(有)妄想心霊屋敷

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新転地はお化け屋敷 第四十七章 報告 二

2012-04-07 20:55:17 | 新転地はお化け屋敷
『いただきます』
「栞、先に言っとくけど、二日連続で朝食が同じとか、そこら辺は全然気にしてないからね」
「ふふ、だろうと思ったから出したんだよ」
「あら、昨日もこれだったの? まあアタシには関係ないんだけど……朝からオムライスかあ。なんか、アタシが来たから頑張ってもらっちゃった感じ?」
「感じです。けど、せっかくだからこれを食べてもらいたいなあっていうのもあったんですよ。ね、孝さん」
「味噌汁とセットってことになるとね、まあそういうことなんだろうね」
「どゆこと? お味噌汁はまあ、こーちゃんがベタ褒めだからってことなんだろうけど……あ、つまり、オムライスもそういうこと?」
「ふふ、惜しい、ですかね。オムライスは孝さんじゃなくて私が自分でベタ褒めしてるんです」
「おお、なるほどそっちか。――自信アリな料理かあ。いいなあ、アタシも早いとこ見付けたいもんだよ」
「問題は何食べても美味しいっていうらしい高次さんの反応なんでしょうけど……」
「ああこーちゃん、そこは大丈夫。そういうことじゃないから」
「え? って、じゃあどういうことなんですか?」
「高次さんが味についてどう思おうとも、『自信アリな料理を出した』っていうのはそれだけで一つのアピールになると思うわけよ。おお、今日はやる気だなっていう」
「何をやるんですかって、訊いていいんですか?」
「駄目です」
「でしょうともね」
「ま、まあでも孝さん、そこらへんの話に限らず、なんとなくいいと思わない? 夫婦の間だけで伝わるサインっていうか、そういうのって」
「そういう言い方であれば、まあね」
「キシシ、ほらほらそういうもんでしょう?――おっ。なるほど、こりゃ美味しいわしぃちゃん。アタシは好きだよこれ」
「そうですか? えへへ、よかったです」
「自信があって、実際に味もいいってことはだ。しぃちゃん、こーちゃんに何かしら求めてる時は遠慮なくこれを食べさせてあげるといいよ。何食連続だろうが」
「連続って、朝昼晩と何をさせられるんですか僕は」
「それを決めるのはしぃちゃんですとも」
「うーん、連続はないにしても、何か考えとこうかなあ」
「栞、そこ本気にするの?」
「え、だって、孝さんが考えてるようなこととは限らないわけだよ?」
「あらこーちゃんったらやらしーんだからもー」
「……すいませんでした」

『ごちそうさまでした』
 勝手に本気になってたのはむしろ僕でした、という格好の付かない話はいいとして、です。
 食べる前にも話したことですが、朝からお嫁さんの手料理を召し上がれたということには中々に活力を湧かされた僕なのでした。なんせただ手料理というだけでもそうなりそうなところ、しかも得意料理が出てきたわけですしね。
「そういやしぃちゃんこーちゃん、さっき話してたことだけどさあ」
「すいませんでした」
「じゃなくてだね」
 ノータイムで謝ってみたところ、そうじゃなかったそうです。あらお恥ずかしい。
「ほら、サインの話。しぃちゃんとこーちゃんにはあったりするの? そういうのって」
『あー』
 夫婦間で伝わるサイン。いいなあ、という感想がさっきの話の結論でしたが、しかしいざあるかどうかと考えてみれば、夫婦であるならそれの一つや二つくらいはあるものなんじゃないかなあと。
「…………」
「…………」
 しかし、思い付きませんでした。いや、別に、だからショックだとかそういうことではないのですが、とはいえ無理にでも一つくらいは捻り出したいなあ、とも。
「孝さん、黙ってサインだけ出すって感じじゃないもんねえ。思ったことはどんどん言ってくれるし」
「まあ――ねえ。そうかもね」
 実際にサインを出すような場面があった時にそういう意図なんかありはしないんでしょうけど、口に出さずにサインだけちらつかせるというのは、気取っているというか格好付けているというか。そんなふうに考えてしまう僕なので、ならばやっぱり、特にそれらしいものを持ち合わせてはいないのでしょう。
 というわけで捻り出す前に諦めが付いてしまったわけですが、すると家守さん、キシシ、といつものように。
「『言ってくれる』ねえ。サインとは違うけど、それはそれで二人の特色なんじゃないの? 自然にそういう表現になっちゃうっていうのはさ」
「え? そうですかねえ?」
 栞は首を傾げていました。
 僕は――ううむ、どっちにしようか。
「うーん、言いたいことがあるなら言ってもらった方がいいって、そんなに特殊ですかねえ」
「普通その言い方をする場合ってのは、相手に文句があるとかそういう時だからねえ。もちろん実際に文句なんかも言ってるってことなんだろうけど、それを歓迎するっていうのは――」
 重ねて首を傾げる栞に対し、家守さんはそんなふうに。
 相手に文句がある時。ううむ、まあ、そういうことになりましょうか。実際に文句なんかも言ってるっていうのだって、ここ最近は減ったにしても、確かにそうだったわけですし、
「うん、文句は文句でも筋が通ってるってことなんだろうね。イライラに任せたいちゃもんとかじゃなくて」
「あー、孝さん、確かにそういう怒り方はしないですかねえ」
 続いてそんな遣り取りがあってから、栞と家守さんの視線がこちらへ。
 …………。
「いやいや、事実がどうであれ『そんなことないよ』なんて言えないでしょこれ」
 この場合だとそれは謙遜でなく、ただの罪の告白です。いや、罪ってほど大袈裟なものでもないんでしょうけど。
「あはは、確かにね」
 家守さんが軽く笑い、栞もそれに続きます。
 それが収まったところで、栞がこんなことを言い始めました。
「怒るっていうのは減ってきましたけど、孝さんが深刻そうな顔してる時って、殆どの場合は私のこと考えてくれてる時なんですよね。だからイライラに任せるも何も、そのイライラ自体に筋が通ってるんですよ。私にとっては、なのかもしれませんけど」
 これもまた、僕は「そんなことないよ」とは言えませんでした。今回は正しく謙遜ということになるのでしょうが、しかし、謙遜にしたって多少程度の否定理由は必要になるわけで――つまるところ、「そんなことにないよ」に続く言い訳が一つも思い付かなかったのです。
 冷静に考えればそれは自分を褒めてもいいことだったのかもしれませんでしたが、まあ、無理でしたとも。恥ずかしいなあ、としか。
「あー、それは分かるなあ。前にあんだけ怒鳴り合ってたの聞いててすら、こーちゃんが本気で怒るところって想像できないもん。怒る前にあれこれ考えちゃって、その間に怒りが治まっちゃってそうな感じ?」
「おお、悔しいくらい鋭い指摘かも。――どうですかね、孝さん」
「自分でどうこうとは言い辛いんだけど……うーん、概ねそんな感じ……なのかなあ?」
 引き続き恥ずかしくもあるのですが、これについては「自信がない」というのが最も大きいのでした。なんせ怒るところまで到達できていないわけで、じゃあ本来なら怒っていておかしくない場面かどうかなんていうのは、そこに到達できなかった僕には分かりようもないわけです。分かるってことは怒ってるんですしね、それって。
「ということは」
 断言はしていない筈なのですが、栞はどうやらそれが正解で確定させたらしく、そのまま話を進めます。
「逆に考えて、前の怒ってた頃っていうのはあれこれ考えるのと口が動くのが同時だったってことだよね? なんで口だけ動くのが遅くなっちゃったんだろう?」
 そりゃ怒る方だって気分がいいわけじゃないんだし、とは思ったのですが、しかしさっき言っていた通り、栞はそもそもそれを歓迎しているのでした。怒られたい、なんて言うと変態的な響きになってしまいますが、そういった誤解を恐れずに言うならそういうことなのでしょう。
 というわけで栞のそれは、含むところのない純粋な疑問なのでした。普通だったら怒りたくないなんてのは当たり前な話で、ならばわざわざそれを問うというのは、何かしらの思惑やら期待する返事やらがあるものなんでしょうけど。
「そりゃしぃちゃん、あれじゃないのかね」
「なんですか?」
 尋ねてきた側である栞はもちろん、僕も「怒りたくないから」以外の理由を割と真剣に考え出そうとしていたのですが、しかしそこへ家守さんがするりと。
「わざわざ声を荒げなくても言いたいこと受け入れてくれるって分かった――というか、思い知らされたからなんじゃないかね。こーちゃんがしぃちゃんに。怒る必要がないもん、それじゃあさ」
 逆に言えば、声を荒げないと言いたいことを受け入れられないような人がいる。――というような話からは特定の個人ではなく、誰にでもある「子どもだった頃」という時代を振り返ってしまうのですが、しかし栞は「あー、そっかー」と素直なお返事。
 あれこれ考えてしまう。怒る前という場面ではなかったにせよ、なるほど、確かに僕はそういう人間なのかもしれません。
「考えてる間に怒りが静まっちゃうこーちゃんと、怒られなくても相手が言いたいことちゃんと聞き入れられるしぃちゃんか。相性バッチリだね、お二人さん」
「付き合い始めた後にそうなってくれたんですけどね、孝さんは。初めはその、怒鳴り合うとかしてたわけですし」
「おっとそうだった。失礼失礼、そこは大事なポイントだよね。キシシ」
 そうかあ、知らない間に栞から影響を受けてたりしたんだなあ。
 という結論に至る話題の出だしが「概ねそんな感じ……なのかなあ?」という曖昧なものである以上、ならばその結論だって曖昧なんですけどね。いい気分にだけさせてもらっておいて、あまり結論自体には拘らないようにしておきましょう。
 とそこへ、
「――というような話をだね、お二人さん」
 何やら改まった様子で語りかけてくる家守さん。声はもちろん、表情のほうも、硬いとは言わないまでも厭らしさが急に抜け落ちたのでした。
 というわけで僕も栞も、『はい?』とやや訝しげに。
「寸法を計りに来る四方院の人達が興味持ってくるかもしれないけど、よかったら話してあげて欲しいのね。もちろん話せる範囲で構わないからさ」
 はあ。
 と、二人揃って生返事。
 実際に訊かれたとして、じゃあ「話せません」とは言い難いでしょうし、ならば構わないのは構わないのですが……ええ、奇妙なお願いということになるのでしょう。
「何かあるんですか?」
 何かと言ったって全くあてはないのですが、一応そう尋ねてみました。四方院の方々はここに仕事で来るわけで――と言ってもタダなのですが――ならばこちらとしても、きっちりしっかりどっしり構えておきたいのです。段取りが悪くてぐだぐだになったりしたら気まずいでしょうしね、やっぱり。
「いやいや、寸法計る以上のことはないんだけどね。……そうだね、二人なら大丈夫だろうし、もう言っちゃおうかな」
『はあ』
 と、再度の生返事。僕たちなら大丈夫って、買い被りじゃないでしょうか――ではなく、相手を選ぶような何かがあるということは、やっぱり寸法を計る以上の何かがあるってことなんじゃないんでしょうか?
 家守さん、姿勢を正すようにしてから言いました。
「四方院で働くことになった人っていうのは、その殆どが『そうするしかなかった人達』なんだよ。人それぞれだけど、幽霊に纏わる何かしらがあって、ね」
『…………』
 栞も僕も黙ってしまいました。が、僕はそれと似たような話を聞いたことがありました。その四方院さんの家に一拍させてもらった日、大吾と二人で風呂に入っていたところ、そこへやってきた料理長の大門さんと屋内プールでも会っていた木崎さんからです。
 その時実例として示されたのは、虎の刺青が彫り込まれた木崎さんの背中でした。
「幽霊が怖い。でも、見えるなり聞こえるなりしてしまうんだからなんとか折り合いを付けて暮らしていくしかない。今日来るのも、そういう人達なんだよ。しぃちゃんとこーちゃんは上手くいった例――なんて言い方が失礼なのは承知の上だけど、でも、ちょっとだけそこに頼らせて欲しいのね。四方院としては見逃せないチャンスなんだよ、しぃちゃんとこーちゃんみたいな人と関われるっていうのは」
 幽霊が怖い。
 怖い話に出てくるような空想上のそれらではなく、現実に存在する彼女らが怖い。
 充分にあり得る話なのでしょうし、むしろそうなる確率のほうが高いだろうということだって、頭では分かります。
 けれどそれでも、僕には馴染めそうもない考え方なのでした。
 だってこんなにも――。
 僕が愛した女性は、こんなにも。
「孝さん」
「ん?」
「私、頑張ってみたい」
「……うん、栞はそうだろうと思った」
 にっこりと笑ってから、栞は尋ね返してきました。
「孝さんは?」
「多分、栞以上に」
「そっか」
 幽霊が怖い。
 どれだけそうなる確率の方が高くとも、でもやっぱりそれは、誤解ということになるのでしょう。幽霊だからと言って怖い人、あるいは悪い人ばかりというわけでは全くなく、ならばその「怖い」の原因の多くは、単に幽霊とそうでない者の差から生じていることなんでしょうし。
 つまり本当に怖いのは幽霊ではなく、「幽霊なんか存在しない」という人間の常識なのでしょう。加えて、存在しないとしたうえで空想上に「恐ろしいもの」として定義させていることが。
「そういうわけなんで家守さん。ごく普通な話しか出来ないと思いますけど、それでよければ任せてください」
「全然大丈夫ですから、私と孝さんは」
 すると家守さんは少しの間顔を伏せ、なので返事までは、少しの間がありました。
「ありがとうね、二人とも」

「ねえ孝さん、さっきの話ってさ」
「うん」
 家守さんが帰った直後、もう少しだけある登校までの時間を二人でゆったりと。
 さっきの話、というのがどの話を指しているのかは、尋ね返すまでもありませんでした。
「楓さんのお仕事と似たような感じだよね。幽霊関係で誰かの役に立つっていう。まあ、私も孝さんも、霊能者ではないけどさ」
「だろうね。話をするだけで済む仕事っていうのもまあなくはないんだろうし、それを考えたら」
 話をするだけであれば、それは霊能者的な力を必要とするとは言わないのでしょう。話ができる時点で霊能者、なんてことはないんでしょうし。だとしたら僕が霊能者になっちゃいますし。
「……えへへ、ちょっと感激。楓さんの仕事と同じことで、楓さんの役に立てたって」
「まあ、うん、それは正直僕もちょっとあった」
 僕も栞も家守さんのことが好きだから、というのはもちろんあるのですが、しかしそれを除いても尚、胸に残るものがあるのです。
 というのも、好きとかそういう話とはまた別のところで家守さんは「凄い人」なのであって、その凄い人とほんのちょっと、足先が踏み入った程度のものとはいえ同じ仕事ができ、しかもその凄い人から感謝までされるなんて、そりゃもう何も感想がないなんて方がおかしいわけです。
 僕らしい表現をするのであれば、それはプロの料理人である大門さんに自分の料理を褒められた時の気持ちと似ている、ということになりましょうか。
「ただまあ、普通の話をするだけだからさ。あんまり意気込み過ぎたら空回りするかもね」
 特に栞は、とはしかし、敢えて言わないでおきました。
 最早当たり前なことなのですが、家守さんが好きだからという理由については、僕より栞のほうが強い筈なのです。
「あはは、そうだね。それは気を付けないとだね」
 ほら、気を付けなきゃいけないと思えるくらいみたいですし。

「お買い物行っとこうか? さっき朝ご飯作る時、冷蔵庫の中随分減ってたし」
「ああ、お願いしようかな」
「はーい。――なんて、まあ私よりも成美ちゃんなんだけどね、お買い物となったら」
 そろそろ出るかと大学へ向かう用意を始めたところ栞から出てきた提案は、即時承諾。恐らくこれも、「旦那様の帰りを待つ妻っていうのを味わってみたくてね」という話と同じような思惑あってのものなのでしょう。
「買っておくものに指定とかは?」
「特にないよ。食材以外もまあ、今は必要なものとかないし」
「だよね」
 指定なし。それは、食材についても。
 料理教室を開いている身としては宜しくないことなのかもしれませんが、しかし実際、いつも何を作るかは割と適当というか、普段する料理と変わらない決め方をしているのです。
 つまり、冷蔵庫の中身と相談。その時あるものでその時できるものを作っているのです。昨日は炒め物だったから今日は煮物の練習をしよう、みたいな考えはまるでなく。
「孝さん、ネクタイ曲がってる」
「私服なんですけど」
「あはは、言ってみたかっただけ」
 ……浮かれてるなあ。
 いや、歓迎するけどさ。夫としても、家守さんから頼まれたひと仕事的にも。緊張してるよりはいいんだろうし。
「ついでにもう一つ言ってみたい――というか、やってみたいことがあるんだけど、いい?」
「なに?」
「行ってらっしゃいのキス」
 …………。
 家守さんが帰った後でよかった。いや、帰ってなかったら栞もこんなこと言いはしないんでしょうけど……いやいや、だとすれば尚のことよかったのか。したいのに我慢させることになってたわけだし。
 と、それはそれとして。
「初めてではなくない? 確か」
「うん、私も言いながらそんな気がしてたんだけど、気にしないことにした」
 浮かれてるなあ。

「行ってきます」
「行ってらっしゃい」
 おはようございます。204号室住人、日向栞です。
 少し照れたような顔をしながら玄関をくぐる孝さんを見送って、さあ、自分で望んだ暇な時間の始まりです。お買い物だって、まあ今からっていうのはちょっと早過ぎますしね。まだお店開いてないですし、多分。
 などと考えながら居間に戻り、テーブルに着いたところ、暇な時間? と。
 それが暇な時間であることには変わりないのですが、しかし、暇な時間を「暇な時間」として認識したことが意外だったというか何というか。
 幽霊は基本的に暇。
 つまり、幽霊にとっては暇こそが日常の大半です。
「暇じゃなかったんだなあ、ここ最近」
 テーブルに肘をついてそう漏らしてみたところ、そんな言葉には笑顔がついてきました。
 どうしてそうなったかは、敢えて頭の中で文章にするまでもないでしょう。さっきの少し照れたような顔を思い返せば、それで充分なのでした。
 で、どうしようかな。暇なら暇でそれに身を任せるのもいいんだろうけど、何かすることがあるんだったらそれに手を付けたほうがいいんだろうし。
 初めに思い付いたのは部屋のお掃除でした。が、しかしそれは、昨日の家具移動の際にやったばかりです。確かに私はお掃除が好きですが……うーん、だからって一日おきにというのはやり過ぎな気もします。
 食器洗いも済んでますし、洗濯物だってわざわざ洗濯機を回すほどには溜まっていません。
「あれかなあ、やっぱり」
 というわけで、実は一番初めに思い付いていながら、けれど敢えて後回しにしていた案を持ち出そうとしてみます。
 毎日のお仕事、庭掃除です。
 こっちのお掃除なら毎日でも変じゃない――というふうに考えるのは、もしかしたら私だけなのかもしれませんが。
「うーん、でもやっぱり他に何か……」
 持ち出そうとした案を、けれどしつこく後回しにしようとしてみます。別に順番なんかどうでもいいのが実際のところなのですが、まあ、こういった無駄を楽しめるのも暇な時間のいいところです。
 というわけで他の何かを探し求め、独りで部屋の中をうろうろと。
 ――孝さんがいない部屋は随分と広く感じられました。先日まで独りで住んでいた203号室だって、左右対称なだけで広さは全く一緒だったんですけどねえ。
 とはいえ何もそれを寂しいだなんて思ったわけではなく、むしろこれもまた、「楽しめる無駄」の一つなのでした。
 で、それはともかく、私ははたと足を止めます。場所は孝さんの机の前、視線は一番下の段の引き出しに。
「…………」
 そこに何があるかと言われたら、ちょっと具体的な説明はし難いです。
 ええ、先日話題になったあの本です。捨てると決めはした孝さんでしたが、どうやらそれは即時の話ではなかったようなのです。まあ、だからといってまだあの本に未練があるとかそういうわけではなく、単に「今日じゃなくてもいいか」ぐらいのことなんでしょうけど。
 で、さて、どうしましょう。そんな本を持っていることを「別に嫌ではないよ」というふうに言っていた私は、なのでその本に嫌悪感を持っていたりするわけではなく、だったら今ここで手に取ってみようと思うのならばそれを易々と実行できてしまうのです。
 そういう本、とはいえ飽くまでも男性向けのものであって、女の私からすれば同性の裸が載っているだけのものですしね。
「……あれ、ない」
 というわけなのであまり躊躇することなく(さすがにちょっとくらいはしました)その隠し場所を覗き込んでみたところ、しかしその本は影も形もありませんでした。形がないのに影だけあったりしたら怖いですけど。
 うーん、実は私が知らなかっただけで孝さん、もう捨てちゃってたとか?
 それならそれで構わないんだけど――と多少の空振り感を誤魔化しながら腰を上げ、顔も上げたところ、
「あ、あった」
 隠す必要がなくなったから、ということなのでしょう。本棚に普通に納められていました。これで本棚がぎっしりだったりしたら気付けなかったんでしょうけど、孝さんの本棚、すっかすかですし。なので背表紙どころか表表紙が見えちゃってますし。色っぽい女の人が。そもそもこの本、背表紙なんてないみたいですけど。
 ともあれ隠されてすらいないということであれば、ということで、さっきはあったちょっと程度の躊躇すらなくそれを手に取ります。一度見たものですしね、孝さんと一緒に。
 一度見たもの、更には男性向けということで女の目からすればどうというものでもないものを、どうしてもう一度見ようと思ったか。それは単純な話で、昨日見た時には全体の半分も目を通せていなかったからです。三分の一程度、でしょうか。もしかしたらそれ以下だったかもしれません。
 最初から最後までただこうして女の人の写真が載ってるのものなのかなあ。
 というのが、私がこの本に向ける興味なのでした。
「…………」
 さて。
 人生初、という言葉は幽霊の私が使うのはちょっと変なのかもしれませんが、ともかく確かめる程度だった昨日のことを除けば、人生で初めてこういう本を読んでみることになった私なのでした。
 まあ繰り返しになりますが、女の私じゃあ「こういう」がすっぽり抜け落ちてしまうわけですけど。……あるのかなあ、女性向けのこういう本って。


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