「でもなんかあれだね」
「ん?」
「スーツのまま横になってると、お疲れ様度がぐっと増すね」
「お疲れ様度って……いや、なんとなく分かるような気もするけど」
仕事でくたくたになって帰宅と同時に倒れ込んで、といったところでしょうか。ただ、実際そうなった場合は「お疲れ様」の前に「せめて着替えろ」ってことになるんでしょうけどね。今はまあ、式が始まってそれ用の衣装に着替えるまではこの格好でいたほうがいいんだろうし、という言い分が用意できるわけですけど。
「でも栞も同じことしてきたわけだし、それを考えると僕だけこんな感じっていうのもねえ」
「あ、言い訳の次は無かったことにしだした」
「いやいや」
式の流れの説明と、お母さんの話。栞が言ったのは後者のことなんでしょうが――などという説明はもはやするまでもないんでしょうけど、というわけで。
「それも含めて、だよ。お父さんも言ってたでしょ? 栞もいろいろ考えてくれてるんだなって」
「そこは否定しないけど、でもその結果があれじゃねえ。あそこで写真を隠したりしなかったら、もうちょっとスムーズに話が進んでたんだし」
一枚の写真で解決してしまうよりは当人同士で話し合ったほうが、と、行動の意図としてはそんなところなのでしょう。まあそれは親切心だけを起点としたものではなくて、そういう場面が見たいというような思いもあってのことだったのかもしれませんが――。
「十年近く続いてる話にそんな、十分そこらの間だけスムーズだったかどうかなんて大した影響はないって」
とそう言ってみたのなら、逆にその十分そこらのスムーズさを有難がっている自分を想像してもみるわけですが――うん、最高に馬鹿みたいだからやめたほうがいいなこれは。
「僕からしてもそうだし、お父さんとお母さんだってそう思ってるんだろうけど、大事なのは栞がそういうことを考えてくれる人かどうかってところだよ」
「むむう」
何か言い返したそうではありましたが、しかし言葉が出てこない栞なのでした。そりゃそうもなりましょう、「考えてくれる人」という言い方を先に、しかも僕に対して持ち出したのは栞なんですから。だったら先に言った本人がそれを否定するのは、無理とは言わないまでも難しいわけで。
「卑怯だなあ」
「そりゃあお嫁さんを持ち上げるためだしね、卑怯な手くらい使わせてもらうよ」
「……まあ、今日くらいは大目に見てあげるけど」
「そりゃどうも」
大目に見てもらわないと褒めることすらできないそうで。というのはもちろん冗談としても、こういうところで自分に厳しいのは相変わらずな栞なのでした。
「で、あとは家守さんのところと怒橋さんのところが式場に行って、それから本番だよね」
「すぐ、ではないと思うけどね。まだお客さん達が着いてないみたいだし」
どうやら式の予行やお母さんの件についての話は終わったようです。というわけで今後の流れなのですが、どうやら式の予行については三組の中で僕達が最初だったらしく、この後残りの二組が順々に続くようなのでした。
「緊張してない?」
「うーん、思ったよりは気楽かな」
重大極まる式とはいえその手順が複雑極まるなんてことはなく、なのでその点については案外、余裕をもって構えていられるのでした。なんせ今のこの体勢ですし――と、そういう意味で捉えるのであれば、むしろやり過ぎなんでしょうけどねこれ。
「栞は?」
「キスはちょっと恥ずかしいかなあ、とは」
「はは、それも今更っぽいような気はするけどね」
「そ、そりゃまあ、思い返せば結構人前でしてきてたりもするけどさあ。でもそういうのって大体ふざけた雰囲気でだし、それに楓さんとか成美ちゃんとかが一緒だったりもするし……」
その二つの条件を満たしていれば平気、というのもそれはそれでどうかとは思いますが、ここは逆に「式に対する真摯な意気込みが表れている」ということにしておきましょう。巻き添えを食らいそうなのであまり意識しない方が良くはあるんでしょうけど、愛を誓うための口付けということであるなら、そりゃまあ普段人前に出したりしないあれやこれやをそこに乗せることになるわけですしね。
「あ、そうだ孝さん」
「ん?」
何かを思い付いたらしく、ぱちんと手を叩く栞。位置関係上それは僕の顔の真上で行われたわけで、となると結構驚かされもしたのですが、それはまあともかくとしておいて。
「そっちの予行練習もしちゃおうか」
…………。
「練習っていうより照れ隠しで言ってない? それ」
「ふっふっふ、もちろんですよ」
開き直る栞なのでした。そもそも人前でのキスだからこそ緊張しているわけであって、ならばその練習を誰もいないこの場でやっても、何の意味もないわけですしね。
とはいえもちろん、意味がないからといって拒否するのというのもまた、そうする理由に欠けるわけですが――ふむ、しかし、せっかくなら。
「じゃあ、栞」
寝転がっていた身体を起こしてそう告げたところ、それでもまだ一応は練習のつもりなのか、それっぽく目を閉じたりしてくる栞でした。
でしたが、その前に一言だけ。
「ありがとう、式場でのこと。愛してるよ」
……まあ、不意打ちはずるい、なんて後でちょっと怒られてしまったんですけどね。
ずるいって言われてもなあ。
で、そうして怒られたりしながらのんびりしていたところ……って、うーん、怒られながらのんびりするっていうのも考えてみたら随分な話ですけど。
まあそれはともかく、コンコン、とドアがノックされたわけです。
「……まだ早いよね?」
「だねえ」
何の話かというのは、敢えて語るまでもないでしょう。なんせ今はただただそれを待っている状況なのですから。
というわけで、そりゃあ僕達の時はお母さんの話やらで余計な時間を食ったりはしたものの、それを除いて考えてみても尚「まだ早いよね」ということにならざるを得ない程度の時間しか経っていないわけですが、
「あ、皆さんもうお着きで」
「おう毎度」
お着きになったのは頼んでもいない出前、というようなことではもちろんなく、ならばその出前もどきさんは背後から伸びてきた手にぺしんと頭をはたかれるのでした。
「こういう日にまでふざけてんじゃないわよ」
「部屋間違ってたらどうしようとかビビりまくってるよりゃいいだろ」
……もう一度、というか連続でぺしぺしされることになったようでした。
「すまんのう日向君、いきなり騒がしくしてしもうて」
「あはは……ええと、顔を出すだけのつもりですんで……」
騒がしいお二人様の脇からは、もう一組のお二人がそんなふうに。いやこの場合は四人一組と捉えるべきなのでしょうがそれはともかく、顔はいっつも出てないじゃないですかという突っ込みはアリでしょうか音無さん。
ドア一枚分のスペースから四人の姿が窺える状況というのはもうその時点で騒がしいような気もしますが、ともあれ異原さん、口宮さん、同森さん、音無さんの四名様ご来訪です。
「ああ、上がってもらっても大丈夫ですよ。というか、上がっていきませんか? 今丁度暇してたところなんですよ、やることなくて」
「じゃあお言葉に甘えて」
「即決はやめろ」
今度は脇腹を小突かれる口宮さんでしたが、懲りる気というものは全くないのでしょうかこの人は。まあ今に始まったことではないわけですが……。
「いらっしゃーい」
玄関の騒がしさに、顔を見ずともやってきたのが誰だったか判断できたのでしょう。部屋に戻った頃には既に、人数分の座布団を用意してくれている栞なのでした。
さすが我が妻手際がいい、という感想を持たされる一方、ああやっぱりあっちも引っ張りこむのが前提だったんだな、と苦笑いも。口宮さんは即決でしたが、やっぱり部屋に入るのは多少気が引けるところもあるにはあるんでしょうしね、お客さん側からすれば。なんせ、と自分で言うのも変な感じではありますが、この後式を挙げる二人の部屋ではあるわけですし。
そして更に他方、その用意された座布団を見て気付いたこともありました。
ぱっと見ても分かるくらいに多過ぎるのです、座布団の数が。この部屋だけでこんなに備え付けられてたのか――と、そういう話ではなく。
「そういえば、他の人達はまだなんですか?」
今回ご招待した友人様がたは、今この場にいらっしゃる四名様だけではございませんのです。まだなんですか、なんて訊いてはみたものの、多分僕達の時と同じで全員が同時に送迎されていると思うのですが。
で、説明をしてくれたのは同森さんでした。何やら申し訳なさそうな顔で言うには、
「ここに来るのは初めてってことで、他の人達はこの建物……屋敷? 旅館? を、ぐるっと見て回りに行くってことになっての。というのはまあ、うちの馬鹿兄貴の仕業なんじゃが」
仕業とはまた当たりの強い表現で。というわけで実際には言いだしっぺといったところなんでしょうが、そうですか一貴さんが連れて行っちゃいましたか他の皆さんは。
「言ってもらえたら案内役とか買って出られたんですけどねえ」
なんせその方々をここに招待した本人でもありますし、という事情もあってそんなふうに言ってみる僕だったのですが、
「時間があると分かってたとしても、今日の主役にそんなことはさせられんじゃろう」
と同森さんからはそんなごもっともな意見を頂戴し、
「それ以前に孝さんに案内とか無理でしょ、迷うし」
と栞からはそんなご無体な意見を頂戴することになりました。そりゃそうかもしれないけどそれにしたって奥さん。
……というわけで、ひとしきり笑われた後。
「後回しになっちゃったけど、この度は誠におめでとうございます」
そう言いながら折り目正しく頭を下げてもくる異原さんには、他のお三方も続きます。今回ばかりは流石の口宮さんも――とは言いませんが、後回しは構いませんけど笑われた直後っていうのはちょっとしんどいです――とも、言わないでおきまして。
「で、今ってどういう状況なんだ? 暇だっつってたけど」
くだけた話題担当というわけではないのでしょうが、そう尋ねてきたのは口宮さん。変とまでは言わずとも、やっぱり違和感くらいはあるんでしょうね。結婚式の当日に、その結婚式の主役が暇を持て余しているというのは。
「式の予行が終わったところです。普通なら続けてすぐに本番に移ってたのかもしれませんけど、今回は他のあと二組が同じことするのを待たなきゃいけないんで」
「ああそっか、そりゃそうなるわな。まあでもなんかそっちのほうが気楽そうでいいけど」
「いや、気楽ってことはないでしょさすがに」
もう口宮さんが何かしら口を開く度に突っ込みに回っていると言っても過言ではなさそうな異原さんでしたが、しかし手が出ていないところを見るに、今回はそこまで突っ込み指数が高いというわけでもないようでした。
……つい造語で表現してしまいましたが、他に何か上手い言い回しはないもんでしょうか。何なのさ突っ込み指数って。
というのはともかく、その突っ込み指数がさほど高くはなかったということで、異原さんは続けてこんな質問も。
「――って勝手に言っちゃったけど、どうですか栞さん? 実際のところは」
そりゃあどちらかといえば異性より同性の意見の方が気になるのでしょう、ということで異原さんが質問先に選んだのが栞だったことには違和感も問題もなかったのですが、しかしそれを受けて栞が浮かべた照れ臭そうな笑みには、違和感も問題もあったのでした。
「キスがちょっと恥ずかしいかなって思ってたんですけど、それはさっきここで孝さんが解決してくれました」
だと思ったよ、と思う頃には女性陣から黄色い歓声が上がっていたのですが、しかしよくよく考えると今の言い方では僕の方から仕掛けたことになってしまうわけで、であるなら「だと思ったよ」どころか想像を超えてらっしゃった栞なのでした。
――が、ここは敢えてその誇張表現を正そうとはいないでおきます。というのも、栞は今「さっきここで解決してくれた」としか言っておらず、何をどうしたのかは述べていなかったからです。
具体的なところまで説明されなくとも誰だって大体同じような想像をするところではあるんでしょうし、そしてそれはまず間違いなく正解でもあるわけですが、しかしここで余計な口を出すと、僕がその具体的な説明をする側に回されてしまうのもまた間違いなかったのです。もうそういう手には乗らないぞ。
「というのは冗談にしても」
どうやら粘り勝ちを拾えたらしく、栞から話題を変えてきました。勝ちも何も僕の独り相撲だった、という可能性については、あまり考えないようにしておくとしまして。
「お義父さんお義母さん……あ、孝さんのご両親なんですけど、式の予行とはまた別にお話することがあったんです。と言っても話自体は孝さんとお母さんの話で、私はあんまり関わってはなかったんですけど、でもそれでこう、胸を打たれたというか何というか――だから正直、式のことについてはそれほど緊張とかはあんまり、する余裕がなかったっていう感じで」
僕に言わせれば栞があまり関わっていなかったというのは喋っていた時間が短かったというだけのことでしかないのですが、まあ、その後の口ぶりからしても、栞自身はそうは思っていないんでしょう。
が、まあ、もちろんながらそれは人前でする話ではなく。そこに触れるなら話の中身にもいくらか触れることになっちゃいますしね。
「相手のご家族かあ。いいですね、そういうの。憧れます」
異原さんはしんみりとそう言い、
「相手の家族っつったらこっちのこいつらだけど」
口宮さんは同森さんと音無さんに話を振るのでした。
「なんじゃいきなり。昔っから家同士の仲が良いってこと以外に話のネタになるようなことなんかありゃせんぞ」
「だよね……そのせいで、逆に何したって『そうかそうかそりゃよかった』みたいなことしか言われないし……」
同森さんと音無さん。個人同士のお付き合いが始まるよりずっと以前から、家ぐるみのお付き合いがあったというお二人です。その個人同士のお付き合いが始まった時も両家が揃ってそれを歓迎したという話ですらあったので、ならば自然、音無さんが今言ったような状況ができあがってもしまうのでしょう。
「『何したって』って、何したんだよお前ら」
「はう……!」
「後輩虐めんじゃないわよド阿呆」
僕とはまるで目の付けどころが違った口宮さんの鋭い突っ込みには、ついに拳骨を飛び出させる異原さんなのでした。
……うむ、しかし、さすがにここまでくるともう。
ごめんね栞。こっちに期待の眼差しを向けてるところ悪いけど、どうやら全く動じてないっぽいよ僕は。かつての想い人のそういう話にも。
「そういうことを言うと自分も同じことを訊き返される、というのは分かったうえで言ったんじゃろうな?」
僕は音無さんついての「かつての想い人だった」という観点に囚われなくなり、ならばこの流れに物申すようなことはないのですが、しかし現在の想い人としている人からすればもちろんそうはいかないわけです。――と、無理矢理に同森さんを自分と並べてはみるものの、その想いというのが方や一方的、方や相思相愛では、これはもう程度の話ですらなく完全に別物として扱うべきなんでしょうけどね。
で、音無さんが虐められた仕返しを図った同森さんに対して口宮さんですが、
「いや分かってねえけど」
とのことなのでした。その言い分には横で異原さんがほっとした顔をしてみせたりするのですが、しかし同森さんからすればそりゃあ、そんな横を向いていられるような回答でもないわけで。
「ほほう、その覚悟もないまま人の彼女をおちょくるとはいい度胸じゃの。ところで口宮、それとはまた別の話として指相撲でもせんか?」
「握り潰す気だろお前」
流れからすればそういうことになるんでしょうが――って、あれ? でも指相撲って手を握るわけじゃなくて指を引っ掛けるだけだから……ええと、親指一本の力だけでってことなんでしょうか?
まあ他の誰かならともかく同森さんならさもありなんといったところですがしかし、実際に組むまでもなくその発想が出てくるということは口宮さん、握り潰された経験があるってことなんでしょうか。あるんでしょうね多分。
「か、彼女って……やあ、もう……」
「いや静音、さすがにそこは今更照れるところじゃないと思うわよ。あたしでも」
それはそれでどうなんだという話ではあるのかもしれませんが、わざとらしいくらい可愛らしい反応をしてみせる音無さんに、複雑な気分になるどころか頬が緩みそうになってしまう僕なのでした。一応それを取り繕うくらいのことはしておきましたが、しかしどうでしょう? 僕が音無さんのことで複雑な気分になると喜ぶ栞ですが――という言葉だけだとあんまりな話に聞こえてしまいそうですが――逆に何の遠慮もなくにやにやしてみせたりしたら、さすがにちょっと気分を害するくらいのことはあるんでしょうか?
過去には「音無さんが持ち上がれば持ち上がるほど相対的に自分も持ち上がるから」などと言ってもいた栞ですが、果たして。
まあ実際に試すにしても今この場でということにはもちろんしないでおきますが、という話はさておくとして――音無さんのわざとらしいくらい可愛らしい反応にしてやられたのは、どうやら僕だけではないようでした。
というわけで同森さんが自らへの害意をすっかりほだされたらしいと見るや、ここぞとばかりに話題を入れ替えてくるのは口宮さん。
「他の二組のとこにも顔出しときてえんだけど、その予行に行ってるのが今どっちかって、兄ちゃん分かるか?」
「あー、すいませんちょっと」
今のこの質問のことがなかったとしても、式の当事者としてそれくらいは把握しておくべきだったのかもしれません。が、あの予行は余計なことをしなければ割とあっさり終わるものだったので、ならば僕達に続いたのが家守さん達だったのか怒橋さん達だったのかを把握していたとしても、ここでこうしてお喋りしている間に三組目に移行していた、なんてことも充分に考えられますし――という言い訳は、頭の中だけに留めておきまして。
「そういえば口宮さん、僕達が部屋にいることとか部屋がここだとかって、どうやってご存じになったんですか?」
一から十まで冠婚葬祭用の施設であれば部屋の入口に「誰々様ご一行」なんて張り出されたりするのかもしれませんが、ここの場合それは山の上のあの建物であって、今いるここは旅館、つまりは宿泊用の施設なわけで、ならば廊下から見てもその部屋に誰が泊まっているかは分からないわけです。いや、分かるようになっている旅館なんかももしかしたらあるのかもしれませんが、それはともかくとしておいて。
しかし口宮さん一行は、僕達を訪ねてこの部屋にやってきたわけです。部屋を間違っていたらどうしようか、と異原さんが心配していたそうでもありますが、逆に言えば「そのことをからかわれる程度にははっきりと分かっていた」ということにもなるわけで。
「ん? 部屋まで案内してもらった時にここの人に訊いたんだけど。――そうだな、もっかい訊きに行くか」
「あ、だったらご一緒していいですか? あとどれくらいこうしていられるかとか、確認しときたかったりしますし」
普段ならそのまま他の部屋へのご挨拶まで同行しているところでしょうが、今回はさすがに控えたほうがいいのでしょう。仮にも主役の一人がふらふら歩き回るというのは、割と迷惑な話なんでしょうしね。
他の部屋を訪ねるならともかくここの人を探して誰がどこの部屋なのかを訊くだけなら、ということで、部屋を出るのは僕と口宮さんの二人だけということになりました。
ここの人を探す、といってももちろん適当に歩き回るわけではなく、今僕達が目指しているのは正面玄関です。ここがただの家ではなく旅館でもある以上、そこなら間違いなく誰かしらは控えていることでしょうしね――といったところで、
「考えてみたらよ」
と口宮さん。
「はい?」
「今随分な状況だよな、哲郎の奴」
「ええと……ああ、はは、そうですね」
出てきたのが僕と口宮さんだけというなら当然、同森さんは部屋に残っているわけですが、そう言われて思い直してみたところ、あの部屋は現在一対三なのでした。何がって、男女比が。
「旅館の個室ってなんかエロいよな」
「何言い出すんですか」
と即座にそう返しはしつつ、しかしそれは浴衣に着替えるという点が備わってこそなのでは、とも。いや、論を組み立てて否定しにいくというのは逆効果でしかないような気もしますけど。
それはさておき、浴衣がどうのと考えてみたことで別の話題を思い付きも。
「そういえば、皆さんスーツですけど」
「ん? なんだ、似合わねえってか? 由依みてえに」
皆さん、と言った筈だというのに明らかに自分一人のスーツ姿を指して言い返してくる口宮さんなのでした。というわけでこれは口宮さん個人の話ではなく、口宮さん達四人が全員スーツ姿でやってきたという話だったのですが、
「言われたんですか、異原さんに」
「おう、そりゃもう。最低限金髪止めてて良かった、とも言われたけど」
そういえばそうでした、ちょっと前までは髪染めてましたよね口宮さん。プリンみたいな、と本人の前でそう例えてしまっていいものかどうかは迷うところですが、てっぺんだけ黒のままで他が金色っていう。
「でも似合ってる似合ってないって話なら俺より哲郎だと思うんだよなあ。ミッチミチじゃねえか上着の袖とかズボンの裾とか」
「ああ、まあ、力こぶとか作ったら内側から破裂しそうでしたよね……」
僕達は同森さんが初めからああいう体型だと知っているわけで、ならばそれを目の当たりにしても「そりゃそうなりますよね」くらいで済んでしまうわけですが、知らない人がいきなりとなると、こう、驚くとか、下手をしたら笑ってしまうとか、失礼ながら有り得てしまうんじゃないでしょうか。
なんてことを考えていたら、
「内側から破裂っつったらあれだよな、音無も」
「言及しちゃいますか」
同森さんと違って生地を裂きそうなほどの力強さがあったわけではありませんが、しかしボタンが飛ぶくらいはしそうでしたよね、なんて、これくらいにしておきますけども。
初めからああいう体型だと知っているわけで、というのは同森さんと同様だとして、音無さんの件の場合は同様の前例が二人もいらっしゃったからか、自分でも意外なくらい意識には上らなかったのでした。もちろん、上ったら色々と大変なのでそっちのほうがいいわけですが。
「似合ってるってことになんのか? あっちの場合は」
「どうなんでしょうねえ……?」
同じ「破裂しそう」だというのに男女でどうしてこうも差が出てしまうのか。もしかして、逆に女性からすれば同森さんのほうも似合ってるってことになっちゃうんだろうか? なんてあれやこれや考えてはしまいますが――。
しかしそうではないのです。僕がスーツを話題に出したのは、こんな話をするのが目的だったわけではないのです。
「それはともかく、今のところ女性陣でドレス着てきた人っていないんですよね」
「それってあれか、俺ら以外の人達も含めて?」
「はい」
旅館内を探索しているという一貴さんご一行とはまだ顔を合わせてはいないわけですが、特にそちらに言及するでもない口宮さんを見る限り、ならばあちらにもドレス着用の方はいないと見てよさそうです。まあ、ドレス着用で旅館探検に打って出るというのはちょっとお茶目が過ぎるような気もしますしね。
「ん?」
「スーツのまま横になってると、お疲れ様度がぐっと増すね」
「お疲れ様度って……いや、なんとなく分かるような気もするけど」
仕事でくたくたになって帰宅と同時に倒れ込んで、といったところでしょうか。ただ、実際そうなった場合は「お疲れ様」の前に「せめて着替えろ」ってことになるんでしょうけどね。今はまあ、式が始まってそれ用の衣装に着替えるまではこの格好でいたほうがいいんだろうし、という言い分が用意できるわけですけど。
「でも栞も同じことしてきたわけだし、それを考えると僕だけこんな感じっていうのもねえ」
「あ、言い訳の次は無かったことにしだした」
「いやいや」
式の流れの説明と、お母さんの話。栞が言ったのは後者のことなんでしょうが――などという説明はもはやするまでもないんでしょうけど、というわけで。
「それも含めて、だよ。お父さんも言ってたでしょ? 栞もいろいろ考えてくれてるんだなって」
「そこは否定しないけど、でもその結果があれじゃねえ。あそこで写真を隠したりしなかったら、もうちょっとスムーズに話が進んでたんだし」
一枚の写真で解決してしまうよりは当人同士で話し合ったほうが、と、行動の意図としてはそんなところなのでしょう。まあそれは親切心だけを起点としたものではなくて、そういう場面が見たいというような思いもあってのことだったのかもしれませんが――。
「十年近く続いてる話にそんな、十分そこらの間だけスムーズだったかどうかなんて大した影響はないって」
とそう言ってみたのなら、逆にその十分そこらのスムーズさを有難がっている自分を想像してもみるわけですが――うん、最高に馬鹿みたいだからやめたほうがいいなこれは。
「僕からしてもそうだし、お父さんとお母さんだってそう思ってるんだろうけど、大事なのは栞がそういうことを考えてくれる人かどうかってところだよ」
「むむう」
何か言い返したそうではありましたが、しかし言葉が出てこない栞なのでした。そりゃそうもなりましょう、「考えてくれる人」という言い方を先に、しかも僕に対して持ち出したのは栞なんですから。だったら先に言った本人がそれを否定するのは、無理とは言わないまでも難しいわけで。
「卑怯だなあ」
「そりゃあお嫁さんを持ち上げるためだしね、卑怯な手くらい使わせてもらうよ」
「……まあ、今日くらいは大目に見てあげるけど」
「そりゃどうも」
大目に見てもらわないと褒めることすらできないそうで。というのはもちろん冗談としても、こういうところで自分に厳しいのは相変わらずな栞なのでした。
「で、あとは家守さんのところと怒橋さんのところが式場に行って、それから本番だよね」
「すぐ、ではないと思うけどね。まだお客さん達が着いてないみたいだし」
どうやら式の予行やお母さんの件についての話は終わったようです。というわけで今後の流れなのですが、どうやら式の予行については三組の中で僕達が最初だったらしく、この後残りの二組が順々に続くようなのでした。
「緊張してない?」
「うーん、思ったよりは気楽かな」
重大極まる式とはいえその手順が複雑極まるなんてことはなく、なのでその点については案外、余裕をもって構えていられるのでした。なんせ今のこの体勢ですし――と、そういう意味で捉えるのであれば、むしろやり過ぎなんでしょうけどねこれ。
「栞は?」
「キスはちょっと恥ずかしいかなあ、とは」
「はは、それも今更っぽいような気はするけどね」
「そ、そりゃまあ、思い返せば結構人前でしてきてたりもするけどさあ。でもそういうのって大体ふざけた雰囲気でだし、それに楓さんとか成美ちゃんとかが一緒だったりもするし……」
その二つの条件を満たしていれば平気、というのもそれはそれでどうかとは思いますが、ここは逆に「式に対する真摯な意気込みが表れている」ということにしておきましょう。巻き添えを食らいそうなのであまり意識しない方が良くはあるんでしょうけど、愛を誓うための口付けということであるなら、そりゃまあ普段人前に出したりしないあれやこれやをそこに乗せることになるわけですしね。
「あ、そうだ孝さん」
「ん?」
何かを思い付いたらしく、ぱちんと手を叩く栞。位置関係上それは僕の顔の真上で行われたわけで、となると結構驚かされもしたのですが、それはまあともかくとしておいて。
「そっちの予行練習もしちゃおうか」
…………。
「練習っていうより照れ隠しで言ってない? それ」
「ふっふっふ、もちろんですよ」
開き直る栞なのでした。そもそも人前でのキスだからこそ緊張しているわけであって、ならばその練習を誰もいないこの場でやっても、何の意味もないわけですしね。
とはいえもちろん、意味がないからといって拒否するのというのもまた、そうする理由に欠けるわけですが――ふむ、しかし、せっかくなら。
「じゃあ、栞」
寝転がっていた身体を起こしてそう告げたところ、それでもまだ一応は練習のつもりなのか、それっぽく目を閉じたりしてくる栞でした。
でしたが、その前に一言だけ。
「ありがとう、式場でのこと。愛してるよ」
……まあ、不意打ちはずるい、なんて後でちょっと怒られてしまったんですけどね。
ずるいって言われてもなあ。
で、そうして怒られたりしながらのんびりしていたところ……って、うーん、怒られながらのんびりするっていうのも考えてみたら随分な話ですけど。
まあそれはともかく、コンコン、とドアがノックされたわけです。
「……まだ早いよね?」
「だねえ」
何の話かというのは、敢えて語るまでもないでしょう。なんせ今はただただそれを待っている状況なのですから。
というわけで、そりゃあ僕達の時はお母さんの話やらで余計な時間を食ったりはしたものの、それを除いて考えてみても尚「まだ早いよね」ということにならざるを得ない程度の時間しか経っていないわけですが、
「あ、皆さんもうお着きで」
「おう毎度」
お着きになったのは頼んでもいない出前、というようなことではもちろんなく、ならばその出前もどきさんは背後から伸びてきた手にぺしんと頭をはたかれるのでした。
「こういう日にまでふざけてんじゃないわよ」
「部屋間違ってたらどうしようとかビビりまくってるよりゃいいだろ」
……もう一度、というか連続でぺしぺしされることになったようでした。
「すまんのう日向君、いきなり騒がしくしてしもうて」
「あはは……ええと、顔を出すだけのつもりですんで……」
騒がしいお二人様の脇からは、もう一組のお二人がそんなふうに。いやこの場合は四人一組と捉えるべきなのでしょうがそれはともかく、顔はいっつも出てないじゃないですかという突っ込みはアリでしょうか音無さん。
ドア一枚分のスペースから四人の姿が窺える状況というのはもうその時点で騒がしいような気もしますが、ともあれ異原さん、口宮さん、同森さん、音無さんの四名様ご来訪です。
「ああ、上がってもらっても大丈夫ですよ。というか、上がっていきませんか? 今丁度暇してたところなんですよ、やることなくて」
「じゃあお言葉に甘えて」
「即決はやめろ」
今度は脇腹を小突かれる口宮さんでしたが、懲りる気というものは全くないのでしょうかこの人は。まあ今に始まったことではないわけですが……。
「いらっしゃーい」
玄関の騒がしさに、顔を見ずともやってきたのが誰だったか判断できたのでしょう。部屋に戻った頃には既に、人数分の座布団を用意してくれている栞なのでした。
さすが我が妻手際がいい、という感想を持たされる一方、ああやっぱりあっちも引っ張りこむのが前提だったんだな、と苦笑いも。口宮さんは即決でしたが、やっぱり部屋に入るのは多少気が引けるところもあるにはあるんでしょうしね、お客さん側からすれば。なんせ、と自分で言うのも変な感じではありますが、この後式を挙げる二人の部屋ではあるわけですし。
そして更に他方、その用意された座布団を見て気付いたこともありました。
ぱっと見ても分かるくらいに多過ぎるのです、座布団の数が。この部屋だけでこんなに備え付けられてたのか――と、そういう話ではなく。
「そういえば、他の人達はまだなんですか?」
今回ご招待した友人様がたは、今この場にいらっしゃる四名様だけではございませんのです。まだなんですか、なんて訊いてはみたものの、多分僕達の時と同じで全員が同時に送迎されていると思うのですが。
で、説明をしてくれたのは同森さんでした。何やら申し訳なさそうな顔で言うには、
「ここに来るのは初めてってことで、他の人達はこの建物……屋敷? 旅館? を、ぐるっと見て回りに行くってことになっての。というのはまあ、うちの馬鹿兄貴の仕業なんじゃが」
仕業とはまた当たりの強い表現で。というわけで実際には言いだしっぺといったところなんでしょうが、そうですか一貴さんが連れて行っちゃいましたか他の皆さんは。
「言ってもらえたら案内役とか買って出られたんですけどねえ」
なんせその方々をここに招待した本人でもありますし、という事情もあってそんなふうに言ってみる僕だったのですが、
「時間があると分かってたとしても、今日の主役にそんなことはさせられんじゃろう」
と同森さんからはそんなごもっともな意見を頂戴し、
「それ以前に孝さんに案内とか無理でしょ、迷うし」
と栞からはそんなご無体な意見を頂戴することになりました。そりゃそうかもしれないけどそれにしたって奥さん。
……というわけで、ひとしきり笑われた後。
「後回しになっちゃったけど、この度は誠におめでとうございます」
そう言いながら折り目正しく頭を下げてもくる異原さんには、他のお三方も続きます。今回ばかりは流石の口宮さんも――とは言いませんが、後回しは構いませんけど笑われた直後っていうのはちょっとしんどいです――とも、言わないでおきまして。
「で、今ってどういう状況なんだ? 暇だっつってたけど」
くだけた話題担当というわけではないのでしょうが、そう尋ねてきたのは口宮さん。変とまでは言わずとも、やっぱり違和感くらいはあるんでしょうね。結婚式の当日に、その結婚式の主役が暇を持て余しているというのは。
「式の予行が終わったところです。普通なら続けてすぐに本番に移ってたのかもしれませんけど、今回は他のあと二組が同じことするのを待たなきゃいけないんで」
「ああそっか、そりゃそうなるわな。まあでもなんかそっちのほうが気楽そうでいいけど」
「いや、気楽ってことはないでしょさすがに」
もう口宮さんが何かしら口を開く度に突っ込みに回っていると言っても過言ではなさそうな異原さんでしたが、しかし手が出ていないところを見るに、今回はそこまで突っ込み指数が高いというわけでもないようでした。
……つい造語で表現してしまいましたが、他に何か上手い言い回しはないもんでしょうか。何なのさ突っ込み指数って。
というのはともかく、その突っ込み指数がさほど高くはなかったということで、異原さんは続けてこんな質問も。
「――って勝手に言っちゃったけど、どうですか栞さん? 実際のところは」
そりゃあどちらかといえば異性より同性の意見の方が気になるのでしょう、ということで異原さんが質問先に選んだのが栞だったことには違和感も問題もなかったのですが、しかしそれを受けて栞が浮かべた照れ臭そうな笑みには、違和感も問題もあったのでした。
「キスがちょっと恥ずかしいかなって思ってたんですけど、それはさっきここで孝さんが解決してくれました」
だと思ったよ、と思う頃には女性陣から黄色い歓声が上がっていたのですが、しかしよくよく考えると今の言い方では僕の方から仕掛けたことになってしまうわけで、であるなら「だと思ったよ」どころか想像を超えてらっしゃった栞なのでした。
――が、ここは敢えてその誇張表現を正そうとはいないでおきます。というのも、栞は今「さっきここで解決してくれた」としか言っておらず、何をどうしたのかは述べていなかったからです。
具体的なところまで説明されなくとも誰だって大体同じような想像をするところではあるんでしょうし、そしてそれはまず間違いなく正解でもあるわけですが、しかしここで余計な口を出すと、僕がその具体的な説明をする側に回されてしまうのもまた間違いなかったのです。もうそういう手には乗らないぞ。
「というのは冗談にしても」
どうやら粘り勝ちを拾えたらしく、栞から話題を変えてきました。勝ちも何も僕の独り相撲だった、という可能性については、あまり考えないようにしておくとしまして。
「お義父さんお義母さん……あ、孝さんのご両親なんですけど、式の予行とはまた別にお話することがあったんです。と言っても話自体は孝さんとお母さんの話で、私はあんまり関わってはなかったんですけど、でもそれでこう、胸を打たれたというか何というか――だから正直、式のことについてはそれほど緊張とかはあんまり、する余裕がなかったっていう感じで」
僕に言わせれば栞があまり関わっていなかったというのは喋っていた時間が短かったというだけのことでしかないのですが、まあ、その後の口ぶりからしても、栞自身はそうは思っていないんでしょう。
が、まあ、もちろんながらそれは人前でする話ではなく。そこに触れるなら話の中身にもいくらか触れることになっちゃいますしね。
「相手のご家族かあ。いいですね、そういうの。憧れます」
異原さんはしんみりとそう言い、
「相手の家族っつったらこっちのこいつらだけど」
口宮さんは同森さんと音無さんに話を振るのでした。
「なんじゃいきなり。昔っから家同士の仲が良いってこと以外に話のネタになるようなことなんかありゃせんぞ」
「だよね……そのせいで、逆に何したって『そうかそうかそりゃよかった』みたいなことしか言われないし……」
同森さんと音無さん。個人同士のお付き合いが始まるよりずっと以前から、家ぐるみのお付き合いがあったというお二人です。その個人同士のお付き合いが始まった時も両家が揃ってそれを歓迎したという話ですらあったので、ならば自然、音無さんが今言ったような状況ができあがってもしまうのでしょう。
「『何したって』って、何したんだよお前ら」
「はう……!」
「後輩虐めんじゃないわよド阿呆」
僕とはまるで目の付けどころが違った口宮さんの鋭い突っ込みには、ついに拳骨を飛び出させる異原さんなのでした。
……うむ、しかし、さすがにここまでくるともう。
ごめんね栞。こっちに期待の眼差しを向けてるところ悪いけど、どうやら全く動じてないっぽいよ僕は。かつての想い人のそういう話にも。
「そういうことを言うと自分も同じことを訊き返される、というのは分かったうえで言ったんじゃろうな?」
僕は音無さんついての「かつての想い人だった」という観点に囚われなくなり、ならばこの流れに物申すようなことはないのですが、しかし現在の想い人としている人からすればもちろんそうはいかないわけです。――と、無理矢理に同森さんを自分と並べてはみるものの、その想いというのが方や一方的、方や相思相愛では、これはもう程度の話ですらなく完全に別物として扱うべきなんでしょうけどね。
で、音無さんが虐められた仕返しを図った同森さんに対して口宮さんですが、
「いや分かってねえけど」
とのことなのでした。その言い分には横で異原さんがほっとした顔をしてみせたりするのですが、しかし同森さんからすればそりゃあ、そんな横を向いていられるような回答でもないわけで。
「ほほう、その覚悟もないまま人の彼女をおちょくるとはいい度胸じゃの。ところで口宮、それとはまた別の話として指相撲でもせんか?」
「握り潰す気だろお前」
流れからすればそういうことになるんでしょうが――って、あれ? でも指相撲って手を握るわけじゃなくて指を引っ掛けるだけだから……ええと、親指一本の力だけでってことなんでしょうか?
まあ他の誰かならともかく同森さんならさもありなんといったところですがしかし、実際に組むまでもなくその発想が出てくるということは口宮さん、握り潰された経験があるってことなんでしょうか。あるんでしょうね多分。
「か、彼女って……やあ、もう……」
「いや静音、さすがにそこは今更照れるところじゃないと思うわよ。あたしでも」
それはそれでどうなんだという話ではあるのかもしれませんが、わざとらしいくらい可愛らしい反応をしてみせる音無さんに、複雑な気分になるどころか頬が緩みそうになってしまう僕なのでした。一応それを取り繕うくらいのことはしておきましたが、しかしどうでしょう? 僕が音無さんのことで複雑な気分になると喜ぶ栞ですが――という言葉だけだとあんまりな話に聞こえてしまいそうですが――逆に何の遠慮もなくにやにやしてみせたりしたら、さすがにちょっと気分を害するくらいのことはあるんでしょうか?
過去には「音無さんが持ち上がれば持ち上がるほど相対的に自分も持ち上がるから」などと言ってもいた栞ですが、果たして。
まあ実際に試すにしても今この場でということにはもちろんしないでおきますが、という話はさておくとして――音無さんのわざとらしいくらい可愛らしい反応にしてやられたのは、どうやら僕だけではないようでした。
というわけで同森さんが自らへの害意をすっかりほだされたらしいと見るや、ここぞとばかりに話題を入れ替えてくるのは口宮さん。
「他の二組のとこにも顔出しときてえんだけど、その予行に行ってるのが今どっちかって、兄ちゃん分かるか?」
「あー、すいませんちょっと」
今のこの質問のことがなかったとしても、式の当事者としてそれくらいは把握しておくべきだったのかもしれません。が、あの予行は余計なことをしなければ割とあっさり終わるものだったので、ならば僕達に続いたのが家守さん達だったのか怒橋さん達だったのかを把握していたとしても、ここでこうしてお喋りしている間に三組目に移行していた、なんてことも充分に考えられますし――という言い訳は、頭の中だけに留めておきまして。
「そういえば口宮さん、僕達が部屋にいることとか部屋がここだとかって、どうやってご存じになったんですか?」
一から十まで冠婚葬祭用の施設であれば部屋の入口に「誰々様ご一行」なんて張り出されたりするのかもしれませんが、ここの場合それは山の上のあの建物であって、今いるここは旅館、つまりは宿泊用の施設なわけで、ならば廊下から見てもその部屋に誰が泊まっているかは分からないわけです。いや、分かるようになっている旅館なんかももしかしたらあるのかもしれませんが、それはともかくとしておいて。
しかし口宮さん一行は、僕達を訪ねてこの部屋にやってきたわけです。部屋を間違っていたらどうしようか、と異原さんが心配していたそうでもありますが、逆に言えば「そのことをからかわれる程度にははっきりと分かっていた」ということにもなるわけで。
「ん? 部屋まで案内してもらった時にここの人に訊いたんだけど。――そうだな、もっかい訊きに行くか」
「あ、だったらご一緒していいですか? あとどれくらいこうしていられるかとか、確認しときたかったりしますし」
普段ならそのまま他の部屋へのご挨拶まで同行しているところでしょうが、今回はさすがに控えたほうがいいのでしょう。仮にも主役の一人がふらふら歩き回るというのは、割と迷惑な話なんでしょうしね。
他の部屋を訪ねるならともかくここの人を探して誰がどこの部屋なのかを訊くだけなら、ということで、部屋を出るのは僕と口宮さんの二人だけということになりました。
ここの人を探す、といってももちろん適当に歩き回るわけではなく、今僕達が目指しているのは正面玄関です。ここがただの家ではなく旅館でもある以上、そこなら間違いなく誰かしらは控えていることでしょうしね――といったところで、
「考えてみたらよ」
と口宮さん。
「はい?」
「今随分な状況だよな、哲郎の奴」
「ええと……ああ、はは、そうですね」
出てきたのが僕と口宮さんだけというなら当然、同森さんは部屋に残っているわけですが、そう言われて思い直してみたところ、あの部屋は現在一対三なのでした。何がって、男女比が。
「旅館の個室ってなんかエロいよな」
「何言い出すんですか」
と即座にそう返しはしつつ、しかしそれは浴衣に着替えるという点が備わってこそなのでは、とも。いや、論を組み立てて否定しにいくというのは逆効果でしかないような気もしますけど。
それはさておき、浴衣がどうのと考えてみたことで別の話題を思い付きも。
「そういえば、皆さんスーツですけど」
「ん? なんだ、似合わねえってか? 由依みてえに」
皆さん、と言った筈だというのに明らかに自分一人のスーツ姿を指して言い返してくる口宮さんなのでした。というわけでこれは口宮さん個人の話ではなく、口宮さん達四人が全員スーツ姿でやってきたという話だったのですが、
「言われたんですか、異原さんに」
「おう、そりゃもう。最低限金髪止めてて良かった、とも言われたけど」
そういえばそうでした、ちょっと前までは髪染めてましたよね口宮さん。プリンみたいな、と本人の前でそう例えてしまっていいものかどうかは迷うところですが、てっぺんだけ黒のままで他が金色っていう。
「でも似合ってる似合ってないって話なら俺より哲郎だと思うんだよなあ。ミッチミチじゃねえか上着の袖とかズボンの裾とか」
「ああ、まあ、力こぶとか作ったら内側から破裂しそうでしたよね……」
僕達は同森さんが初めからああいう体型だと知っているわけで、ならばそれを目の当たりにしても「そりゃそうなりますよね」くらいで済んでしまうわけですが、知らない人がいきなりとなると、こう、驚くとか、下手をしたら笑ってしまうとか、失礼ながら有り得てしまうんじゃないでしょうか。
なんてことを考えていたら、
「内側から破裂っつったらあれだよな、音無も」
「言及しちゃいますか」
同森さんと違って生地を裂きそうなほどの力強さがあったわけではありませんが、しかしボタンが飛ぶくらいはしそうでしたよね、なんて、これくらいにしておきますけども。
初めからああいう体型だと知っているわけで、というのは同森さんと同様だとして、音無さんの件の場合は同様の前例が二人もいらっしゃったからか、自分でも意外なくらい意識には上らなかったのでした。もちろん、上ったら色々と大変なのでそっちのほうがいいわけですが。
「似合ってるってことになんのか? あっちの場合は」
「どうなんでしょうねえ……?」
同じ「破裂しそう」だというのに男女でどうしてこうも差が出てしまうのか。もしかして、逆に女性からすれば同森さんのほうも似合ってるってことになっちゃうんだろうか? なんてあれやこれや考えてはしまいますが――。
しかしそうではないのです。僕がスーツを話題に出したのは、こんな話をするのが目的だったわけではないのです。
「それはともかく、今のところ女性陣でドレス着てきた人っていないんですよね」
「それってあれか、俺ら以外の人達も含めて?」
「はい」
旅館内を探索しているという一貴さんご一行とはまだ顔を合わせてはいないわけですが、特にそちらに言及するでもない口宮さんを見る限り、ならばあちらにもドレス着用の方はいないと見てよさそうです。まあ、ドレス着用で旅館探検に打って出るというのはちょっとお茶目が過ぎるような気もしますしね。
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