非国民通信

ノーモア・コイズミ

死刑制度を巡る言論を読む

2008-01-06 20:13:51 | 非国民通信社社説

 人によりけりですが、私は割と、コメント欄ではぞんざいな対応で済ませることが多いです。逆にどんなコメントにも丁寧に応対されているブログ運営者も当然いるわけですが、この辺の違いはどこから来るのでしょうか。私は概ね悲観的な方なので、見切りが早いのもあるかも知れませんね。「この人には何を言っても無駄だな」と、そう判断するのが早いということで。

 丁寧に相手の疑問に答えていき、誤解を解きほぐしていく、資料や実例を用意して説明していく、こうしたことがどこまで有効なのか、私はあまり希望を持っていなかったりもします。例えばほら、歴史修正主義者のことを考えてみましょう、彼らはいかにその主張の誤りや無理を指摘されようとも、いかに史料や当事者の証言を突きつけられようとも、自分達の作り話を捨てることはありません。してみると誠意ある対応は徒労に終わるばかりで、さっさと追い出しに掛かった方が良さそうにも見えます。

 死刑制度を巡る是非も、大いに似たようなところがあります。死刑支持者の妄言に丁寧に対応されている方もいるわけですが、だからと言って積極的な死刑支持者が考えを改めるかというとさに非ず、時には論破されることでその場を立ち去ることもありますが、相も変わらず他所では嘘を吐き散らすわけです。だからと言って私のようにあっさりと見切りを付けてしまうのもあまり良くはない、諦めずに粘り強く理を説いていく方が良いのだとは思いますけれど。

 あまり反響はなかったのですが、死刑制度への熱烈な支持は要するに「死刑が好きだから」に尽きると以前書きました。これはもちろん統計や資料で証明できるものではないわけですが、意外に整合性はとれている気がしませんか? 犯罪抑止という面で死刑制度に有効性がないことは、統計上明らかですが、それでも死刑制度に拘る、凶悪犯罪が増えている、無期懲役を受けても十年くらいで釈放されて野放しになるなど、すぐにばれるような嘘をついてまで死刑以外の選択肢がないように見せかける、制度の問題を感情論や道徳論にすり替えて死刑制度が「道義的に正しい」ように装うなど、こうした振る舞いはどうして可能になるのか、その辺を考えると「死刑が好きだから」はあながち的外れではないようにも思うのです。

 統計上の裏付けとか、何らかの論理的な土台の上に死刑制度の支持があるのなら、その統計の誤りや論理の誤謬が明らかになれば、その死刑制度への支持は崩れそうなものです。しかし、本当の土台が「死刑が好きだから」にあるとしたらどうでしょうか? ただ「死刑が好き」「人を罰したい」「人を処刑したい」では格好がつきませんから、それに箔を付けるべく死刑制度を擁護するための諸々の言説が作られているとしたら? そうであるならば、死刑制度を正当化するための口実がいくら否定され、論駁されたところであまり影響はないのかも知れません。根っこにある「人を罰することが好き」という部分は変わらないわけですから。

 そしてこの好き嫌いが根底にあるなら、それを変えるのは非常に難しいことになります。阪神ファンを読売のファンに鞍替えさせるようなもので、人の好みを変えるのは理屈では不可能です。もっとも、阪神が好きとかチェルシーが好きとかインド料理が好きとか、その辺の好みは好みであって、単に自分が好きなだけであって決して「普遍の真理」のごときものではないと、九分九厘の人はわきまえているのでこれが害になることはありません。しかしこの単なる好みに過ぎないものが、どこにでも通用する価値観、唯一無二のものと錯覚してしまうと、往々にして他人への強要に繋がります。先月に何度か扱った「サムライ」なんてのもそういう使われ方をする概念なのですが、同様に死刑制度への「愛」もまた、個人的な嗜好を超えて他人へと強要されている、それが現状でしょうか。

 問題意識というのは割と幅広く共有できるものですが、しかるに同じ問題意識を共有していながら、最終的に正反対の方向を向いてしまうことがしばしばあります。例えば労働環境の問題を巡っても、私は雇用主を批判しますが、ある人は被雇用者同士で非難し合うことを選ぶように、結果はしばしば分かれる訳です。そして犯罪者をどう扱うべきかも同様で、不思議と結論は二つに分かれます。

 何か問題となることを目の前にして、それを「我々の社会の問題」として捉えるのか、それとも「(自分とは関係ないどこかに)悪い奴がいるからだ」と考えるのか、そこが分かれ目なのかも知れません。前者であれば、その問題が生まれた構造的な背景を探ろうとするところですが、後者であればまず犯人捜しが始まり、目についた犯人を罰することで物語が完結します。その問題が生まれた原因に対処しなければ似たような問題がいずれ再発するわけですが、過去の失敗を教訓とすることは必ずしも好まれていないようです。

 自らを省みることを知らない勧善懲悪の世界から抜け出せない人は「(自分とは関係ないどこかに)悪い奴がいるからだ」という思いからも同様に抜け出せません。そして目の前の問題を解決する唯一の方法として、その「悪い奴」を罰することにしかたどり着けないのではないでしょうか。「悪い奴」を消すことでしか問題を解決できない、それが人を罰することへの異常な愛情へと繋がり、死刑制度への盲目的な擁護へと至ります。

 まぁ排外主義やレイシズム、歴史修正主義がそうであるように、死刑制度支持者も本当に熱心で何を言っても無駄な人というのはそんなに多いわけではなく、過半を占めるのは単に流行に流されている人です。好きで死刑を支持している人の考えを変えることはできないかも知れませんが、単に流行を追っているだけの人は、旗振り役が変わればその進行方向も変わるでしょう。政界の人も一部のどうしようもないバカを除けばですが、死刑賛成よりも死刑反対の方が支持を集めるとあらば主張を変えます。もっとも流行を作りだしているのは概ね体制派で、流行を拡大再生産してもいるわけですけれど。

 いずれにせよ、日本では死刑制度に賛成する意見が圧倒的多数を占めるという異例の事態に陥っています。減少傾向にある凶悪犯罪に対し、急増しているのが極刑判決や死刑への支持、こちらの方こそが深刻な問題です。我々はこれにどう対処すればよいのでしょうか? どうも国際的な孤立や人道面からの批判、死刑制度を支持する意見の誤謬を指摘するといった「北風」は全く通用していないどころか、かえって信者を意固地にしてしまっています。押してダメなら引いてみよ、次なる手段は「太陽」でしょうか。でも「太陽」って何かあるでしょうか?

 

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9 コメント

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『太陽』 (KY)
2008-01-06 21:42:40
『太陽』で『日本』といえば『天皇』ですから、ここはやんごとなき方々に仕事してもらうのが一番手っ取り早いように思います。(笑)

死刑存置が実際の経済活動にも影響があるのなら、経団連の意を汲んだマスコミによる集中砲火的洗脳キャンペーンがあるでしょうがそうなっていないところを見ると、『国際的孤立』はさほどのものでもないということなのでしょうよ。
Unknown (非国民通信管理人)
2008-01-06 23:18:59
>KYさん

 さすがに自分でも無理があると気付きませんか?

 ま、中国に北朝鮮というお友達がいますから国際的孤立はしていないと、そう言えなくもないのでしょうかね。共に死刑好き同士、中国政府や北朝鮮政府とも仲良くしてくださいね。
死刑は犯罪防止にはならないけど (tatu99)
2008-01-07 10:39:07
死刑制度は自殺願望者から実行者への究極の転化防止が無いのと同様に犯罪防止にはなりません。
 
死刑制度は被害者サイドの意向を国家による代理復讐と認識しています。
被害者加害者の双方が自分のほうが被害者と主張し泥仕合になるのが現実で永遠の敵討ちごっこをストップする手段として死刑制度容認です。
正当防衛が根源的な権利であり、復讐もそれに準ずる立場で死刑制度は憲法9条より上位です。

管理人さんの立場に対しては、死刑支持者の妄言に丁寧に対応する必要はないし、不可能です。
管理人さんは不愉快な投稿に対しても公平に公開されているだけで充分です、前回の投稿でも妄言と指摘されましたがこの事自体に不満はありません。
公平な公開をされているブログ主に対して自分自身に関しては捏造までしません、という事である時空間(時代と地方)で公務員採用は殆んど縁故でした。
たまたま同級生の話で直接聞いたのです、風聞ではそれが当たり前、そのためにこそ選挙応援の風土でした。
賢者 (KY)
2008-01-07 11:33:03
人間は感情と損得をメインに動くものです。
正義が支持されるのは単にそれがたとえ現時点では少数派であっても、将来的に多数に支持されて力を得るであろうと想定されるからであって、『正しいから』支持されるのではありません。

あなたのように論理を弄び、他人の愚かさを嘲笑って自分の無力さから目を背けているのでは『未来なんてあるわけがない』でしょうよ。
Unknown (Bill McCreary)
2008-01-07 20:21:54
>死刑制度支持者も本当に熱心で何を言っても無駄な人というのはそんなに多いわけではなく、過半を占めるのは単に流行に流されている人です。

私もこの意見に賛同します。世間のたいていの人間は、犯罪抑止効果と死刑の関係なんて知りませんし(法務省が嫌がっているしね)、やれ「光市母子殺害事件」だ、「池田小学校殺人事件」だ、「名古屋通り魔強盗殺人事件」だとかの事件がおきたとき、頭に血が上り「死刑だ」と考えちゃう人たちでしょう。

個人的には、こんな奴ら、一生刑務所に放り込んでおけば社会では悪さをしないのだから、それでいいと思いますけどね。事実、最近の無期懲役は、殺人がらみでは仮釈放は困難です。
Unknown (非国民通信管理人)
2008-01-07 22:35:47
>tatu99さん

 まぁ私は復讐なんて代物には興味がありませんし、復讐の権利があると思いこんで騒いでいる人にこそ「黙れ」と言いたい気分ですけれど。なんと言いますか、何らかの形で自分が恩恵を受けるような権利に関しては否定されがちな一方で、復讐などの他人を傷つける権利に関しては熱心に擁護される人が多いような気がしますね。

>KYさん

 ある程度、自分の書いたものに対する批判であると反論も書きやすいのですが、KYさんの場合ですと何かを否定したい意図だけは汲み取れるのですが、具体的に何のことを言っているのか判別しかねるのが難しいところですね。野球で言えばストライクゾーンから外れた球は打ちにくいのと同じでしょうか。

>Bill McCrearyさん

 とは言え、流行に流されている人は概ねヒステリックな方向に傾きがち、そんな「ファン」の期待に応えるべくメディアもそれを煽る形で憎悪を増幅させているのが現状でしょうか。実際に凶悪犯に出会う可能性は車に轢かれる可能性よりも低い一方で、毎日のように直面させられるのがこのヒステリックな世論、むしろ苛立ちを感じるのは犯人という遠い個人ではなく、もっと身近な世論の方だったりもします。
Unknown (あんのうん)
2008-01-09 00:04:36
漫画『寄生獣』で、「種としての人は、人を殺せと言っていた」なんて事が書いてありました。まあ『寄生獣』は環境問題なんかをテーマにした作品なので、今回の話とは関係ありませんけど。

「復讐したいという気持ちは、人を殺すという行為で晴らすに限るぜ」という考え方は、非常に恥ずかしい考え方なんだよ、という意識が一般化すればなぁ、と思います。まあそういった考え方に陥ってしまう気持ちも素朴にはわかりますし、思うこともありますけどね(こいつ死刑になればいーのにな、と)。
ご紹介ありがとうございます (村野瀬玲奈)
2008-01-09 01:12:39
ご紹介ありがとうございます。
とはいえ、リンクしていただいた記事は、ほかの方のエントリーへのリンクを貼ったものですけど。(^^;

死刑についてはまだまだ書いておきたいことがあります。こちらでも勉強させていただいておりますので、今後もよろしくです。
Unknown (非国民通信管理人)
2008-01-09 23:41:54
>あんのうんさん

 環境問題となりますと、結果的に人類を破滅させてしまうイメージが湧きますが、死刑の場合となりますと意図的に個人を抹殺するわけですからね、より欲望がストレートに出ていると言うべきなのでしょうか。復讐心や他人への殺意や悪意、こうしたものを抱くのは避けられないことですが、それが野放しにされるどころか社会が煽り立てているのは問題ですね。

>村野瀬玲奈さん

 リンクはまぁ、どれか他のエントリも考えたのですが、無理に一つに絞るくらいならリンク先から色々と飛べるところのが良いかな、と思いまして。どちらかというと私の興味の対象は死刑制度そのものよりも死刑制度にしがみつく人々なのですが、まだまだ謎は尽きません。

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