(有)妄想心霊屋敷

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新転地はお化け屋敷 第十七章 ふつうなひとたち 一

2008-08-05 21:01:11 | 新転地はお化け屋敷
「木曜日は午後もなんだっけ?」
「ですね。しかも途中に空き無しです」
 住人が一人増えてますます賑やかになりそうなあまくに荘。……はともかくとして、その一人増えた日から一夜が経過した木曜日。まだ最初の一つめが始まったばかりですが早速、木曜日恒例四連続講義に辟易です。おはようございます、204号室住人日向孝一です。
「俺は午前だけだけどな。そしてもう既に眠い」
 講義が始まったばかりだとは言ったけどそれはまだ講義開始のチャイムが鳴ったばかりという意味であって、まだ先生も到着してません。だからこそこうして大っぴらに会話できるわけですが、それにしても毎度毎度よく寝るなあ明くん。まだ寝てないけど。
「たまには起こさずに寝かせてあげようか?」
「勘弁してくれ」
 体が溶け出したかのようにだらーりと机に突っ伏した明くんは、「……いや、毎回悪いとは思ってるんだけどな」と顎を机につけたままかつ前を向いたままで申し訳無さそうに。顎が固定されている分頭がカクカクと上下してその動きがなんとなく面白かったので、なんとなく不問にしておく。
 それにしても、本人は寝るつもりがなさそうなのになんでここまで眠くなるんでしょうね? なんて思っていると、明くんは体を引き上げてこっちを向いた。
「でも一限から四限までずっとって言っても、昼飯は自分の家で食うんだろ? それならまだマシなんだと思うぞ。昼休みったって五十分もあるんだし」
 あっさりと話題が変わったけど、不問としたんだからとやかくは言いますまい。
 ――確かに、仰る通り。一時間近い休みを自宅で過ごせるというのはかなり恵まれているのかもしれない。大学で適当に歩き回ったりどこかに座って時間を潰すよりは自分の部屋で寝転がってたほうが、そりゃあ身体は休まるだろうし。
「つってもまあ、ここでもそんなに変わらんか? だって――」
 納得しようとしたところへ、どうしてだかそんな事を言い出す明くん。そして僅かに動かしたその視線の先には、
「え、あの……?」
 僕と明くんの間に座る栞さん。突然見詰められ、困惑した様子でした。
「大学でまで彼女さんと一緒だもんなあ? それで『講義しんどい』とか言ってたらバチ当たるぞ」
「一見もっともそうな意見だけど、実はそれとこれって全く関係無くない?」
 例えば栞さんにノートの書き写しを手伝ってもらったとかそういう話ならまだ分かるけど、隣にいるだけじゃねえ? 気分的な問題って言うなら、そりゃあ影響はあるだろうけどさ。
「日永さんはどうなんですか? もしここに岩白さんがいたら、眠気も飛んじゃったり?」
 我ながら無粋と言えなくもない切り返しに続いて、栞さんが乗りのいい切り返し。まるで僕の発言なんて無かったかのようです。となってから初めて、気のない返事をした事をちょっと後悔。
 後悔終了。
 さて。岩白さんというのは明くんの彼女であって、頭の先が僕の顎よりも下という低身長に代表されるように中学生にしか見えない幼い体付き――でありながらも明くんと同い年、つまり僕とも同い年な女性の事です。そう何度も会ったわけじゃないけど、なんとも印象に残る人なのでした。体付きの事はもちろん、やけに長い後ろ髪の端をリボンで纏めているというあまり見かける事のない髪形の事もあって。
「いやあ……あいつがもし大学に来たら、しかももし俺が出る講義について来たりしたら、眠気どうこう以前に絶対寝るわけにはいかなくなりますよ。何しでかすか分かったもんじゃない」
 こちらからすれば非常に可愛らしい女の子で、それに加えて僕は男なもんで、彼女の事を思い出すだけでやや頬が緩む。男の性と言うやつでしょうか? そうでもない?
 まあそれはそれとして、しかし明くんは半分嬉しそうな半分ご遠慮したそうな、中途半端な微笑みを栞さんに向ける。
 そんな明くんに対して栞さん、端から端まで全部楽しそうな表情。
「楽しそうですね」
「うーん、そこが否定できないのが俺最大の弱みなんですよね」
 苦笑いを浮かべたとは言え、それはそれで関係は良好らしかった。
 ――そう言えば明くん、さっきまで眠たげだったのにね。


「なんとか眠らずに済んだか……ぐああ」
 開始のチャイムが鳴ってからきっかり九十分後。終了のチャイムが鳴ると、誰も何もしていないのに一人グロッキー状態な明くん。ぐああって何。
「おめでとうございます」
 そして普通に褒め称える栞さん。褒めるような事じゃないでしょうと突っ込みを入れるのはこの場合、やはり御法度だろうか。
 ――それにしても。大学始まった頃はおっかなびっくりだったのに、今では人ごみの中で栞さんと会話するのも段々何とも思わなくなってきたなあ。なんて、ぞろぞろと部屋から出て行く人達を最後列の席から眺めながら、しみじみ。
「ありがとうございます……うぬう」
 もうはっきりと視界の中心に捉えなくても「揺れてる人がいる」と気付けるぐらいにぐらんぐらんと上半身を前後させ、頭を定位置に定められない明くん。こんな状態なら当然意識も朦朧としているんだろう。言われて嬉しいとは考え難いお褒めの言葉に、素直に礼を返して頭を下げる。いや、頭のほうは揺れたのがたまたまそう見えただけかもしれないけど。うぬうって何。
「眠らずに済んだのって、最初に岩白さんの話したからだったりしてね。あの間だけ眠気が飛んでたみたいだし」
「はは、さすがのあいつも話に出てきただけじゃあこの程度かぁあ」
 頭の揺れに合わせて語尾を間延びさせる明くん、あんまり筋が通ってるとは言いにくいけど、どうやら岩白さんに対して勝ち誇っているようだ。言い分から推測するに、眠気が完全に飛んでいたら岩白さんの勝ち、というルールらしい。なんともはや。
「でもさあ、見てる限りじゃあいっそ寝たほうがいいと思えるくらいなんだけど。二限大丈夫?」
 今日の時間割は、僕が四限までで明くんが二限まで。とは言え、二限は別々の講義を取っているので起こしてあげられないのです。と言うかここまでくるとそれ以前に、体調管理的な意味でも心配なのです。
「なに、こちとらもう生まれてこの方十八年間この体質でやってきたんだ。その点は心配いらんぞ……うおっ、とと」
 心配いらんと言ってる傍から、誰かに押されたわけでもないのに体勢を崩して椅子から落下しそうになる。ますます心配だった。
「……………」
 さすがに恥ずかしかったのか、口は塞いだままなものの若干気まずい空気を発散し始める明くん。おもむろに立ち上がる。
「じゃあ、まあ、行くわ。残り三限、頑張れな」
「そっちも残り一限、頑張ってね」
 僕も同じくこの部屋を出なきゃならないんだけど、追いすがって部屋を出るのは明くんに気の毒だろう。という事で、座ったままお見送り。
「行ってらっしゃい、日永さん」
「行ってきます、喜坂さん。と言って、帰ってはきませんけどね」
 軽く冗談を交えながらお別れ。そういう返しができるって事は頭がある程度回っているという事で、まあ、多分大丈夫だろう。少なくとも次の教室に辿り着く前に倒れる事はないだろうという意味で、だけど。
「それで、孝一くんは行かなくていいの?」
「いえいえ、当然行かなくちゃですよ」
 さあ、次を頑張ればいったん家に帰って休憩できる。というわけで気合を入れましょう。……まあ、休憩のために頑張るっていうのも妙な話なんですけどね。
 ちなみに木曜日は二限目も広い部屋なので、僕だけじゃなく栞さんも来る事になるんですけどね。いや、来いと強制してるわけでもないんですけど。


 さてさて、それから約一時間半後。その頑張りタイムが終わりを迎えて教室から人が流れ出さんとしている中、
「ところで、いつも思うんですけど」
 ノートやら配布資料やらなんかをのんびりと片付けながらのんびりと質問。とは言え、他の人から見た場合の「話し相手」である明くんが今はいないので、隅の席に座っているとは言えやや声は落とす。
「何?」
「いや、いつも思うと言うよりもう訊いた事あると思うんですけど、講義聴いてて面白いのかなって」
「面白いよ」
 なんとまあ気持ちいいくらいに即答。訊く前から分かっていたとは言え、もし今立ってたら膝からガクンといってたかもしれない。いってなくても自発的にそうしたかもしれない。
 そりゃあ、自分で志望した大学の自分で選んだ講義なんだから、面白いと思う部分もあるにはある。全くもってつまらないとは言わないし、親の援助で学生をやっているという立場上、言いたくても言えないだろう。だけどそれは僕の話であって、栞さんはそうじゃないんだし。
「暇な時はここに紛れ込めば良かったんだねー。あまくに荘に住み始めてから四年になるけど、全然思い付かなかったよこれは」
「そりゃそうでしょうね」
 別に幽霊でなくても簡単に紛れ込める大学という場所。ここがもし誰にとっても面白い場所なら、毎日人がごった返してる事だろう。しかし実際にはそうでもないところを見るに、こう言っちゃなんですけど、やっぱり栞さんが変なんじゃないでしょうかね?
「――あ。そんな事より、ここでぼーっとしてたら休み時間もったいなくない?」
「当然、もったいないです」


 そんなわけで、いつも通りさっさと徒歩五分の距離にある我が家へ到着――ではなく、二限の講義を受けていた校舎から出て校門を目指し始めた通路上。
「あ……こんにちは……」
 顔はその大部分が見えない。でも、と言うかだからこそ、この人が誰なのか分かる。鼻が隠れるところまで前髪を伸ばしている人なんて僕は他に知らないし、僕が知らない人達の中にもこんな髪形の人は滅多にいない事だろう。それに加えて春も中頃なこの時期にコートを着込んでいるとなると、もう冗談じゃなく他に例が無いんじゃないだろうか?
「こんにちは、音無さん」
 現れたのは音無静音さん。高校の時に同じクラスになった事があり、と言って特別親しい間柄でもなかったのにそれが偶然同じ大学に進み、頭の先から爪先までほぼ黒一色というかなり個性的な風貌を携えながらも本人は控えめという、言ってみればまあ、変わった女性です。
 高校時代は普通だったんだけどなあ。服装は制服だからもちろんとして、髪形も。しかも相当可愛かった……と、ここまで話を進めるのは止めておこう。なんたって今隣に立ってる人が、だし。
「帰るところ……ですか……?」
「あ、はい。午後も講義はあるんですけど、家がすぐそこなんで。そっちは今来たところですか?」
「はい……そうです」
 正門の側からやってくる音無さん。その向かっている方向を見れば、来たばかりだというのは大体見当が付く。そしてそれはあちらにしても同じようで、予定調和のような会話は滞りなくあっさりと終了。
 しかし。
「あれ、でも来るの早くないですか? まだ二限終わったところですけど」
 今来たという事は、三限から講義に出るんだろう。だけど今まさに僕達が家に帰ろうとしているように、今は五十分の昼休みに入ったばかり。三限の開始までは随分と時間があるわけです。
「あ……えっと……他のみんなと、すぐそこのお店でお昼を一緒に食べるって話になってて……。それで、待ち合わせ場所がここなんです……」
 大学があるからなのかこの辺りにはファーストフード店やら小さなお食事処やらがぽつぽつと点在していて、なので「すぐそこのお店」というのがそのどれを指すのかは分からない。いや、もしかしたらその内のどの店かまではまだ決めてなかったりするのかも。
 しかし一方、その「みんな」というのが誰の事なのかは、まあ訊かなくても分かる。分かる人達だからこそ音無さんも「みんな」の一単語で済ませたんだろうしね。
「あ、孝一くん。前前」
 隣から声。それは当然栞さんが発したものなんだけど、音無さんの耳には届かない。それどころか、栞さんの存在すら音無さんには感知できない。なので返事を返す事無く、僕はその栞さんの指が指し示す方向を見る。
 音無さんより更に向こうから、一人の人物が明らかにこちらを視界の中央に捉えて歩いてきていた。
「おう、日向君も一緒とは。なんじゃ音無、もしかして誘ったとかかの?」
 昨日会ったお爺さん、そしてそれに合わせてお婆さんの姿をも連想させる、その年季を感じさせる口調。ただし本人は別に年寄りというわけでもなく。
「あ……哲郎さん……」
 後ろを振り向いた音無さんの声は上方修正気味。つまり、ぱっと明るくなる。
 という事で、音無さんの言う「他のみんな」の一人であり一つ上の先輩である同森哲郎さんが御到着。音無さんがこれまで通りにコート姿であるのに対して、こちらはこれまで通りに上は半袖白シャツ下はジャージで、ジャージの上着部分は腰に巻きつけて袖を結んである。二人とも一体全体、その格好に何かこだわりとかがあったりするのかそうでもないのか。
「いえ、たまたま今会っただけで……あ、でも……もし日向さんがよければ……」
 最近知り合ったばかりの僕としてはまだ威圧感すら感じられる同森さんの筋肉質な肉体(の割に身長は僕よりちょっと低いかもしれないくらいだけど)を前にして、音無さんは動じない。それもその筈、この二人は幼馴染なんだそうです。知ったのはついこの間ですけど。――なんて解説してる状況じゃないな。
 これはまた、急な話で。
「ワシらは一行に構わないんじゃが、どうじゃろうかの」
「……いいんですか? まだ全員揃ってないのにそう言っちゃって」
「かはは。文句を言うとしたら口宮じゃが、あいつの文句は全部異原に潰されるのが落ちじゃからな」
 あるんじゃないですか文句。――というのはまあ冗談での話としまして。
 異原さんと口宮さん。これまたお二人とも一つ上の先輩にあたる人物なのですが、この両名が集まれば音無さんの言う「他のみんな」が全員揃った事になるんだと思う。多分。
「あー……」
 別に気乗りしないというわけじゃないけどなんとなく即決がしづらく、明後日の方向へ目を泳がせ適当な唸り声を上げて考える時間を稼ぐ。
 するとその明後日の方向の先から、
「行かせてもらったら? 面白そうだし」
 との事。つまり僕は隣の栞さんの方を見たわけで、だけど正面の音無さん同森さんにとってはやっぱり明後日の方向なわけです。だってそこに誰がいるわけでも何があるわけでもないんだし。
「えーと、じゃあお邪魔させていただいて――」
「あら。あらあら、誰かと思ったら日向くんじゃない。どうも首筋がピリピリすると思ったら」
 僕にとってだけ存在している人からの後押しにより決断を下し始めたその時、今度は僕の後ろから声が。
「ああん? なんで兄ちゃんがいんだよ?」
 そしてもう一つ。ちなみに、この声の主は僕の弟というわけではないです。むしろ年上です。
「初っ端から絡んでんじゃないわよ感じ悪いのよ。同じ大学の学生なんだから学内で会ったっておかしな話じゃないでしょうが」
 残りの二人、御到着。
「あの、お邪魔させてもらってます」
 たった今突っ込みを入れた、前髪を後ろに流しておでこ丸出しの女性、異原さん。そしてたった今突っ込みを入れられた、髪を金に染めながらもつむじの辺りだけは黒いままというプリン頭の男性、口宮さん。異原さんはともかく、口宮さんが普通に怖いのは僕の感覚が妙なのでしょうか。そうでないと思いたい。
「こいつの事は気にしないでくれていいからね。――それで日向くん、何か言い掛けてたわよね? ついつい邪魔しちゃったみたいなんだけど、何の話だったかしら? ごめんなさいね邪魔しちゃって」
 ちなみにおで子さんこと異原さん。他のお三方に同じく栞さんは見えていませんが、なんと霊感があるそうです。近くに幽霊がいるとそれを感知でき、始めに言っていた「首がピリピリする」というのはそれの事なんだそうで。と言っても、御本人は幽霊の存在を承知してはいないようですけどね。
「あ、えっと、音無さんと同森さんからこの後の食事にお呼ばれしまして。それで――」
「来てくれる……ん、ですよね……?」
 まあそうなんですけど音無さん、なんでそう不安そうなんでしょうか。まあ「普段からこんな感じだ」という事なのかもしれませんが。
 不安そうな面持ちにこっちまで不安になってしまうけど、来るかどうかを心配されているとなるとそれはそれで悪い気もしない。なんて思っていると、
「……ん? おいおい、待て待て」
 聞くだけで何を言われるのかと不安になってしまう声が隣から。
「何よ、まだ文句あんの? いいじゃない人が一人増えたって別に。なんならあんたが抜けて数合わせる?」
 そして心強くはあるものの、言い過ぎなんじゃないだろうかと思わざるを得ない声がそのまた隣から。なので、
「んな話してんじゃねえよ! ったく……」
 こんな感じに声が荒くなるのも分からないではない。とは言え、進んで聞きたいとも思わないけどねやっぱり。音無さんもあわあわしてるし。あ、でも同森さんは笑ってるな。
 ……まあそれはいいとして、では「そんな話」じゃないならどんな話なんでしょうか?
「兄ちゃん家って確かすぐそこだろ? んでその兄ちゃんが参加するってんなら、兄ちゃん家に食いもん持ち込んで食えばいいんじゃねえのか? ……って話だったんだよ!」
 乗り突っ込みってこんな感じだよね、と想起せずにはいられないイントネーションで吠える口宮さん。最後だけは迫力満点だけど、むしろそのせいで余計に間の抜けた雰囲気に。
「ぷふっ」
 ……ああ、栞さん。笑っても気付かれないからって本当に笑わなくても。
「え……日向さんの家に……ですか……?」
 ただ、僕と栞さん以外の方にとっては笑うところではなかったらしい。顔のパーツの中で唯一視認可能な口元に僅かな困惑の色を乗せた音無さんに引き続き、
「また突拍子もない話じゃな。お前はそういう話しかせんが」
「頭おかしいでしょあんた。今更確認する事でもないかもしれないけど」
 酷い話だ。
「ぶっちゃけ店で食うのが嫌いだから避けようとしてるだけだ。避難先にいいかと思ったんだよ兄ちゃん家は」
 ……酷い話だ。
 さて、それに対する各々の反応は?
「これまた意味分かんないわね理解不能だわね。家で食べるより外のほうが美味しいじゃないの」
 む?
「じゃな。そもそも外の店で食べるのが主目的なんじゃし、日向君にも悪いじゃろ?」
 むむ?
「……日向さんの家って……確か、あまくに荘っていう所ですよね……? あそこって確か……」
 むむむ!
「いえ、僕は構いませんよ」
 そう言ってから、自分がそう言ったんだと気付く僕。つまり、「思わず口にしていた」というやつです。だって、そりゃあ店で食べたら美味しいでしょうけど、家で食べる食事だって美味しいじゃないですか。候補に上がったら総叩きだなんてあんまりじゃないですか。あと音無さん、まあ、言いたい事は分かるんですけどね。
「いやいや、いいのよ日向くん。この馬鹿の言う事なんて気にしなくても」
「んだよ、本人がいいっつってんならいいじゃねえか別に」
 ちょっと言葉は悪いけど口宮さんの言う通り。僕は気を遣ったとかじゃなくて本当にそれでも構わない――いやいっそ、来て頂きたいと思う所存なのです。ムキになってるだけっていうのはそりゃ、自覚してますけど。
 さて、こちらの二人はこんな反応。ではもう一方は?
「音無。お前今、何を言い掛けたんかの?」
「え……いや、その……」
 同森さんは音無さんが言おうとした内容について見当が付かないらしく、何の裏もなくただ純粋な疑問から、その詳細を聞き出そうとしているようだった。
「あうう……」
 前髪の向こうでは、彼女の目はちらちらとこちらを窺っていたりするんだろうか。基本的には会話相手である同森さんのほうを向いているものの、しかし気にしてみればほんの少しだけ、その体の角度がこちら側へずれているように見えなくもなかった。
 でもそれが気のせいであるにしろないにしろ、音無さんが困ってしまっているのは疑いようもない。
「ああ、なんだかうちのアパート、ご近所さんからお化け屋敷って呼ばれてるみたいで。その事なんじゃないですか?」
 時間を掛けたうえに結局申し訳無さそうに言われるくらいだったら、こっちから先に言っちゃいます。どうせそう呼ばれる事自体は何とも思ってないですし。
「……そう言えば、そんな話もあったかの?」
 耳にしてもまだおぼろげなようで、腕を組んで考え込むような仕草をみせる同森さん。……しかしまあなんと言うか、ただでさえ逞しい腕二本が上下に組み合わさるともう、見せ付けてるようにすら思える。自分ののっぺりとした腕と見比べると、触ってみたいという感情にすら。
「ご……ごめんなさい……」
「いえいえ、なんとも思ってませんから。実際のところは交通の便もいいし、大家さんはいい人だし、いい所だと思いますよ?」
 交通の便と言っても大学との距離の話だけだし、大家さんはいい人と言っても、それ以外の人もみんないい人ですけどね。
 するとここで、
「だよね」
 と予期しない方向から相槌が。と言って、この場であまくに荘の住み心地について意見が出せるのは僕を除けば一人しかいないわけで。だから誰かまでは言うまでもないもののしかし、手を握られているのは一体どういう?
 ……ああ、返事の代わりって事なのかな。この場で「ここにいないはずの人」に返事するわけにもいかないし。
「――で、もしうちに来ると言うなら歓迎しますよ。と言っても残り四十分そこらじゃ大したおもてなしもできませんけどね」
 なので残念ながら、手料理で出迎えるのは無理そうだ。
 栞さんへの返事の代わりにその手を握り返しながら、と言っても端から見れば中途半端に手を丸めただけでしかない僕は、意外と本気で悔しかったりするのでした。プロの料理人じゃなくてもそれなりに美味しいものは作れると実践でもって伝えたかったんだけどなあ。くそう、良い機会だというのに。
「うーん、そこまで言われちゃうと断われないわね」
「じゃあまあ、お邪魔させてもらうって事でいいかの?」
「俺最初っからそう言ってるだろ」
「お前には訊いとらんわい」
 言い出したのが口宮さんなんだからそりゃそうだけど、やっぱり酷い話だ。
「で、それでいいかの? 女子二人」
「あたしはそれでいいわよ。発案者がこいつだって事以外は異論無しだわね」
「わたし……も、大丈夫です……」
 女子二名、頷く。ただし、「それでいい」と「大丈夫」じゃあ結構意味合いが変わってくる。やっぱり怖いんですかね、お化け屋敷。そりゃそうか。
「ふむ。じゃあ日向君、こういう事なんで、お邪魔させてもらって宜しいかの?」
「どうぞどうぞ」
 話が纏まり、しかしこれで家に向かえるわけではない。
「じゃあ次は何を買って持っていくかだけど」
 お客様方は食べるものをこれから買いに行くわけで。
 さて、そんな異原さんの問題提起へ真っ先に反応を示したのは口宮さん。
「俺チーズバーガーとポテトな。――あ、やっぱチーズバーガーじゃなくてダブルチーズバーガーで」
「……なんでまず初めにあるのが『誰かに買いに行かせる』って発想なのかしらね。あたし『何を買うか』としか言ってないわよ? 誰が買うかなんて一言も言ってないわよ?」
「だってそりゃあ、全員で行くより一人が纏めて買ったほうが早いじゃねえか。残りは兄ちゃんの家に直行できんだし」
 どことなく大吾を思わせる言動の口宮さんだけど、あっちと違うのは一応話に筋が通っているという事だろうか。それでもやっぱり何かしら変なのは同じなんだけど。


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