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《 リアル 芸能 ルポ 》 かつての「日活ロマンポルノ」開幕作にして名作や、「小沢昭一主演の快作」を監督した、西村昭五郎。青森県八戸市で、死す。知らされなかったままの人柄や、「秘めた艶裏話」

2017-08-09 22:39:30 | 芸能ネタ

 ネット上に、現われた「西村昭五郎」という、何とも久しぶりに目にした名前。

 それも、すでに、この8月1日に、肺炎でこの世を去っていたという

  これが若き日の、西村昭五郎だ。(日活からの、公式提供写真)

  その後、このようなアフロヘア的にしたのち、ウエーブのかかった髪型にしており、その頃の西村を、私は見かけている。

 ・・・・・・・・・そうかあ・・・・・・・。

 年齢的には、87歳。急死では無く、今回改めて取材してみると、以前から体を病んでおり、産まれ育った郷里の滋賀県の施設に入っていたものの、その後、いくつかの全国の施設や病院を転々としたのち、最後の地となった青森県の八戸市にたどり着いて、ひっそりと闘病生活を送っていた・・・・・ようだ。

 死去の一報があったのは、西村が監督をしなくなってから、もう長いが、「監督」として名簿登載され、入会金1万円の他に、月額3000円を振り込みし続けていた「日本映画監督協会」に、西村の実兄から1本の電話があって知らされたことによるもの。

 といっても、私がとりたてて、西村昭五郎と親しかったわけではない。

 かつて、「日活ロマンポルノ」について特集取材した折りも、すでに西村は表舞台からは消え去っており、直接、彼に当時の想い出を聞くことは、かなわなかった。

 ただ、彼の撮影現場に付いた、何人もの助監督や、製作担当者やプロデューサーから、逸話、秘話、その人となりを聞いていた。

 今回、人知れず、一夜にして、多くの人の記憶から消え去っていくのが忍びなく、少し、その切れハシだけでも、書き残しておこうと思い立った。

 もう、現・にっかつが昨年だったろうか、一昨年だったろうか、新たに仕掛けた「新ロマンポルノ」の新作の話題は、その出来上がりのつまらなさと、客の不入りと大赤字で、あっと言う間に、世間から消え去った。

 かつての「ロマンポルノ」の出来と、どうしたって較べてしまわれたからだ。

 ただの裸やセックスシーンを見せるだけなら、アダルトビデオや、無修正ビデオ、そして、今も細々とながら創られ、上映されている「ピンク映画」でいい。

 そこに、何か、ソレを上回る、コレ!というものが無ければ、映画ファンは一度は、物は試し、ダマされたつもりで・・・・という意識で観ても、2度は観ない。

 文字通り、そうなってしまい、あっけなく「新」は、幕を閉じた。

 そのくらい、かつての開幕作「団地妻 昼下がりの情事」からして、画期的で面白かった。

 時代背景も手伝い、ヒットした。

 今もって、「隠れた名作」といわれている。

 その監督が、西村昭五郎だった。

 主演は、白川和子。ピンク映画から転身。裸身ではなく、そのリアリティあふれる「艶技力」と「演技力」が注目を浴び、その後のヒット作につながっていった。

 以前、「アナザーストーリー」という、NHK-BSの番組で、この映画も含め、日活ロマンポルノの草創期のいきさつを語る流れで、現在の白川和子が出て、当時の自分や撮影現場の想い出を語っていた。

 だが、監督であった西村昭五郎は出ずじまい。

 ん? まだ、生きているはず。出るのが嫌だったのかなあ・・・と、その時は想っていた。

  偶然か、西村の監督デビュー作である「競輪上人行状記」のシナリオが、この8月3日発売の月刊誌「シナリオ」に、全文掲載されていた。

 書いていたのは、今平こと、今村昌平ら。

  「いやあ、おっしゃる通り、まさに偶然なんです。このシナリオは、急きょ、掲載しようということになりまして。掲載承諾や、著作権の問題など、あわただしく解決したようなもので」

  西村がこの世を去ったのは、実兄が伝えてきたところによれば、8月1日。

 発売日の3日といえば、葬儀や告別式が執り行われているさなか。

 ホントに偶然とはいえ・・・・・・・。

 「実は、急きょ決まったのも、東京都内にある「ラピュタ阿佐ヶ谷」という映画館で、今月「日活文芸映画は弾む」というイベント的映画週間がありまして」

 「その中に、この「競輪上人行状記」も、久しぶりにここで劇場公開されるということを知りまして。よし、だったら掲載して、興味をもってもらったら映画そのものも観てもらえたら、と思ったわけです」

 西村に連絡をとってみたものの、すでに滋賀県の施設を出ており、消息は定かに掴めないままに終わったという。

 この映画、主演は「怪優」小沢昭一。で、小沢の演技力を良く知る今平らが、こねくり回して「快作」にし、54年前の、西村昭五郎の監督デビュー作になったというもの。

 調べてみると、これまた偶然。本日9日から11日までの、わずか3日間のみの上映。1日、1回。ソレも、午後2時50分からと言う、観る条件の苦しさ。席数わずか48席の、ミニシアター。

 が、コレ、面白いっすよ!

 観た人の、ユーザーレビューだけでも、読むと興味を惹かれる出来栄え。

 奇遇な公開日といい・・・・・・。

 ちなみに、西村昭五郎は、軽い歌謡映画も撮っている。

 あの、日航機御巣鷹の峰、航空自衛隊撃墜墜落事件で亡くなった坂本九が歌った「涙くんさよなら」を映画化したもの。

 youtubeで、10分余り観ることが出来る。何でも撮れる、職人監督としての幅がある力量が分かるだろう。

 この脚本は、今や「先生と呼ばれるほど、バカでなし」を、日々、地でいっている虚匠」倉本聰も加わっている。

 当時、倉本は、節操無き、何でも書き屋。

 かつて大人気GSバンドであった、ザ・スパイダースを主演に押し立てた、愚にもつかない、まか不思議な歌謡映画を2本も、恥ずかしげもなく書きなぐっているので、興味ある方は、調べるといい。

 とても、「やすらぎ」なんて得られないひどさが、分かる。

 さて、「秘めた艶裏話」。

 団地妻シリーズが、大ヒットするや、西村は次々と課される上映日に間に合わせるべく、強い政治的主張や、思想も折り込まず、映画職人に成り切って、どんどん撮っていった。

 その結果、80本もの大量作を産み出すことになった。

 性娯楽映画に徹したが、脚本がつまらないと判断すると、突っ返した。

 自分で、どんどん書き加えたり、バッサリとシーンを消し去ったり、苦労して書いた脚本家が怒るような、換骨奪胎にはしなかった。

 ベットや布団の上での、前張りを付けてのよがり「艶技」はともかく、演技力が乏しい女優にも、厳しく当たらなかった。

 どんどん、こだわりを捨て去り、フイルムを回させた。

 5分に1回、裸とカラミを見せること。

 その基本原則を、ほぼ忠実に割り切って、守り、量産。粘りに粘って、徹夜、貫徹なんてことは無い。

 時間通りに終えた。

 なので、一般映画や、文芸映画や、社会映画や、石原裕次郎や、小林旭らのアクション映画を、ある種の気概とプライドを持って創っていたベテラン職人たちが、よりにもよって、会社を存続させ、社員が喰って行くために、セックスや裸かよう・・・・・・と、どことなく、仕事をこなしながらも、落ち込んでいたが、西村昭五郎は、少なくとも、嫌われはしなかった。

 とりわけ、新人裸女優には、あまたいる監督群の中でも好まれていた。

 で、ある日の朝。

 撮影開始時刻に成っても、西村昭五郎は、現われない。

 撮影、照明、録音、その他、全員が揃ってセットで待ち構えているというのに・・・・・。

 下っ端サード助監督が、プロデューサーに呼ばれた。

 「おい。監督のところに☎してみろ。どうしているんですか?ってな!」

 何かを、感付いている表情だった。

 言われるまま、新人助監督。

 撮影所の制作部のところの電話を借り、西村昭五郎の自宅へと、メモを片手に電話した。

 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・はーい」

 寝ぼけたような、若い女の声。

 ん? どこか、撮影現場で聞き覚えのある声だった。

 寝ぼけた声相手に、いくつか、いぶかりながら質問。

 あの脇役の可愛い新人の女の子だ!

 ーーー君さ、〇〇ちゃんだろ?

 「・・・・・・・・はい。そうですが」

 あーあ・・・・・・・・。

 映画のシーンを、昨夜から自宅で、前張りせずに、やれるだけ、しこたまやっていたわけだ。

 ---悪いけどさ、そばに監督いるでしょ?

 「・・・・はい」

 ---起こしてさ、電話に出るように言ってくれる?

 「はい。分かりました」

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 しばらくして、受話器を握る音と、西村昭五郎の声。

 ---監督! お願いしますよ。もう、みんなセットで待ってます。すぐ出てきてください。12時開始ということで、みんなに言って置きますが、良いですね!

 「ん? 今、何時だ? おお! 悪い、悪い、分かった。今すぐ、出るからさ」

 新人の女優と、なにやら小声でオハナシして、電話は切れた。

 撮影開始時。バツが悪そうな顔を見せながらも、西村、頑張って、いつも以上に早回しで、撮影スケジュールを消化した。

 その後も、・・・・・時々は、あったそうだ。

 もてた、西村昭五郎。

 ウエーブの掛かった髪が、どこかしら、女をそそったのか、役欲しさに自ら「提供」したのか。

 提供させる性格では、決して無かったと、皆がいう。

 当時は、助監督やプロデューサーに言わせると、西村に、妻も子も、いなかったはずという。

 だから、先の様なコトも出来たはずと。

 にしても、人生最期にたどり着いた先が、北の青森、八戸市とは。

 誰か、身寄りがあったんでしょうか?

 西村を知る人に、聞いてみた。

 「さあ・・・・・。ソコで、映画に関する仕事もしていなかったようですし、それに・・・認知症の症状も出始めていたとも、聞いてました」

 「おそらくですが・・・・奥さんの様な存在の方の故郷だったんじゃないでしょうか・・・・・・」

 人生最期の時、愛する女の見守るもと、津軽で死す。

 なにやら艶歌の世界。

 西村なら、どんな映像にまとめ終えるであろうか。

 お疲れ様でした・・・・・ゆっくりと、お休みください

 

  

 

 


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