「ワシが一番乗り――いやいや、そりゃそうなるわな」
こんにちは。204号室住人、日向孝一です。
ちょくちょくそうしているように栞と話し込み、それを踏まえてなかなかいい雰囲気になってもいたのですが、しかしまあこうして来客があるなら何をどうするというわけにもいきませんとも。詳細についてはお察しいだたくしかないとして。
「他のみんなはまだ講義中でしょうしね」
「ううむ、それを意識してしまうとどうにも落ち着かんの」
そう言いつつ座ったまま軽く身体を揺すったりしてみせる同森さんですが、なんせそのムキムキっぷりなので、そんな何でもない動きですら筋トレに見えてしまったりするようなしないような。
と、それはともかく。僕達が今ここで何をしているかといいますと、他のみんな、つまりいつもの四人から今ここにいる同森さんを除いた異原さん口宮さん音無さんを待っているところです。同森さんだけは三限の講義がなく、なので他のお三方よりちょっと早めにここに到着したというわけです。
で、じゃあ集まって何をするつもりなのかと言いますと――。
「行き先については落ち着いてますか?」
「ん? はは、どうじゃろうな。よく分からんというか……そうじゃな、よく分からんから緊張しようもないってところかの」
「まあ緊張されるよりはいいですよね、そっちのほうが」
四方院さん宅。緊張されてもおかしくないであろう行き先というのは、そんな幽霊を対象とした旅館だったりします。いや、家をそのまま旅館と称してしまうのは結構な語弊があるんでしょうけど。
しかしともあれ緊張していないと仰るならそれはそれで良し。そういうことにしておきまして、ならば次です。
「お隣さん達も呼んで来ていいですか? 出発する時は一斉に動くことになるんで、じゃあ先に集まってた方がいろいろ動き易いでしょうし」
「お、おお。そうじゃな、ワシは別に構わんぞ」
学校なんかでの集団行動じゃなし、別にそんな動き易いだとかわざわざ考慮することもないのでしょうが――というわけで、本当の狙いはそこではありません。
自分と僕と、あと見えない栞の三人ぽっち。同森さんの立場で考えると、それは多分ちょっとばかし程度には居心地が悪いものなんじゃないかなあ、とそう思ってみたわけです。
もちろん本日正午、僕の実家でお母さんにそうしたように筆談をすることだってできるわけですが、まあしかしそれはそれでという話ではありましょう。異性、という部分についてはまあいいとしておいても、まだ直接の友人ってほど関わりがあるわけじゃないですしね。同森さんと栞って。
「じゃ、すぐ戻ってきますから」
「おう。……すまんの、日向くん」
小さく、けれど少なくとも僕の耳に届きはする声量でそう言ってくる同森さんなのでした。
ううむ、なるほど。
『お邪魔しまーす』
というたくさんの声のうち、同森さんに届いたのは一つだけです。それ以外では「ワフッ」なんてのも聞こえてたでしょうけど。
というわけで呼びに行った隣人さん達を連れて戻ってきた僕なのですが、連れてきた狙いが狙いなので、成美さんには耳を出してのご登場をお願いすることになりました。いやはや、わざわざ着替えまでしてもらうことになっちゃいまして。
「久しぶりだな。覚えているか? 私のことは」
「哀沢さん――でしたかな」
なんせ幽霊というだけではなく「どう見ても人間なのに猫」というお方です。あってないような面識しかないとはいえ忘れようもないのでしょう。が、
「はは、うむ、半分正解だな」
ということになるわけです。
「半分? というのは、えー、下のお名前のことで?」
「ではなくてあれだ、一身上の都合で哀沢成美から怒橋成美を名乗ることになってな」
「怒橋。というのは確か……おお、ということは」
「うむ。そういうわけで私は怒橋成美だ、改めて宜しく頼むぞ」
「こちらこそ。――いやしかしめでたいというか何と言うか、凄い話ですな。日向君のほうもそうなったというのに」
そうなった。というのはもちろん結婚のことを指しているのでしょう。成美さんの場合、大吾と同じ名字を名乗るようになったのは結婚から少し日を開けてからのことなのですが、まあそれくらいは誤差ということにしておきましょう。
そしてそれはともかく、ここで成美さんが何やらチラチラと僕に視線を送り始めます。見るからに自身の窮状を訴えているそれが何を求めているのかは、しかし即座に理解できたのでした。
呼びに行った時に名前出した筈なんだけどなあ……って、ああ、玄関に出てきたの大吾だったっけ。
「名前と言えば、同森さん」
同森さん。
「ん?」
「音無さんからの呼ばれ方、最近変わりましたよね。前は『哲郎さん』だったのが――」
哲郎さん。
そこで成美さんがほっと溜息を。けれど当の「同森哲郎さん」は、照れ笑いを浮かべるばかりで成美さんのそんな様子には気付かないのでした。
「なんじゃ、いやに急な話じゃな日向君」
「いやあ、そういうもんなんだなあって。僕と栞も変わりましたし」
僕の話まですることになりましたが、まあこれくらいは必要経費ということで。こっちから一方的に訊くだけじゃあちょっと不自然でしたしね、今の流れ。
「しかし本当に大人しい犬ですな」
「うむ、いいやつだぞ」
籠絡成功。……なんて言い方は間違いなく間違っているのでしょうが、目の前で伏せったジョンの頭を撫でながら感心する同森さんでした。大人しいとは言っても反応が薄いというわけではなく、頭を撫でられて嬉しそうに尻尾をふりふりしていたりするところなんかがまた、こう、なんというか愛いやつございまして。
「時に同森よ」
「なんですかな」
成美さんまで一緒になってジョンを撫でつつ――ということで必然的にジョンを挟んだ位置関係で向かい合って座ることになった二人なのですが、互いの口調からなんだか湯呑みをお出ししたくなるのでした。どちらも若者、しかも一方はムッキムキの男性で一方はそこらのモデルに引けを取らないような美人だというのに。
「あー、彼女とはどうだ、最近。音……無、だったよな? あの真っ黒で胸が大きい」
ギリギリ、といったところでしたがどうやら音無さんの名前は覚えていたらしい成美さん。しかし真っ黒というのはともかく、あの人を思い起こす時に真っ先にイメージすべきはあの口以外の表情を隠してしまうほどの前髪であって大きな胸ではない、と、そう思うのですがどうなんでしょうか。
どちらにせよ、それがあったから音無さんの名前は覚えてたんでしょうけど。
いきなり胸の話なんかされたらそりゃあ誰だって驚くのでしょうが、同森さんもその例に漏れることなくそれらしい表情を。けれどもしかしそれは一瞬だけのことで、何か思うことがあったのかそれともただジョンの方に目を向けただけなのか、視線を落としつつ返事をし始めます。
「特にどうとも、というのは良い報告として扱ってもらえますかな?」
「ふむ。そうだな、そういうことでいいと思うぞ。少々話をした程度の印象で物を語るのは申し訳ないが、どうともなく付き合い続ける方こそ大変そうに見えたしな」
「ははは、いや、確かに仰る通りで。それに自分も達者とは言えませんしな、そういう方面については」
誰が見たって気が小さそうに見える音無さんですが――と、僕だって立場は成美さんとそう変わらないんでしょうけど――その通りに気が小さいわけです。いくら幼馴染で見知った仲とはいえ、異性と付き合うということになったらいろいろ不安なんかもそりゃまあ出てくるわけで、となったらその気が小さい音無さんなんかは――といったところで、同森さんは「特にどうとも」と。
僕がそんなふうに思うのはお門違いというやつなんでしょうけど、少なからずほっとさせられるものがありました。
ら、そんな僕の隣で栞が小さく笑っていたりもしつつ。
「達者でなくて上手くいっているというのなら、それは尚喜ぶべきことなんだろうさ。それとは別の、もっと言えばそれよりもっと深いところで、上手く噛み合っているということなのだろうしな。お前達二人は」
「成程。いや、有難いお言葉で」
「私から言うのも可笑しな話だが、是非これからも良くしてやってくれ」
「承知致しました。お任せください」
なんかこう、息が合っているというか空気が同調しているというか、むしろ分かってて合わせに行ってるんじゃないかってくらいなんですけどどうなんでしょうか。たとえそれが同森さんだとしてもですよ? 「承知致しました」なんて普通の会話内で言います?
――しかしそんな雰囲気の中でも、二人は代わる代わるジョンの頭を撫で続けていたりもするわけで、ならば同じくその尻尾はぱたぱたし続けていたりもするわけですが。
「見てて面白いな、なんか」
同意せざるを得ないにしても、旦那さんが言っちゃうかねそれ。
「しかし僭越ながら怒橋さん、どうしてそこまであいつのことを?」
「うむ。前にここに来た時、音無はわたしに自分の昼食を少し分けてくれてな。ならばこれくらいの恩返しはしておいて損はなかろう、ということで」
「ははは、恩返し。そういうことでしたか」
分けてもらったものというは確かポテトだったでしょうか、何にせよ結構前の話ということになるのですが……まあしかし、それがほぼ唯一と言っていい面識の中でのことなら、覚えていることもここで引き合いに出すことも分からないではないでしょう。
同森さんは成美さんが猫であることを知っているとはいえ、それでもあからさまな「猫っぽさ」、もとい「人間でなさ」が出てきたら、その内容によっては大吾なり僕なりが動くことになるのかな、なんて不安もちょっぴり程度にないわけではなかったのですが、しかしどうやら心配はなさそうでした。
さて。一人だけ三限の講義がなく、それゆえに四人の中で一番早くここに到着した同森さんではありましたが、だからといって早過ぎるほど早かったというわけでもなく、
「どうぞ中へ」
『お邪魔しまーす』
大学の方で待ち合わせたということなのでしょう。異原さん口宮さん音無さんは、三人同時にやってきたのでした。
「おう、ご苦労さん」
やはり待ちかねていたという面はないということはないのでしょう、やってきたお三方をにこやかに、軽く手を挙げたりなんかしつつ出迎える同森さん。挙がっていない方の手は未だにジョンの頭の上に置かれていたりもするんですけどね。
「あら、その苦労してる間に随分とごゆっくりだったみたいねえ哲郎くん?」
「そう言うな。こっちだって気にはしとったんじゃから」
そうして異原さんが憎まれ口を叩き、応じて同森さんが軽く笑っているその間、残りの二人である口宮さんと音無さんは揃って周囲をきょろきょろと。どうしてそうなるのかというのは言われるまでもなく理解出来るわけですが、しかしそれに対して僕が動くよりも、口宮さんの一言の方が早かったのでした。
「由依、状況」
言われた異原さん、「おっとごめんなさい」と。口宮さんに対して素直に謝るなんて珍しいなあ、なんて、もちろんそんな話ではなく。
「ワンちゃんは――あとええと、耳出してるってことは確か哀沢さんも、よね? 二人はあんたらにも見えてるとして他に今ここにいるのは喜坂さ――じゃなくて日向さんと……」
「ああ、そういうことならわたしも哀沢から怒橋になったぞ」
「ええ!? ああちょっと混乱しちゃ――じゃなくておめでとうございます。……す!? へ!? 本当ですか!? ああえっとでもそうじゃなくて……あれ、なんだっけ?」
大混乱でした。
「……ということで改めて、怒橋成美さんです」
「夫ともども、改めて宜しく頼むぞ」
そりゃまあここは僕の出番だろうということで、今ここにいる人員の説明を済ませた後に大吾と成美さんのご結婚についても。
『おめでとうございます!』
女性陣からはそんな声と拍手が上がり、拍手の方については口宮さんも。
それを見て「女性陣と若干テンションに差があるのは、でもまあそういうもんだよね」なんて思ったりしないでもない僕なのですが、しかしどうやらそれだけということでもないらしく、人員の説明が済んでもまだ若干きょろきょろしがちな口宮さんなのでした。
「何かお探しで?」
「あ、いや、そういうわけじゃねえんだけどな……」
尋ねてはみますがそういうわけではないそうで、ならば一体? と首を捻りそうになったところで、
「えー、あー、ほらさっき、ナタリーさんもいるって」
「ああ」
それを聞いたナタリーさんは嬉しそうに首を持ち上げていましたとも。どこからどこまでが首なのか、なんて話はどうでもいいとして。
「お呼びですよ、ナタリーさん」
首を持ち上げた割にはその場に止まっているナタリーさんに声を掛けてみたところ、
「あ、はい、でもあの、今はまだ見えてないですし」
と遠慮がちなご様子。僕や成美さん、もしくは異原さんを通訳とすれば会話はできるのですが、まあしかしそれだったら確かに近付こうがその場に止まっていようが同じことだよなあ、なんてことを考えている間に、
「優治」
「おう?」
異原さんが動きだしました。
「腕出してじっとしといて。こんな感じに」
「おう」
こんな感じ、というのは腕時計を確認しているようなポーズ。とはいえそれが何を想定してのものなのかはすぐに分かりましたし、そしてそれは口宮さんにしても同じことなのでしょう。珍しくかつ大人しく、異原さんの指示に従ってみせるのでした。
そしてその異原さん、今度はナタリーさんのほうへ。
「ナタリーさん」
「あ、はい」
「こっちにどうぞ」
「はい、お邪魔します」
差し出された手を伝って、そのまま腕まで巻き付くようにしながら上っていくナタリーさん。一方で異原さん、自分からそうさせたとはいえそりゃまあそうもなりましょう、蛇に腕をよじ登られる感覚に「ひょうっ……!」と変な声を上げるのでした。
「何だよ今の」
「う、うるさいわね。……で、あの、ナタリーさん」
「はい。ありがとうございます、行ってきますね」
終わってみれば「直接口宮さんの腕に上らせればよかったんじゃないだろうか?」という話ではあったのですが、しかしそこは突っ込まないことにしておきましょう。ナタリーさんは口宮さんの腕へと移り、ならば目に映らずともその感触から、今いる位置だけでも伝わる状態になったのでした。
そして口宮さん、異原さんのように変な声を上げたりはしないのでした。
「お久しぶりです」
「はい、お久しぶりです」
「『お久しぶりです』って」
変な声を上げたりしない口宮さんは、それに代わってごく普通の挨拶を。ならばナタリーさんもそれに続き、そしてそのナタリーさんの言葉を異原さんが繰り返すことになるわけです。僕や成美さんでもいいんでしょうけど、でもまあここは異原さんですよね、やっぱり。
とまあそれはともかく、しかしどうやら口宮さん、その後の言葉が続かないようで若干ながら目が泳ぎ始めます。ナタリーさんはまるで気にしたふうではないというか、むしろ口宮さんの傍――どころか身体の一部に巻き付いているわけですが――にいること自体が嬉しいようで、誰も何も言っていないのに笑みを漏らしてみたりなんかしちゃったりしてますけど。
で、さて。話題に困るというのは、まあしかし仕方ないことでもあるのでしょう。相手は幽霊でしかも蛇、話すにしても何を話せばいいのかということにもなりましょうし、知り合った切っ掛けの話にしたって、大人数が揃っているこの場でというのはちょっと辛いものがあるでしょうしね。なんたって、日頃からかうようなことばかり言っている恋人を助けるためだったんですし。
「そういえばナタリーさん」
「あ、はい」
困り顔の口宮さんを見かねて、ということではあるんでしょうけど、僕が今思ったようなことまで考慮したのかどうかは定かではありません。というわけで、異原さんがナタリーさんに声をかけました。
「さっき、『今はまだ見えてない』って言ってましたけど、まだっていうのは?」
「あ、そうですね。お話しておかないと」
そうでした。別にナタリーさんに限った話ではないわけですし、だったら僕の方から初めに説明しておくべきでしたねこの話。失敗失敗。
とはいえここは流れに任せ、説明はナタリーさんにお願いしておきます。
「今日これからお邪魔することになる四方院さんなんですけど、家守さん――って言って伝わりますかね? ここの管理人さんなんですけど、四方院さんもその方と同じ霊能者さんなんですよ。だから私達が誰にでも見えるようにするなり、逆に口宮さん達にも幽霊が見えるようにするなり、お願いすればしてもらえると思うんです」
「へえ! じゃあ今日明日は」
「はい。普通にお喋りだってできると思いますよ」
という返事には嬉しそうな表情を浮かべる異原さんでしたが、しかし。
「あぁら、よかったじゃないの優治~」
口宮さんのほうを向くいてそんなことを言い出した頃にはもう、どこか意地悪そうな笑みになっているのでした。はて、なんでここでそんな顔でしょうか。
「いや、ナタリーさんが何言ったか説明してくれよまずは」
「おっとごめん、そうだったわね」
普通にお喋りができる、という話をしているこの時点では、まだ普通にお喋りができないわけですしね。
もちろんのことそうするにしても今日明日に限ることにはなるわけですが、ナタリーさん、もとい幽霊みんなが見えるようにしてもらえるかも、という話に室内が色めきたったのと玄関のチャイムが鳴らされたのは、ほぼ同時なのでした。
「はーい」
「こちら、日向様のお宅で間違いございませんか?」
ドアを開ければそこには見知らぬ黒スーツの、そしてその格好に似合わず――なんて言っていいものなのかどうかはよく分かりませんが――にこやかな表情の男性が。
「はい、そうです」
「お待たせ致しました。四方院の者です、お迎えに上がりました」
そりゃそうですよね。一瞬怖かったりしたのも否定はできませんけども。
というわけでその男性にはその場でお待ち頂き、中のみんなに声を掛けに戻ることに。
「なんじゃこりゃ……!?」
大吾でした。が、204号室から出てきたほぼ全員がそう思ったのではないでしょうか。少なくとも人間の皆さんに関しては間違いなく。
二台ではありましたし、それはそれで驚くべきポイントではあるのでしょうがしかし、きっと一台だったとしてもこちらのリアクションは変わらなかったことでしょう。
というわけであまくに荘の前に停められた二台の車は、絵だか映像だかでしか見ないような黒塗りっぷりなのでした。車に詳しくはないのでそれが一体どれほどのお値段なのかは存じ上げませんが、車に詳しくなくともそれらがとんでもないものであることぐらいは見れば分かりましたとも。あと、ただ普通に停車しているだけなのに道路がとんでもなく狭く見えましたとも。
「二組にお別れになってお乗りくださーい」
部屋の前まで迎えに来てくれた方のそんな台詞には学校行事か何かを連想させられましたが、しかしもちろんそれでこの緊張が和らぐなんてことは微塵もありませんでした。
……い、いいんでしょうか? 乗っちゃって。こんなのに。
二組に分かれ、二台の車に一組ずつ乗り込む。あちらに着くまでの間とはいえ多少のお喋りなんかができる時間にはなるわけで、ならばちょっとくらい考えて分かれるべきだったのかもしれませんがしかし、誰が何を言うでもないまま自然と「あまくに荘住人」と「大学の友人達」で分かれてしまうのでした。無理もないというか僕自身もばっちりそうなのですが、みんな揃って動揺していたと、そういうことなのでしょう。
「あっちに着いて、見えるようにしてもらえるまでちょっと我慢ですね」
誰にともなく、けれど独り言というわけでもないらしい声量でナタリーさんがそう言うと、ちょっと申し訳なく思う僕なのでした。車がどうのこうのなんて分かるわけもなく、だったらナタリーさんは動揺なんかしなかったでしょうし、じゃあこれは「ちょっと残念な流れだけど乗らざるを得なかった」ってだけなんでしょうしね。
「見えないにしても異原さんがいますし、あっちの車に行きます?」
「いえ、大丈夫です。ありがとうございます日向さん」
ああ、お礼なんか言われちゃってもう。
――ともあれ、後部座席のドアを開けたその位置で待ってくれている黒スーツさんに誘われるようにして乗車。そのナタリーさんを含むアニマル一団がこちら側なので、頭数的にはこちらのほうがあちらの車より随分と多くなってしまうわけですが、しかしまあそれについては普段のお出掛けなんかで慣れているので特に窮屈だとも思わないのでした。そもそも車内がえらい広い……あー、実際の面積がどうなっているのかまではともかく、広く感じられましたしね。なんせ今のこの精神状態ですし。
「ご送迎のためとはいえこのような物々しい車での来訪、申し訳ございません」
そう言ったのは、僕達を後部座席に誘導した後助手席について黒スーツさん。こちらこそ申し訳ないことに黒スーツさんそれぞれの見分けは全く付いていない状況なのですが、それはともかく。
「大丈夫です。ちょっと驚いちゃったっていうのは……あはは、みんな隠せてませんでしたけど。私も含めて」
そう返したのは栞でした。そうだよね、驚いてなんかないとは言えないよねこの状況。
とはいえ少なくとも大丈夫だとは言ったのですが、けれど黒スーツさんは「申し訳ございません」と繰り返すのでした。まあ、そうならざるを得ないということではあるんでしょうけどね。
「宿泊客としてのお客様のご送迎は普段は執り行っていないことでして……なので、当家はそれに適した車を持ち合わせておりませんで」
「そ、そうなんですか? 普段はやってないって」
「はい。お客様のお立場上、事前にご予約やご連絡を頂くシステムにはなっていませんので……」
受け答えをしているのは栞ですが、横から聞いているだけでもああそりゃそうだ、と。自由に電話を使える幽霊がどれだけいるんだって話ですもんね、そりゃあ。
あと今の話からはもう一つ、この車での送迎が似合うような「宿泊客以外のお客様」がいたりするってことなんだろうなあ、とも。旅館としてではない四方院家そのもののお客様、みたいな。
「こちらでも皆頭を抱えていたんですけどね。これでお迎えに上がるのはどうなんだと」
なんだか凄過ぎて逆に凄くなさそうな話ですが、それはともかくそういうことなら僕から一言いっておかなければなりますまい。
「すいません、そういう都合を何も知らないまま急に押し掛けるようなことになってしまって」
そう、今回の話は元々僕が道端さんから受けた電話から端を発したものなのです。
「いえいえそんな、話を持ち掛けたのはこちらの者ですから」
……まあ、細かいことを言えばそうなるんですけど……。
「もしかして、それで道端さんが誰か偉い人に怒られちゃったりなんかは」
例えば木崎さんとか大門さんとか――いや、大門さんは違うか。見た目怖いけど料理長だし、だったら多分管轄が違うとかそういうことになるんだろうし。見た目怖いけど。
「そこは問題ございません。むしろよくやったと褒められていましたから」
「褒め? ええと、そうなるんですか?」
「はい」
それはそれでどうしてそうなるんでしょうか? というところまで訊きはしませんでしたが、けれど気になりはするのでした。今更確認するまでもなく四方院さんのところの旅館はお金を取らないわけで、だったら宿泊客を呼び込んだにしてもそれが特にあちらの利益になるということはないわけですし――と、いきなりお金を絡めてしまうところからしてもう違う気がしますけど、そんなふうに思ってしまうのでした。
こんにちは。204号室住人、日向孝一です。
ちょくちょくそうしているように栞と話し込み、それを踏まえてなかなかいい雰囲気になってもいたのですが、しかしまあこうして来客があるなら何をどうするというわけにもいきませんとも。詳細についてはお察しいだたくしかないとして。
「他のみんなはまだ講義中でしょうしね」
「ううむ、それを意識してしまうとどうにも落ち着かんの」
そう言いつつ座ったまま軽く身体を揺すったりしてみせる同森さんですが、なんせそのムキムキっぷりなので、そんな何でもない動きですら筋トレに見えてしまったりするようなしないような。
と、それはともかく。僕達が今ここで何をしているかといいますと、他のみんな、つまりいつもの四人から今ここにいる同森さんを除いた異原さん口宮さん音無さんを待っているところです。同森さんだけは三限の講義がなく、なので他のお三方よりちょっと早めにここに到着したというわけです。
で、じゃあ集まって何をするつもりなのかと言いますと――。
「行き先については落ち着いてますか?」
「ん? はは、どうじゃろうな。よく分からんというか……そうじゃな、よく分からんから緊張しようもないってところかの」
「まあ緊張されるよりはいいですよね、そっちのほうが」
四方院さん宅。緊張されてもおかしくないであろう行き先というのは、そんな幽霊を対象とした旅館だったりします。いや、家をそのまま旅館と称してしまうのは結構な語弊があるんでしょうけど。
しかしともあれ緊張していないと仰るならそれはそれで良し。そういうことにしておきまして、ならば次です。
「お隣さん達も呼んで来ていいですか? 出発する時は一斉に動くことになるんで、じゃあ先に集まってた方がいろいろ動き易いでしょうし」
「お、おお。そうじゃな、ワシは別に構わんぞ」
学校なんかでの集団行動じゃなし、別にそんな動き易いだとかわざわざ考慮することもないのでしょうが――というわけで、本当の狙いはそこではありません。
自分と僕と、あと見えない栞の三人ぽっち。同森さんの立場で考えると、それは多分ちょっとばかし程度には居心地が悪いものなんじゃないかなあ、とそう思ってみたわけです。
もちろん本日正午、僕の実家でお母さんにそうしたように筆談をすることだってできるわけですが、まあしかしそれはそれでという話ではありましょう。異性、という部分についてはまあいいとしておいても、まだ直接の友人ってほど関わりがあるわけじゃないですしね。同森さんと栞って。
「じゃ、すぐ戻ってきますから」
「おう。……すまんの、日向くん」
小さく、けれど少なくとも僕の耳に届きはする声量でそう言ってくる同森さんなのでした。
ううむ、なるほど。
『お邪魔しまーす』
というたくさんの声のうち、同森さんに届いたのは一つだけです。それ以外では「ワフッ」なんてのも聞こえてたでしょうけど。
というわけで呼びに行った隣人さん達を連れて戻ってきた僕なのですが、連れてきた狙いが狙いなので、成美さんには耳を出してのご登場をお願いすることになりました。いやはや、わざわざ着替えまでしてもらうことになっちゃいまして。
「久しぶりだな。覚えているか? 私のことは」
「哀沢さん――でしたかな」
なんせ幽霊というだけではなく「どう見ても人間なのに猫」というお方です。あってないような面識しかないとはいえ忘れようもないのでしょう。が、
「はは、うむ、半分正解だな」
ということになるわけです。
「半分? というのは、えー、下のお名前のことで?」
「ではなくてあれだ、一身上の都合で哀沢成美から怒橋成美を名乗ることになってな」
「怒橋。というのは確か……おお、ということは」
「うむ。そういうわけで私は怒橋成美だ、改めて宜しく頼むぞ」
「こちらこそ。――いやしかしめでたいというか何と言うか、凄い話ですな。日向君のほうもそうなったというのに」
そうなった。というのはもちろん結婚のことを指しているのでしょう。成美さんの場合、大吾と同じ名字を名乗るようになったのは結婚から少し日を開けてからのことなのですが、まあそれくらいは誤差ということにしておきましょう。
そしてそれはともかく、ここで成美さんが何やらチラチラと僕に視線を送り始めます。見るからに自身の窮状を訴えているそれが何を求めているのかは、しかし即座に理解できたのでした。
呼びに行った時に名前出した筈なんだけどなあ……って、ああ、玄関に出てきたの大吾だったっけ。
「名前と言えば、同森さん」
同森さん。
「ん?」
「音無さんからの呼ばれ方、最近変わりましたよね。前は『哲郎さん』だったのが――」
哲郎さん。
そこで成美さんがほっと溜息を。けれど当の「同森哲郎さん」は、照れ笑いを浮かべるばかりで成美さんのそんな様子には気付かないのでした。
「なんじゃ、いやに急な話じゃな日向君」
「いやあ、そういうもんなんだなあって。僕と栞も変わりましたし」
僕の話まですることになりましたが、まあこれくらいは必要経費ということで。こっちから一方的に訊くだけじゃあちょっと不自然でしたしね、今の流れ。
「しかし本当に大人しい犬ですな」
「うむ、いいやつだぞ」
籠絡成功。……なんて言い方は間違いなく間違っているのでしょうが、目の前で伏せったジョンの頭を撫でながら感心する同森さんでした。大人しいとは言っても反応が薄いというわけではなく、頭を撫でられて嬉しそうに尻尾をふりふりしていたりするところなんかがまた、こう、なんというか愛いやつございまして。
「時に同森よ」
「なんですかな」
成美さんまで一緒になってジョンを撫でつつ――ということで必然的にジョンを挟んだ位置関係で向かい合って座ることになった二人なのですが、互いの口調からなんだか湯呑みをお出ししたくなるのでした。どちらも若者、しかも一方はムッキムキの男性で一方はそこらのモデルに引けを取らないような美人だというのに。
「あー、彼女とはどうだ、最近。音……無、だったよな? あの真っ黒で胸が大きい」
ギリギリ、といったところでしたがどうやら音無さんの名前は覚えていたらしい成美さん。しかし真っ黒というのはともかく、あの人を思い起こす時に真っ先にイメージすべきはあの口以外の表情を隠してしまうほどの前髪であって大きな胸ではない、と、そう思うのですがどうなんでしょうか。
どちらにせよ、それがあったから音無さんの名前は覚えてたんでしょうけど。
いきなり胸の話なんかされたらそりゃあ誰だって驚くのでしょうが、同森さんもその例に漏れることなくそれらしい表情を。けれどもしかしそれは一瞬だけのことで、何か思うことがあったのかそれともただジョンの方に目を向けただけなのか、視線を落としつつ返事をし始めます。
「特にどうとも、というのは良い報告として扱ってもらえますかな?」
「ふむ。そうだな、そういうことでいいと思うぞ。少々話をした程度の印象で物を語るのは申し訳ないが、どうともなく付き合い続ける方こそ大変そうに見えたしな」
「ははは、いや、確かに仰る通りで。それに自分も達者とは言えませんしな、そういう方面については」
誰が見たって気が小さそうに見える音無さんですが――と、僕だって立場は成美さんとそう変わらないんでしょうけど――その通りに気が小さいわけです。いくら幼馴染で見知った仲とはいえ、異性と付き合うということになったらいろいろ不安なんかもそりゃまあ出てくるわけで、となったらその気が小さい音無さんなんかは――といったところで、同森さんは「特にどうとも」と。
僕がそんなふうに思うのはお門違いというやつなんでしょうけど、少なからずほっとさせられるものがありました。
ら、そんな僕の隣で栞が小さく笑っていたりもしつつ。
「達者でなくて上手くいっているというのなら、それは尚喜ぶべきことなんだろうさ。それとは別の、もっと言えばそれよりもっと深いところで、上手く噛み合っているということなのだろうしな。お前達二人は」
「成程。いや、有難いお言葉で」
「私から言うのも可笑しな話だが、是非これからも良くしてやってくれ」
「承知致しました。お任せください」
なんかこう、息が合っているというか空気が同調しているというか、むしろ分かってて合わせに行ってるんじゃないかってくらいなんですけどどうなんでしょうか。たとえそれが同森さんだとしてもですよ? 「承知致しました」なんて普通の会話内で言います?
――しかしそんな雰囲気の中でも、二人は代わる代わるジョンの頭を撫で続けていたりもするわけで、ならば同じくその尻尾はぱたぱたし続けていたりもするわけですが。
「見てて面白いな、なんか」
同意せざるを得ないにしても、旦那さんが言っちゃうかねそれ。
「しかし僭越ながら怒橋さん、どうしてそこまであいつのことを?」
「うむ。前にここに来た時、音無はわたしに自分の昼食を少し分けてくれてな。ならばこれくらいの恩返しはしておいて損はなかろう、ということで」
「ははは、恩返し。そういうことでしたか」
分けてもらったものというは確かポテトだったでしょうか、何にせよ結構前の話ということになるのですが……まあしかし、それがほぼ唯一と言っていい面識の中でのことなら、覚えていることもここで引き合いに出すことも分からないではないでしょう。
同森さんは成美さんが猫であることを知っているとはいえ、それでもあからさまな「猫っぽさ」、もとい「人間でなさ」が出てきたら、その内容によっては大吾なり僕なりが動くことになるのかな、なんて不安もちょっぴり程度にないわけではなかったのですが、しかしどうやら心配はなさそうでした。
さて。一人だけ三限の講義がなく、それゆえに四人の中で一番早くここに到着した同森さんではありましたが、だからといって早過ぎるほど早かったというわけでもなく、
「どうぞ中へ」
『お邪魔しまーす』
大学の方で待ち合わせたということなのでしょう。異原さん口宮さん音無さんは、三人同時にやってきたのでした。
「おう、ご苦労さん」
やはり待ちかねていたという面はないということはないのでしょう、やってきたお三方をにこやかに、軽く手を挙げたりなんかしつつ出迎える同森さん。挙がっていない方の手は未だにジョンの頭の上に置かれていたりもするんですけどね。
「あら、その苦労してる間に随分とごゆっくりだったみたいねえ哲郎くん?」
「そう言うな。こっちだって気にはしとったんじゃから」
そうして異原さんが憎まれ口を叩き、応じて同森さんが軽く笑っているその間、残りの二人である口宮さんと音無さんは揃って周囲をきょろきょろと。どうしてそうなるのかというのは言われるまでもなく理解出来るわけですが、しかしそれに対して僕が動くよりも、口宮さんの一言の方が早かったのでした。
「由依、状況」
言われた異原さん、「おっとごめんなさい」と。口宮さんに対して素直に謝るなんて珍しいなあ、なんて、もちろんそんな話ではなく。
「ワンちゃんは――あとええと、耳出してるってことは確か哀沢さんも、よね? 二人はあんたらにも見えてるとして他に今ここにいるのは喜坂さ――じゃなくて日向さんと……」
「ああ、そういうことならわたしも哀沢から怒橋になったぞ」
「ええ!? ああちょっと混乱しちゃ――じゃなくておめでとうございます。……す!? へ!? 本当ですか!? ああえっとでもそうじゃなくて……あれ、なんだっけ?」
大混乱でした。
「……ということで改めて、怒橋成美さんです」
「夫ともども、改めて宜しく頼むぞ」
そりゃまあここは僕の出番だろうということで、今ここにいる人員の説明を済ませた後に大吾と成美さんのご結婚についても。
『おめでとうございます!』
女性陣からはそんな声と拍手が上がり、拍手の方については口宮さんも。
それを見て「女性陣と若干テンションに差があるのは、でもまあそういうもんだよね」なんて思ったりしないでもない僕なのですが、しかしどうやらそれだけということでもないらしく、人員の説明が済んでもまだ若干きょろきょろしがちな口宮さんなのでした。
「何かお探しで?」
「あ、いや、そういうわけじゃねえんだけどな……」
尋ねてはみますがそういうわけではないそうで、ならば一体? と首を捻りそうになったところで、
「えー、あー、ほらさっき、ナタリーさんもいるって」
「ああ」
それを聞いたナタリーさんは嬉しそうに首を持ち上げていましたとも。どこからどこまでが首なのか、なんて話はどうでもいいとして。
「お呼びですよ、ナタリーさん」
首を持ち上げた割にはその場に止まっているナタリーさんに声を掛けてみたところ、
「あ、はい、でもあの、今はまだ見えてないですし」
と遠慮がちなご様子。僕や成美さん、もしくは異原さんを通訳とすれば会話はできるのですが、まあしかしそれだったら確かに近付こうがその場に止まっていようが同じことだよなあ、なんてことを考えている間に、
「優治」
「おう?」
異原さんが動きだしました。
「腕出してじっとしといて。こんな感じに」
「おう」
こんな感じ、というのは腕時計を確認しているようなポーズ。とはいえそれが何を想定してのものなのかはすぐに分かりましたし、そしてそれは口宮さんにしても同じことなのでしょう。珍しくかつ大人しく、異原さんの指示に従ってみせるのでした。
そしてその異原さん、今度はナタリーさんのほうへ。
「ナタリーさん」
「あ、はい」
「こっちにどうぞ」
「はい、お邪魔します」
差し出された手を伝って、そのまま腕まで巻き付くようにしながら上っていくナタリーさん。一方で異原さん、自分からそうさせたとはいえそりゃまあそうもなりましょう、蛇に腕をよじ登られる感覚に「ひょうっ……!」と変な声を上げるのでした。
「何だよ今の」
「う、うるさいわね。……で、あの、ナタリーさん」
「はい。ありがとうございます、行ってきますね」
終わってみれば「直接口宮さんの腕に上らせればよかったんじゃないだろうか?」という話ではあったのですが、しかしそこは突っ込まないことにしておきましょう。ナタリーさんは口宮さんの腕へと移り、ならば目に映らずともその感触から、今いる位置だけでも伝わる状態になったのでした。
そして口宮さん、異原さんのように変な声を上げたりはしないのでした。
「お久しぶりです」
「はい、お久しぶりです」
「『お久しぶりです』って」
変な声を上げたりしない口宮さんは、それに代わってごく普通の挨拶を。ならばナタリーさんもそれに続き、そしてそのナタリーさんの言葉を異原さんが繰り返すことになるわけです。僕や成美さんでもいいんでしょうけど、でもまあここは異原さんですよね、やっぱり。
とまあそれはともかく、しかしどうやら口宮さん、その後の言葉が続かないようで若干ながら目が泳ぎ始めます。ナタリーさんはまるで気にしたふうではないというか、むしろ口宮さんの傍――どころか身体の一部に巻き付いているわけですが――にいること自体が嬉しいようで、誰も何も言っていないのに笑みを漏らしてみたりなんかしちゃったりしてますけど。
で、さて。話題に困るというのは、まあしかし仕方ないことでもあるのでしょう。相手は幽霊でしかも蛇、話すにしても何を話せばいいのかということにもなりましょうし、知り合った切っ掛けの話にしたって、大人数が揃っているこの場でというのはちょっと辛いものがあるでしょうしね。なんたって、日頃からかうようなことばかり言っている恋人を助けるためだったんですし。
「そういえばナタリーさん」
「あ、はい」
困り顔の口宮さんを見かねて、ということではあるんでしょうけど、僕が今思ったようなことまで考慮したのかどうかは定かではありません。というわけで、異原さんがナタリーさんに声をかけました。
「さっき、『今はまだ見えてない』って言ってましたけど、まだっていうのは?」
「あ、そうですね。お話しておかないと」
そうでした。別にナタリーさんに限った話ではないわけですし、だったら僕の方から初めに説明しておくべきでしたねこの話。失敗失敗。
とはいえここは流れに任せ、説明はナタリーさんにお願いしておきます。
「今日これからお邪魔することになる四方院さんなんですけど、家守さん――って言って伝わりますかね? ここの管理人さんなんですけど、四方院さんもその方と同じ霊能者さんなんですよ。だから私達が誰にでも見えるようにするなり、逆に口宮さん達にも幽霊が見えるようにするなり、お願いすればしてもらえると思うんです」
「へえ! じゃあ今日明日は」
「はい。普通にお喋りだってできると思いますよ」
という返事には嬉しそうな表情を浮かべる異原さんでしたが、しかし。
「あぁら、よかったじゃないの優治~」
口宮さんのほうを向くいてそんなことを言い出した頃にはもう、どこか意地悪そうな笑みになっているのでした。はて、なんでここでそんな顔でしょうか。
「いや、ナタリーさんが何言ったか説明してくれよまずは」
「おっとごめん、そうだったわね」
普通にお喋りができる、という話をしているこの時点では、まだ普通にお喋りができないわけですしね。
もちろんのことそうするにしても今日明日に限ることにはなるわけですが、ナタリーさん、もとい幽霊みんなが見えるようにしてもらえるかも、という話に室内が色めきたったのと玄関のチャイムが鳴らされたのは、ほぼ同時なのでした。
「はーい」
「こちら、日向様のお宅で間違いございませんか?」
ドアを開ければそこには見知らぬ黒スーツの、そしてその格好に似合わず――なんて言っていいものなのかどうかはよく分かりませんが――にこやかな表情の男性が。
「はい、そうです」
「お待たせ致しました。四方院の者です、お迎えに上がりました」
そりゃそうですよね。一瞬怖かったりしたのも否定はできませんけども。
というわけでその男性にはその場でお待ち頂き、中のみんなに声を掛けに戻ることに。
「なんじゃこりゃ……!?」
大吾でした。が、204号室から出てきたほぼ全員がそう思ったのではないでしょうか。少なくとも人間の皆さんに関しては間違いなく。
二台ではありましたし、それはそれで驚くべきポイントではあるのでしょうがしかし、きっと一台だったとしてもこちらのリアクションは変わらなかったことでしょう。
というわけであまくに荘の前に停められた二台の車は、絵だか映像だかでしか見ないような黒塗りっぷりなのでした。車に詳しくはないのでそれが一体どれほどのお値段なのかは存じ上げませんが、車に詳しくなくともそれらがとんでもないものであることぐらいは見れば分かりましたとも。あと、ただ普通に停車しているだけなのに道路がとんでもなく狭く見えましたとも。
「二組にお別れになってお乗りくださーい」
部屋の前まで迎えに来てくれた方のそんな台詞には学校行事か何かを連想させられましたが、しかしもちろんそれでこの緊張が和らぐなんてことは微塵もありませんでした。
……い、いいんでしょうか? 乗っちゃって。こんなのに。
二組に分かれ、二台の車に一組ずつ乗り込む。あちらに着くまでの間とはいえ多少のお喋りなんかができる時間にはなるわけで、ならばちょっとくらい考えて分かれるべきだったのかもしれませんがしかし、誰が何を言うでもないまま自然と「あまくに荘住人」と「大学の友人達」で分かれてしまうのでした。無理もないというか僕自身もばっちりそうなのですが、みんな揃って動揺していたと、そういうことなのでしょう。
「あっちに着いて、見えるようにしてもらえるまでちょっと我慢ですね」
誰にともなく、けれど独り言というわけでもないらしい声量でナタリーさんがそう言うと、ちょっと申し訳なく思う僕なのでした。車がどうのこうのなんて分かるわけもなく、だったらナタリーさんは動揺なんかしなかったでしょうし、じゃあこれは「ちょっと残念な流れだけど乗らざるを得なかった」ってだけなんでしょうしね。
「見えないにしても異原さんがいますし、あっちの車に行きます?」
「いえ、大丈夫です。ありがとうございます日向さん」
ああ、お礼なんか言われちゃってもう。
――ともあれ、後部座席のドアを開けたその位置で待ってくれている黒スーツさんに誘われるようにして乗車。そのナタリーさんを含むアニマル一団がこちら側なので、頭数的にはこちらのほうがあちらの車より随分と多くなってしまうわけですが、しかしまあそれについては普段のお出掛けなんかで慣れているので特に窮屈だとも思わないのでした。そもそも車内がえらい広い……あー、実際の面積がどうなっているのかまではともかく、広く感じられましたしね。なんせ今のこの精神状態ですし。
「ご送迎のためとはいえこのような物々しい車での来訪、申し訳ございません」
そう言ったのは、僕達を後部座席に誘導した後助手席について黒スーツさん。こちらこそ申し訳ないことに黒スーツさんそれぞれの見分けは全く付いていない状況なのですが、それはともかく。
「大丈夫です。ちょっと驚いちゃったっていうのは……あはは、みんな隠せてませんでしたけど。私も含めて」
そう返したのは栞でした。そうだよね、驚いてなんかないとは言えないよねこの状況。
とはいえ少なくとも大丈夫だとは言ったのですが、けれど黒スーツさんは「申し訳ございません」と繰り返すのでした。まあ、そうならざるを得ないということではあるんでしょうけどね。
「宿泊客としてのお客様のご送迎は普段は執り行っていないことでして……なので、当家はそれに適した車を持ち合わせておりませんで」
「そ、そうなんですか? 普段はやってないって」
「はい。お客様のお立場上、事前にご予約やご連絡を頂くシステムにはなっていませんので……」
受け答えをしているのは栞ですが、横から聞いているだけでもああそりゃそうだ、と。自由に電話を使える幽霊がどれだけいるんだって話ですもんね、そりゃあ。
あと今の話からはもう一つ、この車での送迎が似合うような「宿泊客以外のお客様」がいたりするってことなんだろうなあ、とも。旅館としてではない四方院家そのもののお客様、みたいな。
「こちらでも皆頭を抱えていたんですけどね。これでお迎えに上がるのはどうなんだと」
なんだか凄過ぎて逆に凄くなさそうな話ですが、それはともかくそういうことなら僕から一言いっておかなければなりますまい。
「すいません、そういう都合を何も知らないまま急に押し掛けるようなことになってしまって」
そう、今回の話は元々僕が道端さんから受けた電話から端を発したものなのです。
「いえいえそんな、話を持ち掛けたのはこちらの者ですから」
……まあ、細かいことを言えばそうなるんですけど……。
「もしかして、それで道端さんが誰か偉い人に怒られちゃったりなんかは」
例えば木崎さんとか大門さんとか――いや、大門さんは違うか。見た目怖いけど料理長だし、だったら多分管轄が違うとかそういうことになるんだろうし。見た目怖いけど。
「そこは問題ございません。むしろよくやったと褒められていましたから」
「褒め? ええと、そうなるんですか?」
「はい」
それはそれでどうしてそうなるんでしょうか? というところまで訊きはしませんでしたが、けれど気になりはするのでした。今更確認するまでもなく四方院さんのところの旅館はお金を取らないわけで、だったら宿泊客を呼び込んだにしてもそれが特にあちらの利益になるということはないわけですし――と、いきなりお金を絡めてしまうところからしてもう違う気がしますけど、そんなふうに思ってしまうのでした。
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