非国民通信

ノーモア・コイズミ

所信表明演説がありました

2009-10-26 22:56:47 | ニュース

政治主導で「国政を変革」=対等な日米同盟目指す-鳩山首相が初の所信表明(時事通信)

 鳩山由紀夫首相は26日午後の衆院本会議で、就任後初の所信表明演説を行った。首相は冒頭、先の衆院選で政権交代を選択した国民一人一人の期待に応えるため「国政の変革に取り組む」と決意を表明し、「官僚依存の仕組みを排し、政治主導・国民主導の新しい政治へと180度転換」させると宣言した。外交では「緊密かつ対等な日米同盟」の構築を目指す方針を強調。自身の政治資金管理団体の偽装献金問題にも触れ「政治への不信を持たれた。誠に申し訳ない」と陳謝し、捜査への全面協力を約束した。

 さて所信表明演説があったそうです。随分と長かったようですが、それほど目新しいこともなかったと見て良いでしょうか。そんなわけで突っ込みどころもだいたい同じです。つまりはこの辺、「官僚依存の仕組みを排し、政治主導・国民主導の新しい政治へと180度転換」とのことですが、どうも小泉路線の継承を濃密に感じさせるんですよね。

 まず「敵の敵は味方」みたいな感覚と、「官僚/公務員=国民の敵」とするイメージがあって、その官僚/公務員を排除しようとする自分たちはすなわち国民の側に立つものである、自らをそんな風に位置づけようとする手口は、何がやりたいんだかよくわからなくなってきた麻生内閣時代よりもずっと明瞭な小泉路線と言えます。一概に「政治主導=国民主導」とは言えないはずなんですが、「官僚/公務員の敵」=「国民の見方」みたいな捉え方がやっぱり幅広く通用するのでしょう。

 首相は、国政変革へ「まず行うべきこと」として、(1)税金の無駄排除のための組織や事業(2)税金の使い道と予算編成の在り方-をそれぞれ徹底的に見直す「戦後行政の大掃除」に取り掛かる考えを表明。ダム建設や道路整備などの大規模公共事業について「本当に必要なものかどうかもう一度見極めることからやり直す」と力説した。

 「戦後」の否定とは安倍晋三を彷彿とさせますが、まぁ否定の対象も半分くらいは異なるでしょうから良いとしましょう。ただ第一に掲げられているのが「無駄排除」という辺りに鳩山内閣の性質が表れていると思います。結局のところは「古い自民党」への否定を原動力として勢力を伸ばした内閣として、やはり小泉内閣と性質を似通わせる部分が少なくないのではないかと。後ろの方に追いやられた政策の中には評価できるものもある民主党ですが、最前面に掲げたものは懸念を感じさせるものばかりです。

 その上で、衆院選のマニフェスト(政権公約)に明記した重要政策に言及。「財源をきちんと確保しながら」子ども手当の創設や高校授業料の実質無償化、ガソリン税の暫定税率の廃止、高速道路の原則無料化など「家計を直接応援する」施策の推進を約束した。経済政策では「国民の暮らしを犠牲にしても経済合理性を追求する発想はもはや成り立たない」と小泉構造改革路線を明確に否定した。

 それでまぁ、この辺は半分くらいは評価できるわけですが、本当に小泉改革路線を否定できているのかが怪しい、自民党の谷垣と同様、口先だけの否定ではないかという気もします。「官」の反対=国民の側に立つポーズを取り、まず先にムダの排除ありきという姿勢は小泉路線を踏襲しているわけですから、いったい小泉改革をどうとらえているのでしょうか? ただ適当に否定しておけばいい? 「国民の暮らしを犠牲に」という部分は正しい認識かも知れませんが、「経済合理性を追求」というのは正しいのでしょうか? 国外の景気回復の「おこぼれ」に預かっただけで国内経済はガタガタだったことを考えれば、小泉時代が経済合理性を高めた時代であったとはとうてい思えないのですけれど。

「変革」強調、民主議員が大きな拍手…首相所信表明(読売新聞)

 首相は今回の政権交代を「無血の平成維新」と表現し、「官僚依存から、国民への大政奉還で、中央集権から地域・現場主権へ、島国から開かれた海洋国家への、国のかたちの変革の試み」と位置づけた。衆院でも参院でも、演説が終わると与党議員が立ち上がっていつまでも拍手を送った。

 大政奉還以降は中央集権体制へと突き進んだのが日本史の常識だと思いますが、どうも逆を想定しているみたいですね。今回の「大政奉還」の後は中央集権(=大きな政府?)から地域ごとに治外法権的な独裁者(橋下とか河村とか)に権限を持たせる方向に進むつもりでしょうか。それはさておくにしても「官僚依存から、国民へ」だそうです。自民党はどこへ行ったのでしょうか? これだと「官僚」が「主犯」であり、自民党はおまけみたいな扱いです。民主党は自民党や小泉改革の対極に立つものであるよりも、まず第一に官僚と戦うものようです。本気で小泉改革路線を明確に否定するつもりなら「官邸主導から国民へ」でも良いじゃないかと思うのですが。

 首相は演説後、首相官邸で「私が行いたい政治を国民に伝えたかったという意味では、それなりの反響があった」と記者団に述べた。一方、自民党の谷垣総裁は国会内で記者団に「やや冗長で感傷的だ。(首相への拍手歓声は)ヒトラーの演説に賛成しているような印象を受けた」と語った。

 他にも谷垣は「具体性がない」「かけ声ばかり」みたいなことを述べていました。どうなんでしょう、谷垣自身が小泉内閣の重鎮だった頃に外から投げかけられた言葉を、そのまま民主党に投げ返しているような印象を受けます。鳩山内閣の性格を考えれば小泉内閣へ向けられた批判を「再利用」することは的外れでもないとは思いますが、「おまえが言うな」的な部分もありますよね。自分が言われて悔しかったものを逆に言い返してやった、ぐらいのつもりなんでしょうか。こんなのでも自民党ではマシな部類に入るわけですから、民主党は当面ライバル不在かも知れません。

 

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11 コメント

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まぁ大事なのはアクションですから (ふみたけ)
2009-10-26 23:23:24
言うだけだったら、麻生元総理も結構マトモな所信表明してた訳で、大事なのはこれらから何をするか?に尽きます。
所信表明で何を言おうが、これだけあげつらっても仕方ないだろ?と実は冷めた目線で見てる部分もあります。
あと自民はどうも予算財源や鳩山総理の故人献金を徹底追及と息巻いているようですが、恐らく外交、厚生委員会あたりで過去の政権における問題を取り上げるでしょうから、吊るし上げ喰らうのはむしろ野党側じゃないか?と思うところです。
まぁ、その辺は自業自得なので自らを省みてねと言うしかありません。
ただ、ホントに困窮してる国民的には雇用であり経済であり福祉対策の利用者目線にあった改善を図って欲しい訳です。
政府にもやれる事は限られてる中で努力してるのはわかるのですが、やはり一昨日発表された緊急対策では不安を解消するモノとは到底言えません。
残念ながらその辺に熱心なのは野党で言えば共産ぐらいな訳で、正直言うと与党はともかく「健全な野党不在」の状況はかなりマズイと感じるのが私の思うところです。
Unknown (非国民通信管理人)
2009-10-26 23:52:04
>ふみたけさん

 たぶん自民も民主も、お互いの痛いところをつつき合うことになるので、噛み合わない論戦になるんじゃないですかね。回答する代わりに質問するみたいな。まぁ民主党が二の次にしている政策次第ですが、どうなんでしょうか、看板に掲げている部分だけで終わってしまうかも知れませんよ。
Unknown (やす)
2009-10-27 01:06:47
そこそこ余裕のある暮らしができなければ政治への「想像力」も豊かには、ならないということなんでしょう。(誰も競争は否定していない
こういう言葉しか見つからないんですよね・・・。

忙しくなればなるほど単純な解決策を出そうとしますから。
これは不断に警戒しないとまずいのではないかと思います
Unknown (ポール)
2009-10-27 14:04:04
「維新」という言葉が良い意味で使われた例を私は知りません(笑)。

首相が素で称揚しているらしい「明治維新」にしても中身は「革命」などの類とはむしろ逆、その後に「日清戦争」とか「三・一運動」とかがセットで付いてくる性質のものでしたが……。
Unknown (貝枝五郎)
2009-10-27 21:19:26
>首相が素で称揚しているらしい「明治維新」にしても中身は「革命」などの類とはむしろ逆、

明治維新という名のクーデター
しかし一つの事件が起き、開国を契機として日本人が民族を形成する可能性は消し飛んでしまった。後に明治維新の名で正当化されることになる一八六七年の王政復古のクーデターは、開国の意味をめぐって始まろうとしていた討論を断ち切ってしまった。このクーデターは大久保利通、岩倉具視ら一部の人間の純然たる政治的野心の産物であり、思想も理念もなく、政治的に正当と言えそうな根拠もなかった。(『民族とは何か』講談社現代新書、196ページ)
Unknown (非国民通信管理人)
2009-10-27 22:41:20
>やすさん

 そこで「余裕」と「ムダ」の違いを考えちゃうんですよね。ムダを削る=余裕をなくすことではないのかと。「効率化」と言われると否定的に見る人が左派には多いと思うのですが、「ムダ削減」はまさにその効率化ではないのかと……

>ポールさん

 「国家戦略局」というネーミングにも、あまり良い印象を受けない人がいるみたいですしね。「維新」も同様で、こういう猛々しい言葉を好んで使う辺り「友愛」とは羊の皮に過ぎないのではないかと思わないでもありません。

>貝枝五郎さん

 ちなみに明治維新とは「勤王(尊皇)」と名を借りた天皇の政治利用の運動でもありましたね。(自分の思い通りにならない)孝明天皇暗殺疑惑の岩倉具視など典型でしょうか。岡田外相の「お言葉発言」辺りはどうでしょう?
Unknown (daimong)
2009-10-28 23:08:07
>「国民の暮らしを犠牲に」という部分は正しい認識かも知れませんが、「経済合理性を追求」というのは正しいのでしょうか? 国外の景気回復の「おこぼれ」に預かっただけで国内経済はガタガタだったことを考えれば、小泉時代が経済合理性を高めた時代であったとはとうてい思えないのですけれど。

総理の指摘は正しいと思いますよ。経済合理性を追求とは例えば小泉時代はトヨタが契約社員を低賃金で雇い、トヨタは栄えたが人々はさほどでもなかったようなこと。トヨタのような各企業が自分にとって利益の最大化を図った結果として日本経済を沈滞化させた、いわゆる合成の誤謬という状態を発生させたわけです。短期的には、各企業は繁栄を謳歌し勘違いしたトヨタなどはアメリカにSUVの新工場を作ったりして今苦しんでますね。
Unknown (非国民通信管理人)
2009-10-28 23:20:13
>daimongさん

 特定企業だけが栄えたが日本全体としてみれば衰退したのですから、これが合理性を追求した結果と呼べるのでしょうか? むしろ一部の特権階級、企業側に利益を誘導するために合理性を犠牲にしたと見るべきであり、小泉時代を合理性で認識するのは実態に即したものではなく、作られたイメージに迎合しているだけではないかと。
分かりやすい政治なんて糞食らえ! (やす)
2009-10-29 21:14:06
http://www.asahi.com/politics/update/1029/TKY200910290314.html

要はどれだけその政策が慎重に作られるかということであって単なる頭のよさとかそういう問題ではないと思うのですが。
社会や政治や経済にどれだけ影響が及ぶかを徹底して予測する、そういう慎重さこそが、求められているわけであって(ry
Unknown (やす)
2009-10-29 23:33:09
何が無駄なのかが公開されればもっと国民的議論も進むでしょうがデメリットもあります。
要は調べもしないで、話が進むというやつですね。

まぁ「この調べもしないで」というのはすべてに共通する話なんでしょうが・・・

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