転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



UPする機会を逸したまま、日が経ってしまったのだが、
11月28日に、シメ(紫苑ゆう)さんのトートが観たくて大阪まで行った。
これがもう本当に、行った甲斐のあるコンサートだった(T_T)……!!

宝塚版『エリザベート』の初演は96年2月雪組公演で、
94年12月に退団したシメさんとは入れ違いになり、
彼女は在団時にトートを演じる機会が無かった。
だから今回は特別出演としてのトートだったのだが、
ある意味、現役時にリキんでいた(笑)彼女が演らなくて、
これはこれで、良かったかもしれないと思う出来映えだった。
ディナーショー『再会』でもよく感じていたことなのだが、
退団してからの近年のシメさんは、現役時より万事に余裕があり、
また年齢的なものなのか、柔軟性や包容力も増した男役になっていて、
そうしたゆとりや大きさが、今回のトートにもよく出ていたと思った。

私の個人的なツボは、幼ルドルフが、
『昨日は 猫を殺した 勇気試したんだ』
と歌うところで、シメさんトートが
まるで『おやおや』と言わんばかりに、肩をすくめたことだった。
トートにしてみれば、幼ルドルフの不健康さは
せいぜい苦笑する程度の面白さだった、という感じだった。
歴代トートは、ここでハっと表情をこわばらせたり、
逆に冷たく見つめたりするような反応だったのだが、
こういう、突き放した余裕が、シメさんトートの雰囲気にはふんだんにあった。
そのトートが、シシィのことになると本気で惚れ込み、
我を忘れそうになるところがまた、とても人間的(!)で、鮮やかに見えた。
リズム感や音程表現の点では、歌のうまいトートはほかに居ると思うが、
シメさんの芝居歌としてのトートの歌唱には、本当に魅力があった。
最初から最後まで目を離せない、息つく暇も与えないような、
完成された男役としてのトートを、私は多分、今回、初めて観た。

一方、ハナちゃん(花總まり)のシシィには私は既に全幅の信頼があり、
今回も勿論、期待通りの見事さだった。
実際に舞台で観るのは、98年の宙組大劇場公演『エリザベート』以来だったが、
考えてみると、たかこ(和央ようか)さんと一緒でない舞台で
ハナちゃんを観たということのほうが、今回は画期的だったかもしれない。
長い長い(爆)タカハナコンビ以前の、雪組時代から、
ハナちゃんとたかこさんは大抵いつも、同じ公演の同じ舞台にいて、
それぞれを単体で観る機会は、絶えて久しく無かったのだ。
「たかこさん」という前提なしにハナちゃんを観たのは、
私にとっては92年が最後だったと思う。
その92年というのは、シメさんのトップお披露目『白夜伝説』で、
ハナちゃんは研2(入団二年目)にして、ミーミルという、
台詞も多い大きな役で、シメさんと同じ舞台に立っていたのだった
(さらにそれ以前の91年秋に、研1「組まわり」でハナちゃんは、
花組の大浦みずきサヨナラ公演『ヴェネチアの紋章』に出ているので
私はさんざん観ている筈なのだが、さすがに目に入っていなかった(笑))。

たかこさんの「お嫁さん」であった間、封印されていたものを、
私は今回、久しぶりに観たと思った。
ハナちゃんは、本来、こういう、我が道を行く奇矯の花だった、
ということを私は少なくとも10年ぶりくらいで思い出したのだった。
たかこさんのトップ後半時代、ハナちゃんは「相手役」に徹していたが、
ハナちゃんは、もともと孤独なほうが輝く人だったのではなかったか。
タカハナコンビがなしえたものを、私は頭から否定はしないが、
独りで立つハナちゃんの輝きを観ていると、
これが失われなくて本当に良かったと、正直なところ、しみじみ思った。

一幕最後に、皇帝に答えて登場するシシィの場面で、
私は、あの有名な肖像画の角度での「振り向き」が観たかったのだが、
正面の立ち姿だったので、このときは、ややがっかりした。
しかし、私の思った「振り向き」は、実はフィナーレのほうにあった。
あれは実に、心憎い演出だったと思う。
やはりシシィ役者は、あの角度でのエリザベート皇后を
どこまで見せることができるかが、ひとつの試金石だと思うので、
それがフィナーレまでとってあった、というのが良かった。
そして、シシィが「振り向き」でその威力を全開にしてもなお、
シメさんが、揺るぎない主役としてそれを受けて立ってくれたことを、
実に贅沢なこととして、私はこのとき二重三重に嬉しく思った。

ゆき(高嶺ふぶき)ちゃんのフランツ=ヨーゼフも素晴らしかった。
雪組の上演時から思っていたが、ゆきちゃんは、台詞にある小さい一言でも
的確にニュアンスが表現できるという点で物凄く巧い人だ。
今回の皇帝陛下も、短い台詞ひとつにまで表情があって、
小さなフレーズの中でも表現されていたものが多彩だった。
フランツの心の揺らぎ、無言の苦悩や決意などが、とてもよくわかった。
それにしても、この物語においてフランツは本当に立派で、しかも気の毒な夫だ。
彼は深い結びつきで彼を支えてくれた母親から、敢えて離れて、
妻子を自分で守ろうとし、奇行の多い皇后を終生変わらずに愛したのに、
最後の求愛まで、報いられることがなかった。
男子が成長するとは、過酷なことだな、というのが、
私がゆきちゃんフランツを観ていて最もはっきりと感じたことだった。

カンちゃん(初風諄)がゾフィー役で特別出演しており、
これまた私には感慨深いものがあった。
というのは、彼女の24年ぶり舞台復帰第一作となった、
2000年の東宝ミュージカル『エリザベート』のゾフィー役を
私は観ているのだ。
もとアントワネット様の存在感と華やかさ、それに品格があり、
ぴったりのゾフィーだったと私は思った。
ただのイジメ役でなく、ゾフィーの言うことも強引だが一理ある、
とちゃんと思わせる役作りになっていたと思う。

ルキーニ役は、私は宝塚ではトド(轟悠)さんのが一番好きで、
やはりルキーニは小柄で濃くて「キッチュ」でなくては!
というのが、私の90年代からの基本的な前提なのだが、
しかし星組リカ(紫吹淳)ちゃんの妖しく美しいルキーニも忘れ難いし、
98年宙組ワタル(湖月わたる)ちゃんも、演技的には、
狂気と皮肉と、それに「良い人」の面までほの見えて、
興味深く、とても印象に残ったルキーニだった。
主な役の中では、際だって面白く奥行きのあるのがルキーニかもしれない。
この日のキャストは、そのワタルちゃんで、やはりなかなか良かった。
宙では、いかにも初めての大役という風情があって、観る方もドキドキしたが、
あれからワタルちゃんもトップ男役として真ん中を経験し、
退団後は外部の舞台でも主演してきて、今回は余裕が違った。
ワタルちゃんの華やかさもまた、シメさん同様、
源流は星組にあるのではないかと私は思うのだが、違うだろうか?
舞台姿に光が射しているような明るさがあって、
しかも色悪っぽい魅力も強く、次に洒脱で素敵なルキーニだった。

ルドルフがすずみん(涼紫央)だったのも嬉しい巡り合わせだった。
歌詞の上ではエリザベートとルドルフが「鏡同士」なのだが、
この舞台では、トートとルドルフもまた「鏡同士」に見えた。
シメさんとすずみんの、男役としてのつくりに共通するものがある、
というのが大きな理由だが、芝居としても、トートとルドルフが
「通じる」のは悪くなかった。
そもそもトートは、エリザベートの潜在的な死への願望が
具象化して人格?を持ってしまったような存在だから、
トートとエリザベートの根は同じものだ。
ルドルフも、エリザベートから枝分かれして同じものを持っているから、
トートとルドルフの間にも、根源として相通じるものがあるのは、
まったく相応しいことだと私は思っている。

その他、この芝居は、出番の回数としては多くない役柄も、
すべて「キャラが立っている」というのが物凄く魅力的だ。
例えば今回のマダム・ヴォルフ(嘉月絵理)は、本当に色っぽかった。
マックス公爵(立ともみ)の『アデュー』の一言は効いていたし
(本来、『アデュー』は今生の別れで言う台詞だ。
公爵の死と、その後の死に彩られたシシィの未来を暗示している)、
ラウシャー(風莉じん)もさすがの存在感で歌が巧く、それでいて、
『(美女の宅配を)取ったこと、あるのね?』
とゾフィーに詰め寄られてビビる大司教様が最高に愛らしかった。
それと、あれ?ちはる(矢吹翔)さんみたいなヒトがいるな??
と思ったのは、はっしー(葛城七穂)さんだったです(爆)。
品があるのだけどヤサグレた感じが、とても良かった。

以前は、ガラコンサートというと、舞台メイクや舞台衣装ではなく、
雰囲気は出していても、各自普通の服を着ていたものだったと思うが、
今回は、セットが無いだけで、扮装まで完全にしたコンサートで、
その点でも見応えがあった。
畳みかけるように名場面・名曲の連続で、
やはり『エリザベート』は名作だなと思ったし、
相応しいキャストに当たったとき、これほど緊張感のある、
高密度な舞台が実現するものなのだと痛感した。
私はほかのキャストの日を観ていないが、そうそうたる顔ぶれなので、
恐らく、いずれ劣らぬ名演だったことだろうと思う。
今回のはたった一度だったが、観ることが出来て本当に幸せだった。

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