非国民通信

ノーモア・コイズミ

スタンドに強い弱いの概念はない

2017-03-19 22:39:50 | 社会

 前回の話で、ちょっと脇道ですが「サイコパスが多い職業」云々のネタに触れました。この種の調査発表の信憑性は推して知るべしではありますけれど、上位にランクしていたのは会社経営者だったり弁護士だったり外科医だったりと、社会的ステータスの高い職業が割と多めだったりしたわけです。本当に特定の職業にサイコパスが多いかどうかは眉唾としても、(サイコパスのように)一般には否定的に取り扱われる特性が状況によっては長所として機能することもある、という点は意識されるべきかも知れません。優劣ではなく、適性でしかない、と。

 まぁ、どれだけ訓練と経験を積み重ねても人間の体をメスで切り開いて臓器に手を入れる時には激しく緊張してしまう外科医より、至って平然としていられる外科医の方が、手術を受ける側は安心できそうなものです。弁護士だって凶悪犯罪者のために職務を果たすのは精神的に色々とキツイでしょう。「普通」ではない感覚の方が役に立つ場面が、時にはあります。あるいは「鈍感力が大事だ」などと言い放った政治家もいました。その政治家は日本国民に多大な災厄をもたらしましたけれど、確かに繊細すぎる人間に政治家は務まらない、どんなに叩かれても晒されても平然としていられる強さは政治家の条件ではあるのかも知れません。

 他には、ある種の障害を持った人は錯覚しない、なんて話を聞いたこともあります。「普通の」人であれば好むと好まざると見たものを脳が補正してしまう、故に錯覚してしまうわけです(ただの線が立体に見えたり、繋がっていないものが繋がっているように見えたり)。ところが同じものを見ても「脳が補正しない」ために、錯覚することがない人もいるのだとか。これは圧倒的多数の人々の基準から外れた感覚であって一般には障害として扱われるものですが、しかし障害のある人の方が惑わされずに正しい姿を捉えている、なんてケースもあると言えます。

 ……で、会社勤めの場合はどうでしょう。「平気で嘘をつく人」の方が正直者よりサラリーマンの適性はありそうですし、科学に疎い人の方がマイナスイオンだの水素水だの我が国で商品開発する上では強みを発揮できるかも知れません。そして茶番を茶番と気づいてしまう人であれば「馬鹿馬鹿しい」と感じてしまう、付き合うことにストレスを感じざるを得ないような場面であっても、騙されやすい愚かな人であれば会社の理念に共感できる、仕事にやりがいを見いだせることでしょう。何事も適正次第なのです。(そして生活保護の水際作戦に当たる職員には憲法への無理解や人権意識の希薄さ、偏見の強さや差別意識が適性になる等々)

 「小さな子供のいる母親」の類も、本当に労働環境を良くする上ではメリットがある特性じゃないかと思いますね。一般には育児や介護に追われていない、会社優先で働けるタイプの方が企業からは好まれているわけですが、その結果は日本社会の繁栄に繋がっているでしょうか。「時間の制約なく会社のために働ける」人の方は制約のある人よりも圧倒的に採用されやすいですけれど、そういう人ほどダラダラと長時間労働を続ける、仕事を創って生産性を低下させると言えます。むしろ時間に制約がある、一定の時間内に仕事を終わらせなければならないという動機を持っている人の方が、より仕事の効率を上げてくれそうなものです。日本の生産性が世界最高水準なら今までのやり方が正しいのでしょうけれど、そうでないなら人の評価基準を改める必要がありますよね?


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