転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



書く機会を逸していたのだが(カープが優勝できるかどうかが大変で・殴)、
娘の就活が8月後半に終了した。
お盆の休みに家族で釧路旅行に行ったとき、
「東京に帰ったら最終面接がある」
と娘が言っていた建設コンサルタント系の会社から、
そのまま内々定を頂くことができた。

そもそも一緒に住んでいないので、娘が何をやっていたのか
私には終始よくわかっていなかったと思うのだが、
全体に出足の早かった今年の就活シーズンにあって、
面接解禁の6月の時点ではまだ全く決まっていなかったのだから、
娘なりに苦労の多い就活だった筈だ。
娘は自分からはほぼ何も言って来ないが、
こちらが訊けば特に嫌がることもなく返事をするヒトで、
きょうは何をしているのかとメールすると、
「午後から○○の説明会」
「△△のグループディスカッション行った」
などと、よく答えて来たものだった。
そしていずれも何日か経ってその後について尋ねると、
「△△落ちた」
「○○お祈りされた」
等々と景気の悪い話になることが大半だった。
私がそうやって知り得ただけでも、数十社は落ち続けていたと思う。
こちらから訊かなかったぶんも含めたら、全部で一体、……(爆)。
その頃は、就活がこのまま永遠に続きそうな感じがした。

(『お祈り』とは企業からの不採用通知の俗称。
末尾が「今後のご活躍をお祈り申し上げます」等になっていることから来ている。)

主人も私も娘に、どこを受けろとか何になれなどとは言わなかったし、
とっくに一人暮らしをしているのだから、
今更「自宅から通えるところ」等の条件もなかった。強いて言えば、
「真面目な正社員になって経済的に自立して欲しい」
ということだけが、私の願いだった。
娘は春からしばらく、主として食品メーカーの営業職を希望していたが、
食品は景気に左右されにくい業界なので、学生に人気があり、
一般に名前を知られているような会社は、どこも大変に倍率が高い、
ということを、私はかなり後になってから知った。
それで、紆余曲折の後、娘は7月頃から食品を完全に断念して方向転換をし、
元来の歴史趣味(^_^;と博物館業務への興味から、
遺跡発掘調査や文化財保護などの仕事に注目するようになり、
これが地質調査や建設コンサルタント業界への志向に繋がった。
……と私は理解している。娘本人がどう自己評価しているか知らないが。

我々夫婦はどちらも公務員から出発しているので、
就活に関して、コネがないどころの話ではなく、
業界知識も情報もほぼ皆無で、何の力にもなってやれなかったが、
娘が自分で探し、一から自分で就活して内々定を得てきたことは、
本当に貴重な学びの機会であったと思い、親として喜んでいる。
最初の、食品業界を志望した就活が思うように行かなかったお蔭で、
娘は他のいくつかの業界の、様々な規模の会社を見ることが出来たし、
説明会や面接の場とはいえ、現場の社員の方々と
数多く直接にお会いできたことは、得難い体験だったと思う。

就活は本当に、タイミングとマッチングがすべてだった、
と終わってみて私は感じている。
学生の側にも企業の側にも、それぞれの成長や変化があって、
何かの拍子にそれが巧く合致したとき採用に至る、という感じがするのだ。
同じ会社を春先に知っていたとしても、娘は応募しなかったかもしれないし、
また、応募していたとしても、採用されなかったかもしれない。
すべては、きっと、この時期だったから良かったのだ。
ともあれ、かくして娘は来春から社会人になることになった。
願わくは、この入社することになった会社が、
どうか娘にとって、末永く、良い職場でありますように。

……とは言え、『良い職場』イコール『ワクワクと楽しい職場』ではない。
ちょっと努力したらすぐちやほやされて、納得できる金額が貰える、
などというウマい話が、この世にあるわけがない。
働いてお金を頂くというのは、なかなかシンドいし疲弊することだ。
ストレスに耐え、職場都合で拘束され、疲れたときも笑顔で、
ほんの時折あるかどうかの達成感に支えられ、
「(--#)」な程度の給料でも、貰えるだけ有り難いと思わなければならない。
お給料は我慢料、と美輪明宏様も仰っているではないか。
「今月もよく辛抱したね」と貰えるお金が月給なのだ。

けれども反面、限られた金額であっても経済力を得るというのは
やはり素晴らしいことだ、と私は思っている。
自分で稼ぐことにより、人は心も体も、程度の差こそあれ自由になれる。
学生に向かって「遊べるのは今のうち」などと言う人がいるが、私は同意しない。
学生は、少々時間はあるかもしれないが、世間に認められる自立をしていない。
社会と保護者に守られたカゴの中で、少し勝手なことをしているだけだ。
私自身、本当に自分の意思で遊べるようになったのは、
22歳で就職して、社会的な意味で独立してからだった。
薄給でも月給は、やはり意味が違うのだよ、転娘くん(^_^;。

ときに、今回内定した会社の本社は東京だが、娘の職種では全国転勤がある。
娘は生まれたときから転勤族だったが、今後もまた、
自分の都合で「転娘(てんむす)」であり続けることになった。
きょうまでに、松江→神戸→今治→広島→横浜、と転居を経験した娘は、
これからどんなところに住むことになるだろうか。
元気で頑張れよ、転娘みーちゃん。
勤務地に、たまに遊びに行くからな(場所によるけどもよ・笑)。

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