非国民通信

ノーモア・コイズミ

いつの間にかなくなってたらしいのですが

2008-11-26 23:21:10 | ニュース

児童生徒のトイレ掃除復活へ 横浜市立の全小中高(朝日新聞)

 横浜市立の小中高の全500校で、10年度から児童・生徒によるトイレ掃除が復活する。横浜教育改革会議(座長・安西祐一郎慶応義塾長)の答申を受け、横浜市教育委員会はモデル校10校を選定し、小学3年生以上を対象に12月から実施。09年度を試行期間とし、10年度には特別支援学校を除く全市立学校に広げる考えだ。

 対象となる横浜市内の市立学校は、小学校が346、中学校が145、高校が9の計500校。

 市によると、改革会議は06年3月、公共心・規範意識など豊かな心を育む方策として「学校でのトイレ掃除」を提案。これを受け、市教委は、今年度の方針の一つとして、児童・生徒によるトイレ掃除の実施に踏み切る。

 トイレ掃除について、市教委は「自ら主体的に社会を良くしていこうとする子どもの公共心を育む」とし、社会生活に欠かせない法律やルールを守ることの大切さを理解させたいとしている。

 私の通っていた高校には、掃除の時間がありませんでした。まぁ伝統のある進学校なら概ねそんなものだと思いますが、あまり生徒に細かいことは言わないわけです。朝礼&終礼もありませんでしたね、ホームルームは週に1回、始業式及び終業式は「暑いので」「寒いので」「日差しが強いので」「天気が悪いので」「立っていると疲れるので」などの理由により、大抵は校内放送だけで済まされていました。教室のスピーカーは壊れたまま何年も放置されているのですが、そんなことは気にしません。そしてこのような校風によって培われた人間性が高い進学実績に結びついてもいたわけですが、その数年後、会社で見たものは中学校時代と似たような風景でもありました。

 さて、長年の実績を誇る進学校とは正反対の方向で運営しようと企てるのが教育行政の仕事でもあります。今回の思いつきは「トイレ掃除」だそうです。ふ~む、他人にトイレ掃除をさせるのが好きな人には事欠きませんが、はた迷惑な話です。

 そもそもトイレ掃除に限らず、児童に学校を清掃させることにはどういう意味があるのでしょうか? いくら箒を振り回したところで埃を巻き上げるばかりで、「清掃」としての意味合いはなかった気がします。子供のお手伝いが母親にとって二度手間にしかならないのと同じレベルの話で、ガキに掃除を命じたところで、道具を振り回すだけで教室は全く綺麗にならない、完全な無駄だった記憶しかありません。それどころかトイレ掃除など、汚物の付着したブラシやモップを振り回す、飛散した汚物が付着したまま児童が給食を配膳したりと、衛生面を考えればマイナスでしたね。では何のためかと言えば「自ら主体的に社会を良くしていこうとする子どもの公共心を育む」などの、道徳教育のためらしいです、教育委員会の説明するところでは。

 横浜市教職員組合の柳井健一委員長は「教育委員会が掃除場所まで指定して、一斉にトップダウンでやらせるのはどうかと思う。トイレ掃除について良い悪いと議論はあると思うが、掃除場所ぐらい現場に任せるべきだ」と話していた。

 トップの指示でトイレ掃除を強要しておきながら「自ら主体的に~」と語る胡散臭さに、教育行政の姿勢が偲ばれます。そもそも、何故トイレ掃除をすれば「公共心を育む」「法律やルールを守ることの大切さを理解」に繋がるのか、何の説明もありません。新聞社が記事に載せなかっただけでしょうか? まぁトイレ掃除は一片の曇りなき宗教のようですので、教祖様のありがたい教えを広めよう、教祖様がトイレを掃除せよと説いているから、トイレを掃除すれば全ては救われるに違いないと、そう考えているのかも知れませんね。

 「便器と肌で触れ合っているうちにムダなプライドが消え、自己責任社会を受け入れ劣悪かつ違法な労働条件や社会的不正義など汚いものも喜んで飲み込める“社会的肉便器”に育つ」こうしてできあがった肉便器は、「反抗せず柔順に働く」と人気で、卒業後に愛知・名古屋県の自動車工場などが喜んで引き取っていくという。

 トイレ掃除さえさせれば、「公共心」「規範意識」が育まれるだろうと、何となく思いこんでいる人に比べれば、こうした説明の方が遥かに理性的です。トイレ掃除がどう作用するのか、ちゃんと理由を挙げて説明しているでしょう? 教育行政にはそれすら出来ない。そもそも「公共心」「規範意識」が低下しているかのような前提がおかしい、若者の犯罪=非合法行為の件数は親たちの世代より格段に低下しており、「法律やルールを守る」意識は非常に強いどころか、「法を犯したものには何をしても構わない」とばかりに法律やルールを絶対視する風潮も強まっているわけです。まぁ、この前提を見誤らせることで、さらなる「公共心」「規範意識」の強化を必然と見せかけるのも、企図の一つではあるのでしょうが。

 

 ←応援よろしくお願いします

 

ベネッセ調査:「子供は勉強すべき」「テストあった方がよい」 19年前より「まじめ」になった小学生(毎日新聞)

 「子供は勉強すべき」と考える東京の小学生が19年前の45%から64%に増えたことがベネッセコーポレーションの調査でわかった。「テストはあったほうがよい」と考える子の割合も増えており、同社では、大人の考えを理解してその場にあった態度をとれる「良い子」が増えているとみている。

 今の子供と昔の子供、「規範意識」はどちらが強いのでしょうね。


コメント (8)    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ヘイトクライム | トップ | 人柄が偲ばれる »
最新の画像もっと見る

8 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (ノエルザブレイヴ)
2008-11-26 23:38:50
私も小学校時代卒業の2年後に解体されたほどぼろい校舎(一応コンクリ建て)のトイレ掃除をした記憶があります。掃除をさせたい理由は意外と単純で、「苦しいことをすれば何らかの効果がある」という信仰のようなものなのでしょう。

さて、以前こちらでも取り上げられていた記憶のあるフィンランドの学校銃乱射事件(「人生は戦争だ」と犯人が言った事件)に絡めて、「フィンランドは義務教育が終わると競争社会になってしまうので勤勉さがいまいちな男子学生は苦戦する傾向にある」「銃乱射事件が2年で2件」「若い男性が問題だ、と新聞にも書かれる」「若年男性の自殺率が日本の倍近い」というようなかなり真っ暗な内容の記事が以前管理人さんが「気合いが入っている」と評された我が県の地方紙の夕刊に載っていました(配信元は共同通信らしいですが)。学力世界一で視察が絶えないフィンランドでも問題を抱えているのです。完全なるユートピアなど多分存在しないのでしょう。

一方、己の庭の芝が枯れて枯れて見えてしょうがない人たちがちょっと多すぎる気がします。「ほら、隣の家の子の方がよく勉強できるぞ。」という教育方針は遺恨が残りそうな気がするのですが…。
前にも言ったとおり (いるか缶)
2008-11-27 00:07:25
子どもとよく関わる仕事をしているのですが、その子どものうちの1人が過去に例の素手でトイレ掃除をやらされたことがあったのですね(素手じゃないトイレ掃除は今もしているそうです)。案の定みんないやいややっていたとのことですし、その学校は現状でとても荒れているのですが。
こんなことに何かを期待できる横浜市の教育委員会やその他の推薦団体が理解不能ですね。子どもがトイレ掃除をしてる「画」が素敵に見えてしまうのでしょうか。ドラマの見過ぎな気がします。あるいは寺の修行とかの重ねているのかもしれないなと思いました。
行動には思慮が無いと (ふみつき)
2008-11-27 00:35:27
トイレじゃないのですが、風呂掃除が趣味だったりします。(苦笑)
時々何も考えずに一心不乱に何かやる分には、衛生面の問題はありますが、テレビゲームよりは健康的ですし。(笑)
お話の件で李登輝 著『最高指導者の条件』にある便所掃除の話を連想しました。ただし目的はまったく違うらしいのですが。
お話の件については、公共心なるモノが「相手の立場で思慮できる力」と捉えれば、トイレ掃除に固執する理由は無いように思います。むしろ逆に目的のためなら思考を停止する動機付けで強要させる印象を受けます。
Unknown (不備)
2008-11-27 01:02:16
 このトイレ掃除、新入社員研修での教育という名のイジメ、を想起させます。

 他者への感謝や謙虚さ、自制心というものは、子供なり大人なり、常に学ぶものでしょうし、人生を経て行く過程において個々人が身につけるものであって、トイレ掃除を強要されて得られるものだとは到底思えません。統制によって植え付けられた擬似的な「主体的な公共心」などというもののどこに主体性や道徳心があるのか、と問いたくなりますね。

 縁あって20歳前後の若者たちと多く接することが多いのですが、彼らはよく批判される「ゆとり」世代ではありますが、おとなしく礼儀正しい人たちばかりです。若者にせよ子供にせよ、この国はこれ以上どれだけ「従順」な「よい子」を求めるのか、教育する側の異常な暴走なのではないか、と常々恐れている所です。
Unknown (GX)
2008-11-27 17:25:56
 私の高校も非国民さんと同じような進学校でした。進学校とはこういうものなんでしょうかね。公立だと、トイレ掃除はあったりするのでしょうか。
 さて本題ですが、これで身につく自主性といえば「進んで犠牲になってくれること(自己犠牲)」でしょうか。いずれにせよ、酷いですし、本当に身につくかどうかも疑わしいですが・・・。
 まあ、きれいな言葉で取り繕っていますが、ボーガスニュースさんもおっしゃる通り「辛い目に合わされても、文句を言わない『立派な社会人』」を作り出すことが目的でしょう。
 結局は支配者のための行事なのですが、過去に「トイレ掃除がある日本の学校はすばらしい」とおっしゃる教諭のサイトまで見かけましたし(ちなみにその方は「管理教育」も支持していた。)、上記の宗教ほどとはいかなくともそう思う人・・・いえ、そう思い込まされている人は教育関係者を含め多そうです。早く気づいて欲しいのですが、ここにきて逆行してしまっているようですし、気づく日は遠そうです。
Unknown (非国民通信管理人)
2008-11-27 23:48:47
>ノエルザブレイヴさん

 「苦しければ苦しいだけ効果がある」と、苦痛至上主義は永遠ですよね。ちなみにフィンランドですが、銃乱射は教育より銃所持規制の甘さや徴兵制の影響を考慮すべきですし、自殺率に関しても全年齢で見れば日本より低いですから(日本は若者の自殺が少なく中高年の自殺が際立つわけで、たぶんフィンランドとは自殺者の年齢分布が逆なのでしょう)、ちょっと恣意的な記事なのではないかという気がします。もちろん、何もかも上手く行っているわけではないと思いますが。

>いるか缶さん

 もしかしたら「愛の鞭」を奮っている気分に酔いしれているのかも知れませんね。「憎いからトイレ掃除させるんじゃない、可愛いからだ」とばかりに。どう見ても教育行政の自己満足でしかないのですが、それを止められる人がいないのが教育現場の不幸……

>ふみつきさん

 テレビゲームと違って、とりあえず目が悪くなる心配はなさそうですね。まぁ結局は思考停止させる訓練、従順に命令に従わせる訓練でしょうね、上からの命令であれば理不尽なことでも疑問を持たない心、それを養うためのトイレ掃除です。

>不備さん

 実際、新人研修=イジメで採用している企業は多いと思います。やはり最初から強制させることで、力関係を刷り込む意図があるのでしょう。結局「親はなくとも子は育つ」ではありませんが、無理に教え込まなくとも人は学んでいくものですよね、しかし、あくまで教え込むことでどうにかしようとしている、管理したいという欲望の現われだと思いますが、従順な子ばかりを育てた結果がどうなるのやら……

>GXさん

 進学校は概ね「緩い」ですよね。厳しい学校ほど問題が山積みしている、逆効果なのがわかっていないようですが、厳しく干渉されていることそのものに価値を見出す人もまた多いのでしょうか。苦痛至上主義は形を変えただけ、生徒が嫌な思いをしていればいるほど、制限されていればいるほど、素晴らしい学校だと勘違いする教育者も、とりわけ地位の高いところには多そうですし。
Unknown (nanami)
2008-11-29 09:45:17
伝統ある進学校ってそうなのですか。恵まれていますね。ずるいです。
生徒に掃除をさせるのは、単に業者に頼むお金の節約だと思います。
Unknown (非国民通信管理人)
2008-11-29 13:33:59
>nanamiさん

 恵まれているのでも、ずるいのでもなく、何が無駄で何がそうでないか、それを弁えているだけです。それがわかっていない人が生徒に掃除ごっこをさせて、それで自己満足しているだけの話です。

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

ニュース」カテゴリの最新記事