非国民通信

ノーモア・コイズミ

人間と、サイズの合わない棺桶

2006-06-18 14:32:42 | 非国民通信社社説

 何かの寓話だったかホラー小説だったか記憶が定かではありませんが、死体のサイズが大きすぎて棺桶に入らない、そこで死体の足を切断して棺桶に収容する話が思い出されます。結局、足を切断して棺桶に押し込められた死者が蘇り、墓守だったか棺桶職人だったかは罰が当たったということでやられちゃう訳です。こういう話の前提には死体のサイズに合わせて棺桶を作り直すのが筋だろうとの考え方があるわけですが、でもどうでしょうか? 現実には棺桶に合わせて死体を小さく切り詰めるものではないでしょうか。

 日本人の精神的故郷である旧日本軍では、支給される靴のサイズが合わないなんてことはよくあったようです。で、靴のサイズが合わないなどと言おうものなら「足を靴に合わせるんだ馬鹿者!」と。この明治期以降に確立された武士道精神は今もなお脈々と受け継がれています。人間とそれを取り巻く社会環境の間に不適合があれば、誰もが迷わず人間を環境の側に適応させる方法を選びます。切断されるべきは人間の側であってそれを収容する器ではないのです。まさに武士道ですね。

 山田昌弘氏に『希望格差社会』という著書があります。この著書はかなりマシな代物です。ひたすらに願望ばかりを投影している新聞やテレビ番組と比べれば遙かに現実的、事実に基づいた分析が中心となっています。この著書の中で山田氏は若年層を取り巻く環境の変化、付随的に若年層の変化を取り上げており、それは概ね現実に即したものとなっており、一定の信頼が置けます。ただし限界もあり、とりわけ最終章である9章の内容はあくまで会社=社会側の要望に沿った結論となっています。

 具体的なことは上述の著作にあるので省きますが、要するに若年層を取り巻く会社環境が大きく変化している、この変化のために若年層と会社社会の間に深刻な齟齬ができている、と。そこまでは正しいのですが限界を感じさせるのは最終章における問題解決のための提言にあります。要約すれば、若年層は身の丈にあった職に就け、と。クズであるところの若年層はその身の丈にあったクズ職に就くべきである、と。この主張は新聞や御用学者のそれと同じものですが、山田氏の主張に一定の評価ができるのはそのためのシステムを作ろうと具体的なプランまで用意しているところです。新聞や御用学者の場合、ただそうなることを願い、そうならない怒りをメディアを通じてまき散らすだけですが山田氏は自分の側の願望をただ投影するだけではなく実現のためのプランを用意しており、それは評価に値します。

 もう少し表現を変えて言い直してみましょうか。要は雇用情勢が悪くなっている、企業が低賃金労働者を必要としている、会社勤務で成功する人数がどんどん限られてくる、そういった中で若年層が新規にまともな仕事にありつくことは難しくなっています。そこで生まれた若年層と会社社会との齟齬をどうすべきか? 新聞と御用学者は若年層に憎悪のまなざしを向けることで問題から目をそらします。では山田氏は? 現実を見据えている山田氏は著書の中で若年層に希望を捨てることを説きます。若年層に希望を捨て、まともとは言えないクソ仕事への就業を説きます。そしてそれを補助するための施設の運営も視野に入れています。いくら若年層がまともな仕事を望んでも求人に限りがある以上、まともな仕事に就ける人の数は限られるのであり問題は永遠に解決しません。だからここは若年層を諦めさせ、クソ仕事に従事させる、そのための施設も運営する、と。山田氏の現実へ立ち向かおうとする姿勢は夢見がちな新聞や御用学者などのメディアとは一線を画すものであり、それなりに評価できるわけです。

 もちろん、根本的なことは変わりません。人間と環境、この両者を適合させるために人間の側を矯正するという発想では山田氏も大手メディアも同じです。死体を棺桶に収めるため、死体の足を切断した棺桶職人と考え方は何一つ変わりません。もちろんこの考え方にもいいところはあります、それは、簡単だということ。誰しも安易な方法を選びたがるものです。棺桶を作り直すより死体の足を切った方が手っ取り早いのと同じで、環境を変えるよりも人間を矯正した方が簡単なのです。

 自分を変えるなんてのは簡単なことです。自分が変わればいいのですから。でも自分を取り巻く環境を変えるのは難しい。そしてつい安易な道を選ぶ、人間に合わせて環境を変えるのではなく環境に合わせて人間の側を変形させてしまう。でも、それでいいのでしょうか? 私は足を切るより棺桶を作り直したい。大切なのは人間であって会社じゃない。足を靴に合わせるのではなく、靴を足に合わせたい。棺桶の中の足を切られた死体が望むのは、たぶんまだ足を切られていない人が自分たちと同じように足を切られること、小さな棺桶に押し込められることかも知れません。それでも私は棺桶の中から立ち上がれと呼びかけたい。どれほど憎悪され、蔑まれようと、そして待ち受けているものが確実な敗北であろうとも、棺桶に収めるべく足を切り落とそうとする相手との戦いを呼びかけたいのです。
 当サイトでは社会に合わせてそこに生きる人間を変形させようとする願望と戦い、人間に合わせて社会を変形させるために戦うことを訴えます。

『社会』 ジャンルのランキング
コメント   トラックバック (1)   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« Strange Meeting | トップ | 文化庁長官が国民におわび »
最近の画像もっと見る

あわせて読む

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
ブログ作成者から承認されるまでトラックバックは反映されません。
  • 送信元の記事内容が半角英数のみのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • ※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。
「永住者」の扱いに関する立法事実と、政府による議会制民主主義の破壊(入管法改定案に関する国会会議録より) (多文化・多民族・多国籍社会で「人として」)
2007.1.10.02:10ころ 昨春の入管法改定に関する国会審議において、議