非国民通信

ノーモア・コイズミ

夢も希望もない

2007-07-03 22:15:31 | ニュース

父親に逮捕状 「仕事先」に勤務実態なし 子供3人殺害(朝日新聞)

 京都市伏見区の民家で高校2年の尾子(おおじ)翔太さん(16)と弟で中学3年の健太さん(14)、妹で同2年の美歩さん(13)が殺害され、父親が自殺を図った事件で、京都府警は2日、父親の光明容疑者(42)が3人の首を絞めて殺害したと断定し、殺人容疑で逮捕状を取った。回復を待って逮捕する方針。また府警の調べで、光明容疑者が妻(39)に告げていた勤め先に勤務実態がなく、このことを妻に明かしていなかったことがわかった。府警は、無理心中の動機につながった可能性があるとみて調べている。

 捜査1課と伏見署の調べでは、光明容疑者は1日夜から2日朝にかけて、翔太さんら3人を殺害した疑い。2階の寝室には睡眠薬約80錠分の空容器のほか、ひも、遺書があった。遺書には「子どもに何もしてやれない。大学にもいかせてやれない」「自分は睡眠薬を飲んで自殺する」などと書かれていたという。

 暗いニュースには事欠きませんが、これもまた気分の重くなる事件です。おそらくは失業中の父親が家族を巻き込んで無理心中を図った模様、容疑者である父親にとっては、最早これしか方法がない、死んだ方が家族にとっても幸せであろうと思えるような状況まで追い詰められた結果でしょうか。

 容疑者は実際には無職の身でありながら、そのことを隠して毎日会社に通うフリをしていました。私の好きな映画「フォーリング・ダウン」や「フル・モンティ」にもそんな人が出てきましたが、何も映画の中の出来事とは限らないようです。どうして本当のことを話せなかったのでしょうか。その辺りの理由を直感的に理解できる人もいると思います。「ニート」や「引きこもり」を巡る言説を思い浮かべてください、大人の男であれば働かなければならない、大人の男なのに働いていないのは欠陥品、この社会を支配しているのはそんな価値観であり、労働が人間の前提条件になっているのです。そんな世界で自らの尊厳を保つためには、働いているフリでもするほか無かったのでしょう。

 おそらく容疑者は出勤するフリをして家を出た後、何らかの形で就職活動をしていたと思われますが、結果は芳しくなかったのかもしれません。一度レールから外れてしまえば、元の状態に戻ることは絶望的に困難です。社会保障を求めて役所の窓口に行けば、誰もが「働く能力がある」とお墨付きを貰える訳ですが、これが会社の面接となると「働かせられない」と突っぱねられる訳でもあります。この事件の容疑者もそんなもの、どこにも行き場がなかったものと推測されます。

 「子どもに何もしてやれない。大学にもいかせてやれない」、そう遺書には残されていたそうです。そう、この社会は親の財力が子供の選択肢を限定する社会でもあります。親が貧しければ、その子供にはチャンスがない、きっと子供の人生もろくなことがないだろうと、そう思わせる社会であるとしたら、この事件の容疑者が自分の子供の命まで絶とうとしたのは当然の帰結かもしれません。自分の貧困が自分だけに作用するなら開き直ることも出来たでしょう。しかしそれが自らの家族、子供にも深刻な影響を与えると考えたのならば、なおさら逃げ道はなかったのかもしれません。

 

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8 コメント

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厳しいようですが (京成パンダ)
2007-07-04 00:48:50
本当にこれしか選択肢はなかったのでしょうか?世の中にはこの家族よりも厳しい環境の中でも懸命に生きている人はいます。私は勝手に将来に希望が持てないと判断して自分の家族を手にかけるとは最低の選択だと思います。

ただ、管理人さんがおっしゃる通り、再チャレンジが非常に困難な上、格差が継承されてしまいつつあるのも事実です。安倍さんのいう再チャレンジとは官僚には再就職先を斡旋することだったみたいだし、安倍内閣は格差を固定したいみたいですね。
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Unknown (guevara)
2007-07-04 04:31:13
こんばんは。
>「子どもに何もしてやれない。大学にもいかせてやれない」
悲惨な事件だなぁと思って昨日の朝刊を見ていたのですが、なるほどこういう理由で心中を図ったんですか……
ちなみに私は家庭の事情というやつで大学に行くことをあきらめかけましたが、結局奨学金で学費払いながらいってます。
そういう私からすれば、この人に同情はしますけど、さすがに子どもを殺しちゃぁ元も子もないきがします。
子どもを幸せにしたいならとりあえず生きながらえることが必要だったんじゃないでしょうか。
大学に行けないから人生終わりと言う訳ではありません。。。色々な生き方があります。いまだに高卒だからという一義的理由で差別されるというならそういう社会に問題があるのです。

いずれにしろ、
>一度レールから外れてしまえば、元の状態に戻ることは絶望的に困難です
このような社会は本当に改善すべきですね。
安倍さんは再チャレンジ政策と威勢のいいことをいっていましたが、このまま市場原理主義が行過ぎると益々所得格差が広がり、その結果教育格差が広がり、子へと貧困が遺伝していく社会になる予感がします…
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不安社会 (una)
2007-07-04 13:36:00
家族があろうとなかろうと、
年齢が幾つであろうと、
先が見えない、世の中は、
一歩間違えると、不幸な出来事になる可能性を、
孕んでいます。
東京は、連日のように、鉄道の人身事故がありますし、
全ては、他人事ではないと思います。
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Unknown (非国民通信管理人)
2007-07-04 22:41:07
>京成パンダさん

 傍目から見れば、他に方法はいくらでもあったと思います。ただ遠くから俯瞰してみれば明瞭なことも、真っ正面から直面させられると迂回路は見えてこないものなのではないでしょうか。下には下がいるわけで、より劣悪な環境で生きている人もいますが、そんな人生を他人に提示するとしたら、それはとても残酷な行為だと思います。もちろん、無理心中は決して肯定できませんけれど・・・

>guevaraさん

 死んでしまったら終わりですからね、何とか生きながらえる道を探した方がよかったでしょうけれど、この事件の容疑者である父親には「生きていればいつかチャンスが来る」そんな風な希望は抱けなくなってしまったのでしょうね。暗い未来しか予想できない、暗い未来を予測させる材料しかない、そんな状況が凶行に繋がってしまったような気がします。

>unaさん

 今は苦しくても、将来に希望があるならば、今は困窮していても、明るい未来が信じられるなら、明日に向かってがんばれるわけで、そうであるならば今回の事件は起こらなかったでしょうし、飛び込み自殺だってほとんど無くなるのでしょうけれど、現実は違うと言うことなのでしょうね。一歩先の未来も暗いものに見えると、全てを捨てたくなる人も増えてしまうのかもしれません。
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何年前かな・・・・ (y-burn)
2007-07-04 23:24:06
今でこそ結婚し、二人の男の子のパパやってますが、昔は本当に夢も希望もなく、このまますべてを捨てて、東京の雑踏の中に消えてしまおうか・・・そう思ったことも何度かあります。ちょうど大学辞めてフリーターだった頃かな?その頃今のような福祉の仕事に就くとか、結婚できるとか、子供が出来るとか・・・未来に夢も何もなかった22の頃。

希望なんて、突っ走れば見えてくる、と開き直れたのは、実は30超えてからだったりします。でも、これって自分には当てはまっても、他人には当てはまらないんですよね(同僚のケアマネは、『あんたのような何も考えずに走りまくるのは見たこと無い』とまで言われましたが)。問題は、その人その人の生き方をパターンにはめ込み、そのパターンから抜け出せないこと。そうなると、夢も希望もなくなるんです。

昔、青島幸夫さんはクレイジーキャッツに、「一つ山越しゃほんだらだったほいほい(だっけ?)」って歌詞を書いたことがありましたが、これを作るきっかけになったのが、社会的繋がりから何からすべて失った(村八分にあった)家族の一家心中のニュースを聞き、「その世界から抜け出してしまえば、死ぬことはなかったろうに・・・」という意味を込めた、そういうことらしいです。また、その話を聞いた矢追順一氏が11PMでUFO特集を始めたのも、「くよくよ悩まずに空を見てみないか?」そう言う意図があってだそうです。昔はそう言う逃げてまたやってしまえば、というおおらかな考え方もあったんでしょうが、今の日本はどうでしょう?そう言う逃げ道すらすべて潰す方向に走っているような気がしてなりません。
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パンドラボックス (うぺぽ)
2007-07-05 18:25:37
有名な話でパンドラの箱の話がありますよね。パンドラが箱を開けたら数々の悪霊が溢れ出したが最後に希望が残されていたってヤツ。本当は悪霊が溢れた瞬間にパンドラが驚いて咄嗟に箱を閉めたので希望だけが箱に閉じ込められてしまったのです。だからこの世には夢も希望もないのです(笑)

…死にたくなってきた(;_;)

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他人事では‥ (熊蔵)
2007-07-05 19:53:28
 自分もこの春まで失業していました。その間感じたのは失業しているという事実からさらされる蔑視と弾劾でしたね。実際には経済的的というよりこうした精神的な打撃のほうがじわじわときましたよ。失業していることによって迷惑をかけているはずでもない人からさえ、まさに欠陥品のような扱いを受けました。「何で生活費を世話してもらっているわけでもないお前からそんなこといわれなきゃならないんだ?」という気持ちにもなりました。特に年配の人にそういう人が多かった気がします。わが国には厄払いというものがあります。問題の根本を追及するのではなく、厄がついた(被害を受けた人)を攻撃することによって何かしら安心しようとする気持ちがあるのではないでしょうか。だからここまで貧困が広がった今でも社会的な問題として捉えようとはせず、個人的な厄払いによって事態を認識しようとする人が多いのではないでしょうか。心中を図った男性もまさか自分がこんな欠陥人間として扱われるなどということは考えてもいなかっただろうし、子供の先行きに関しても絶望してしまったのでしょう。自分の場合は自分自身に問題を限定できたからともかく、子供がいると責任を放棄できません、特に責任感の強い人で子供の先行きを思う親ならなおさらです。自分が味わっているような惨めさを子供も味わうのならいっそと考えたのかもしれません。自分は責める気にはなれないのです。もし、厄払い的な方法で考えるのなら「そもそも子供など作るべきではない」というものでしょう。社会的な取り組みで貧困を解決しようとしないのであれば考えられる人道的解決法はこれしかありません。もちろんその解決法を多くの若年者がとらざるを得ない帰結が少子化なのでしょうが‥
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Unknown (非国民通信管理人)
2007-07-05 22:54:22
>y-burnさん

 y-burnさんのコメントを読んで、矢追順一氏への評価が変わりました。ただのトンデモ芸人かと思っていましたが、彼なりに思いがあってのことだったんですね・・・

 子供のいじめや自殺が話題になっていた頃の話ですが、セーム・シュルト(空手家、オランダ出身)や宋文洲(会社経営者、中国出身)が「そこが全てではないのだから、逃げ出してしまえばいいじゃないか」と、そんな類のことを語っていたことが思い出されます。対して日本の有識者や評論家は、立ち向かうことばかりを説くばかりだったような気がします。日本とはそういう文化圏になってしまったのでしょうかね。

>うぺぽさん

 パンドラの箱に希望が入っていたとしても、それが底に入っているのが意地悪ですよね。最後まで中身を出さないと確かめられない。底に希望が入っているとわかれば最後まで中身を取り出す気にもなりますが、でも底に何が入っているかはわからないのなら、先に進む気力なんて・・・

>熊蔵さん

 私自身も失業、無行経験は豊富ですので、就業していない人間への白眼視は痛いほど感じてきました。幸か不幸か独り身なもので開き直って生きてきましたが、どうして仕事をしていないだけで欠陥品扱いされなければならないのか、苛立たしく思ったものです。家族を養おうとする責任感の強い人間ならば追い詰められるばかり、追い詰められないためには家庭を持たない、そういう流れなのかもしれませんね・・・
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