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< リアル 芸能 ルポ > 堀北真希・山本耕史、「完全遠距離別居」事前指摘第2弾。昨年12月、「男児」出産後の、どこも報じない、隠され続けた本当のこと

2017-03-12 00:42:13 | 芸能ネタ

 キチンとたてた、計画的な、且つ、見事というほか無い、芸能界からの、とりあえずの「離れ方」をした、芸名・堀北真希、こと、入籍前の本名・原麻里奈(はら まりな)という女性。

 かつてのタレント時代に、こう言っていた。

 「自分の性格は、見かけの印象と違って頑固なんです。一度、こうと決めたら、最期までやりぬくことが多いですね」と。

 迷いに迷い、言い寄ってきた、しつこい山本耕史(こうじ)という、稀代のスケコマシに根負けし、決断。

 そのかわり、これから交際するのではなく、正式に「結婚」してくれるのなら、という交際期間まともに無しの「入籍」条件。

 結婚なんて、考えてもいなかった稀代のスケコマシは、俺のモノになるのなら、抱けるのなら、性器挿入出来るのなら・・・と、喜ぶ。

 だが・・・・今になっても痛感させられるのは、40歳近くになっていた年令というのに、真剣に、まじめに、「結婚」というものを考えていなかった、ということだ。

 さて、それまでの、原麻里奈の人生を、写真で振り返ってみる

    

   

 このように、女の子は、またたく間に、変貌を遂げていった。

 東京都清瀬市の中学校に通い、バスケットボール部の帰り道、スカウトされて、迷った末芸能界入り。

 このような鮮烈な肢体も披露している。

   

 そして・・・・・・彼女も噂で耳にしていた女たらしと、共演するはめになった。

  

 芸能活動が無い日も、中学校もロクに通わなかった不登校児・山本耕史。

 実母であり、耕史の個人事務所を経営していたやり手母の加寿子は、無理させてまで、中学校に通学させようとはしなかった。

 義務教育だったこともあり、規定の最低出席日数に足りなかったが、トコロテン方式で卒業出来た。本人いわく「学校が嫌いで、高校には行く気は、最初からありませんでした」

 世界的に有名な、原作の「嵐が丘」どころか、「本というものを、今まで一冊も読んだことはありません」と、上記、記者会見で言ってのけた。

 「オトナの顔色をうかがいながら、生きてきた」という山本耕史は、オトナに媚びることと、どの人に、どうすれば得になるか? どう接すれば損になるか?は、自然に、子役時代から、身につけていっていたと話す。

 且つ、オンナを落とし、ハメる、テクニックも。

 この共演が、もし、無かったなら、長期の稽古と、公演期間21日間で山本耕史に狙われなかったのならば、堀北真希こと、原麻里奈の人生は少なくとも、今とは大きく変わっていたはずだ

 「嵐が丘」という丘を苦労して登ることもなく、この物語の、キャサリンとヒースクリフのように、愛し合った後の、波乱の人生を送ることも、なかったであろう。

 が、原麻里奈は、自分の決断に賭けた。イチかバチか、と言って良い。

 キチンと、自筆で入籍を公開した。

 

   所属事務所との契約期間は残っていたものの、「山本麻里奈」と戸籍上、氏名は変わったあとは、一切「仕事」はせず。

 2人で探した新居は、都内に建つ、セキュリティ確かな、高層マンション。月額の家賃、40万円。

 山本の仕事と、稼ぎは順調。

 通常、子役の芸能・劇団事務所は、どんなに人気者になったところで、1-9のギャラ配分が、大手を振ってまかり通っているが、山本は母が事務所を興し、全額事務所の取り分できたので、手取り額が、他の子役上がりとは違った。

 ちなみに、1は子役。9は、事務所がフトコロに仕舞い込む。

 一方、麻里奈の蓄財は、実は数億円ある。

 自分の妊娠に気付くと、ひとりで、帽子を深くかぶり、大きなメガネをかけ、さらにマスクをして、顔を隠して病院の産婦人科に通った。

 時には、妹のあさみや、奈々美が付き添い、送迎してくれた。

 夫である、山本耕史は、ただの一度も、心配して、付き添うことも、車で送迎してくれることも無かったという。

 それまで、それほどしたことも無かった、掃除、洗濯、料理を、「専業主婦」として、カンペキにこなした。

 夫は、何一つ手伝うことなく、休日には、ぼ~っと家にいるかと思えば、ふらっと外出。

 自ら出した精液のたまものの、男児が誕生後も、夜泣きするのに、愛情のカケラもみせず、何もせず。

 好きなパチンコや、スロットルに興じ、食材の買い出しすら、手伝うことも無かった。

 共演者や、親しい業界人との、飲み会には、独身時代と変わらず、ほぼ欠かさず、参加。自分から声を掛け、誘うことも、数知れず・・・・。

 釣った魚に、エサをやらない。

 ソレを地でいった。

 愛妻の待つ、我が家へ一目散・・・・・は、ほぼ無かった。

 麻里奈が、想い描いていた「新婚生活」とは、まったく違っていた。

 麻里奈がまだ芸能界入りする前に、実は両親が離婚。それだけに、当たり前に両親に囲まれて、子供が幸せに育っていく家庭を、麻里奈は夢に描いていた。

 なのに、「夫」になった40の中年男は・・・・・・・。

 「ボクが酔って帰っても、何も言わず、ちゃんと介抱してくれるんですよね」と、夫。

 妻が、どう感じて、どう耐えて、どうガマンし、どうあきれ、あきらめ始めているのか、気付きもしない、鈍感な心。

 長い女たらしと、スケコマシ時代から一歩も抜け切れていない日々。

 身重の「妻」に対して、な~んにも手伝おうともしなかった。

 山本が言った。

 「2人で、お酒を飲むことがあるんですよ。彼女、お酒が強いのかなあ。殆んど、僕が1人でしゃべっていて、彼女は何にも言わず、しゃべることも無く、黙って聴いていて、お酒をのんでるんですよねえ・・・・」

 

 そして・・・・昨年の12月、男の子を産んだ。

 だが、帰宅は遅く、まっすぐ赤ん坊の顔見たさに、世間の大多数のパパ、ないし、新米の父となって、一大変化するように、帰宅することは無かった。

 「赤ん坊の顔ですか? とっても可愛いですよ。こんなに可愛いものだとは、思いませんでした」とは、元スケコマシは言う。

 しかし・・・・・寝顔を、見るだけ。

 おしめを取り換えるとか、あやすとか、抱きかかえて離さないとか、一緒にお風呂にいれてみるとかは・・・・一切せず。

 酔って帰って、介抱されて・・・・・パチンコに興じて・・・・。

 黙って耐えていた麻里奈の、くすぶっていた怒りが、ある時、爆発した。

 「少しは、父親になった意識を持ったら、どうなのよ!」

 「変わろうと、少しでも、努力しようとする気無いの!」

 前の記事でも、書いた。

 そして・・・・・麻里奈は、それまで以上に、心を閉じた!

 変わらぬスケコマシに、オンナの影も感じたという。

 夫は、言った。

 「彼女の、心の扉とでも言えば良いんでしょうか? もう、一枚どころか、何枚も何枚もありそうなのが、ぶ厚く、閉じてしまって・・・・・」

 「もう、開けるのは難しいかな?って気がしてきてます・・・・・」

 そう言って、苦笑いを浮かべた。

 麻里奈は、一般世間に与えるイメージが良かったこともあり、コマーシャルは、かつて最大12本、持っていた。

 残っていたライオンなど2本は、2月末をもって、事務所との契約と同時期に終わることになっていた。

 1本、約3000万円。

 むろん、全額は、彼女の元には入らない。

 通常の歩合制ギャラ配分で、4-6。4割の1本1200万円が、麻里奈の口座に振り込まれる。

 その数年分、貯めていた。

 それに、テレビや映画の出演料等々。

 赤ん坊を育てながら、「2人」だけで暮らすには、10年近くは、まったく働かなくとも、まず大丈夫だ。

 報道されるような「引退」ではない。「離れる」だけ。

 事務所と電話を中心に話し合って、契約がすべて切れた、3月1日、午前0時を待って、以下の自筆文面をマスコミ各社に、一斉に送った。

  

 「夫とも、話しあい」は、無い。

 世間に向けての体面上、取り繕ったウソ。

 話し合ったところで、仕事を入籍以降、離れていたのだから、同じことであったし・・・・・。

 実はこの手書き文書を公表する、10日ほど前、すでに、麻里奈は東京を男児とともに去っていた。

 信じられないほどのクズ夫に、別れを一方的に告げ、そして・・・赤ん坊を抱え、事前に賃貸契約を済ませてもらっていた、札幌中央区に建つ、高層賃貸マンションへと引っ越していった。

 契約を済ませてくれていたのは、実の妹の、あさみ、と、奈々美か、親しくなって、信頼出来た番組スタッフの女性が退職し、生まれ育った札幌に帰郷。

 そのつながりで、事前に探してくれていたと聞いた。

 そこを訪ねた際、安心して住めることに感じたとのこと。

 すすきのや大通り公園や、時計台や繁華街にも近く、慣れぬ寒さはあるものの、冷暖房完備。

 家賃は、思うほど近辺も、東京に比べて安い。

 貯金を取り崩して、子供が大きくなるまでは、まず、暮せていける。このためでは無かったが、ぜいたくや、散財、無駄な遊興は一切、してこなかった。

 以前書いた「家庭内別居」から、「完全別居」へ。

 それも、スケコマシが、おいそれとは、来れそうで 来れない、北国札幌。

 一回り年齢が下ながら、一度自分でこうと決断したら、変える、且つ、帰ることはない、麻里奈の、頑固な性格。

 そう遠くない時期に、必要な個所はすべて書き込んだ、「離婚届」を送付。

 慰謝料、求めず、支払いも無し。財産分与、無し。

 親権は、妻に。児との、面会は、認めず。

 芸能界復帰は、いずれ、ありうるであろう。

 まずは、コマーシャルで。真にシングルマザーとして。

 細腕2本、いきいきと子育てしてきた、芯の強いママとして・・・・。

 ちなみに、スケコマシ。

 さほど落ち込んではいないという。

 な~に・・・落とす楽しみの恋愛ゲームを、またし続けるさ・・・・・・と。

 40になっても、「結婚」や「我が子」のことなどは、やっぱり!

 露ほども考えていなかったのだから・・・・。

  


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