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「龍ヶ崎」?はたまた「竜ヶ崎」? 7年も放置。ミスとデタラメは、中山一生市長の性格か!? 実は地元の英雄、稀勢の里に対しても大ミスをやらかしていた! 

2017-04-19 13:18:41 | ニュース

 先程、ネットのニュースを見た所、茨城(いばらき)県の龍ヶ崎市が、市内での施設をはじめ、至る所で、表示、掲示板が「竜ヶ崎」にもなっていたりして、混乱が、長年に渡って生じているとの報道。

 そりゃあ、そうだろう。

 もっとも、全国各地を旅しながら取材を続けていた時期、んなことは結構あった。

 古い地名の記述と、今の地名の記述。

 この市のように、読み方は同じ「りゅうがさき」であるが、文字が明らかに違う。そんな地名の記述違いは、有るには、あった。

 ちなみに、「りゅうがさき」と打ち込んで、文字転換すると、真っ先に「竜ヶ崎」と出てくる始末。

 とはいえ、これほど目立って多くなると、市長就任以来、7年以上過ぎているのに、放置したまま、事実上、手付かずにしていた、中山一生(かずお。写真下)の責任が大きい。

  この薄らはげアタマの市長は、自民党の政治屋3世の、お坊ちゃま。はげてるが、まだ54歳。

 祖父と父の、地盤、看板、カバンを、バンバンバン、苦労知らずに継いできた。

 そんな生来の大甘性格がもろに出たのが、「地元の英雄」と、自らのブログでも、打ち込んでいた、新横綱・稀勢の里(きせのさと。写真左下)を迎えてのセレモニーでのこと。

  もっとも、稀勢の里こと、萩原寛(はぎわら ゆたか)が、産まれたのは兵庫県の芦屋市。

 2歳の時に、家族共に、茨城県の龍ヶ崎市に移住。彼が中学校2年生の時に牛久市(うしくし)に引っ越したものの、萩原寛少年は、小学校時代と同様、中学校通学途中ということもあり、そのまま龍ヶ崎市内の中学校に通い続けて、卒業している。

 とはいえ、古くからの「郷土後援会」は牛久市にある

 人気にあやかろうと、神輿を横から担いだ龍ヶ崎市では、新横綱誕生の「祝賀パレード」まで強行した

 誰の目にも「新横綱」という単語が、刷り込まれていた・・・はず。

 ところが、このはげアタマ、3世おぼ、おぼ、おぼつかない、お坊ちゃま市長。

 多くの市民も詰め掛けた祝賀セレモニーの席で、すぐ近くに「新横綱」を控えさせておきながら

 「このたびは、稀勢の里関が新大関に昇進され、まことに龍ヶ崎市民と共に、喜ばしい限りであります」

  そのお坊ちゃまの言葉を耳にしたとたん、稀勢の里の顔は、小さくひきつり、苦笑いを浮かべた。

 「違うよ、この馬鹿!」と、言葉にこそ出さなかったものの、内心ひそかに想ったに違いない。

 聴いていた市民や、来賓の面々も、ざわついた。

 それで初めて、自分の勘違いとミスに気付いた、この市長。

 あわてて、「失礼いたしました、新横綱でした」と、薄ら笑いを浮かべて言い直したが・・・・・・。

 牛久の尻馬に乗った龍ヶ崎。

 牛の方が、龍より節度と馴染みが長く、深い。

 もう稀勢の里、なるべくなら2度と、この薄らはげには再会したくないだろうなあ・・・・。父母は、牛久市に住んでいるのだし。

 この市長、自身のブログに、稀勢の里の市中パレードの写真は掲載してるものの、この大ミス祝辞のセレモニーのことには、一切触れぬまま。

 そのくせ、ブログには、萩原少年の幼い頃から、その相撲の成長ぶりを長く見守ってきた・・・・ふうの、とってつけたような記述があった。

 それが「本当」ならば、何年も前に大関に昇進していたことは、熟知していて当然だろうに・・・・・。

 大事な席で、すべてそれがウソだったってえコトが、ばれた。

 公的謝罪も、自身のミスも、恥じも、すべて、これもほったらかし、放置、ほっかむり。

 ま、しょせん、こんな性格の男。

 だから、7年以上もズサン且つ、デタラメ表示のまま、ほったらかしにして、全国に恥をさらしても、この先も一生、一生平気なまま、なんだろうなあ・・・・・。

 一生、一斉に直すこともせずに、死ぬか・・・・・。腐っても郷土、腐っても票田だろうに。

 

 

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