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< リアル 芸能 ルポ > 映画俳優・髙倉健、第7回。この世を去って、すでに2年5か月。やっと、ファンも誰でもが訪れることが出来る「墓碑」が建立された。知らされていない、その裏側。最新情報版

2017-10-03 18:47:09 | 芸能ネタ

 《 2017・4・5 掲載記事 》

 しばらくぶりに、「髙倉健」という名を、パソコンのキーに、打ち込んでいる。

  高、ではなく、髙。

 東映映画で、たった1~2シーンしか、彼が出演していない作品も含めると、205本もある。

 そんな中には、1シーン目は、彼が、その正体や国籍不明の暗殺者として出てきて、2シーン目にはに逆に、あっさりと、いとも簡単に殺されるという、まか不思議な映画も入れての205本。

 そんなのも含めて、当初こそ「髙倉」だったのが、いつの間にか「高倉」になっていたり、映画では「髙倉」と出ているのに、宣伝のための資料やパンフレットには「高倉」に。

 ま、創る方は、こだわっちゃあいない! ちょいとでも健さんが出てくれれば、観客を呼べるかも?、という算段からのことのようだった。

 で、亡くなって・・・・・と「養女」が公表して、すでに2年5か月もの月日が過ぎ去った。

  「養女」は、かつて公人として女優やタレント活動をしていた。上記写真は、当時の所属事務所が公けにしていた宣材写真だ。

 本名の旧名は、河野貴(かわの たか)。芸名は、貴倉涼子、ないし、貴倉良子。ともに、たかくら りょうこ、と読ませる。

 高倉健のファンであったから付けたのかどうか?は、定かではない。ちなみに、貴倉という芸名を付けている芸能人は、調べた限り、男女共に皆無だった。

  演技力を乞われてか、山田太一・脚本、深町幸男・演出という、単発長編ドラマ「今朝の秋」に出演(写真左上)も果たしている。

 このドラマは、DVD化されており、レンタル店で借りることが出来るはずだ。

 髙倉健こと、小田剛一(たけいち)の「養女」となり、「小田貴」として、現金、預貯金、高級車、ボート、別荘、不動産など、合わせて40億円余りに渡る全遺産・全財産を相続。

 肝心の名優の遺体、並びに顔は、誰にも見せていない

 ぞんざいに遺体が扱われていたことは、私が髙倉健が生前から何度か書いている「髙倉プロモーション」の秘書兼事務員の女性が、取材に応えて話している。

 そして、秘密裏に遺体が焼かれた直後、参列した数人に向かって、「故人の骨が欲しい方、いらっしゃいましたら、どうぞ、自由にお持ち帰りくださって結構です」と呼びかけている。

 その言葉を耳にした映画監督にして、親しい友人でもあった降旗康男を始め、全員が驚いたという。

 その骨は、その後、養女によれば「金庫」に入れたのち、「散骨」したという。

 その場所や、どこの海なのか? せめて、その場所へ一度行って、手を合わせたいという想いを込めて、小田剛一の実の妹の森敏子(写真下)や、その息子や娘が、養女に問い合わせたが、なしのつぶてのまま、こんにちに至っている。

  (髙倉健 ドキュメンタリ-映画より)

 すでに記事化したように、死んだ後の「戒名」すらも無い。

 無いどころか、事前に小田剛一が永代供養されるために購入していた「鎌倉霊園」の高台に位置する、畳8畳ぶんもの広さがあった墓地、自身の墓、そして故・江利チエミとの間に産まれたものの、やむなく他界した子供のために「水子の墓」も建てられていたのだが、養女の遺志により、2つの墓は、敷地から撤去され、墓石は破壊し、「産業廃棄物」として、どこかの地に業者によって捨て去られた

 8畳の敷地は、すでに更地になり、いずれ、否、すでにか、他人に売られてゆく。

 遺族、および、彼を慕い、陰に成り日向に成り、支えてきた者達にとって、手を合わせる場所は、どこにもなくなっていた。

 それが・・・・・

 親類の関係も有り、故人に頼まれ、「髙倉プロモーション」の専務をしていた、北九州にいる男性が、昨年末、墓碑を建てられる地を契約・購入。

 この専務宅へも、小田剛一が亡くなったと公表された時、取材をした。

 養女からは、亡くなったと言う電話連絡1本も無かった

 「どうも剛一オジサンが、なくなったみたいなんだけど、まったく連絡がつかないのよ。どうなっているのか、何か、知っています?」

 そう、森敏子の娘から、専務へと電話があった。

 何も知らされていなかった専務は、秘書兼ただ一人の女性事務員に電話。

 やっとつながる。

 口ごもって、正直に言おうとしない女性に、やっと聞き出したのが、すでに、いとこにも当たる、剛一が亡くなっていたこと。

 急ぎ上京。

 だが、遺体は養女のかたくなな意思及び遺志によって、見せられず、会わせられず。

 葬儀も祭壇も無いばかりか、専務の職にありながら、先の遺体を焼いた後の場にも行かされず、知らされず・・・・・。

 専務の職を、怒りと、やりきれなさの積み上がったまま、辞した

 九州の家に帰って来た時、妻にこう言った。

 「行ったら、終わっていたくさ。ほんなごつ・・・・俺のやることは、な~んにも、何故か、無かったごたる・・・・・」

 その想いを胸に秘めて、2年あまり。

 親しいヒトや、ファンも来れるようにとの想いで、自費を投じて、九州ではなく、鎌倉の名刹「光明寺」を選び抜いた。

 実は、この「光明寺」。

 始まりは、鎌倉時代の末期。教科書で学んだ記憶があるだろう。

 北条執権の4代目。北条経時(ほうじょう つねとき)の時代に、この寺が開山されている。

 以来、800年以上。

 そんな長い歴史と伝統がある寺が、なぜ、髙倉健と?

 実は、この専務は、幼い頃、いとこで、年齢も近かったことも有り、小田剛一を「剛(たけ)ちゃん」と呼んで遊んだ仲であり、後年、九州の政治家を長く務めあげた、功成り名を遂げた人物。

 さらに、この光明寺との縁について、専務の家の系図をさかのぼっていくと、北条家一族につながるのですと、寺に墓碑を建てたいというハナシの際に出て、すんなり了承されたのだという。

 となれば、いとこであった小田剛一も、北条家の系譜につながる人物であった・・・・のかもしれない。

 この「墓碑」は、山門を入って見えてくる「鐘突き堂」の手前に建っているので、分かりやすい。

  

  この3月18日に、元・専務をはじめ、遺族ら、親しい者達が集い、法要が行われた。

 俗名の高倉健の名が刻まれている。その高さは、彼の身長に合わせ、180センチにした。

 この墓碑があるのは、鎌倉市の材木座海岸を望む高台にある、「浄土宗 大本山 天照山蓮華院」という名刹(めいさつ)の「光明寺」(こうみょうじ)。

 JRの鎌倉駅からバスで10分間ほど乗ると、「光明寺前」に着く。

  あと数日で、寺の人によれば、下の写真の様に、境内の桜が満開になると想う、とのこと。

  

 入場料、参観料は、とらない。

 境内には、石庭や、池がある。

   

 晩秋には、高台に登れば、この写真のように鮮やかな紅葉が観られ、材木座海岸のはるか向こう岸には、天候さえ良ければ、このように富士山が望める。

  

 稀代の映画俳優であった、髙倉健を偲ぶには、絶好の地ともいえよう。

 墓碑に深く手を合わせ、在りし日の健さんに想いをはせ、一息ついたのちには、桜を見たり、紅葉を楽しんだり、はたまた、美しい雪景色も楽しめる。

 四季折々、健さんに、富士はよく似合う。

 ファンの方には、是非、足を運んで戴きたいと想う。

 なお、かつて健さんが、生前まで住んでいたこともある、世田谷区瀬田にあった豪邸が取り壊されたことは、すでに記事化したが、いったん更地にした。

 現在は、そこに新築の豪邸が建っている。

 だが、夜間はあまり電気が灯ることはなく、右奥の従来からあった2軒の、表札が小田貴の意思によってはがされた家もまた、住んでいる形跡は無い。

 売りに出されているのかもしれない・・・・・。 

 

 

 

 

 

 

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