菅は1日夜、都内の中華料理店で、自身を支持する野田グループにあいさつし「明治維新に西郷隆盛の力は必要だったが、西南戦争があって本格的な明治政府ができた」と語った。
菅陣営幹部は解説する。
「代表選は西南戦争なんだ。小沢をつぶす」
明治10年の西南戦争では維新の功労者の西郷が敗れた。官軍と「菅軍」をもじり、政権交代の立役者の小沢を重ね合わせたのだ。
テレビ放送された両候補の討論?を見るにつれ菅の無能さが際立つわけですが、その菅に代わる選択肢として提示されているのが小沢しかいないという辺り、何かと絶望的なものを感じる昨今です。結局はどうなるのでしょうね、小沢が勝って民主が分裂するなんてこともありそうです。自民党も谷垣辺りの小泉路線や真性保守路線を継承したいのか修正したいのかはっきりしない連中と、河野太郎に代表される小泉路線に全く反省がない若手グループに分裂して、前者が小沢一派と、後者とみんなの党が菅一派と組むぐらいのことがあっても不思議ではありません。
それはさておき、菅は「明治維新に西郷隆盛の力は必要だったが、西南戦争があって本格的な明治政府ができた」と語ったそうです。実際のところ、どうなんでしょうね。本当に西南戦争は明治政府のために必要だったのでしょうか? ある意味、「原爆投下は日本を降伏させるために必要だった」みたいな言説と同じような匂いがします。原爆投下だけが戦争終結の手段ではなかったように、西南戦争もまた必須ではなかった、内戦を回避して「本格的な明治政府」を作る道もあり得たのではないでしょうか。西南戦争で上手いこと反対勢力を排除できたのは結果論であって必ずしも不可避のプロセスではなかったはず、そう持ち上げるほどのことではないように思われます。
しかるに「菅陣営幹部」は「代表選は西南戦争なんだ。小沢をつぶす」などと語ったとか。ふむ、かつて石原慎太郎は「選挙は戦争だ」と語り、小泉純一郎は「総裁選は戦争だ」と語りました(参考)。「サッカーは戦争だ」などと語る人もいますし(参考)、小沢の取り巻きの一人である森裕子は「官僚機構と国民の代表である民主党政権との全面的な戦争です。一致団結して最後まで戦う」とも語りました(参考)。まぁ、似たようなことを口にする連中は他にも出てくることでしょう。いずれにせよ、物事を戦争に擬えることを好み、それを積極的に推し進めていこうとする、周囲を巻き込んで戦争へと駆り立てていくわけです。
違和感は2つある。1つは登場する多くの人々が「戦争はいけない」「どんなことがあっても平和が第一」と声をそろえていることだ。だが、「戦争はいけない」と叫ぶことは、どこかに「戦争はいいこと」と叫ぶ者がいて初めて意味をなす言葉である。いったい、いまの日本のどこに「戦争賛成」「戦争をやれ」と叫んでいる人がいるのだろうか。戦争反対に異を唱える者などいない。それよりも「なぜ戦争をしたのか」、あるいは「戦争にならないようにするにはどうしたらいいのか」を問いかけることの方が意味があるのではないだろうか。
確かに表向きとして戦争反対に異を唱える人はいない、戦争賛成と訴える人はいません(戦争を起こした人々は今なお英霊として賛美されていますけれど!)。当たり前のことです。いつだって攻撃は防衛の名の下で行われ、それが待ち望まれた戦争であったとしても、あくまで表向きは「やむを得ず」行われるのが戦争というものです。他国に追い詰められたから、他国にけしかけられたから、他国が攻撃の用意をしていたから、決して自分から望んで戦争を始めたのではなく、自国を守るために戦争するしかなかったのだと、そう言い訳されるのが戦争なのです。誰だって建前としては平和を尊重するけれど、その平和のためと称して軍備を増強し、平和(あるいは秩序、もしくは民主主義)のためと称して他国に介入する、それこそ警戒されねばならないことです。
表向きは「戦争はいけない」としつつも、内心では戦争への憧れ抱き続けている人は少なくないのかも知れません。だからこそ「戦争」という言葉が「避けるべきもの」ではなく、「挑むべきもの」の喩えとして使われるのではないでしょうか。本当に「戦争はいけない」と思っているのなら、選挙やサッカーを戦争に擬えたりはしません。もし選挙やサッカーが戦争の同類であるのなら、選挙が行われるのを止めなければならない、サッカーの試合が開催されるのを全力で阻止しなければならないはずです。しかし心のどこかで「戦争はいいこと」と思っているからこそ選挙やサッカーを戦争に喩える、そして戦争への参加と戦争への協力を臆面もなく呼びかけるわけです。とりあえず、ハト派はものごとを戦争に喩えるような一派を支持すべきではないと言えますね。











「北朝鮮に乗り込んで拉致被害者を奪回しろ」とか「中国や韓国と戦争してでも領土問題を解決しろ」とか正気を疑う事を平気で主張するブログやツイッターが沢山あります。
本当に戦争になったら自分や自分の身近な人が被害者になったり、自分自身が目の前の人を殺害しなければならない、という想像力が欠如してる人が多い気がします…
私は殺されるのも嫌だし、自分が人を殺すのはもっと嫌なので、戦争は絶対反対です。
産経新聞の主張とは裏腹に、ネットの中では猛々しい人も多いですよね。それがネットの中だけに止まっていればいいのですが、しかるに政界に救う連中は戦争という言葉を肯定的な喩えとして用いる、戦争肯定の備えはできているのかも知れません。
>ノエルザブレイヴさん
表向きは戦争を反省しつつも、内心では正当化して憚らない場合も多いでしょうからね。のど元過ぎれば何とやら、戦争被害の記憶が薄れてくると、色々と危うい動きも出てくるでしょうし。
自衛隊の派兵を強く主張していました。
今でも事あるごとに、アメリカが行った戦争を肯定し、
自衛隊がそれに関与するよう、主張しています。
にも関わらず、「今の日本に『戦争賛成』『戦争をやれ』と叫んでいる人がいるのだろうか」などと平然と書いているわけです。
冗談ぬきで、この新聞社で働いている人たちは、
カルト信者と同レベルの精神構造を持っていると思いました。
往々にしてフィクションの中では政治家と官僚が「悪」で軍人が「善」として描かれることが多いですよね。そういうのも戦争肯定、軍隊賛美へ繋がっているのかも知れません。そうして軍への憧れを募らせた人々が、平和のためと称して軍拡の宣伝に走っているのが現状でしょうか。
>OONOさん
結局、産経新聞的にはイラク侵攻も「防衛」の内、自衛隊の派兵は後方支援であり、兵站は戦争ではないということなのでしょう。そうやって「戦争」の敷居を上げていくことで、実質的な戦争参加を誤魔化していく、なし崩し的に物事を進めたがっていると言えそうです。