(有)妄想心霊屋敷

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新転地はお化け屋敷 第九章 言葉の壁 四

2007-12-13 21:09:07 | 新転地はお化け屋敷
 チューズデーさんは栞さんの膝の上で笑い続け、そんな彼女と頭真っ白な大吾の間をきょろきょろしつつもおろおろする栞さん。そんな様子を清さんがいつもの笑い声を漏らしながら楽しそうに眺め、ジョンは何が起こっているか分からないといったふうに首を傾げ、僕はそんな居間の全体像を眺めてこりゃ気の毒に、と大吾にお悔やみの言葉を頭の中だけで申し上げる。つまり、誰一人として事態を終息させる、または終息させられる人物がいないのでした。
 そうして事態が膠着し、どうしたもんかと思い始めたその時、ふすまが静かに開かれた。
「五月蝿いぞお前達。人が何を恥ずかしがろうが勝手だろうが」
 そこから聞こえたのは、公園に遊びに行って以来の、幼い声と強気な言い回しの組み合わせ。そしてそこから見えたのは、真っ白な肌と髪と服。
「お待たせー。無事完了しましたー」
 その後ろに続くスーツ姿の家守さんが言う通り――成美さんはついに、いつもの成美さんに戻っていたのでした。
「成美……」
 みんなが二人を温かい表情で迎える中、待ちに待ったであろうその姿に大吾が声を漏らす。が、成美さんはそれを一瞥すると、腕を組んでふんと鼻を鳴らし、大吾の視線を切り捨てるかのように言い放つ。
「また妙な事に気を使いおって。わたし自身だって突然猫に戻って驚いたというのに、お前が驚いたのを見てどうこう思うと思ったか?」
 恐らくは大吾が言おうとした内容を先取りし、その上煽るように、不敵な視線を送る。立ったままなのに床に座っている大吾とそれほど目線の高さが変わらないのは、いつもの事。
 ―-で、その件を知っているという事はつまり?
「ぐっ、やっぱ聞こえてたのか……な、なんでオマエ等、オレより先に言っちまうんだよ。締まんねーだろが」
 思った通り、居間側の会話が漏れていたらしい。まあチューズデーさんと同じ聴力だったんだろうし、当たり前だけどね。
 でもまあ、当時の状況をよくよく思い返してみれば。
「人のせいにするのは良くないよ、大吾。栞さんに訊かれて自分で説明してたんじゃない」
「あんだと!? そもそも孝一、テメエがあっちの部屋で何やってたか訊いてきたからあんな話になったんだろがよ!」
 ありゃそうだったっけ? てっへへ。
「まあそう怒るな。結局は自分で言うつもりだったのだろう?」
 前屈みになって詰め寄る大吾に対し、苦し紛れに自分の頭をこつんと叩いて愛嬌を振りまいていると、成美さんが割って入る。それは体全体で入って来たわけではなく言葉だけのものだったけど、大吾を止めるには充分だったらしい。
「そりゃ、そうだけど」
 ゆっくりと成美さんの方を向き、沈静化。ありがとうございます成美さん。
「なら、いいではないか。お前自身から聞こうとも、他の誰かから聞こうとも、わたしのお前に対する感想にさして影響は出やせんよ」
「そ、そうかよ……」
 それでも大吾はふてくされたように口を尖らせ、成美さんから顔を背ける。……うーむ、ここはニヤニヤすべき場面なのでしょうか? でもたった今怒られそうになったばかりだしなぁ。なんて思っていると、ここで伏兵登場。
「ねえ成美ちゃん、大吾くんに対する感想ってどんなの?」
 おお、訊いちゃいますか栞さん。
 どんな顔でどんな返事を返すんだろうかと成美さんに視線を移せば、他のみんなも同じ行動。すると成美さんは、返事までにやや間を置く。「ふむ」と顎に手を当て、つまりはどう答えるか吟味しているらしかった。そしてその間のあと、顎に当てた手を降ろすと、
「―――そうだな。『妙な早とちりをするな。わたしはそんなことで臍を曲げるような偏屈者じゃない』と言ったところか?」
 そっぽを向いたままの大吾へ、からかって楽しんでいるかのような表情でそう、言葉を投げつけた。どうやら臍を曲げていないというのは本当らしい。
「……………」
 しかし対する大吾が臍を曲げてしまったらしく、よそ見をしたままなかなか返事を返そうとしない。
「どうした? わたしは別に、お前を責めているわけではないのだぞ?」
 冗談半分な呼びかけではあった。が、それでも成美さんは大吾の想い人なのであり、その想い人から返事を促されれば、黙っているわけにはいきますまい。
「そりゃ、オマエが何とも思ってなかったんならオレの早とちりだよ。それについてはな。けど――」
「けど? 他にも何かあるのか?」
「オマエが何とも思ってなくてもな、オレが……自分がそう思っちまった事が、腹立つんだよ。だから成美」
「なん――おわっ!?」
 愚痴でも溢すかのように成美さんとの会話を進めると、大吾は突然、その会話相手へと手を伸ばし、軽々と持ち上げ、立ち上がり――
「オレを思いっきりぶっ叩け」
 お姫様抱っこの体勢で腕の中にいる成美さんへ、実にストレートにそう言い放った。
 当の成美さんに、家守さん栞さんチューズデーさんそしてジョン。みんな、きょとんとしていた。大吾がこうする事を予め知っていた筈の僕でさえ、きょとんとしていた。清さんは――後ろにいるから分からなかったけど、多分、いつも通りに笑っていたんだろう。
「なな、何を急に。何がどうなったらそういう話になってしまうのだ? わたしは何とも思っていないと、言っているではないか」
「オマエはいい。オレが納得できねえ。だから、ケジメ付けときてーんだ」
「だからどうしてそう……うぅ、今までの経験上、お前は言っても聞いてくれんのだろうな」
「そう思うならさっさとやってくれ。みんなの視線がキツ過ぎる」
「ここで言わなければ良かっただろうが馬鹿者。……くそう、意味不明だがやるしかないのか?」
「ああやるしかねーな。右でも左でもグーでもパーでも、ドンと来やがれ。あ、チョキはさすがに無しな」
「くぅ。仕方が無い、では行くぞ」
 格好良いシーンなのかそうでないのか――ああ、やっぱり格好悪いかな。目の前で展開されるそんなシーンを、その場の一同は妙な空気を携えて見守る。と言うか、どう口を挟めばいいのやら分からないです。少なくとも僕は。
 ああ、訳も分からないまま付き合わされる成美さんが可哀想で仕方がない。
 そう思っている間に、成美さんの右手が振り上げられて――あれは、パーの構えか――大吾の頬に向け、振り下ろされる。そしてインパクトの瞬間、聞いたこっちの顔が歪んでしまいそうな程の痛そうな音が部屋中に響き渡り――
 大吾の頼みは、無事、成就されました。
「だ、大丈夫か? 凄い音がしたが」
 叩いたのは自分だというのに、左手を口にあてがって大吾の顔を心配そうに覗き込む成美さん。
 ちなみに、振りぬいた右手は振りぬいたままの形で硬直中。そこだけを見ても成美さんが混乱しているのは明白でした。
「……まあ、なんともねーよ。口ん中切れたりもしてねーみてーだし」
 口をモゴモゴさせて内部の様子を確認した大吾は、平然と言い返す。が、真っ赤になった頬は、その平然さとは明らかなミスマッチだった。過程を知らずに今のこの状況だけ見れば、ただ大吾が成美さんに叩かれてふてくされてるだけに見える事だろう。
 と言ってもまあ、大吾の心境が分からない以上、本当にそうであるという可能性も捨て切れない事はないけど。
 それはともかく。
「そうか……」
 その返事を聞いた成美さん。ほう、と安堵の溜息を吐き、右手左手それぞれを下ろす。下ろした手は大吾の両肩へと掛けられるが、それからどうしたらいいのか思いつかないらしく、動きが止まる。周りのみんなもまだ動けないので、201号室はこの瞬間、静寂に包まれてしまった。
 黙り込むメンバーの顔色を窺い、首を捻り、この状況を打ち破ったのは、このお方。
「……ワフ?」
 ジョンでした。すると成美さん、びくりと背筋を伸ばし、
「あっ、な、ならもういいだろう。早く下ろせ」
 可愛らしい事にどうやら頭の中が大吾でいっぱいになっていたらしく、それ以外の声がしてやっと、羞恥心をあらわにし始める。
 でもまあ、見てるほうとしてはあんまり気になってなかったんですけどね。ジョンがキョロキョロしだすまでは、僕も大吾の頬にばかり目が行ってましたから。
「ああ。ありがとな、成美」
「叩かれておいて礼を言うな気色の悪い」
 憎まれ口を叩きながらも、両脇を抱えられて優しく床に降ろされる。頬を赤くしながら平然としている大吾に引き続き、これまたミスマッチだった。とは言え、成美さんに関しては今更ミスマッチ云々なんて気にするほうがおかしいんだけどね。全身ミスマッチの塊みたいな人だし。
「えーと、終わったのかな? なっちゃん、ちょっといい?」
 床に降ろされた成美さんが恥ずかしさを紛らわすようにどっかりとその場に座り込むと、家守さんが声を掛けた。いつもならここは軽く冷やかしを入れたりする場面の筈なんだけど、今の展開ではさすがに入れ辛かったのか、それとも用事を優先させただけなのか、とにかく話題はビンタから切り替わる。
「なんだ?」
「まだちゃんと実体化できるか、一応確認しとこうと思ってね。外から見ただけじゃ分かんないし」
「ああ、それもそうだな。問題無いとは思うが」
 ……いまいち、話についていけなかった。まだ? ちゃんと? って、どういう事なんだろう。できなくなってるかもしれないって事だろうか? だとしたら、なんで?
 近くに座っている清さんにその辺りを尋ねようとする。が、それよりも前に成美さんが立ち上がり、「それ」が起こって、質問どころじゃなくなってしまうのだった。
 いつもの実体化なら、成美さんの頭に猫耳が生えてそれだけなんだけど……
「え? ……っと、え? あれ、成美?」
「あ、哀沢、なのかね? おいおい、これはまた」
「成美ちゃ……ん? だよ、ね。どう考えても」
「……おやおや、これは大変ですねえ」
「ワウ? ……ウゥ?」
「あっちゃ~、今回もイレギュラーかぁ~」
 それを目撃した各々が各々とも困惑し――家守さんだけは、どうやら違うみたいだけど――その光景を眺める。ちなみに、今まさに清さんに話しかけようとしていた僕は、開いた口をそのままにして絶句していた。
「……へぁ? あ、あれ?」
 どなた様ですか? こちらの情けない声を上げてるスレンダーな色白猫耳美人さんは。
 ……パーツ的に考えて、やっぱりこの人は――


 なんの前触れも無く唐突に現れたその女性は、狐に摘まれた上に狸にも摘まれたような表情で、辺りをゆっくり見回す。見回された人はそれぞれ、無言。彼女から目を離せないのでみんながどんな表情してたのかは分かりませんが、まあ恐らくは彼女のそれと一緒だったんでしょう。僕がそうでしたし。
 そして彼女の移動する視線の終着点は、隣に座っている赤タンクトップの男。
「ど、怒橋お前、縮んだか?」
「いや……オマエがでかくなったんだと、思うけど」
 すぐ隣で呆然と立ち尽くすその女性から声が掛かると、同じく彼女を見上げて呆然としていた大吾が、おもむろに立ち上がる。
 すると彼女、猫耳を足せばほぼ大吾と同じ身長。それはもちろん猫耳が異様に長いってわけじゃなくて、だってそれじゃあ猫耳じゃなくてうさ耳だし、あーえーつまりは彼女、背が相当高かったのです。
「成美――なんだよな?」
「あ、ああ。わたしとしては『当然そうだ』と言いたいのだが、しかしこれは……」
 そんな会話以外の音が一切しない中、自分の身体を確かめるように、自称成美さんであるらしい女性は視線を下へと降ろす。
 ――が、何に気付いたのか、その視線はある一点に差し掛かるとぴたりと停止。そしてその顔は、みるみる驚愕の表情へと移り変わっていく。一体何に気付いたのか、と僕もその視線の先へと顔を向けようとした、まさにその瞬間。
「男ども! 回れ右ーっ!」
 家守さんの、鶴の一声。そして、
「に゛ゃあああああああああああーーーーーーっ!」
 猫の一鳴き。もとい、叫び。もしくは、悲鳴。体の丈にまるで合っていない白ワンピースのスカート部分を抑えて、女性はその場にうずくまった。その格好はさながら、限界突破の超ミニスカでありました。いや本当、突破しちゃって下着が……
 なんて思っていたら、見覚えのある青い火の玉がぼふぼふと。一気に二つですよええ。
 ――やばい。
「くあーっ! みんな部屋から出て! 早くーーーーっ!」
 そんな家守さんの二声目を聞くまでもなく、火の玉が飛び出したのを見た瞬間から、そうしなければならないのは理解できていた。
 ……けども煩悩ってのはいささか強力なものでして、目の前のセクシーショットに暫らく目を奪われていたのは否定のしようもないです。誠に遺憾ながら。
 でもそれにもやはり限界ってものがありまして、こんな所で自殺願望なんぞ持ちたくないので玄関へ向かって――猛ダッシュ!
「だいちゃん何やってんの! 急いで!」
「あ、え……す、すまねえ成美!」


 雪崩のように全員が一気にドアから飛び出し、最後尾の大吾がドアをへこましそうな勢いで元の位置に叩き付ける。と、みんながその場で崩れ落ち始めた。どうやらもう、大丈夫らしい。
「あー危なかったぁ~。……成美ちゃん、今日は踏んだり蹴ったりだね~。やっぱり、三つめ出ちゃったかなあ?」
「ワウ……」
「静かなようだし、そうだろうね。いやはや、またしても服装絡みでご機嫌斜めか。大変だな人間は」
「もー、ヒヤヒヤさせないでよだいちゃ~ん」
「わ、悪い。なんか……いや、やっぱいい」
 なんとか全員無事……って、あれ? …………あれ? 嘘でしょ?
「あのー」
 何度か辺りを見回し、嘘でも何でもなくそれが現実の事態である事を確認し、僕は、恐る恐る口を開く。外に出て、ドアを閉めて、安心し切っているみんなに向けて。
「清さん、いないんけどです」
 口にしたのはそれだけだったけど、その事が意味するのはつまり、清さんがまだ部屋の中にいるという事。当然そこまで言わなくても周囲はそれを理解し、それぞれ驚嘆の声を上げる。
 しかしそんな中で、栞さんだけが驚きを見せなかった。いつもと変わらず茶色な髪をふわりと揺らして、この混乱の原因である僕へと振り向く。
「あ、それなら大丈夫だよ。清さん、ベランダのほうに出てたから」
 なんだそうだったんですか。……と、僕だけでなく全員が大きな溜息。そしてそれが同時だったもんだから、溜息の気の抜けるような音は混ざり合って結構な音量になり、場の空気の沈静化に一役買うのでした。
「なんだ、そうだったのか……ふむ。ならば晴れて全員無事ということかね?」
 疲れたようにゆっくりと顔を上げ、チューズデーさんが改めて一同の顔を見渡す。そしてその視線が大吾に向くと、
「オマエ、音で気付かなかったのかよ? 清サンがベランダに出てくの。窓開けた時に音しただろーに」
 猫の聴力によってビンタ前の会話が成美さんに漏れていた事を引きずっているのか、当て付けのように言い放つ。チューズデーさんは自主的に耳を塞いだりしてたのにねぇ。
 しかしチューズデーさんは、そんな失礼に文句を返すでもなく、やや顔を苦くさせる。
「いや……あの時は哀沢の悲鳴で少し、頭にキーンと来ていてな……」
 言われてみれば、201号室から脱出する際、チューズデーさんにしてはもたついてたような気もする。やや千鳥足だったと言うか――まあ、飽くまで「言われてみれば」な程度の事なんだけども。
「耳が良いのも大変なんだね~」
「ワウゥ」
 栞さんとジョンがそんなチューズデーさんの慰めに取り掛かると、その光景にやや口の端を緩めていた家守さんが、すたすたと階段へ向かいだした。
「部屋に戻るんですか?」
 問い掛けてみれば、
「いやいや、せーさんが無事かどうか確認しようと思って」
 と返されるのは笑顔。――つまりは十中八九、無事って事なんだろう。
 201号室は、あまくに荘の側面に備えられた階段を上がってすぐの部屋。その部屋のベランダとなればつまり、そこからちょっと身体を乗り出せば階段を見下ろせる位置なのです。階段の屋根が二階部分の屋根の続きという構造上、障害物も無いですしね。横雨に弱そうな作りではありますが。
 まー取り敢えずそんなわけで、
「せーさーん。大丈夫ー?」
「ああ、無事ですよー。そちらはどうですかー?」
「みんなこの通りピンピンしてるよー」
 ベランダからひょこりと顔を出してこちらを見下ろす清さんと、階段を数歩分降りた所からその清さんを見上げる家守さんによる、お互いの安否確認。僕も含めた残りのメンバーは、家守さんの後ろからこんばんは。
「いやあ、意外と何とかなるものですねえ。慌ててこんな所に飛び込んだのはいいのですが、窓の隙間とかから感染ってしまうのではないかと心配だったんですよ」
 清さん、そんな今更な。安全だと分かってたわけじゃなかったんですか?
「あはは、危なかったねー。ウチってぼろだしさ、下手したら壁に穴とか……」
「んっふっふっふ、怖い事言わないでくださいよ」
 清さん、顎を弄りながらいつもの如く笑う。以前大学で発生した時の被害者、大吾の様子を省みれば、そんな笑ってられる場合じゃないと思うんですけど――でもまあ、これが清さんなんだし、もういちいちツッコむ事でもないか。……まあ多分、これからもツッコむんだろうけどね。
 なんて思っていると、
「ところで家守さん。哀沢さんのあの変わりようはやはり、ヒトダマと同じ現象ですか?」
 笑ったまま、顎を弄ったままではあるが、やや声を低くする清さん。あの変わりようっていうのはやっぱり、成美さんが突然大吾並の身長になってしまったを指しているのだろう。
 ……でも、あれがあの青い火の玉と同じって? 理解を超えた不思議現象であるという事以外、なんら共通点が見当たらないのですが。しかもそれだって、共通点と言うにはアバウトな括り過ぎますし。
「まあ、そういう事なんだろうねー。なっちゃんには申し訳無いけど、こればっかりはどうしようもないよ……」
 しかし話が分からないにしても清さんの言い分は正しいものらしく、家守さんは同意し、そして悔しそうに顔を清さんから背ける。僕が見てるのはその後ろ姿だから、表情までは見えなかったけど――見なくても大体分かるし、見なくてもいいと思う。いや、見えなくて良かった、かな?
「イレギュラー、とか言ってたっけか? アイツ、またなのかよ」
「何? それ」
 大吾が知っているようなので、訊いてみた。が、返事は足元から。
「楓君が今回のような事をすると、任意の変化以外に予測し得ない変化が起こる事があるのだよ。それを楓君はイレギュラーと呼んでいるのさ」
 それに続いて家守さんが、いつもと違って縛った後ろ髪をくるりと翻しながら振り返る。
「具体的にはね、相手の幽霊さんが望む自分のカタチを現実のカタチにしてあげられるんだよ」
 それはつまり、「ああなりたい・こうなりたい」が叶っちゃうって事だろうか? ……という事は、もしかして。
「じゃああの、成美さんが実体化するのって、成美さん自身がそうなりたいって思ったからなんですか?」
 思い出すのは、本日正午。大吾以上に大きな持田くんに、「ありがとう」と頭を下げる成美さんの様子。
 命の恩人に礼を言いたい人が実体化できるっていうのは随分と都合のいい話だなあ――とは思ってたけど、今の話なら説明がつく。
 すると家守さん、人差し指をピンと伸ばし、
「そ。人間の姿になったのも、元を正せばそのためだったしね。でもいざ『そうなる』時に、今チューズデーが言った――まあ、事故? が、たまに起きちゃうんだよ」
 言葉と首と人差し指が、かくりと折れ曲がった。
「あ、でもね、事故って言っても悪い事ばっかりじゃないの」
 すると今度は栞さん。若干慌てていらっしゃるのは、栞さんらしいと言ったところでしょうか。
「ほら、フライデーが浮かび上がれるのもそうだし、意外なところでサタデーのつるが伸びるのもそうなんだよ?」
 と聞いてその二名、セミの抜け殻さんと牙の生えた植物を思い描く。するとその言葉通り、脈絡も無くふわりと浮かび上がるフライデーさんと、普段の倍以上につるを伸ばして僕の全身をがんじがらめにしたサタデーの記憶が、いともあっさりと蘇ってくる。
「へえ、そうだったんですか」
 フライデーさんやサタデー、そして今ここにいるチューズデーさんや、他のみんな。彼らは曜日毎に姿が変わるからそれぞれ週に一回しか会えない(まあ体が違っても意識はみんなあるわけだから、表面上の話だけど)うえに、まだここに引っ越してきてから半月ちょっとなので、一人一人を考えればまだ二、三回しか顔を合わせた事がない。それでもみんなの顔が鮮明に思い出せるのは僕の記憶力のおかげ――ではなく、みんなの個性の強さがそうさせているんだろう。……道、なかなか覚えられないし。
「嬉しい誤算、というやつだろうね。わたしも挑戦してみれば良かったか」
「そんな軽い気持ちが動機じゃあ、してあげられませんよー」
「分かっているさ。冗談だよ」
 チューズデーさんと家守さんの軽い会話。そこから読み取れるのは――
 一.フライデーさんとサタデーはそれぞれ、浮かべる事とつるが伸びる事を肯定的に捉えている。
 二.動機が安っぽいものだと家守さんから拒否されてしまうらしい事。
 ――の、二つ。
 チューズデーさんも家守さんも、チューズデーさんが自分で言ったように冗談めいた話し方ではあった。でもこの二点は、冗談じゃなくて本当の事なんだろう。
 ではその点、今回の成美さんについてはどうなんだろう? 何やら背丈が一.五倍くらいになっちゃってましたけど、それについてはどう思っているんだろう? そして、「軽い気持ち」じゃないその動機とは? ……まあ動機については、よく考えるまでもなくこの男がそれなんだろうけど。
「ん? なんだよ孝一」
「あー、いやいやなんでも……」
 視線を悟られ、適当に誤魔化そうとして、ふと思う。大吾は成美さんのあの姿を、どう思ったんだろうか? 猫の姿に戻った時のような反応はしてなかったみたいだけど――
「そんでさせーさん。そこから部屋の中、見える?」
 実際に尋ねるのは、思い止まっておいた。と言うか、家守さんの言葉に割り込まれて怖気付いた、かな?
「ええ、見えてますよ。ああなってしまっては、カーテンを閉める余裕なんてないでしょうからねえ」
 言いつつも、清さんは窓を直視しようとしない。ちらりちらりとは見ているようだけど、見ている動作だけと言うか、むしろあまり見たくなさそうなような。中で一体、何が起こっているんだろうか?
「って事は、落ち込んでる真っ最中?」
「そのようですねえ。……しかし家守さん、あの格好は早く何とかしてあげたほうがいいのではないでしょうか? シャツ一枚と下着だけ着ているのとほぼ同じ状況ですよあれは」
 清さんが室内に目を向けたがらない理由が判明しました。
 そうでしたそうでした。今の成美さんは、太ももどころかその付け根――強いて言うなら下着の部分まで、丸出しになっている状況なのでした。そもそもそれが今回の火の玉の原因なんでしたよね。
 ごめんなさい成美さん。それと一応大吾も。……見えちゃいました。って言うか、見ちゃいました。
「ワウ?」
 ああ、ジョン。真っ直ぐな瞳で僕を見詰めないで。


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