そう言われてはいそうですかとほっとくわけにいく筈がないので、身長差に苦戦しつつも脇から腕を回して羽交い絞めに。大吾もそれに抵抗するがどうやら声同様体にも力が入らないらしく、体格差の割にはあっさり個室から引きずり出す事に成功した。
そしてその個室の壁にはいくつもの叩き伸ばされたような血の跡が。額の血もそうだし、もしかして壁にずっと頭突きしてた?
ひえぇ。
「はなせよぉ、テメェおい。俺の事なんかさ、ほっとけばいいのによぉ」
「おお落ち着いたらずっと放しててあげるからじっとしててっててば」
想像するだけで背筋が震えるような、しかも実際にあったであろう光景に、こっちまで声が震えてしかも若干日本語が変になる。が、それはともかく大吾をどうしたらいいのか分からないので、「成美さんに聞けばなんとかなるかも」との期待を抱いて大吾をずるずる引きずったままトイレを出る事に。成美さんに聞けばと言うか、成美さん以外に頼れる人がいないんだけなんだけどね。
「えーと、その兄ちゃんも知り合いなのか? 血ぃ出てるけど……」
「大丈夫大丈夫。多分」
一般の人から見て今の僕は壁際に立ってるだけのように見えてるだろうか? 幸いトイレ内での一連の騒動中に他のトイレ利用者が来る事もなく、暴れるという言葉が果たして相応しいのかどか疑わしくなるくらいに弱々しく暴れる大吾を背中で壁に押し付けたまま成美さんに話を聞く。
「これ、どうしたら治るんですか?」
その質問に成美さんはまず、ぐすっと鼻を鳴らす。だけどもう大分落ち着いたようで、それを最後に泣いてるらしい行動は見せなかった。
「もうじき勝手に治るさ。すまなかったな迷惑かけて」
そのまま押さえつける事数分。「もういいぞ」という声とともに背中から感じる力無い抵抗が収まったので、後ろの様子を見てみる。すると、大吾は額を手で触って出血具合を確認していた。まるで病人のようだった表情も、痛みに時折歪むものの元通り。
流れた血をたまたま明くんが持ってたポケットティッシュで処理すると、
「怪我とかさせてねえよな? わりい。面目ねえ」
と、大吾は僕に軽く頭を下げた。
体に力が入らない状態で力技の自殺方法を取った事が良かったのか、それほど大事にも至らなかったようだ。
「いや、怪我もないしなんとも思ってないよ。でもできればもうこうならないように仲良くして欲しいもんだけど」
言ってて自分に帰ってきそうな言葉だったけど、二人は取り敢えず素直に聞き入れてくれたようだ。
「……悪かったよ」
「いや………こちらこそ、だな……」
そうしてお互いに謝ると、いつものおんぶ状態に移行。血と涙流れて地固まるってやつですか。あー、ツッコミは御遠慮しますよ?
はい、めでたしめでたし。
「もうなんか疲れたから帰るわオレ」
「わたしもだ」
めでたく事が収まったところで、二人はそう言ってさっさと帰ってしまいました。疲れたのはこっちだよ全く。散歩しに来て流血事件ってそんなさぁ、
「あのさ、説明とかしてもらっていいかな。俺ちんぷんかんぷんなんだが」
なんとも思ってないとさっき自分で言った割に頭の中だけでぶちぶち文句を垂れていると、まさに置いてきぼりを食らっていた明くんが話し掛けてきた。
「あ、ごめんごめん」
それから暫らくはあの二人と、その関係と、成美さんの火の玉パワーについての説明タイム。
まずはあの二人について。
「動物に好かれる体質と、元猫か……兄ちゃんのほうはともかく、哀沢さん? のはすごいな。驚いた」
と言う割にはそんなに驚いてる様子でもない。さすがに高校時代から幽霊との付き合いがある人は気概が違うね。もしかしたら、明くんもそういう一般的でない人と知り合いだったりするのかな?
次は二人の関係について。
「ふーん。霧原先輩が二人いるみたいな感じか」
あ、それだけで片付くんだ。省略したとは言え実例も交えて説明結構頑張ったのに。
最後に火の玉とその効能について。
「ああ、それでさっきの兄ちゃんあんなに疲れた顔してたのか。おっかないなその火の玉っての」
喰らったのが僕だったらと思うと、本当その通り。
「まあ滅多にこうはならないと思うけどね。僕も今日始めて見たし」
「そりゃああれがよくある事だったら大変そうだからな」
「そうだねー」
笑いを交えながら軽口っぽく返事をするが、「幽霊さん方はともかく生身の僕は本当に死んでしまうのではないだろうか?」と今回始めて実際に現場を見た事で、今までよりもシリアスさ十割増で考えてしまう。
でも発想を変えれば僕が成美さんを怒らせなければいいだけの話なので、それはないだろうと一応自信がある僕としてはさほど気にする事でもない………という事にしておく。
「じゃ、ちょっと時間掛かっちゃったけどそろそろ行こうか」
「そうだな」
幸い人通りがなかったので白い目、具体的に言うならトイレの前で空中に話し掛けてる変な奴という目で見られる事もなく、やっとこさ身体測定の続きに歩みだす。
講堂から外に出て………そう言えば結局、大吾はどうしてあんな所に閉じこもってたんだろう? まさか成美さんと喧嘩した場所があそこだったって事はないだろうけど。
「なあ孝一」
「ん? なに?」
講堂前の階段の途中、明くんがはたと歩みを止める。そして僕も明くんが止まってから一歩進んだ所で立ち止まり、階段一段の高さ分だけ首を上に向けながら振り返った。
「大変だったみたいだけど、自分の用は済ませられたのか?」
「―――あ」
尿意って、ここまで綺麗に引っ込むものなんだなぁ。
「…………」
「いやーヤバかったな。洋式だったら多分顔突っ込んでたぜ」
「……なあ」
「ん? なんだよ?」
「やっぱりその、怒ってるか? 怪我もさせてしまったし、今更あんな事で取り乱してしまうし……こ、これでは、これでは外見どころか、中身まで子どもみたいでぇっ………」
「な、んだよテメエ自分で言って泣き出すなっての。それこそ泣き虫のガキじゃねえか」
「もう……もうそれでいい。中と外に差があるのは、辛い………」
「いきなりなんだよ。どーせさっきのアレのおかげでオマエまでへこんじまってるだけだろ? 前の時も終わったらそんな感じだったしな」
「最初から自分は子どもだと諦めておけば……少なくとも、今回のようにお前に怪我をさせる事は………」
「…………聞いてねえし。あーくそ、面倒臭え」
すっかり意識から飛び去っていたトイレの用も済ませ、講堂から一番近い検査所はどこだと見回してみれば、すぐ隣の棟の入口にそこが検査所である事の案内板が。ならばという事でさっさと中へ入る。
ちなみにその棟にも名前がついてる筈だったが、正直まだ憶えていない。開けっ放しの入口から中を見るに、小学校や中学校のようにまっすぐ廊下が伸びているだけでさほど広いとも感じなかった。高さも他の棟より二階分ほど低いみたいだし。
中に入ってみると、すぐ左手の壁に「順路」という文字と廊下に沿う方向に向いた矢印が描かれた張り紙が。廊下が一直線なので順路も何もないと思うが案内通りに少し歩くと、まず辿り着いたのは身長・体重の検査室。まだ使った事はないが、もちろん普段はただの教室なのだろう。
トイレの事件で上手い事周囲の人の流れとタイミングがずれたのか、室内は人もまばら。これなら待つ必要もなさそうだ。
そんなわけで、あっという間に検査終了。脱いだ上着を着直しつつ、気になるのは隣の方の検査結果。
「明くん、いくらだった?」
「百七十一センチに六十キロだとさ。孝一は?」
「百七十ぴったりに五十五キロ。ちょっとだけ負けたね」
「身長はそうだけど、痩せ過ぎじゃないか? ちゃんと飯食ってるのか?」
「うーん、これでも一応三食欠かさず食べてるんだけど。痩せてるって言うより、筋力不足なんだと思うよ」
筋肉は脂肪より重いってよく言うからね。まあ、脂肪もないんだけど。肉もそれなりに食べてるんだけどなあ……やっぱり、自分で作ると控えめになるんだろうか? レシピ通りに人数分しか作ってないし、食べ過ぎるって事がないからなあ。でも痩せっぽちってのもなんだか嫌だし、ちょっと筋トレでもしてみようかな?
……ま、思いついたところでどうせやりゃしないんだろうけど。家に着くまでには忘れてるかな? と自分予想をしていると、明くんが自分の調査票を眺めながら「そういや……いや、まさかな」と小さく呟いた。
「どうかした? もしかして、岩白さんの事考えてたとか?」
なぜここで彼女さんなのか。それはもちろん身長に関連してだ。小さい小さいとは思ってたけど、実際数字にするとあの人って何センチくらいなんだろうか? 僕が百七十で、その顎よりちょっと下くらいだから………百五十あるかないかくらい? うわあ。
自分で「岩白さんの事考えてたとか?」とか言っておきながら、むしろ自分が考える。しかも、
「いや、そっちじゃなくて」
外れてた。
「そっちって?」
「知り合いに凄い背の高いやつがいてな。そいつもしかしてまだ伸びてたりすんのかなーって。いくらなんでもないと思うけど」
なるほど、逆に高い人ですか。
話してる間に準備もできたので検査室を後にし、再び順路にしたがって廊下を進む。そして会話はもちろん続行。
「凄い高いって、どのくらい? 大吾より高かったりするのかな」
「大吾って、さっきの兄ちゃんか。ああ、あれより更に高いぞ」
冗談で言ったつもりだったのに、明くんあっさり肯定。
それは……失礼かもしれませんが、日本の方なのでしょうか? 大吾でも多分百八十近くあるんだし、記憶だけで断言できるほどの差となると………一センチ二センチの差じゃないよね?
「あそこまで大きいと人ごみでも頭が飛び出してるから探すのが簡単、とそいつの彼女が言ってたな。その点、孝一の言う岩白さんはすぐに人の波に飲まれて探すこっちは大変だ。……うーん、普段岩白っつうと姉のほうだからなんか違和感があるな」
ああ、お姉さんのほうとも知り合いなのか。
そう言って明くんが口の端を緩めたところでさっきの部屋からちょうど反対側、出口側の廊下の突き当たりに次の検査室に到着。張り紙によると、どうやら視力検査らしい。
「ちょっと待つなこりゃ」
「みたいだね」
入ってみれば、先程の部屋に比べて人が多い。順路に従って来たのにこの人数の差って事は、あんまり順路とか気にしてる人っていないんだろうな。こっちの部屋から先に入っても問題はなさそうだし。
二つの列の最後尾に僕と明くんは別れて並び、自分の番が来るのを待つ。その間、二列に分かれたとは言え結局横に並んだような形ではあったけど、検査中ということで口を噤んで黙っておく。それゆえに暇なのでふと検査表を眺めてみると、欄の一番下に「検尿」の文字が。そしてもちろん、その二文字を囲むようにマルがついている。
……今気付いたよ検尿があるなんて。さっきトイレ行っちゃったんだけど………まあ、頑張って捻り出そう。
そんな間抜けな事を考えてたその時、
「じゃ、次は眼鏡無しでいきますよー」
前方からそんな声が。それを受けて、「眼鏡とかコンタクトの人って、二回やらなきゃならないし面倒なんだろうな」と知り合いの眼鏡さん、清さんと岩白さんの顔を思い浮かべながら考えた。
視力が低いって、どんな感じなんだろう? 寝起きにたまになる、あの視界がぼやけてるのと同じようなものなんだろうか?
「ほれ、着いたぞ。落ち着くまで部屋で寝とけよ」
「ああ………今日は、済まなかったな」
「今日はってなんだよ。まだ昼にもなってねえのによ」
「もう、ずっと寝ておくよ。今はそういう気分なんだ」
「……そうか。なら邪魔すんのもわりいな」
「そうしてもらえると有難いよ。……じゃあ、な」
「ああ。さっさと寝てさっさと機嫌直せよな。謝られてばっかじゃ気持ちわりーんだっつの」
「善処するよ。お休み」
「………………けっ。なんなんだよアイツ。らしくねえな」
検査も終わって部屋を後にする。そして残るは検尿なのだが、その検査場があるはどうやらこの棟ではないらしく「順路」の矢印は明らかに外に向かって伸びていた。
その通りに外に出るとすぐの場所にあった他の検査場の場所が記されている看板を見て、検尿をする場所を確認。そちらへ移動しながら、再び会話が始まる。
「そう言や孝一さ、神社行ったんだろ? 花見にさ」
「あ、うん。広いし綺麗だし、いい所だったよ」
帰る直前のあの出来事さえなければ、そんな素晴らしい感想であの花見は締め括れた筈なんだけどね。はぁ。
顔には出さない、心の溜息。ゆえに明くんはなんとも思わずに話を続行。
「センの姉ちゃんに会ったか? 春菜っつうんだけど」
「うん」
あのちょっとおっかない目を思い出しながら頷くと、明君はニヤリとした笑みをこぼす。
「どんな感じだった?」
「どんな感じって……」
その笑みも相まって、質問の意図が汲み取り辛い。けども当り障りのないように答えるならば、
「礼儀正しい人って感じかなぁ。なんとなく大人っぽいって言うか」
まあお姉さんからしたらこっちはお客って事になるんだし、それが当たり前と言えば当たり前で、仕方ないと言えば仕方ないんだけど。ちなみに、目つきがどうのは省きました。なんせ当り障りのないように答えたわけですからね。
しかし、相手に特に何の感想も抱かせないような当り障りのない答えかただったにも関わらず、くっくと声を押し殺そうとしてしかも押し殺しきれずに明くんが笑う。ややあってその笑いが収まると、
「あいつが礼儀正しい大人、ね。実際は嫌なやつなんだぞ? 俺とセンの事しょっちゅうからかってくるし、口でも力でも勝てんから殆ど言われるがままだし、何より本人がそれを武器にしてくる事があるしな」
ちょっと会っただけで作り上げた人物像とは言え明くんの言う「実際」とのあまりの乖離に、もしかして他の人と間違ってるんじゃないだろうかとついつい勘繰ってしまう。が、名前をはっきり言ってた上に「センの姉ちゃん」というキーワードもあって、どう考えても間違いでない事は明白だった。
それでも気になるのは、事も無げにさらりと言い流したあの言葉。
「力でも勝てないって、どういう事?」
「ん? あ、ちょっと宜しくないところまで言っちまったかな。という事で、気にするな」
言われながら肩をぽんぽんと叩かれ、不可解ながらも一応首は縦に振る。
「うん……?」
まあ、過去に喧嘩でもして女の子って事で手心を加えてたら負けちゃったとかそういう話かな。いくらなんでも本気であの人が強いっていうのはどうも、ねえ?
いやそれ以前に明くんの話がどうしても信じられないんだけども。明くんとセンさんをからかうなんて、そんなの大吾と成美さんに対する家守さんそのまんまじゃないか。目つきの事はいいとして、あんな物腰柔らかな人がまさかあの家守さんと同タイプだなんて―――
なんてやってる間に、検査場到着。そして検査内容は省略。
いやあ、あの紙コップが温まっていく感覚がどうにもこうにも気色悪い。……もうそれだけでいいじゃないですか。
全ての検査結果が書き込まれた検査表をすっかり人気のなくなった受付に提出し、
「終わった終わった。昼飯―――にはちょっと早いし、このまま帰るか」
校舎から出てポケットから取り出した携帯で現在の時刻を確認すると、明くんはそう言った。僕も同じようにして携帯を確認すると、まだ十一時になる手前と言った時刻。
「そうだね。じゃあ、また明日」
駐輪場のほうへ向かう明くんと別れ、そんなに長くもない家路につこうとする。
あ、待てよ。ここで別れても結局出る門が同じだから、途中で追い付かれるのかな。
そう思って明くんを振り返ると、明くんもこちらを向いていた。
「なあ孝一、ちょっといいか?」
「ん? なに?」
同じ事を考えてるのかとも思ったけど、どうやら違うらしい。
「花見に行った時、賽銭入れたりしたか?」
「え? うん、みんな入れてたけど」
「そっか」
そこで話に一拍間が入る。ちょっと思案気味の明くんに、なんで急にそんな話になるのかが分からない僕は首を僅かに傾げて見せた。それを見てかどうかは分からないけど、明くんが更に話を続けだす。
「さっきさ、背の高いやつの話しただろ? 俺の知り合いの」
「うん」
「そいつの名前、持田寛(もちだひろし)って言うんだけど、孝一と一緒に花見に行った人達の中でそいつと知り合いの人っていないか?」
「え? いやー、あー、分からないなあ」
正直その人とみんなの繋がりが思いつかなくて、それはないと思った。だけどまあ、人の交友関係なんて分からないものだからね。
「でも、どうして?」
何か用事でもあるのなら伝えてあげようと思ったのだが、予想外に腕を組んで悩みだす明くん。
「あいや、『どうして』か……『どうして』なぁ………むむむ」
何を悩んでいるのか、さっぱり分からなかった。僕、変な事は訊いてないよね? 尋ねてきた理由を聞こうとしただけだし。
明くんはそのまま十秒ほど唸り続けると、何かを決心したかのような固い表情で腕組みを解いた。
「今からぶっ飛んだ話するけど、全部本当の事だからな。頭が変になったとか思わないでくれよ」
その真剣な表情に、無言で頷く。
「まず、センは人間じゃない」
「へぁ?」
ごめん、ちょっと思った。
「…………」
のっけから不信感を剥き出しにしてしまい、それを受けて明くんが停止。
「ご、ごめん」
今度は意識してしっかり口を噤む。
「ま、まあいきなり信じろってのにも無茶な話なんだけどな。でも別に秘密の話とかじゃないんだぞ? センの知り合いはみんな知ってる事だし。でだな、じゃああいつが何なのかって言うと『欲食い』ってやつなんだ。その名前の通り人の欲を食ってる。百円玉とか、金を通してな。それで、孝一達が花見に行った日の賽銭の中の欲に寛が出てきたってセンが言ってるんだよ。もちろん孝一達以外の人の賽銭もちょろちょろ入ってるから、関係ないのかもしれないけど」
それだけ一気に説明し終えると、明くんは疲れたように大きく溜息をついた。そして、最後の一言。
「どうだ?」
信じる信じないはこの際別にして、
「えーと、センさんは欲の内容が分かって、そしたら誰かのお賽銭の中にその寛って人が出てきて、つまり誰かがその寛くんをどうにかしようとしてたって事?」
その「欲食い」がどうとかはややこしいから置いといて、お金の中に寛くんの欲があったって事はそういう事になるのかな。そしてセンさんがそれを食べて……? あ、いやそこはいいのいいの。今は考察対象から外して。
―――以外に冷静なのは、幽霊と一緒に暮らしてたりするからなのかな。とここで自画自賛しておく。
「具体的には寛を探してたらしいけど」
探す、か。まあどっちにしても僕が言えるのは、
「僕じゃない……としか、言えないなあ」
これだけ。なんせその人の事を知ったのが今日初めてだしね。だから他のみんながどうなのかも分からないけど、
「帰ったらあまくに荘のみんなに訊いてみようか?」
少なくともこれくらいはしておこう。まあ、少なくともも何もこれくいしかできる事なんてなさそうだけど。
「俺も気になるし、そうしてくれると助かるよ」
「分かった。それじゃあえっと、ここで待ってるよ」
「ん? あ、そっかそうなるか」
明くんの頭の中で、お賽銭の話になる前の僕が考えていた事と同じ理屈が組み立てられた。と思う。そして明くんは、最後の検査を行った棟の裏側にある駐輪場へと入って行った。その背が壁の裏側に見えなくなるまで見送った後、僕はさっきの説明を終えた時の明くんのように大きく溜息をつく。
いやあ驚いた。そしてその上冷静に頭が回転したから、どっと疲れた。
「センさんが……ねえ」
溜息の後、駐輪場へ向かうまばらな人通りの中手近な壁にもたれると、口からついつい独り言が漏れ出した。
確かにいきなり信じろと言われて信じられる話でもない。年の割に小さい事さえ除けば、センさんはどこからどう見ても普通の女の子だ。それが「人間でない」といきなり、しかもこんな人通りもある場所で大っぴらに言われても、その話をどう捉えたものだか中々判断に困ってしまう。
……いやいやいやいや。困っちゃ駄目でしょ。いくらなんでもやっぱり信じられない――――って、さっき明くんに「みんなに訊こうか?」とか言っちゃったよ。うぅわ、完璧信じてる人の行動だよそれ。
まずい。これは明くんを変に思うどころか、僕のほうが明くんに変なやつだと思われたかもしれない。怪しい壷とかに何の疑いも抱かないまま買わされちゃうようなやつだと思われたかもしれない。どうしよう、明くんが戻ってきたら何かフォロー入れたほうがいいのかな。でももしなんとも思われてなかったらそれこそ変なような気がしないでもないし、第一あれが本当の話だとしたら―――いやだからそれは考えちゃ駄目だって冗談だって嘘だって。
明くんが戻ってきた時にどう切り出したものだか一人でうんうん唸っていると、大した考えも浮かんでないのに壁の向こうから明くんが戻ってきた。
が。
「やあ孝一くん。この間はどうも」
「おはよう。あの時はお世話になりました」
先輩方二人もお連れになっていました。それはもちろん深道さんと霧原さんの事なんですけども、
「あ、おはようございます。……えーと、霧原さん、髪型……」
「あら、憶えててくれてた? まだちょっと会っただけなのに」
確かに会ってた時間は短いものですが、それだけ変われば誰でも覚えてると思いますよ? 腰まであったのがいきなり短髪とくれば誰でも。
「せっかく伸びるようになったんだし、ちょっと思い切っちゃった。いやー頭が軽いわー。首もスッキリだしね」
その丸出しになった首にぺちんと手を当て、新しい髪形に御満悦の様子な霧原さん。
すると隣でチリチリと自転車を牽きながら、深道さんは何を思ったか小さく噴き出した。
「な、何よぉ。なんか文句あんの?」
笑われた霧原さんは笑った深道さんを睨みつけるが、恥ずかしさが隠しきれてないので残念ながら迫力は皆無。何が恥ずかしいのかは分からないけど。
すると深道さんは霧原さんに返事をする事なく僕と明くんのほうを向き、事の経緯を説明しだした。
「本当は瑠奈さん、ここまで短くする気じゃなかったんだよ。それがあっちを合わせてこっちを合わせてしてる間にここまでになっちゃって」
と、にやにやしながら。
「し、仕方ないじゃない! 自分で切るのって難しいのよ!? あんたが不器用だからあたしが自分でやるしかなかったんじゃないのよ!」
「結局失敗してるんならどっちでも同じじゃないですか」
と、にやにやしながら。
「うるっさいわね! いーわよあたしはこの髪型気に入ったから!」
「俺もいいと思いますよ? 前のも良かったですけど」
と、にやにやしながら。
「笑いながら言うんじゃないわよこの馬鹿!」
「本当はポニーテールとかしたかったんですよね~。想定より多少長くても切る前にやっちゃえばよかったんですけどね~」
と、にやにやしながら。
「う………い、いいわよまた伸びた時でもできるんだし」
「そうですね」
と、にやにやしながら。
そしてその個室の壁にはいくつもの叩き伸ばされたような血の跡が。額の血もそうだし、もしかして壁にずっと頭突きしてた?
ひえぇ。
「はなせよぉ、テメェおい。俺の事なんかさ、ほっとけばいいのによぉ」
「おお落ち着いたらずっと放しててあげるからじっとしててっててば」
想像するだけで背筋が震えるような、しかも実際にあったであろう光景に、こっちまで声が震えてしかも若干日本語が変になる。が、それはともかく大吾をどうしたらいいのか分からないので、「成美さんに聞けばなんとかなるかも」との期待を抱いて大吾をずるずる引きずったままトイレを出る事に。成美さんに聞けばと言うか、成美さん以外に頼れる人がいないんだけなんだけどね。
「えーと、その兄ちゃんも知り合いなのか? 血ぃ出てるけど……」
「大丈夫大丈夫。多分」
一般の人から見て今の僕は壁際に立ってるだけのように見えてるだろうか? 幸いトイレ内での一連の騒動中に他のトイレ利用者が来る事もなく、暴れるという言葉が果たして相応しいのかどか疑わしくなるくらいに弱々しく暴れる大吾を背中で壁に押し付けたまま成美さんに話を聞く。
「これ、どうしたら治るんですか?」
その質問に成美さんはまず、ぐすっと鼻を鳴らす。だけどもう大分落ち着いたようで、それを最後に泣いてるらしい行動は見せなかった。
「もうじき勝手に治るさ。すまなかったな迷惑かけて」
そのまま押さえつける事数分。「もういいぞ」という声とともに背中から感じる力無い抵抗が収まったので、後ろの様子を見てみる。すると、大吾は額を手で触って出血具合を確認していた。まるで病人のようだった表情も、痛みに時折歪むものの元通り。
流れた血をたまたま明くんが持ってたポケットティッシュで処理すると、
「怪我とかさせてねえよな? わりい。面目ねえ」
と、大吾は僕に軽く頭を下げた。
体に力が入らない状態で力技の自殺方法を取った事が良かったのか、それほど大事にも至らなかったようだ。
「いや、怪我もないしなんとも思ってないよ。でもできればもうこうならないように仲良くして欲しいもんだけど」
言ってて自分に帰ってきそうな言葉だったけど、二人は取り敢えず素直に聞き入れてくれたようだ。
「……悪かったよ」
「いや………こちらこそ、だな……」
そうしてお互いに謝ると、いつものおんぶ状態に移行。血と涙流れて地固まるってやつですか。あー、ツッコミは御遠慮しますよ?
はい、めでたしめでたし。
「もうなんか疲れたから帰るわオレ」
「わたしもだ」
めでたく事が収まったところで、二人はそう言ってさっさと帰ってしまいました。疲れたのはこっちだよ全く。散歩しに来て流血事件ってそんなさぁ、
「あのさ、説明とかしてもらっていいかな。俺ちんぷんかんぷんなんだが」
なんとも思ってないとさっき自分で言った割に頭の中だけでぶちぶち文句を垂れていると、まさに置いてきぼりを食らっていた明くんが話し掛けてきた。
「あ、ごめんごめん」
それから暫らくはあの二人と、その関係と、成美さんの火の玉パワーについての説明タイム。
まずはあの二人について。
「動物に好かれる体質と、元猫か……兄ちゃんのほうはともかく、哀沢さん? のはすごいな。驚いた」
と言う割にはそんなに驚いてる様子でもない。さすがに高校時代から幽霊との付き合いがある人は気概が違うね。もしかしたら、明くんもそういう一般的でない人と知り合いだったりするのかな?
次は二人の関係について。
「ふーん。霧原先輩が二人いるみたいな感じか」
あ、それだけで片付くんだ。省略したとは言え実例も交えて説明結構頑張ったのに。
最後に火の玉とその効能について。
「ああ、それでさっきの兄ちゃんあんなに疲れた顔してたのか。おっかないなその火の玉っての」
喰らったのが僕だったらと思うと、本当その通り。
「まあ滅多にこうはならないと思うけどね。僕も今日始めて見たし」
「そりゃああれがよくある事だったら大変そうだからな」
「そうだねー」
笑いを交えながら軽口っぽく返事をするが、「幽霊さん方はともかく生身の僕は本当に死んでしまうのではないだろうか?」と今回始めて実際に現場を見た事で、今までよりもシリアスさ十割増で考えてしまう。
でも発想を変えれば僕が成美さんを怒らせなければいいだけの話なので、それはないだろうと一応自信がある僕としてはさほど気にする事でもない………という事にしておく。
「じゃ、ちょっと時間掛かっちゃったけどそろそろ行こうか」
「そうだな」
幸い人通りがなかったので白い目、具体的に言うならトイレの前で空中に話し掛けてる変な奴という目で見られる事もなく、やっとこさ身体測定の続きに歩みだす。
講堂から外に出て………そう言えば結局、大吾はどうしてあんな所に閉じこもってたんだろう? まさか成美さんと喧嘩した場所があそこだったって事はないだろうけど。
「なあ孝一」
「ん? なに?」
講堂前の階段の途中、明くんがはたと歩みを止める。そして僕も明くんが止まってから一歩進んだ所で立ち止まり、階段一段の高さ分だけ首を上に向けながら振り返った。
「大変だったみたいだけど、自分の用は済ませられたのか?」
「―――あ」
尿意って、ここまで綺麗に引っ込むものなんだなぁ。
「…………」
「いやーヤバかったな。洋式だったら多分顔突っ込んでたぜ」
「……なあ」
「ん? なんだよ?」
「やっぱりその、怒ってるか? 怪我もさせてしまったし、今更あんな事で取り乱してしまうし……こ、これでは、これでは外見どころか、中身まで子どもみたいでぇっ………」
「な、んだよテメエ自分で言って泣き出すなっての。それこそ泣き虫のガキじゃねえか」
「もう……もうそれでいい。中と外に差があるのは、辛い………」
「いきなりなんだよ。どーせさっきのアレのおかげでオマエまでへこんじまってるだけだろ? 前の時も終わったらそんな感じだったしな」
「最初から自分は子どもだと諦めておけば……少なくとも、今回のようにお前に怪我をさせる事は………」
「…………聞いてねえし。あーくそ、面倒臭え」
すっかり意識から飛び去っていたトイレの用も済ませ、講堂から一番近い検査所はどこだと見回してみれば、すぐ隣の棟の入口にそこが検査所である事の案内板が。ならばという事でさっさと中へ入る。
ちなみにその棟にも名前がついてる筈だったが、正直まだ憶えていない。開けっ放しの入口から中を見るに、小学校や中学校のようにまっすぐ廊下が伸びているだけでさほど広いとも感じなかった。高さも他の棟より二階分ほど低いみたいだし。
中に入ってみると、すぐ左手の壁に「順路」という文字と廊下に沿う方向に向いた矢印が描かれた張り紙が。廊下が一直線なので順路も何もないと思うが案内通りに少し歩くと、まず辿り着いたのは身長・体重の検査室。まだ使った事はないが、もちろん普段はただの教室なのだろう。
トイレの事件で上手い事周囲の人の流れとタイミングがずれたのか、室内は人もまばら。これなら待つ必要もなさそうだ。
そんなわけで、あっという間に検査終了。脱いだ上着を着直しつつ、気になるのは隣の方の検査結果。
「明くん、いくらだった?」
「百七十一センチに六十キロだとさ。孝一は?」
「百七十ぴったりに五十五キロ。ちょっとだけ負けたね」
「身長はそうだけど、痩せ過ぎじゃないか? ちゃんと飯食ってるのか?」
「うーん、これでも一応三食欠かさず食べてるんだけど。痩せてるって言うより、筋力不足なんだと思うよ」
筋肉は脂肪より重いってよく言うからね。まあ、脂肪もないんだけど。肉もそれなりに食べてるんだけどなあ……やっぱり、自分で作ると控えめになるんだろうか? レシピ通りに人数分しか作ってないし、食べ過ぎるって事がないからなあ。でも痩せっぽちってのもなんだか嫌だし、ちょっと筋トレでもしてみようかな?
……ま、思いついたところでどうせやりゃしないんだろうけど。家に着くまでには忘れてるかな? と自分予想をしていると、明くんが自分の調査票を眺めながら「そういや……いや、まさかな」と小さく呟いた。
「どうかした? もしかして、岩白さんの事考えてたとか?」
なぜここで彼女さんなのか。それはもちろん身長に関連してだ。小さい小さいとは思ってたけど、実際数字にするとあの人って何センチくらいなんだろうか? 僕が百七十で、その顎よりちょっと下くらいだから………百五十あるかないかくらい? うわあ。
自分で「岩白さんの事考えてたとか?」とか言っておきながら、むしろ自分が考える。しかも、
「いや、そっちじゃなくて」
外れてた。
「そっちって?」
「知り合いに凄い背の高いやつがいてな。そいつもしかしてまだ伸びてたりすんのかなーって。いくらなんでもないと思うけど」
なるほど、逆に高い人ですか。
話してる間に準備もできたので検査室を後にし、再び順路にしたがって廊下を進む。そして会話はもちろん続行。
「凄い高いって、どのくらい? 大吾より高かったりするのかな」
「大吾って、さっきの兄ちゃんか。ああ、あれより更に高いぞ」
冗談で言ったつもりだったのに、明くんあっさり肯定。
それは……失礼かもしれませんが、日本の方なのでしょうか? 大吾でも多分百八十近くあるんだし、記憶だけで断言できるほどの差となると………一センチ二センチの差じゃないよね?
「あそこまで大きいと人ごみでも頭が飛び出してるから探すのが簡単、とそいつの彼女が言ってたな。その点、孝一の言う岩白さんはすぐに人の波に飲まれて探すこっちは大変だ。……うーん、普段岩白っつうと姉のほうだからなんか違和感があるな」
ああ、お姉さんのほうとも知り合いなのか。
そう言って明くんが口の端を緩めたところでさっきの部屋からちょうど反対側、出口側の廊下の突き当たりに次の検査室に到着。張り紙によると、どうやら視力検査らしい。
「ちょっと待つなこりゃ」
「みたいだね」
入ってみれば、先程の部屋に比べて人が多い。順路に従って来たのにこの人数の差って事は、あんまり順路とか気にしてる人っていないんだろうな。こっちの部屋から先に入っても問題はなさそうだし。
二つの列の最後尾に僕と明くんは別れて並び、自分の番が来るのを待つ。その間、二列に分かれたとは言え結局横に並んだような形ではあったけど、検査中ということで口を噤んで黙っておく。それゆえに暇なのでふと検査表を眺めてみると、欄の一番下に「検尿」の文字が。そしてもちろん、その二文字を囲むようにマルがついている。
……今気付いたよ検尿があるなんて。さっきトイレ行っちゃったんだけど………まあ、頑張って捻り出そう。
そんな間抜けな事を考えてたその時、
「じゃ、次は眼鏡無しでいきますよー」
前方からそんな声が。それを受けて、「眼鏡とかコンタクトの人って、二回やらなきゃならないし面倒なんだろうな」と知り合いの眼鏡さん、清さんと岩白さんの顔を思い浮かべながら考えた。
視力が低いって、どんな感じなんだろう? 寝起きにたまになる、あの視界がぼやけてるのと同じようなものなんだろうか?
「ほれ、着いたぞ。落ち着くまで部屋で寝とけよ」
「ああ………今日は、済まなかったな」
「今日はってなんだよ。まだ昼にもなってねえのによ」
「もう、ずっと寝ておくよ。今はそういう気分なんだ」
「……そうか。なら邪魔すんのもわりいな」
「そうしてもらえると有難いよ。……じゃあ、な」
「ああ。さっさと寝てさっさと機嫌直せよな。謝られてばっかじゃ気持ちわりーんだっつの」
「善処するよ。お休み」
「………………けっ。なんなんだよアイツ。らしくねえな」
検査も終わって部屋を後にする。そして残るは検尿なのだが、その検査場があるはどうやらこの棟ではないらしく「順路」の矢印は明らかに外に向かって伸びていた。
その通りに外に出るとすぐの場所にあった他の検査場の場所が記されている看板を見て、検尿をする場所を確認。そちらへ移動しながら、再び会話が始まる。
「そう言や孝一さ、神社行ったんだろ? 花見にさ」
「あ、うん。広いし綺麗だし、いい所だったよ」
帰る直前のあの出来事さえなければ、そんな素晴らしい感想であの花見は締め括れた筈なんだけどね。はぁ。
顔には出さない、心の溜息。ゆえに明くんはなんとも思わずに話を続行。
「センの姉ちゃんに会ったか? 春菜っつうんだけど」
「うん」
あのちょっとおっかない目を思い出しながら頷くと、明君はニヤリとした笑みをこぼす。
「どんな感じだった?」
「どんな感じって……」
その笑みも相まって、質問の意図が汲み取り辛い。けども当り障りのないように答えるならば、
「礼儀正しい人って感じかなぁ。なんとなく大人っぽいって言うか」
まあお姉さんからしたらこっちはお客って事になるんだし、それが当たり前と言えば当たり前で、仕方ないと言えば仕方ないんだけど。ちなみに、目つきがどうのは省きました。なんせ当り障りのないように答えたわけですからね。
しかし、相手に特に何の感想も抱かせないような当り障りのない答えかただったにも関わらず、くっくと声を押し殺そうとしてしかも押し殺しきれずに明くんが笑う。ややあってその笑いが収まると、
「あいつが礼儀正しい大人、ね。実際は嫌なやつなんだぞ? 俺とセンの事しょっちゅうからかってくるし、口でも力でも勝てんから殆ど言われるがままだし、何より本人がそれを武器にしてくる事があるしな」
ちょっと会っただけで作り上げた人物像とは言え明くんの言う「実際」とのあまりの乖離に、もしかして他の人と間違ってるんじゃないだろうかとついつい勘繰ってしまう。が、名前をはっきり言ってた上に「センの姉ちゃん」というキーワードもあって、どう考えても間違いでない事は明白だった。
それでも気になるのは、事も無げにさらりと言い流したあの言葉。
「力でも勝てないって、どういう事?」
「ん? あ、ちょっと宜しくないところまで言っちまったかな。という事で、気にするな」
言われながら肩をぽんぽんと叩かれ、不可解ながらも一応首は縦に振る。
「うん……?」
まあ、過去に喧嘩でもして女の子って事で手心を加えてたら負けちゃったとかそういう話かな。いくらなんでも本気であの人が強いっていうのはどうも、ねえ?
いやそれ以前に明くんの話がどうしても信じられないんだけども。明くんとセンさんをからかうなんて、そんなの大吾と成美さんに対する家守さんそのまんまじゃないか。目つきの事はいいとして、あんな物腰柔らかな人がまさかあの家守さんと同タイプだなんて―――
なんてやってる間に、検査場到着。そして検査内容は省略。
いやあ、あの紙コップが温まっていく感覚がどうにもこうにも気色悪い。……もうそれだけでいいじゃないですか。
全ての検査結果が書き込まれた検査表をすっかり人気のなくなった受付に提出し、
「終わった終わった。昼飯―――にはちょっと早いし、このまま帰るか」
校舎から出てポケットから取り出した携帯で現在の時刻を確認すると、明くんはそう言った。僕も同じようにして携帯を確認すると、まだ十一時になる手前と言った時刻。
「そうだね。じゃあ、また明日」
駐輪場のほうへ向かう明くんと別れ、そんなに長くもない家路につこうとする。
あ、待てよ。ここで別れても結局出る門が同じだから、途中で追い付かれるのかな。
そう思って明くんを振り返ると、明くんもこちらを向いていた。
「なあ孝一、ちょっといいか?」
「ん? なに?」
同じ事を考えてるのかとも思ったけど、どうやら違うらしい。
「花見に行った時、賽銭入れたりしたか?」
「え? うん、みんな入れてたけど」
「そっか」
そこで話に一拍間が入る。ちょっと思案気味の明くんに、なんで急にそんな話になるのかが分からない僕は首を僅かに傾げて見せた。それを見てかどうかは分からないけど、明くんが更に話を続けだす。
「さっきさ、背の高いやつの話しただろ? 俺の知り合いの」
「うん」
「そいつの名前、持田寛(もちだひろし)って言うんだけど、孝一と一緒に花見に行った人達の中でそいつと知り合いの人っていないか?」
「え? いやー、あー、分からないなあ」
正直その人とみんなの繋がりが思いつかなくて、それはないと思った。だけどまあ、人の交友関係なんて分からないものだからね。
「でも、どうして?」
何か用事でもあるのなら伝えてあげようと思ったのだが、予想外に腕を組んで悩みだす明くん。
「あいや、『どうして』か……『どうして』なぁ………むむむ」
何を悩んでいるのか、さっぱり分からなかった。僕、変な事は訊いてないよね? 尋ねてきた理由を聞こうとしただけだし。
明くんはそのまま十秒ほど唸り続けると、何かを決心したかのような固い表情で腕組みを解いた。
「今からぶっ飛んだ話するけど、全部本当の事だからな。頭が変になったとか思わないでくれよ」
その真剣な表情に、無言で頷く。
「まず、センは人間じゃない」
「へぁ?」
ごめん、ちょっと思った。
「…………」
のっけから不信感を剥き出しにしてしまい、それを受けて明くんが停止。
「ご、ごめん」
今度は意識してしっかり口を噤む。
「ま、まあいきなり信じろってのにも無茶な話なんだけどな。でも別に秘密の話とかじゃないんだぞ? センの知り合いはみんな知ってる事だし。でだな、じゃああいつが何なのかって言うと『欲食い』ってやつなんだ。その名前の通り人の欲を食ってる。百円玉とか、金を通してな。それで、孝一達が花見に行った日の賽銭の中の欲に寛が出てきたってセンが言ってるんだよ。もちろん孝一達以外の人の賽銭もちょろちょろ入ってるから、関係ないのかもしれないけど」
それだけ一気に説明し終えると、明くんは疲れたように大きく溜息をついた。そして、最後の一言。
「どうだ?」
信じる信じないはこの際別にして、
「えーと、センさんは欲の内容が分かって、そしたら誰かのお賽銭の中にその寛って人が出てきて、つまり誰かがその寛くんをどうにかしようとしてたって事?」
その「欲食い」がどうとかはややこしいから置いといて、お金の中に寛くんの欲があったって事はそういう事になるのかな。そしてセンさんがそれを食べて……? あ、いやそこはいいのいいの。今は考察対象から外して。
―――以外に冷静なのは、幽霊と一緒に暮らしてたりするからなのかな。とここで自画自賛しておく。
「具体的には寛を探してたらしいけど」
探す、か。まあどっちにしても僕が言えるのは、
「僕じゃない……としか、言えないなあ」
これだけ。なんせその人の事を知ったのが今日初めてだしね。だから他のみんながどうなのかも分からないけど、
「帰ったらあまくに荘のみんなに訊いてみようか?」
少なくともこれくらいはしておこう。まあ、少なくともも何もこれくいしかできる事なんてなさそうだけど。
「俺も気になるし、そうしてくれると助かるよ」
「分かった。それじゃあえっと、ここで待ってるよ」
「ん? あ、そっかそうなるか」
明くんの頭の中で、お賽銭の話になる前の僕が考えていた事と同じ理屈が組み立てられた。と思う。そして明くんは、最後の検査を行った棟の裏側にある駐輪場へと入って行った。その背が壁の裏側に見えなくなるまで見送った後、僕はさっきの説明を終えた時の明くんのように大きく溜息をつく。
いやあ驚いた。そしてその上冷静に頭が回転したから、どっと疲れた。
「センさんが……ねえ」
溜息の後、駐輪場へ向かうまばらな人通りの中手近な壁にもたれると、口からついつい独り言が漏れ出した。
確かにいきなり信じろと言われて信じられる話でもない。年の割に小さい事さえ除けば、センさんはどこからどう見ても普通の女の子だ。それが「人間でない」といきなり、しかもこんな人通りもある場所で大っぴらに言われても、その話をどう捉えたものだか中々判断に困ってしまう。
……いやいやいやいや。困っちゃ駄目でしょ。いくらなんでもやっぱり信じられない――――って、さっき明くんに「みんなに訊こうか?」とか言っちゃったよ。うぅわ、完璧信じてる人の行動だよそれ。
まずい。これは明くんを変に思うどころか、僕のほうが明くんに変なやつだと思われたかもしれない。怪しい壷とかに何の疑いも抱かないまま買わされちゃうようなやつだと思われたかもしれない。どうしよう、明くんが戻ってきたら何かフォロー入れたほうがいいのかな。でももしなんとも思われてなかったらそれこそ変なような気がしないでもないし、第一あれが本当の話だとしたら―――いやだからそれは考えちゃ駄目だって冗談だって嘘だって。
明くんが戻ってきた時にどう切り出したものだか一人でうんうん唸っていると、大した考えも浮かんでないのに壁の向こうから明くんが戻ってきた。
が。
「やあ孝一くん。この間はどうも」
「おはよう。あの時はお世話になりました」
先輩方二人もお連れになっていました。それはもちろん深道さんと霧原さんの事なんですけども、
「あ、おはようございます。……えーと、霧原さん、髪型……」
「あら、憶えててくれてた? まだちょっと会っただけなのに」
確かに会ってた時間は短いものですが、それだけ変われば誰でも覚えてると思いますよ? 腰まであったのがいきなり短髪とくれば誰でも。
「せっかく伸びるようになったんだし、ちょっと思い切っちゃった。いやー頭が軽いわー。首もスッキリだしね」
その丸出しになった首にぺちんと手を当て、新しい髪形に御満悦の様子な霧原さん。
すると隣でチリチリと自転車を牽きながら、深道さんは何を思ったか小さく噴き出した。
「な、何よぉ。なんか文句あんの?」
笑われた霧原さんは笑った深道さんを睨みつけるが、恥ずかしさが隠しきれてないので残念ながら迫力は皆無。何が恥ずかしいのかは分からないけど。
すると深道さんは霧原さんに返事をする事なく僕と明くんのほうを向き、事の経緯を説明しだした。
「本当は瑠奈さん、ここまで短くする気じゃなかったんだよ。それがあっちを合わせてこっちを合わせてしてる間にここまでになっちゃって」
と、にやにやしながら。
「し、仕方ないじゃない! 自分で切るのって難しいのよ!? あんたが不器用だからあたしが自分でやるしかなかったんじゃないのよ!」
「結局失敗してるんならどっちでも同じじゃないですか」
と、にやにやしながら。
「うるっさいわね! いーわよあたしはこの髪型気に入ったから!」
「俺もいいと思いますよ? 前のも良かったですけど」
と、にやにやしながら。
「笑いながら言うんじゃないわよこの馬鹿!」
「本当はポニーテールとかしたかったんですよね~。想定より多少長くても切る前にやっちゃえばよかったんですけどね~」
と、にやにやしながら。
「う………い、いいわよまた伸びた時でもできるんだし」
「そうですね」
と、にやにやしながら。
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