転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



きょうはフレディ・マーキュリーの亡くなった日だ。
1991年11月24日、フレディはエイズのために45歳で逝った。
今の、私の年齢だった。

思えば、何年も熱中し続けたアーティストが、
自身の引退やバンドの解散でなく、死というかたちで
私の目の前から突如として消えてしまったのは、
あれが初めての経験だったかもしれない。
翌日から当分仕事を休もうかと思ったほど(殴)の喪失感だった。
13歳の頃から約15年間、敬愛してきたフレディだった。
85年の代々木競技場のQUEENのライブが、最後になった。
ニュースや新聞で、フレディの死が世界中に報道される中、
私は、事態の取り返しのつかなさを、どうして良いかわからなかった。

そして、翌92年11月30日には、今度はダンサーのジョルジュ・ドンが、
やはりエイズで、しかも同じ45歳で、亡くなった。
かつて十代だった私にモダンバレエの世界を教えてくれた人、
ベジャール芸術の体現者であったドンが、死んでしまった。
91年の来日公演を見たのが私にとっては最後だったが、
その舞台のラストで、ピエタの像さながらに息絶えたドンの姿が、
幾度も幾度も、目の前に蘇った。

追い続けた二大天才が逝ってしまい、二度とその舞台は取り戻せず、
91年と92年は、私にとって「喪失」の年以外の何ものでもなくなった。
おまけに、91年初頭からRCサクセションが無期限活動停止に入り、
さらに同年、大浦みずきが11月の東京公演で宝塚歌劇団を退団し、
両者が一度に先の見えない存在になってしまったことも、
私には、ことごとく不本意でならなかった。

その忌野清志郎と大浦みずきが、ともに2009年に逝ってしまうとは
当時は、これっぽっちも、想像すらしていなかったことで、
考えてみれば今年は、まるであれから「一巡した」かのようだった。
誰も彼も、数え切れないほどのものを遺して、
そのときどきの私を形作り、支えてくれて、
最後に、ときが来て、私の前から永遠に消えてしまうのだ。

どれほど愛した芸術家であろうと舞台人であろうと、
その運命から逃れる人などいないというのは、
初めからわかっていることだ。
けれど、それが、なぜ今だったのか、なぜ今年だったのか、というのは、
どんなに考えても、全く理解できないし、受け入れられるものでもない。
特に、アーティストが若くして亡くなった場合、なおさらだ。

彼らのことを思うとき、私は英語のmissという言葉の意味が、
とても実感を持って迫って来るような気がしている。
miss、とは辞書的には、
居なくなった人を恋しく思う、その人に会いたいと思う、
という意味の動詞なのだが、それは単に、
もう会えないから寂しく思う、というだけではないのだ。
その人を失ってしまったことが、決して自分の本意ではなかった、
全く納得していないのに、理不尽にその人を奪われてしまった、
そういうとき、missという言葉が本当の力を発揮するのではないか、
という気が、今、私は、している。

Miss you forever ...


Freddie Mercury - In my Defence(YouTube)

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