非国民通信

ノーモア・コイズミ

都合のいいつまみ食い

2007-02-22 23:42:52 | ニュース

勝ち組が勝ち組を再生産(東京新聞)

 「今や日本の経営者の視界から一般国民の姿が消えうせ、あるのは市場のみです。米国をまねるなら、マイクロソフト社を起こしたビル・ゲイツに代表される成功者のフィランソロピー(慈善活動)も見習ったらどうでしょう」

 格差問題が広く語られている折、財界OBからこんなメールをいただいた。日本経団連の中期展望「希望の国、日本」、いわゆる御手洗ビジョンが所得の再分配に否定的な立場を貫いていることに驚き、傲慢(ごうまん)さすら感じたという。

 再分配政策は財政再建などの改革を中断させるものであり、格差は改革で生み出される成長の果実を広く行き渡らせることによって克服しなければならない、とビジョンは主張する。

 人件費の安い中国製品が日本に押し寄せるなど、経済のグローバル化も格差拡大の一因なので、企業はぜい肉をそぎ、政府も郵政民営化などで筋肉質の組織に衣替えする。

 こうした改革を推し進めれば国際市場での優位性が保たれて格差も縮小するのだという。それでは、派遣労働などの非正規社員はぜい肉をそぐための踏み台ではないか。

 格差が広がり、国民が将来不安を抱く結果を招けば、是正手段のひとつとして税制や社会保障を通じた所得再分配こそ出番となるはずだ。その安全網ですら改革に逆行するというのでは、格差を生み出す雇用形態を正当化するのか、と言わざるを得まい。

 「経団連は米国経済を都合よくつまみ食いし、ゲイツらが巨額の私財を社会還元する米国の文化には目をつむる。ビジョンの本質は勝ち組による勝ち組の再生産です」。後日、くだんのOBが第二信を寄せてきた。

 ゲイツなどアメリカの大富豪が寄付などの社会還元に熱心なのに比べ、日本の財界人が富の分配を頑なに拒む姿勢が批判されています。この違いはどこから来るのでしょうか?

 一つには制度の違いがあります。アメリカの場合は基本的に寄付金が課税控除の対象に算入されるため、寄付すれば寄付しただけ納税額を抑えられる、寄付が税金対策の一環でもあるわけです。だから大富豪が税金逃れのために積極的に寄付をするように仕向けられるシステムなのですね。これはアメリカという社会保障制度に欠陥を抱える社会を補完する意味合いがありまして、つまりアメリカでは公的な社会保障がきわめて貧弱である反面、超格差社会の勝ち組である大富豪からの莫大な寄付金による慈善事業が盛んであり、公的な社会保障では救われない階層に対するセーフティネットの役割を肩代わりしているわけです。一方、日本では寄付金が課税控除の対象になるケースが極端に限定されており、金持ちが税金逃れのために寄付をするケースが発生しないわけであり、これが日米の差を生む一つの要因となっています。

 ただ、そのような制度、金持ちが単純に善意からではなく、税金逃れのためであれ積極的に寄付をするように仕向けるシステムが作られ、受け容れられた文化的背景にも注意を払っておかねばならないでしょう。すなわちアメリカでは分権意識が非常に強く、国家に強大な権限を与えてこれに委ねようとするのではなく、各州がそれぞれ独立した権限を持とうとする、あるいは今なお民兵組織が強大な勢力を誇るなど、警察による安全保障ではなく、自ら銃を持って身を守ろうとする、国家権力の拡大に対する警戒感が民衆に根付いており、何事も自らの手でやろうとする文化が根強いわけでして、これが寄付金による社会還元を選択する要因となっているわけです。大富豪が莫大な額を納税し、それを財源として社会保障に当てることも可能なわけですが、国家権力による税と社会保障のコントロールに対して不信と抵抗がある、それよりも自分の手でやりたい、費やす額は同じでも、自分の手で社会保障をコントロールしたい、だから課税される前にどんどん寄付をする、自分の選んだ慈善事業にどんどん資産を注ぎ込む、そういう構造になっているわけですね。

 対して日本はどうでしょうか? 上辺だけはアメリカの「小さな国家」を模倣して社会保障を削減しているものの、アメリカでその補完として存在する寄付=慈善事業による社会保障の存在が完全に無視されてはいないでしょうか? そして国の意思で金が使われるくらいなら、慈善事業にでも費やしてやろうという考え方がどれだけ存在するでしょうか?

罰金払ったほうが(労働相談110)

あまりにひどい会社なのでやめたいという相談。有給休暇も全然とってないようなので、その分を消化して退職する方法を教えてあげました。さっそく、「これから有給消化をしたのち退職する」という届けをだしたところ、会社は「わが社にはそのような先例はない。」という返事。そこまでなら珍しくはないがそれに続けて「罰金を払ってもあなたに払う金はない」と・・・・

 どうも御手洗ヽ( ・∀・)ノ● ウンコーだの奥谷禮子だの丹羽宇一郎だの、柳沢厚労相でさえ呆れかえる財界のお偉いさんの言葉を聞く限りでは、労働者を慈しみ善を施そうという発想はないように見えます。逆に、どれだけ搾り取れるかを考える、労働者にゆとりを与えることは「もったいない」と考えているように見えるわけです。労働者に余分な富を与えるのは「もったいない」ことであり、もし富が余ったならば何か他のことに使わねばならない、その結果として「罰金を払ってもあなたに払う金はない」という発想に辿り着くのです。

 一貫性して小さな政府志向であるアメリカの大富豪ならば「慈善団体に払っても国に納める金はない」と考えるところですが、困ったことに日本では大きな政府を目指しているのか小さな政府を目指しているのか、一貫性がないどころか悪いところを寄せ集めています。一貫性のある小さな政府志向であれば納税額を抑える一方で社会保障を国に丸投げはしない、一貫性のある大きな政府志向であれば納税額が高騰する一方で社会保障の責任は国が負う、しかるに日本の場合は納税額は抑えるが、社会保障は国に丸投げする、我々国民にとって最悪の選択が行われているわけです。やれやれ。

 

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