ですらある希望。その二つを胸に収めたまま。
「それを考えると今日のことは、お祝いしたいくらいにおめでたいです」
「少し前までの大吾くんの考えも分かるけど、やっぱりそうなっちゃうよね」
 大吾だって初めから庄子ちゃんには会いたかった筈で、それを圧してまでここへ住み、庄子ちゃんに見付けられた後でも会う日に制限を掛けていたというのには、素直に頭が下がる。
 それでも今日のこと、つまり庄子ちゃんが大吾を見られるようになったことについてそんなふうに意見が一致してしまうのは、僕と栞さんが外野だからなんだろう。周囲から見ているだけの立場としては、辛い選択よりは幸せな選択を優先したくなる。
 栞さんが呟くように言う。
「……無責任なんだろうけど」
「なんですよね」
 そうなんです。そうなんですけど、持とうとしたって持てない責任を持とうとするのもまた無責任。栞さんの言葉を躊躇いなく肯定した僕は、責任なんか持ちようもない外野という立場から、多分そういうことなんだろうなとぼんやり考えるのでした。
 外野だから責任は持てない。それは、責任逃れの卑怯な言い分かもしれません。自分はそうじゃないなんてことも言うつもりはないですし、正直に言って、むしろ自分もそうだという自覚はあります。そうでなければ、「責任逃れの卑怯な言い分」なんて言葉が頭に浮かぶこと自体がないんでしょうし。
 ただ、それでもなけなしの正当性を主張するとしたら、好きでそこへ踏み込んだわけじゃないという点でしょうか。
「庄子ちゃんも清明くんも――良い人、ですから」
「うん」
 良い人とするには大学生と中学生という年齢差の面で違和感がある気がしたけど、良い子とするのはそれ以上の違和感があったので、そちらにしておく。知識や経験を抜きにした人となりだけで見た場合、相手の年齢というものは、あまり重視すべきものではないような気がしたのです。
 良い人だから、その人について何かを思わざるを得ない。その後に行動に移すことについては踏み止まれても、感情のほうはそうもいかないようです。清明くんと庄子ちゃんに限らず、この一月と少しの間にも、何度か経験したことですけど。
「だから今度会う時は、こっちのそういうところを見せないようにしないとね。難しいかもしれないけど」
「難しいでしょうね。でもまあ、今話してること自体を忘れてたりするかもしれませんけど」
「あはは、それもそうかも。次の時までずっと気にし続けるなんて、それこそ難しいもんね」
「毎日会うんならともかくって話ですよねえ」
 例えば、僕から見た栞さんみたいな。――なんてことはわざわざ口にはしませんけどね。
 栞さんのことに関しては、全部とは言わないまでも、僕が外野でなく当事者となれる部分もある。それは当然嬉しいんだけど、だからと言って他の人のあれこれにまで自分が関わろうとするのは、決していいことではないんだろう。もちろん、相手が良い人であれば良い人であるだけ、そうしたくはなるんだけど。
 わざわざ口にはしなくとも、やっぱり気付いてしまうんだろう。栞さん、迷いが混じったような難しい笑みを浮かべています。
 今ここでそれ言う? ってな話なんでしょう。もしくは、僕が言っているのは本当にそういう意味なんだろうかというような話なんでしょうか。
 ごめんなさい。出来心です。
「じゃ、じゃあ……孝一くん、ずっと気にし続けてくれてるの?」
「いや、正直言ってそれでも無理です」
 ごめんなさい。適当こきました。
 ごめんなさいなのですが、栞さんの笑顔から迷い成分がにわかに抜け出ます。
「そうだよね。楽しい時――晩ご飯の時とかまで気にされてたとしたら、なんだか息苦しそうだし」
 なるほど、それは確かに。
「そうですね。ところで……『楽しい時』の代表って、晩ご飯の時なんですか?」
「えっ、変かな。もちろん他にもあるけど、孝一くんと言えばお料理だし」
「ああ、そう言ってもらえるのは大歓迎なんです。ただ、意外だったと言うか」
「うーん、楽しそうに見えない? その時の栞」
「いやいや、もちろん楽しそうですよ? えー、その、流れ的に、二人きりの時とかが挙がるのかなって予想してたもんで」
「あっ」
 小さい声が上がって、のちに訪れるのは気まずそうな沈黙。
 ただまあ沈黙はともかく、気まず「そうな」というからにはその部分だけ、栞さんにとってのみのことでして。
「ありがとうございます」
「……えっと、喜ばれてる?」
「そりゃもう、自称料理好きですから」
 ――などと結局はこういう話になってしまうのですが、ちょっと気を取り直して。
 外野という立場。それが無責任を伴うということを弁えたうえで、僕は望みます。清明くんと庄子ちゃんの二人と次に会った時、楽しい時間を過ごせるということを。
 栞さんの例を参考にして一緒に料理をする……というわけには、いかないんでしょうけど。
 それにそもそも「楽しい時間を過ごすことを望む」とか言って、大層な装いにすることもないんですよね。なんせ友人というもの、それが普通なんですから。

 さて、ならばいま目の前にいる女性との普通とは――?
 いや、それはまた別の話なんですけどね。


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