「それはともかく」
一区切りがついた、ということでその台詞は言うまでもないものだったのですが、しかしそれで言わざるを得なかったのが周囲四人に笑われてしまった平岡さんの心情だったわけです。
はい、ともかく何でしょう平岡さん。
「珍しいって程でもないって言ってもらえて良かったなあっていうの、もう一つあるんですよね。こっちは個人的な話なんですけど」
「個人的ってことは、一貴さんと諸見谷さんは関係ない?」
「はい。多分、まあ、あたしだけなんだろうなっていう」
栞の確認には、苦笑いを浮かべながら曖昧な返事をする平岡さん。二人に確認はしていないということなんでしょうけど、しかしそもそも確認が必要な話というのは一体、どういうことになるんでしょうか?
自分だけなんだろうな、ということで平岡さん、一貴さんと諸見谷さんをちらちら窺いながら話し始めるには、
「どこかでちょっとくらい、人と違うことしちゃってるんだなあとか、そんなふうに思ったり思ってなかったりしてたわけで――ああ、とは言っても、得意になるばっかりでもなかったんですけどね? 逆に不安なところだってそりゃあなくはないわけですし」
とのことでした。
ふむ……。
「孝さんはどう? そういうの」
「僕? なんで?」
栞が尋ねてきました。思うところがなかったわけではありませんが、ここは敢えて何も思っていなかったふりをしてみます。すると栞は、自分を指差してにこにこしながら言いました。
「幽霊」
ですよねえ。
「なかったって断言はできないけど、自分がそう思ってるって感じたことはないかなあ。……真面目な話、引っ越し初日に気絶しちゃった件で『幽霊だから』とかそういうのを全部消費し切っちゃったんじゃないかと。あとはもう、普通の人と付き合うのと変わりないわけだし」
ないほうがおかしいと、そんなふうには思うわけです。思うわけですが振り返ってみても好きになった人、あるいは付き合い始めた人、はたまた結婚した人が「幽霊だから」と、それで気分を良くした記憶はさっぱり浮かんでこなくもあるわけです。そりゃあ一度死んでしまったということから発生したあれやこれやに対処もしてはきましたが、それについては飽くまでも栞個人が抱えていた事情であって、「幽霊だから」という話からはちょっとずれているような気もしますしね。
で、じゃあどうして僕はこうなのかと考えた時、ぱっと思い付くのはそれくらいだったのですが……。
「他の人からは見えないとか年を取らないとかご飯食べなくても大丈夫とか色々あるのに、『変わりない』で済ませちゃうんだ?」
「――あ、いや、ごめん」
「大丈夫、褒めてるんだよ」
褒められてしまいました。初めから褒め言葉であると認識できていたならこちらからも素直に喜べたところだったのでしょうが、一度ビクついてしまった後だとどうにも、そうしてしまうのは締まりが悪いというか何と言うか。
そんなわけで微笑むに微笑めないでいる微妙な表情を作っていたところ、
「そんなの気にならないほど栞さんが素敵な女性だったってことじゃないの?」
!
「あはは、それはちょっとお世辞が過ぎますよ一貴さん。ねえ孝さん?」
「…………」
「あれ?」
「…………」
「…………」
揃って黙ってしまう僕と栞でした。が、しかし、黙ってしまうに至った内情はあちらとこちらで違っていました。
その赤い顔を見れば一目で分かる通りに栞のそれは照れからくる沈黙なのですが、しかし僕についてはそうではなく、なんでそんな単純なことに気付けなかったんだという思いからなのでした。
栞が素敵な女性だというのは、そりゃもう結婚相手に選びまでした以上は否定のしようがありません。ならばそれを念頭に、改めて頭の中で栞とのこれまでをぐるぐるとリピートさせてみるわけですが――。
うーん、素敵な女性だったからこそ、ということになるのでしょうか? 栞が幽霊であることを意識した時というのは、ほぼ間違いなく先程も出てきた「栞個人の事情」が絡んでくるわけで、ならば僕としてはそれを全力で解決しに行くほかないわけです。なんせ僕にとってはそれに値する、どころか無理にでもそうしなければならないくらい重大で重要で大切な女性、ということになるわけですしね。
つまり、「幽霊の女性と付き合っている」ということについて良い気になるような余裕がなかったわけです。という言い方をするとなんだか格好悪い感じですが、しかしまあ、その女性本人が好意的に捉えてくれている部分でもあるので、それはまあ言いっこなしということにしておきましょう。
「痛いとこ突くのだけは上手いんだよねこいつ」
「ホントですよねえ」
そうして僕があれやこれや考えている間に、諸見谷さんと平岡さんが一貴さんを再度責め立て始めてしまいました。恋人でいらっしゃる以上は「だけ」ということもないのでしょうが、という突っ込みどころもなくはないのですがしかし、
「え? 痛いところなの今の?」
当の一貴さんが仰る通り、真っ先に持ってくるべきはそこなのでしょう。僕にとって栞が素敵な女性に過ぎたから幽霊だなんだということを気にする暇がなかった、なんて話は、一般的に考えれば「痛いところ」というよりは「くすぐったいところ」なんでしょうしね。
なんでしょうが、しかし。
「まあ、はは、多少はそんな感じでもありますね」
結局は痛いところなのでした。結果的にそれが問題になったことはありませんでしたし、それどころかついさっき栞が褒めてくれたということもあって、痛いところではあっても悪いところではないわけですけどね。
それにここで悪いところ扱いしたら、それこそ栞に怒られてしまいますし。いつもの悪い癖が出た、という。
……ただまあ、そうは言ってもやはり、少しくらい気にしても良さそうなことを気にすることができなかった、という話にもなるわけです。
「とはいえ人の痛いところをこっちからほじくりにはいかないけど――」
ありがとうございます平岡さん。ご自身や諸見谷さん一貴さんはともかく、うちのお嫁さんはそれくらい平気でしてきますしね。やめてね栞。
「そんで、どっから来たんだろうね? あたしと日向くんのこの差って。人と違う状況にあたしはすっかり浮かれちゃって、でも日向くんはそうじゃなかったってことだけど」
知ってか知らずか栞にストップを掛けてくれた平岡さんは、小首を傾げながらそんなふうに。すっかり、というほど顕著なものだったわけでもない気はしますが、まあ今それは重要な点ではないのでしょう。
男女一対一の恋愛ではない、という平岡さん。
恋愛の相手が幽霊だった、という僕。
平岡さんのそれは僕の状況も内包していて、ならばそもそも「人と違う状況」の度合いが平岡さんの方が上なんじゃあ――とも思いましたが、でも自分が幽霊なのと相手が幽霊なのとじゃあ話が別か、ということで、それはともかくとしておいて。
ともかくとしておいて……うーん、なんでなんでしょうね? 引き続き「栞が素敵な女性だったから」という点を挙げるとしても、そんなことを言ったら一貴さんだって素敵な男性なんでしょうし。いや僕が言うのはどうかという話かもしれませんが。
で、となると他に何か――。
「それは簡単ですよ」
断言したのは、誰あろう栞その人。マジですか。
「自分では言い難いですけど、まあ、孝さんが浮かれなかった理由っていうのがさっき言ったあんな感じだったじゃないですか?」
そう、栞が素敵な女性だったからです。もとい、貴女が素敵な女性だったからです。で、それから?
「でももう一つ考えられるんですよね、そんなこと気にしてられなかった理由って」
「もう一つ。何ですかそれって」
僕の話ということで僕だってそりゃあ気にはなるわけですが、しかしそれ以上に平岡さんの方が興味を惹かれてらっしゃるようなのでした。そりゃあ間接的にはご自身にも関わってくる話である以上そうなってもおかしなことではないんでしょうけど、しかしなんでしょう、この時点でもうなんか恥ずかしいんですけど。
しかしこちらのそんな胸中を考慮してくれる栞ではありません。というか、そもそもこちらを見ていません。で、そうしてこちらに何の配慮もしないまま回答するには、
「それまで誰かと付き合ったりした経験が皆無だったからです」
「あ、そっか。栞さんが初めての彼女だったんだっけ、日向くんって」
皆無とはこれまたえらく強調してくれたもんですが、認めないわけにはいきますまい。片想いを恋愛経験として挙げるなどという自爆行為に打って出るわけにはいきませんし、なんだったらこうして結婚するにまで至ったその初めての彼女とだって、まだ付き合い始めてからの期間は短いと言わざるを得ないわけですしね。
「あら、そんなこと言ったらともだってあたしが初めての彼氏じゃないの」
「そりゃそうだけど、結構長いこと付き合ってたわけじゃん? それにまあ、一回離れ離れになったことを考えたら、同じ人と二回付き合ったって言えなくもないわけだし。その二回目からの話なんだしね、特別な状況がどうのっていうのは」
言えなくもない、ということはつまり、無理をしない限りはそんなふうには言わないということでもあります。ということは更につまり、平岡さんは離れ離れになっている間もずっと一貴さんを想い続けていたということなのでしょう。――し、一方の一貴さんも同じく平岡さんを想い続けていたということもまた、以前本人の口から聞いたことがあります。それを受け入れたうえで自分への告白を強要する、という諸見谷さんの豪胆エピソードとして。
「それにしても、なるほどね。素敵な女性だってのに加えてしかもそれが初めての彼女じゃあ、余裕なんてもんはそりゃなくなっちゃうか」
改めて三人が三人とも凄い人だよなあ、なんて思っていたところ、そのうちの一人である諸見谷さんからそんなお言葉が。ぬう、そりゃあそうなのかもしれませんが。
「素敵かどうかはともかく、初めてのってところはお互い様だった筈なんですけどね」
じろりと嫌味ったらしい視線を送ってみても、栞はにこにこしているばかりなのでした。
「これだけ聞いちゃうと今更って感じだけど、じゃあ、お幸せにね」
「あはは、今の時点で充分幸せそうだもんね」
「いや、日向くんに限れば栞さんと付き合い始めた時点でもう最高潮だったんじゃないかね。ここまでの話からして」
去り際にまで弄り回されてしまう僕だったのですが、しかし去り際だったことが幸いして、それについてのコメントは自動的に避けられる形になったのでした。
しかしまだそうして弄る余地があるというのなら何故急に去ることにしたのか、なんて、こちらを振り返り軽く手を振ったりしながらも一歩一歩離れていく一貴さん達を見送りつつそんなふうに思っていたのですが、
「褒め過ぎだよね」
呟くようにそう言った栞は、笑顔のままなのでした。
「褒め殺しだよね」
笑顔のまま、しかし口以外は不自然なほど微動だにしないままでもあったのでした。小さめの声とはいえ明らかに僕に話しかけてきているというのに、こちらを向いてすらいません。
なるほど、一貴さん達は栞のこの様子を察して話を切り上げたわけですね。さっきの流れだとどうしても、僕の話をすればするだけ栞がこんな感じになっちゃうわけですし――と、あれ? でも。
「でもそんなこと言ってる割に栞、自分も一緒になって僕のこと貶めてたけど」
「その後孝さんも言ったでしょ? 初めて付き合った相手なのはお互い様だって。話の流れに逆らわないよう孝さんを貶めつつ、でも自分も一緒に貶めるっていう案だったんだけど……」
貶める、などというキツめな言葉をわざと用いてみたわけですがしかし、栞は何のためらいもなくそれを復唱してくるのでした。となるとその「自分も一緒に」というのは、本気も本気だったのでしょう。
しかし、よくもまあそんな回りくどい手段を思い付いてかつ実効までしちゃったもので。
「でも、それで取り返す前に話自体が終わっちゃって」
「そこはまあ別にいいんじゃないの? 褒め殺しが終わったって意味でならどっちでも同じことなんだし」
「そうなんだけど、そこまでしておいて不完全燃焼で終わっちゃったっていうね?」
「そこまで行くともう完全に別の話だから我慢しなさい」
「はーい」
といったところで、さて。こう何度も遮られているといっそ忘れそうになってしまいますが、今僕達は挨拶回りの最中なわけです。もちろん、遮られていると言ってもその遮ってきている人達がその挨拶をする相手なわけで、ならば「挨拶回り」のうち遮られているのは「回り」の部分だけではあるわけですが。そしてこれまたもちろん、それだとなんら問題が発生しているわけではないということにもなるわけですが。
「行きますか」
「言わずもがな」
僕だけでなく栞も同様ということで、何処へ何をしに、などと尋ねられるようなことなどもはや起こりようもなく。
というわけで、ついに行動する時が来ました。一貴さん達に呼び止められる前に元いたテーブルから一つ隣のこのテーブルへ移動していたわけですが、そんな僕達が目指したのは更にもう一つ隣のテーブルで席に着いていた同森さんと音無さんです。
いえ、いいのです。今回は自分達の方から相手方へと足を運べたわけで、ならば細かい突っ込みどころなど無視してなんら問題はないのです。移動距離が前回と同じだとか、その相手方が明らかに僕達を待っていただとか、そんなこと。
「すまんかったのう日向君」
いきなり謝られてしまいました。
「そ、そろそろ……わたしも、謝ったほうがいい立場ってことになるのかな……?」
謝るかどうか悩まれてもしまいました。
なんのことだというのはしかし、尋ねるまでもありません。
「いえ、あれで割と真面目な話でしたから」
「あはは、聞こえは良くなかったですよねやっぱり」
周囲に知らしめようと言わんばかりの大声だったわけではないにしても、逆に周囲に知られないようにしようと言わんばかりの小声だったわけでもなく――最初はその筈だったのですが――なのでこのお二人のようにこちらの様子を窺い、つまりはこちらの会話に耳を傾けていたのなら、充分に聞き取れる会話ではあったわけです。何がって、女性の胸がどうのこうのって話が。
「その聞こえが良くなかった話を聞いていた限り、諸見谷さんと平岡さんがある程度抑え付けてくれるらしいですからな。おかげ様で、これまでに比べればちょっとは気が楽ですわい」
そう言って軽く笑ってみせてくる同森さんだったのですが、しかしそれは逆に言って、「抑えめであればいくら話してもいいというお墨付きを与えてしまった」ということにもなってしまう気がしないでもない――とはいえ、やはり同森さんの立場からそういう発想にはなかなか至らないようでした。
そんな同森さんは、続けて「それに」とも。
「ワシが止めに入るとどうしても、二次被害が発生してしまいますんで……」
はて何のことやら、と思ったのもほんの一瞬の間だけ。同森さんの視線の先にいるのが音無さんであることを確認したその瞬間、
『ああ……』
と、夫婦揃って心中お察し申し上げることになったのでした。
「あー……ええと、あはは……」
そうして三人の視線を集めることになった音無さんは、そりゃあもう苦笑いを浮かべるしかないのでした。身に覚えがあるんでしょうね、この様子だと。と言いつつ、様子以外のところから判断するなら、身に覚えがあるどころの話ではないと断言できてもしまうわけですが。
と、さて、そんな感じに四人が四人とも口を開き辛くなったところで、
「しかしまあ、結婚式ですな」
と、同森さん。言われるまでもなく結婚式なわけですが、ありがとうございます。
「このタイミングだと本来これを訊くべきなのは大吾達なんでしょうが、どうですかな。この後すぐに自分達の式を控えているというのは、どういった心境で?」
おお。
なんか、挨拶回り四組目にして初めてそれっぽい展開のような。
「それが、ここまでに色々あり過ぎてこっちが驚くくらい冷静というか平静というか」
「すまんのう、重ね重ね」
別に一貴さん達のことだけを言ったつもりではありませんでしたし、それにあちらもそれは分かっているんでしょうけど、それでもやっぱり頭を下げてくる同森さんなのでした。
で、そうなるとそれに続いて音無さんからも、
「すいません、一貴さんが……」
と。自分も謝ったほうがいい立場なんだろうか、なんて言ってましたもんね。さっき。ただまあさっきの場合一貴さんはその話を切り出しただけで、実際それを引っ張っていたのは諸見谷さんと平岡さんということになるわけですが――なんてことをしつこく考えていたところ、しかしそこで栞が放った一言は、それとはまるで別のものなのでした。
「お兄さんのことを音無さんが謝るっていうのはやっぱり、義理の、がつくほうのお義兄さんってことなんですか?」
いやそれは――ん? そういうことだったんだろうか? 立場がどうのの話って。
と、不意を打たれてしまったのでついつい真面目に考えてもしまうわけですが、しかし当然といえば当然ながら、栞は口調も表情も冗談を口にする時のそれなのでした。
というわけで、音無さんから返ってくるのもそれらと同様。
「あはは……そこまでのことでは、ないんですけどね……。お兄さんっていうよりは、お兄ちゃん、ですかね……? 哲くんはさすがに、もうそんな感じでもないんですけど……」
「ワシの話挟まんでも分かってくれるじゃろそこは」
恋人のお兄さん、ではなくて、幼馴染のお兄ちゃん。一貴さんはもちろん同森さんだって音無さんからすれば一つ年上なわけで、ならば少し前まではそちらについても一貴さんと同様に、という話。
三人が幼馴染だというのは僕も栞も以前から知っていたわけで、ならば同森さんが仰る通り、一貴さんの話だけでも理解はできたわけですが――でもまあ、そこまで言ってもらえたほうが聞く側としては。……いや、どうとは言いませんけどね?
といったところで音無さん、いつもの通り顔のパーツで唯一見えている口をにっこりと微笑ませ、それを苦い顔の同森さんへの返事とします。が、そちらへはそれだけにしておいて僕達の方を向き直って言うには、
「でも、そうですよね……いつになるかは分かりませんけど、いつかは一貴さんがわたしの……」
「なんじゃ気が早いのう、お前もうちの親連中にあてられ始めたか?」
それが意味しているのはもちろん結婚なわけで、ならば即座に突っ込む同森さんでしたが、気が早い、だけで済ませられてしまう時点で随分と一般的な反応とは違っているわけです。お気付きなんでしょうか、その辺り。
「そんなことない……ん? そうなのかな……?」
「おいおい、結果が同じでも流されるのは勘弁じゃぞ」
結果が同じでも、ということで、どうやらお気付きだったようでした。――というかお気付きどころの話ではないようで、
「大変そうですね、歓迎されてるっていうのもそれはそれで」
栞のそんな言葉に、同森さんは苦い笑みを浮かべてみせるのでした。
「気を付けてないと、自分の考えと周りの考えがごっちゃになってしまいますからな。今みたいに言いはしましたが、ワシだって静音と同じようなことになり掛けたことは何度もありますし」
「あ、哲くんもだったんだ……?」
ぱっと表情を、もとい口元を明るくさせる音無さんでしたが、同森さんは引き続き苦い顔のまま、「安心するところじゃないわい」と。
「止める人間がおらんのじゃぞ、二人同時にそうなったら」
「ん……ん、そうだね……。気を付けるようにするよ、わたしも……」
きゅっと表情を、もとい口元を引き締める音無さんでした。周りが歓迎ムード過ぎて困る、とだけ言うと冗談半分かいっそ自虐風の自慢に聞こえたりしないでもないのですが、しかしこの様子だととてもそんな装いではなさそうです。
「抵抗、って言ったら変ですけど、将来一緒になることについてはじゃあ、お二人ともう受け入れられる感じなんですか?」
「そこはまあ、そうですな」
さすがにやや照れ臭そうではありましたが、栞の質問に同森さんは首を縦に振ります。次いで音無さんも「だよね……」と、同じくやや照れ臭そうにしながらも。
しかし音無さん、そこで話が終わりということでもないようで。
「小さい頃から……というか産まれた時から、同森さんとは家族同然の付き合いだったから……親にも言われたんですよね……『兄妹みたいな人とちゃんと付き合える?』って……」
「なんじゃそっちもか。どっちも焚き付けてくる割には心配しいというか――いやまあ、親としてはやっぱりそういうことにもなるんじゃろうけどな」
同森さんが口を挟んだところで、今度は苦くない笑みを向け合う二人なのでした。有難迷惑、というだけでもないんでしょうね、やっぱり。
「それがなかったら、もっと早く『お兄ちゃんとして』以外の意味でも好きになってたんでしょうし……じゃあやっぱり、わたしもどこかそういう感覚を持ってはいたんでしょうけど……でも」
「行き着くところはまた家族なんじゃよな、結局」
「ね……」
という遣り取りからして、二人で話し合ったことがある、ということなのでしょう。なるほど、だったらもう一緒になることに抵抗も何もあったものではなさそうです。……なんて、僕が軽々しく断定していいようなことでもないんでしょうけどね。
といったところで同森さん、大元の質問者である栞を向き直ってから音無さんの話を引き継ぎます。
「普通は赤の他人同士から始まって、それが間に友達同士を挟んだり挟まなかったりしながら恋人同士になって、最後に結婚して家族になるわけですが、ワシらの場合は家族と家族の間に恋人期間がちょっとだけあるようなもんですからな。それをすぐ消化し終えてしまうというのも勿体無いですし、引き延ばせるだけ引き延ばすつもりですわい」
「あ、それいいですね。素敵です、恋人期間が勿体無いって」
耳が痛い、という話ではないのでしょうが、少なくとも僕と栞にとってそれはまるで存在しなかった感覚なのでした。もちろんのこと恋人同士でいた時期が大切かつ重大なものだったというのは僕と栞にしたってそうですし、そういう意味でなら「勿体無い」と言うこともできなくはないのですが、期間とか時間とか、そういう意味でのものではなかったというか。実際にはこうして、可能な限り早くそれを消化してしまったわけですしね。
「ふふ……栞さんと日向さんみたいな感じに憧れるっていうのも、実はちょっとあったりするんですけどね……」
「情熱的と言うかなんというか、のう。物凄い速度で仲を進展させていったわけじゃし」
……そ、そういう表現をされるとかなりお恥ずかしいところではあるんですけどね? 情熱的って――やあん。
「いや日向君、これくらいのことでそこまで照れんでも。結婚式にまで漕ぎ着けておいて」
「なんか……普通に可愛いですね……」
一区切りがついた、ということでその台詞は言うまでもないものだったのですが、しかしそれで言わざるを得なかったのが周囲四人に笑われてしまった平岡さんの心情だったわけです。
はい、ともかく何でしょう平岡さん。
「珍しいって程でもないって言ってもらえて良かったなあっていうの、もう一つあるんですよね。こっちは個人的な話なんですけど」
「個人的ってことは、一貴さんと諸見谷さんは関係ない?」
「はい。多分、まあ、あたしだけなんだろうなっていう」
栞の確認には、苦笑いを浮かべながら曖昧な返事をする平岡さん。二人に確認はしていないということなんでしょうけど、しかしそもそも確認が必要な話というのは一体、どういうことになるんでしょうか?
自分だけなんだろうな、ということで平岡さん、一貴さんと諸見谷さんをちらちら窺いながら話し始めるには、
「どこかでちょっとくらい、人と違うことしちゃってるんだなあとか、そんなふうに思ったり思ってなかったりしてたわけで――ああ、とは言っても、得意になるばっかりでもなかったんですけどね? 逆に不安なところだってそりゃあなくはないわけですし」
とのことでした。
ふむ……。
「孝さんはどう? そういうの」
「僕? なんで?」
栞が尋ねてきました。思うところがなかったわけではありませんが、ここは敢えて何も思っていなかったふりをしてみます。すると栞は、自分を指差してにこにこしながら言いました。
「幽霊」
ですよねえ。
「なかったって断言はできないけど、自分がそう思ってるって感じたことはないかなあ。……真面目な話、引っ越し初日に気絶しちゃった件で『幽霊だから』とかそういうのを全部消費し切っちゃったんじゃないかと。あとはもう、普通の人と付き合うのと変わりないわけだし」
ないほうがおかしいと、そんなふうには思うわけです。思うわけですが振り返ってみても好きになった人、あるいは付き合い始めた人、はたまた結婚した人が「幽霊だから」と、それで気分を良くした記憶はさっぱり浮かんでこなくもあるわけです。そりゃあ一度死んでしまったということから発生したあれやこれやに対処もしてはきましたが、それについては飽くまでも栞個人が抱えていた事情であって、「幽霊だから」という話からはちょっとずれているような気もしますしね。
で、じゃあどうして僕はこうなのかと考えた時、ぱっと思い付くのはそれくらいだったのですが……。
「他の人からは見えないとか年を取らないとかご飯食べなくても大丈夫とか色々あるのに、『変わりない』で済ませちゃうんだ?」
「――あ、いや、ごめん」
「大丈夫、褒めてるんだよ」
褒められてしまいました。初めから褒め言葉であると認識できていたならこちらからも素直に喜べたところだったのでしょうが、一度ビクついてしまった後だとどうにも、そうしてしまうのは締まりが悪いというか何と言うか。
そんなわけで微笑むに微笑めないでいる微妙な表情を作っていたところ、
「そんなの気にならないほど栞さんが素敵な女性だったってことじゃないの?」
!
「あはは、それはちょっとお世辞が過ぎますよ一貴さん。ねえ孝さん?」
「…………」
「あれ?」
「…………」
「…………」
揃って黙ってしまう僕と栞でした。が、しかし、黙ってしまうに至った内情はあちらとこちらで違っていました。
その赤い顔を見れば一目で分かる通りに栞のそれは照れからくる沈黙なのですが、しかし僕についてはそうではなく、なんでそんな単純なことに気付けなかったんだという思いからなのでした。
栞が素敵な女性だというのは、そりゃもう結婚相手に選びまでした以上は否定のしようがありません。ならばそれを念頭に、改めて頭の中で栞とのこれまでをぐるぐるとリピートさせてみるわけですが――。
うーん、素敵な女性だったからこそ、ということになるのでしょうか? 栞が幽霊であることを意識した時というのは、ほぼ間違いなく先程も出てきた「栞個人の事情」が絡んでくるわけで、ならば僕としてはそれを全力で解決しに行くほかないわけです。なんせ僕にとってはそれに値する、どころか無理にでもそうしなければならないくらい重大で重要で大切な女性、ということになるわけですしね。
つまり、「幽霊の女性と付き合っている」ということについて良い気になるような余裕がなかったわけです。という言い方をするとなんだか格好悪い感じですが、しかしまあ、その女性本人が好意的に捉えてくれている部分でもあるので、それはまあ言いっこなしということにしておきましょう。
「痛いとこ突くのだけは上手いんだよねこいつ」
「ホントですよねえ」
そうして僕があれやこれや考えている間に、諸見谷さんと平岡さんが一貴さんを再度責め立て始めてしまいました。恋人でいらっしゃる以上は「だけ」ということもないのでしょうが、という突っ込みどころもなくはないのですがしかし、
「え? 痛いところなの今の?」
当の一貴さんが仰る通り、真っ先に持ってくるべきはそこなのでしょう。僕にとって栞が素敵な女性に過ぎたから幽霊だなんだということを気にする暇がなかった、なんて話は、一般的に考えれば「痛いところ」というよりは「くすぐったいところ」なんでしょうしね。
なんでしょうが、しかし。
「まあ、はは、多少はそんな感じでもありますね」
結局は痛いところなのでした。結果的にそれが問題になったことはありませんでしたし、それどころかついさっき栞が褒めてくれたということもあって、痛いところではあっても悪いところではないわけですけどね。
それにここで悪いところ扱いしたら、それこそ栞に怒られてしまいますし。いつもの悪い癖が出た、という。
……ただまあ、そうは言ってもやはり、少しくらい気にしても良さそうなことを気にすることができなかった、という話にもなるわけです。
「とはいえ人の痛いところをこっちからほじくりにはいかないけど――」
ありがとうございます平岡さん。ご自身や諸見谷さん一貴さんはともかく、うちのお嫁さんはそれくらい平気でしてきますしね。やめてね栞。
「そんで、どっから来たんだろうね? あたしと日向くんのこの差って。人と違う状況にあたしはすっかり浮かれちゃって、でも日向くんはそうじゃなかったってことだけど」
知ってか知らずか栞にストップを掛けてくれた平岡さんは、小首を傾げながらそんなふうに。すっかり、というほど顕著なものだったわけでもない気はしますが、まあ今それは重要な点ではないのでしょう。
男女一対一の恋愛ではない、という平岡さん。
恋愛の相手が幽霊だった、という僕。
平岡さんのそれは僕の状況も内包していて、ならばそもそも「人と違う状況」の度合いが平岡さんの方が上なんじゃあ――とも思いましたが、でも自分が幽霊なのと相手が幽霊なのとじゃあ話が別か、ということで、それはともかくとしておいて。
ともかくとしておいて……うーん、なんでなんでしょうね? 引き続き「栞が素敵な女性だったから」という点を挙げるとしても、そんなことを言ったら一貴さんだって素敵な男性なんでしょうし。いや僕が言うのはどうかという話かもしれませんが。
で、となると他に何か――。
「それは簡単ですよ」
断言したのは、誰あろう栞その人。マジですか。
「自分では言い難いですけど、まあ、孝さんが浮かれなかった理由っていうのがさっき言ったあんな感じだったじゃないですか?」
そう、栞が素敵な女性だったからです。もとい、貴女が素敵な女性だったからです。で、それから?
「でももう一つ考えられるんですよね、そんなこと気にしてられなかった理由って」
「もう一つ。何ですかそれって」
僕の話ということで僕だってそりゃあ気にはなるわけですが、しかしそれ以上に平岡さんの方が興味を惹かれてらっしゃるようなのでした。そりゃあ間接的にはご自身にも関わってくる話である以上そうなってもおかしなことではないんでしょうけど、しかしなんでしょう、この時点でもうなんか恥ずかしいんですけど。
しかしこちらのそんな胸中を考慮してくれる栞ではありません。というか、そもそもこちらを見ていません。で、そうしてこちらに何の配慮もしないまま回答するには、
「それまで誰かと付き合ったりした経験が皆無だったからです」
「あ、そっか。栞さんが初めての彼女だったんだっけ、日向くんって」
皆無とはこれまたえらく強調してくれたもんですが、認めないわけにはいきますまい。片想いを恋愛経験として挙げるなどという自爆行為に打って出るわけにはいきませんし、なんだったらこうして結婚するにまで至ったその初めての彼女とだって、まだ付き合い始めてからの期間は短いと言わざるを得ないわけですしね。
「あら、そんなこと言ったらともだってあたしが初めての彼氏じゃないの」
「そりゃそうだけど、結構長いこと付き合ってたわけじゃん? それにまあ、一回離れ離れになったことを考えたら、同じ人と二回付き合ったって言えなくもないわけだし。その二回目からの話なんだしね、特別な状況がどうのっていうのは」
言えなくもない、ということはつまり、無理をしない限りはそんなふうには言わないということでもあります。ということは更につまり、平岡さんは離れ離れになっている間もずっと一貴さんを想い続けていたということなのでしょう。――し、一方の一貴さんも同じく平岡さんを想い続けていたということもまた、以前本人の口から聞いたことがあります。それを受け入れたうえで自分への告白を強要する、という諸見谷さんの豪胆エピソードとして。
「それにしても、なるほどね。素敵な女性だってのに加えてしかもそれが初めての彼女じゃあ、余裕なんてもんはそりゃなくなっちゃうか」
改めて三人が三人とも凄い人だよなあ、なんて思っていたところ、そのうちの一人である諸見谷さんからそんなお言葉が。ぬう、そりゃあそうなのかもしれませんが。
「素敵かどうかはともかく、初めてのってところはお互い様だった筈なんですけどね」
じろりと嫌味ったらしい視線を送ってみても、栞はにこにこしているばかりなのでした。
「これだけ聞いちゃうと今更って感じだけど、じゃあ、お幸せにね」
「あはは、今の時点で充分幸せそうだもんね」
「いや、日向くんに限れば栞さんと付き合い始めた時点でもう最高潮だったんじゃないかね。ここまでの話からして」
去り際にまで弄り回されてしまう僕だったのですが、しかし去り際だったことが幸いして、それについてのコメントは自動的に避けられる形になったのでした。
しかしまだそうして弄る余地があるというのなら何故急に去ることにしたのか、なんて、こちらを振り返り軽く手を振ったりしながらも一歩一歩離れていく一貴さん達を見送りつつそんなふうに思っていたのですが、
「褒め過ぎだよね」
呟くようにそう言った栞は、笑顔のままなのでした。
「褒め殺しだよね」
笑顔のまま、しかし口以外は不自然なほど微動だにしないままでもあったのでした。小さめの声とはいえ明らかに僕に話しかけてきているというのに、こちらを向いてすらいません。
なるほど、一貴さん達は栞のこの様子を察して話を切り上げたわけですね。さっきの流れだとどうしても、僕の話をすればするだけ栞がこんな感じになっちゃうわけですし――と、あれ? でも。
「でもそんなこと言ってる割に栞、自分も一緒になって僕のこと貶めてたけど」
「その後孝さんも言ったでしょ? 初めて付き合った相手なのはお互い様だって。話の流れに逆らわないよう孝さんを貶めつつ、でも自分も一緒に貶めるっていう案だったんだけど……」
貶める、などというキツめな言葉をわざと用いてみたわけですがしかし、栞は何のためらいもなくそれを復唱してくるのでした。となるとその「自分も一緒に」というのは、本気も本気だったのでしょう。
しかし、よくもまあそんな回りくどい手段を思い付いてかつ実効までしちゃったもので。
「でも、それで取り返す前に話自体が終わっちゃって」
「そこはまあ別にいいんじゃないの? 褒め殺しが終わったって意味でならどっちでも同じことなんだし」
「そうなんだけど、そこまでしておいて不完全燃焼で終わっちゃったっていうね?」
「そこまで行くともう完全に別の話だから我慢しなさい」
「はーい」
といったところで、さて。こう何度も遮られているといっそ忘れそうになってしまいますが、今僕達は挨拶回りの最中なわけです。もちろん、遮られていると言ってもその遮ってきている人達がその挨拶をする相手なわけで、ならば「挨拶回り」のうち遮られているのは「回り」の部分だけではあるわけですが。そしてこれまたもちろん、それだとなんら問題が発生しているわけではないということにもなるわけですが。
「行きますか」
「言わずもがな」
僕だけでなく栞も同様ということで、何処へ何をしに、などと尋ねられるようなことなどもはや起こりようもなく。
というわけで、ついに行動する時が来ました。一貴さん達に呼び止められる前に元いたテーブルから一つ隣のこのテーブルへ移動していたわけですが、そんな僕達が目指したのは更にもう一つ隣のテーブルで席に着いていた同森さんと音無さんです。
いえ、いいのです。今回は自分達の方から相手方へと足を運べたわけで、ならば細かい突っ込みどころなど無視してなんら問題はないのです。移動距離が前回と同じだとか、その相手方が明らかに僕達を待っていただとか、そんなこと。
「すまんかったのう日向君」
いきなり謝られてしまいました。
「そ、そろそろ……わたしも、謝ったほうがいい立場ってことになるのかな……?」
謝るかどうか悩まれてもしまいました。
なんのことだというのはしかし、尋ねるまでもありません。
「いえ、あれで割と真面目な話でしたから」
「あはは、聞こえは良くなかったですよねやっぱり」
周囲に知らしめようと言わんばかりの大声だったわけではないにしても、逆に周囲に知られないようにしようと言わんばかりの小声だったわけでもなく――最初はその筈だったのですが――なのでこのお二人のようにこちらの様子を窺い、つまりはこちらの会話に耳を傾けていたのなら、充分に聞き取れる会話ではあったわけです。何がって、女性の胸がどうのこうのって話が。
「その聞こえが良くなかった話を聞いていた限り、諸見谷さんと平岡さんがある程度抑え付けてくれるらしいですからな。おかげ様で、これまでに比べればちょっとは気が楽ですわい」
そう言って軽く笑ってみせてくる同森さんだったのですが、しかしそれは逆に言って、「抑えめであればいくら話してもいいというお墨付きを与えてしまった」ということにもなってしまう気がしないでもない――とはいえ、やはり同森さんの立場からそういう発想にはなかなか至らないようでした。
そんな同森さんは、続けて「それに」とも。
「ワシが止めに入るとどうしても、二次被害が発生してしまいますんで……」
はて何のことやら、と思ったのもほんの一瞬の間だけ。同森さんの視線の先にいるのが音無さんであることを確認したその瞬間、
『ああ……』
と、夫婦揃って心中お察し申し上げることになったのでした。
「あー……ええと、あはは……」
そうして三人の視線を集めることになった音無さんは、そりゃあもう苦笑いを浮かべるしかないのでした。身に覚えがあるんでしょうね、この様子だと。と言いつつ、様子以外のところから判断するなら、身に覚えがあるどころの話ではないと断言できてもしまうわけですが。
と、さて、そんな感じに四人が四人とも口を開き辛くなったところで、
「しかしまあ、結婚式ですな」
と、同森さん。言われるまでもなく結婚式なわけですが、ありがとうございます。
「このタイミングだと本来これを訊くべきなのは大吾達なんでしょうが、どうですかな。この後すぐに自分達の式を控えているというのは、どういった心境で?」
おお。
なんか、挨拶回り四組目にして初めてそれっぽい展開のような。
「それが、ここまでに色々あり過ぎてこっちが驚くくらい冷静というか平静というか」
「すまんのう、重ね重ね」
別に一貴さん達のことだけを言ったつもりではありませんでしたし、それにあちらもそれは分かっているんでしょうけど、それでもやっぱり頭を下げてくる同森さんなのでした。
で、そうなるとそれに続いて音無さんからも、
「すいません、一貴さんが……」
と。自分も謝ったほうがいい立場なんだろうか、なんて言ってましたもんね。さっき。ただまあさっきの場合一貴さんはその話を切り出しただけで、実際それを引っ張っていたのは諸見谷さんと平岡さんということになるわけですが――なんてことをしつこく考えていたところ、しかしそこで栞が放った一言は、それとはまるで別のものなのでした。
「お兄さんのことを音無さんが謝るっていうのはやっぱり、義理の、がつくほうのお義兄さんってことなんですか?」
いやそれは――ん? そういうことだったんだろうか? 立場がどうのの話って。
と、不意を打たれてしまったのでついつい真面目に考えてもしまうわけですが、しかし当然といえば当然ながら、栞は口調も表情も冗談を口にする時のそれなのでした。
というわけで、音無さんから返ってくるのもそれらと同様。
「あはは……そこまでのことでは、ないんですけどね……。お兄さんっていうよりは、お兄ちゃん、ですかね……? 哲くんはさすがに、もうそんな感じでもないんですけど……」
「ワシの話挟まんでも分かってくれるじゃろそこは」
恋人のお兄さん、ではなくて、幼馴染のお兄ちゃん。一貴さんはもちろん同森さんだって音無さんからすれば一つ年上なわけで、ならば少し前まではそちらについても一貴さんと同様に、という話。
三人が幼馴染だというのは僕も栞も以前から知っていたわけで、ならば同森さんが仰る通り、一貴さんの話だけでも理解はできたわけですが――でもまあ、そこまで言ってもらえたほうが聞く側としては。……いや、どうとは言いませんけどね?
といったところで音無さん、いつもの通り顔のパーツで唯一見えている口をにっこりと微笑ませ、それを苦い顔の同森さんへの返事とします。が、そちらへはそれだけにしておいて僕達の方を向き直って言うには、
「でも、そうですよね……いつになるかは分かりませんけど、いつかは一貴さんがわたしの……」
「なんじゃ気が早いのう、お前もうちの親連中にあてられ始めたか?」
それが意味しているのはもちろん結婚なわけで、ならば即座に突っ込む同森さんでしたが、気が早い、だけで済ませられてしまう時点で随分と一般的な反応とは違っているわけです。お気付きなんでしょうか、その辺り。
「そんなことない……ん? そうなのかな……?」
「おいおい、結果が同じでも流されるのは勘弁じゃぞ」
結果が同じでも、ということで、どうやらお気付きだったようでした。――というかお気付きどころの話ではないようで、
「大変そうですね、歓迎されてるっていうのもそれはそれで」
栞のそんな言葉に、同森さんは苦い笑みを浮かべてみせるのでした。
「気を付けてないと、自分の考えと周りの考えがごっちゃになってしまいますからな。今みたいに言いはしましたが、ワシだって静音と同じようなことになり掛けたことは何度もありますし」
「あ、哲くんもだったんだ……?」
ぱっと表情を、もとい口元を明るくさせる音無さんでしたが、同森さんは引き続き苦い顔のまま、「安心するところじゃないわい」と。
「止める人間がおらんのじゃぞ、二人同時にそうなったら」
「ん……ん、そうだね……。気を付けるようにするよ、わたしも……」
きゅっと表情を、もとい口元を引き締める音無さんでした。周りが歓迎ムード過ぎて困る、とだけ言うと冗談半分かいっそ自虐風の自慢に聞こえたりしないでもないのですが、しかしこの様子だととてもそんな装いではなさそうです。
「抵抗、って言ったら変ですけど、将来一緒になることについてはじゃあ、お二人ともう受け入れられる感じなんですか?」
「そこはまあ、そうですな」
さすがにやや照れ臭そうではありましたが、栞の質問に同森さんは首を縦に振ります。次いで音無さんも「だよね……」と、同じくやや照れ臭そうにしながらも。
しかし音無さん、そこで話が終わりということでもないようで。
「小さい頃から……というか産まれた時から、同森さんとは家族同然の付き合いだったから……親にも言われたんですよね……『兄妹みたいな人とちゃんと付き合える?』って……」
「なんじゃそっちもか。どっちも焚き付けてくる割には心配しいというか――いやまあ、親としてはやっぱりそういうことにもなるんじゃろうけどな」
同森さんが口を挟んだところで、今度は苦くない笑みを向け合う二人なのでした。有難迷惑、というだけでもないんでしょうね、やっぱり。
「それがなかったら、もっと早く『お兄ちゃんとして』以外の意味でも好きになってたんでしょうし……じゃあやっぱり、わたしもどこかそういう感覚を持ってはいたんでしょうけど……でも」
「行き着くところはまた家族なんじゃよな、結局」
「ね……」
という遣り取りからして、二人で話し合ったことがある、ということなのでしょう。なるほど、だったらもう一緒になることに抵抗も何もあったものではなさそうです。……なんて、僕が軽々しく断定していいようなことでもないんでしょうけどね。
といったところで同森さん、大元の質問者である栞を向き直ってから音無さんの話を引き継ぎます。
「普通は赤の他人同士から始まって、それが間に友達同士を挟んだり挟まなかったりしながら恋人同士になって、最後に結婚して家族になるわけですが、ワシらの場合は家族と家族の間に恋人期間がちょっとだけあるようなもんですからな。それをすぐ消化し終えてしまうというのも勿体無いですし、引き延ばせるだけ引き延ばすつもりですわい」
「あ、それいいですね。素敵です、恋人期間が勿体無いって」
耳が痛い、という話ではないのでしょうが、少なくとも僕と栞にとってそれはまるで存在しなかった感覚なのでした。もちろんのこと恋人同士でいた時期が大切かつ重大なものだったというのは僕と栞にしたってそうですし、そういう意味でなら「勿体無い」と言うこともできなくはないのですが、期間とか時間とか、そういう意味でのものではなかったというか。実際にはこうして、可能な限り早くそれを消化してしまったわけですしね。
「ふふ……栞さんと日向さんみたいな感じに憧れるっていうのも、実はちょっとあったりするんですけどね……」
「情熱的と言うかなんというか、のう。物凄い速度で仲を進展させていったわけじゃし」
……そ、そういう表現をされるとかなりお恥ずかしいところではあるんですけどね? 情熱的って――やあん。
「いや日向君、これくらいのことでそこまで照れんでも。結婚式にまで漕ぎ着けておいて」
「なんか……普通に可愛いですね……」
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