非国民通信

ノーモア・コイズミ

軟禁

2007-08-18 23:00:21 | ニュース

母国モンゴルでは抗議集会「軟禁だ」(日刊スポーツ)

 朝青龍の母国モンゴル・ウランバートルで16日午後、市民団体メンバー約40人が日本大使館前で、日本相撲協会に対し「人権侵害をするな」などと抗議する集会を開いた。集会を開いたのは「モンゴル民主同盟」と「急激な革新」のメンバー。「朝青龍は友好のシンボルだ」などと書いたプラカードを持ち、マイクで「朝青龍は軟禁されている」などと訴えた。これらの団体は、「処分の際はファンの気持ちも念頭に置いてほしい」として、日本相撲協会に処分見直しを求める書簡を送ったという。また15日と16日付のモンゴル各紙では「朝青龍への処分は重すぎる」などの論調が目立った。

 日本ではここぞとばかりに朝青龍バッシングが盛り上がっているわけですが、モンゴルでは全く逆の反応のようです。では日本でもモンゴルでもない、第三国の人間から見ればどうなのでしょうか? やはり今回の朝青龍への処分は異常な事態、人権上の問題を含むものに見えるような気がします。

 競技人口の少なさにもかかわらず相撲が日本の国技として位置づけられ続けているのは何故でしょう? 相撲界が日本社会の縮図としての一面を色濃く有しているからでしょうか。フランスのシラク元大統領は相撲好きで有名でした。他にも相撲好きの外国人は珍しくありませんが、ただそれは相撲の表面だけを見ているのかも知れません。

 競技としての相撲は嫌いではないのですが、単なる競技に止まらないところが相撲の相撲たるゆえんでもあります。相撲取りはその職場である土俵の上、稽古場の中だけではなく、土俵の外でも相撲取りであることが求められる、一度相撲取りになったら、その後は一生を相撲取りとして生きていかねばならない世界です。これがほかの「スポーツ」とは決定的に違うところで、ボクシング選手やレスリング選手、あるいは国際化された競技である柔道や空手には柔道選手や空手選手が存在するわけですが、「相撲選手」という職業は存在しません。どうして? 職業としての相撲は存在しないのでしょうか?

 相撲取りというのは職業ではなく「生き方」です。それがもし職業であるならば、職場の外で相撲取りである必要はありません。しかしそれが「生き方」である以上、いついかなる場所でも相撲取りであることが求められる、相撲取り「らしい」服装や振る舞いが常に要求されるわけです。この辺はヤクザと同じ、そして欧米には存在しない概念である「社会人」と同じでもあります。

 日本では仕事を選ぶことが生き方を選ぶことに繋がります。相撲を仕事と選んだならば、生き方もそれに合わせなければならない、そしてそれは会社勤めやその他の仕事でも同じ、職業と生き方が密接に関連づけられているのが日本社会ではないでしょうか。そして作られた伝統が異常な権威として異論を許さない相撲界にあっては尚更のこと、職場である土俵の外のにおいても、ことあるごとに干渉される相撲取りとしての生き方には不満を感じる人もいてしかるべきですし、外から見てもそれはやはり問題ではないかと。

 正直なところ、断罪する側と裁かれる側の立ち位置が常に変わらない、力関係が一方向にしか向かわないのであれば相撲界は健全とは言えないと思うのです。何かがおかしいと思っても、下からはそれを口にできない、ただ「上」が裁くことしか許されない社会だとしたら、それは全体主義国家に対するものと同様の非難が為されてしかるべきものです。何かがおかしいと思っても疑問を口に出したら処罰される、全ては「上」の決定次第で「下」の人間は従う以外の選択肢がない、そんな世界にはメスが入れられねばならないでしょう。それとも朝青龍への厳罰を要求している人は上が決めて下が従う全体主義モデルの方がなじみ深く、望ましいと考えているのでしょうか。

 もう一つ疑問なのは、職場の外、勤務時間外の行動を縛る権利がどこまで認められるのかと言うことです。例えばあなたが仕事で大きなミスをしたとしても、仕事が終わって会社を出た後に何をするかはあなたの自由であるはずです。それがもし「お前は悪いことをしたのだから、家から出ずに反省していろ」と命じられ、かつ「許可無く外出したら解雇」と言われたらどうでしょう? さすがに日本の法律でも、雇用側にそこまでの権限はありません。自宅謹慎を強要することはできませんし、もし解雇したならば不当解雇に当たります。翻って朝青龍の場合はどうでしょうか? 角界という特殊な世界ではありますが、日本にいる以上は日本の法律を守っていただきたいものですし、角界が日本の法律を無視するのであれば、角界こそがその横暴を非難されねばならないでしょう。

 

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朝青龍に対する処分の恣意性については、下記リンク先の記事も是非ご覧下さい
天地の諸事情 「朝青龍騒動にみる論理性の乏しさ」

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Unknown (Johann Gottlieb)
2007-08-18 23:43:01
相撲協会は、結局才能を海外から導入して、利用しておきながら、異文化に対して向き合う覚悟はないってことだとおもうんですよね。まったく失礼な話ですよね。
国際自由権規約を眺めてみると (仲@ukiuki)
2007-08-18 23:51:49
こんばんは。
TBいただいた記事にも書いたように、「相撲協会に朝青龍関の品格とかをあれこれ言う資格があるの?」という疑問が先走っちゃた私ですが、やはり「自宅謹慎だなんて、今時許されるの?」と不思議に思う気持ちはぬぐい去れずにいます。そこで、たった今、国際自由権規約を見てみました。

「自宅謹慎」について直接定めた条文などやはりないようなので、関連しそうなところを挙げてみると、

「12条1項 合法的にいずれかの国の領域内にいるすべての者は、当該領域内において、移動の自由及び居住の自由についての権利を有する。2項 すべての者は、いずれの国(自国を含む。)からも自由に離れることができる。」同条3項は、国の安全などのために法律によって制限される場合がある、と定めています。

「11条 何人も、契約上の義務を履行することができないことのみを理由といて拘禁されない。」

「8条2項 何人も、隷属状態に置かれない。」

自由権規約は、これらのことが守られるべき措置を、締約国(日本政府)に求めているわけで、そして、日本政府にはそのような人権侵害が一般市民(相撲協会を含む)によってなされないよう、措置をとるべき義務があるはずです。裁判をやったら、「謹慎処分」に関する限り、朝青龍関、勝てる見込みがあるんじゃないでしょうか。たとえ相手が日本の裁判所とはいえ。

まあ訴訟のことはともかく、こういった現代人権法の観点から考えると、「自宅謹慎」という処分に対するモンゴルの市民団体からの「人権侵害」との批判は、すごく自然なことに思えます。いや、むしろその処分がかなり異様に見えてくるといった方が正しいかも。
そして、そういう声が日本の市民の側から上がってきていないことが(ただ私が知らないだけかも知れませんが)、なんだか異様に思えもします。
Unknown (非国民通信管理人)
2007-08-19 22:05:46
>Johann Gottliebさん

 いやはや全くです。要するに相撲協会はいつでも一方通行、外国出身者に旧来のやり方を押しつける一方で、外国出身者が持ち込む異文化は頑なに拒む、こういう組織には疑問を感じますね。

>仲@ukiukiさん

 自主的な謹慎ならともかく、組織が謹慎を強要する辺りにアナクロなものを感じるのですが、不思議と日本では受け容れられがちなところは私も危ういと感じますね。日本国憲法に照らした場合でも朝青龍への処分は自由権を侵害している可能性が高く、協会が不法な私的制裁を加えているような印象も受けるのですが、疑義を唱える声が聞こえてきません。嫌いな国の人権侵害には敏感でも、国内の人権侵害に目を向けられないようでは、と思うのですが。

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