ヨーロッパ人が忙しくない追加的理由(WIRED VISION)
ヨーロッパに駐在する日本人の間でよく話題になるのが彼の地の接客態度です。日本の甲斐甲斐しく超効率的な接客に慣れた身には最初「ココは共産主義か」と思われました。本当に。かつての中国やソ連では売り手がお客さんに商品を投げるという話を聞いたことがありますが、ま、さすがにヨーロッパでは投げませんが、でも、それに近い感じを受けたのであります。
(中略)
実はわれわれはお客という立場で「カネ」にものを言わせることで、互いに互いを追い詰めるという悪循環に陥っているのではないでしょうか。会社にしても顧客の要求への対応と従業員の人間としての尊厳の尊重、この二つのバランスを考えるべき時にきているのではないかとも思うのです。ステークホルダー経営の一環として。
かなり長くなりますので、引用はごく一部だけに止めます。元記事はリンク先からご覧下さい。要するに、ヨーロッパでは店員もマイペースで働き、客も別に怒ったりしない、一方で日本では店員へ徹底してへりくだる、全ては「お客様」のペースでことが進み、些細なことでも客が怒り出す、そんな話です。前回の記事が好評だったので(私も先週取り上げました)その続編と言うことですが、前回が概ね好意的に迎えられたのに対し、今回の記事には感情的な拒絶を露わにするブログが多いようでもあります。どこが違うのでしょうね?
このヨーロッパと日本における、顧客と従業員の関係の違いからは、次のような「日本的」発想が浮かび上がります。
・物事をトレードオフの関係で考える
・曖昧さを許さず、はっきりとした結論を欲しがる
・支配―被支配の権力関係を「友好関係」とみなす
「物事をトレードオフの関係で考える」とは、片方を立てればもう片方は成り立たないとする考え方です。この場合、顧客の便宜を図れば従業員のそれは不可能となり、従業員を優先すれば顧客の利便性が損なわれるとするものですね。要するに、両立は不可能と考える、どちらか片方の選択を迫るわけです。それはつまり、労働者の権利を保障すれば経営が成り立たないと考えるような発想と同じものです。また逆に言えば従業員が犠牲になればなるほど、顧客は幸せになれるとする考え方でもあります。
「曖昧さを許さず、はっきりとした結論を欲しがる」、答えのないものは問い続けるしかないのですが、このような態度を嫌悪し、常に答えを求める考え方です。そこに明確な「答え」があることこそが重要で、それが正しいか正しくないかは二の次、そんな代物でもあります。そしてこの場合、顧客か従業員か(二者択一の仮定の上での話ですが)どちらのことを考えるべきか、どちらが正しいと言うわけでもないわけです。ですが「どちらも正しいし、どちらも正しくない」などと言う曖昧な回答は日本では嫌われます。求められているのは、はっきりした答えです「消費者が優先されるべきである」と。
そして「支配―被支配の権力関係」です。日本人にとって重要なのは「どっちが偉いか」です。決して「対等な関係」は好まれません。支配する側と支配される側、これがしっかりと線引きされており、その関係を見極めた上で対応するのが日本流です(昨今ではKYとも言いますな)。自分が支配する側に回ろうと、支配される側に回ろうと、それを当然のこととして受け容れる、これが日本の常識、逆に「上」が対等に接してくれば道徳的な疚しさを憶え、「下」が対等に接してくれば激怒する、これが日本式コミュニケーション能力なのです。
これを踏まえて、生活にゆとりがある国に日本を近づけるとなりますと、こうでしょうか? 顧客の満足のためには従業員の犠牲が必須という考えを捨てる、従業員の待遇改善=顧客のマイナスという誤った発想を捨てること。一面的な消費者重視を止め、消費者は同時に労働者でもあることを無視せず、両者を共に優先すること。消費者のためなら労働者の犠牲は当然とする一面性を改めること。客だからとか、金を払っているのだからとか、そういった立場の強弱に寄りかかるのではなく、常に目の前の相手を同じ人間として対等に接し、尊重することです。
・・・こうしたことが出来れば日本社会も多少は変わるのでしょうけれど、それを嫌がる向きもあるでしょうか。むしろ「日本的」発想を信奉し、現状のままの権力関係を堅持したいと考える人が、立場の上下を問わず多いような気がします。今回引用した記事に感情的な拒絶を示すブログが目立った理由は、引用文の著者が省庁勤務であることへの差別意識もさることながら、こうした日本とは違った社会の在り方への拒絶意識もまた、強いのではないかと感じるのです。
『「日本人は曖昧で~」と批判されている』とよく言われますが、これはむしろ、事実の逆を指していると思うのです。日本人が曖昧な態度をとることを示すものではなく、日本人が「曖昧さは良くない」と常に自分を戒めている、曖昧さを否定する意識の現われではないかと。「曖昧な日本人」を批判したのが外国人だったとしても、そうした日本人論を積極的に受け容れ、繰り返しているのが当の日本人であることを鑑みれば、最も強く「曖昧さ」を忌み嫌っているのは日本人だと、そう感じるのです。
日本だって田舎の店に行けばいくらでも世間話で待たされますよ。
ロマ族のおばさんとギリシャ人のおばさんは、同じように世間話をして客を待たせると断言できるのですか?
ヨーロッパという広範囲をレジのおばさんだけで推論してる時点あまりにも非論理的でついていけません。
「どこの国も日本とそう変わらない」という発想が周りでも多いです。日本人にとって異文化とはそんなに受け入れがたいものなのでしょうか。
(自分より良い生活をしてるなど嘘だ,という考えもあるみたいですが)
んなこと言ったら、そもそもの「ヨーロッパ人が忙しくない~」の
論旨そのものが根底から崩れるんだけど…。
そういう意見はここで言ってもしょうがないかと思いますよ。
あくまでも一般論としての傾向だと思いますし。
は、置いておいて最近の日本人的顧客サービスは
行き過ぎかなと思うことがしばしばですね。
丁寧な対応はありがたいのですが形骸化してしまって
誰も言うことが同じ。対応が同じでは味気ないなぁ
と思うこともしばしばです。
もっと適当で構わないんですよ。素っ気無い店員が
たまに「いつもありがとう」と言ってくれた方が
言われた方は何倍も気持ちの良いものですから。
別にどっちが偉いとかじゃなくて、対等になればいいですよねぇ。
とりあえず、噛みつけそうなところに噛みついただけのコメントですね。まず引用元に言及していても私のエントリには何ら関係がありません。引用元にしたところで、要点は接客態度ではなく客の態度の方にあるのですが、その要点に対しては何の批判にもなっていない。批判ではなく「感情的な拒絶」と呼ぶのはそれゆえです。
>やくもさん
一つ上のコメントが、あまりにも紋切り型の非難だっただけに、ちょうど良い切り返しになりましたね。それはさておき、異文化に対する拒絶感は強いですね、今の日本のやり方を絶対視して、それとは違う在り方を受け容れようとしない、そんな了見の狭さが目立ちます。この了見の狭さが、他人に対する厳しさに繋がるところもあるのかも知れません。
>通行人さん
まぁ、気にくわないから難癖をつけたいだけの人はそんなものです。さて、顧客サービスの方ですが、実はサービスしたくても出来ないところもあるような気がします。上から指示されたとおりのサービスしかできないので、その指示から外れた自発的なサービスは禁じられているのではないかと。強制によって導かれたサービスですから、形の上では丁寧でも本心でのサービスは受けられない、そんなもフシもあると思うのです。
>contackさん
しかるに、その対等な関係というものが鬼門になっているような気もします。自分が客として上に立てるなら、逆の立場では下になるのも当然視する、ある意味で体育会系的な上下関係に似ているでしょうか。私には付いていけない世界ではあるのですが……