ゆうわファミリーカウンセリング新潟 (じーじ臨床心理士・赤坂正人)     

こころと暮らしの困りごと・悩みごと相談で、じーじ臨床心理士が公園カウンセリングや訪問カウンセリングなどをやっています。

精神科デイケアでお昼寝をしてみました!-精神科デイケアをめぐる小さな冒険

2018年01月26日 | 心理臨床を考える

 2015年のブログです

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 精神科デイケアでボランティアと勉強をさせてもらっています。

 今日は、お昼寝!のお話です。

 デイケアでは昼食のあと、お昼休みの時間があります。

 みなさん、お話をしたり、リラックスをしたり、買い物をしたり、あるいは、和室でお昼寝をしたりして、午後からのプログラムにそなえます。

 じーじも年寄りなので!、午後にそなえて、のんびりとしていることが多いです。

 ところが、メンバーさんを見ていると、一部のメンバーさんですが、お昼休みでも、とてもお元気に、休み時間中、おしゃべりをしている方々がいらっしゃいます。

 それでリラックスができればいいのですが、どうも過度に張り切りすぎて、おしゃべりをしすぎている印象を受けます。

 昼休みいっぱい、おしゃべりをしていて、それで疲れてしまい、午後からのプログラムに出られなかったり、午後はソファーで居眠りをしていたり、さらには、途中で帰宅をしたりする人もいます。

 それでは何のための昼休みかわかりません。

 昼休みは午後にそなえて、ゆっくりと休まなければなりません。

 それが社会復帰の第一歩にもなります。

 そういうわけで、昼休みに、私は率先をして(?)、自分の席でお昼寝をすることにしました。

 考えてみれば、じーじは裁判所で働いていた時も、年を取ってからは、昼休みは電話番をしながら、自分の席でお昼寝をしていました。

 その成果が今、発揮されています(?)。

 はたして、みなさんの見本になれるでしょうか。

 明日もまた、じいじいのじーじは、張り切って(?)、自分の席でお昼寝に頑張ります。 (2015 記)

 

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子どもの意思,その本音と建前のせつない言葉にていねいにより添うことの大切さ-「おとな」の親になるために(再録)

2018年01月10日 | 「おとな」の親を考える

 たぶん2011年ころのブログです

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 夫婦の間で不幸にして離婚の話が出てしまい, 子どもさんの親権などで揉めてしまったような時に,「子どもの意思を尊重する」という親ごさんがいらっしゃいます。

 一見,ものわかりのよい,子どものことを考えている,とても立派な親ごさんのように見えます。

 しかし,これは親ごさんの無責任の裏返しだと思うのです。

 親ごさんの都合で離婚をしようというのに,子どもに親権者を選ばせるというのは非常に残酷なことです。

 子どもの本音は,どちらかに虐待や暴力でもないかぎり,お父さんもお母さんも大好きで,できれば別れないでほしい,というのが大多数だと思うからです。

 子どもの意思を尊重する,というのなら,離婚をしてもいいかどうか,というところから「子どもの意思を尊重」しなければならないと思います。

 また,「子どもの意思」は,一応,刑法では14歳からその有責性が問われ,民法では15歳から一定の権利が認められていますが,私の経験では,それくらいの年齢でも,自分の選択をあとになってから悩む例を多く見ます。

 おとなが自分の選択で悩むのは仕方ありませんし,そうやって少しずつ本当の「おとな」になっていくのだと思いますが,子どもが親のせいで悩むのは酷なことです。

 できれば,親ごさんがその責任をきちんと負わなければならないと思います。

 そして,その場合,親権をもらうことだけでなく,親権を譲ることも含めて,子どもの幸せを考える責任があると思います。

 仮に,親権を譲っても,面会交流で子どもとの関わりあいは十分に可能です。

 いつも一緒にいることだけが親ごさんの愛情とは限りません。

 子どもに責任を負わせずに,真に「子どもの意思」や「気持ち」を尊重できる「おとな」,そういう「おとな」の親ごさんが大切になると思います。  (2011?記)

 

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「そして親になる」「親になる覚悟」-「おとな」の親になるために

2018年01月09日 | 「おとな」の親を考える

 たぶん2016年ころのブログです

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 「そして親になる」

 何年か前に似たような題名の映画がありましたね。

 そうだと思うのです。「親」になるには、それなりの「自覚」や「覚悟」が必要なのだと…。

 もちろん、動物学的な親には子どもが生まれればなるのですが、心理学的な「親」とか人間学的な「親」になるには、盲目的でない、しかし、無償の「愛情」とそれに加えて「自覚」や「覚悟」がいるようです。

 以前、家庭裁判所で仕事をしていた時に、子どもの調査の重要性が叫ばれたことがありました。

 子どもの意思、子どもの気持ち、子どもの本音を調査しろ、とよく言われました。

 ごもっともなことなのですが、しかし、ことは簡単ではありません。

 なぜなら、子どもは(虐待でもない限り)両親のどちらもが大好きですし、どちらもが大切な存在だから、どちらかを選ぶなんてことは困難だからです。

 子どもはできれば両方の親と一緒にいたいし、愛されたいのです。

 おとなはですから、そういう方法を可能な限り考えなければなりません。

 そしてその時にも、親には「おとなの親」としての「自覚」や「覚悟」が重要になります。

 盲目的ではない、子どものことを考えた、自己抑制的な「おとなの親」の判断が大切になります。

 それが「親になる」ということではないかと思います。

 親は子どもがいるから親なのではなく、(立場の弱い)子どものことを考え、守り抜くからこそ「親になる」のです。

 子育てはたいへんなことですが、だからこそ、親は「親になる」チャンスを与えられているのだと思います。

 感謝とともにある日々を送りたいと思います。  (2016?記)

 

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いつもクライエントのそばにいるということと,いつもクライエントにより添うということ-カウンセリングを考える(再録)

2018年01月04日 | 心理臨床を考える

 たぶん2012年ころのブログです

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 ある研究会で,一人のカウンセラーのかたが,自分はクライエントに携帯の番号を教えて,いつでも連絡が取れるようにしています,と話していました。

 すごく熱心だな,と思いました。

 一方で,でも少し違うのではないかな,とも思いました。

 いつもクライエントと連絡が取れること,が,いつもクライエントのそばにいること,と同じかというと必ずしもそうとはいえない気もします。

 ましてや,いつもクライエントにより添うこと,とはまた違うような気がします。

 さらに,そのことがクライエントの自立に繋がるか,ということになると,さらに難しい問題となります。

 カウンセリングの目標がクライエントの精神的な自立や成熟だとすると,最終的にはクライエントがカウンセラーに頼らなくてもいいようになることが課題となります。

 それにはクライエントがカウンセラーを「内在化」して,自分のこころの中のカウンセラーと対話ができるようになることが大切になります。

 精神分析では,毎日の面接と週末のお休みのリズムが大事だと言われています。

 週末,治療者の「いない」時にいかに患者が自分の「内的な」治療者と対話ができるか,がポイントになります。

 一般に,心理療法において,治療者やカウンセラーのお休みは,彼らの健康を守ると同時に,患者やクライエントの自立の契機として重要な意味を有していると思います。

 考えがまだまだ深まっていませんが,これらのことはとても大切なテーマではないかと思います。

 簡単には正解は出ないと思いますが,今後,さらに考察を深めていきたいなと思います。 (2012?記)

 

 

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