Love&Truth from 夢の街 *GOD HUG YOU*

日本の南端、活火山見える自然の中、チワワ達と家族とスローライフしています。
すべては愛のなせる業です(^^)

家暮らし〜夢は叶う

2012-02-11 | 愛と幸せ*まろぴぴぴちゃんの活火山ライフ
今週は頑張って病院に通って(今、病院恐怖症なのです…^_^;)
眼の治療や検査やメガネ合わせをしてもらいました。
そしたら結構重めのアレルギーがあることと、近視が判明。
人生の後半は遠近両用のメガネが必要になってきそうです(^_^;)
でも、また、はっきりした眼でクラフトなどが出来るのは嬉しいデス(^^)


さて、数日前、昔のケータイのメモリーカードが見つかりました!
データが飛んだと思っていた懐かしい写真がいっぱいでてきたんです。


  

《元気な頃のばあば、2歳の甥っ子、暮らし始めたころの相方さん
 10年前の懐かしい写真たちです。
まだ2歳になったばかりのピーちゃんはお顔が黒いです〜。》



懐かしい写真を見ながら、自分の人生を振り返りました。
そして今、
老いていく道をゆったりと満たされて歩んでいるのだと思えました。
相方さんが居ない今、孤独はさみしいものだけれど、
とっても大きな変化のあった出来事だったけれども
今の暮らしには何にも後悔はないなぁと思えました。




  

《眠るちび甥っ子、じいじとおいっことぴーちゃん、10年たっても仲良し♪》


好きな詩のなかに、この様なものがあります。


《最上のわざ》

この世の最上のわざは何?

楽しい心で年をとり、
働きたいけれども休み、
しゃべりたいけれども黙り、
失望しそうなときに希望し、
従順に、平静に、おのれの十字架をになう−−。

若者が元気いっぱいで神の道をあゆむのを見ても、ねたまず、
人のために働くよりも、けんきょに人の世話になり、
弱って、もはや人のために役だたずとも、親切で柔和であること−−。

老いの重荷は神の賜物。
古びた心に、これで最後のみがきをかける。まことのふるさとへ行くために−−。
おのれをこの世につなぐくさりを少しずつはずしていくのは、真にえらい仕事−−。
こうして何もできなくなれば、それをけんそんに承諾するのだ。

神は最後にいちばんよい仕事を残してくださる。それは祈りだ−−。
手は何もできない。けれども最後まで合掌できる。
愛するすべての人のうえに、神の恵みを求めるために−−。

すべてをなし終えたら、臨終の床に神の声をきくだろう。
「来よ、わが友よ、われなんじを見捨てじ」と−−。



私はキリスト者ではないけれど残りの人生をこんな風に生を歩みたいと願っています。


さて、私には特技があります。
それは願いをかなえるということ。

自他共に認める私のジンクスは
「願ったことはすべて叶う」
と言うものなのです。

え〜、そんな嘘みたいなことあるわけないじゃん!と思うでしょ?
いやいや、それがあるんですよ。
私、叶わなかった夢って一度もないんです(^^)


大好きな魂の家族である友がいつもこういうのです。

「福ちゃんはいつも絶望に近いような不幸の底にいるようで
その実、誰よりも幸せのそばにいる。
必ず口にしたことを、実現している。
夢を全部叶えてしまう不思議な力を持っている。
だから僕は見習って願っていることは口にするようにしています。
それからは願いがどんどんかなうようになりました。」

そうなんです。
でも特別なことはしていません。
ただ願うんです。
「ああいうことしたいな〜。こういうことしたいな〜」って。

しっかりと願いを表明すると叶うんですよ〜。
なんで叶うのだと思います?

私は思うんですが、それは目標がはっきりしているからだと思うんです。
いつも抱いている夢や願いがくっきりはっきりとしているから、
自然とそれが叶うような生き方を望むし、実行するんだと思います。

だって何かをしたいとと言う衝動と実行の伴わない現実はないですもんね。
私にとっては、それが出来るものが「夢」です。
夢は私には、ただあこがれているのとは全然違うものです。

だから私が「何かをこうしたい」と言ったら、行動を意味します。
そうすると、当然、常に願いの実現に向けて生きる努力をするわけで
それでいつしか振り返ってみたら、願いはかなっているんじゃないかなぁと。

しっかりと願うこと。これ大事。
自分の願いがはっきりしていないと叶わない。
私はそう思います。



《そういえば2歳くらいの甥っ子はトミカが好きだったなぁ(笑)》


私は、人に言わせれば、ものすごく苦労をしているのだそうです。
確かにここまで生きるのは全然楽じゃなかったですが
でも「苦労」と思ってやったことは一つもありません。

確かに大変なことは沢山あったけど、それは生きるために、
そして夢に近づくためには決して避けられない道でした。
それをやること自身が夢の一つのピースだったので、
どれだけ大変でも、それをやることに意味があったのです。

叶わなかったこともあるでしょ?って思いますよね〜(^_^;)
それがね〜、よく考えれば考えるほど、ほんと無いんですわ。
大きさに差はあれど、結果が願った形とは違っても、
やっぱりちゃんと抱いた願いは叶っているんです、いつも。

いや、叶う、というより「与えられた」って感じだろうか。

とにかく世の中って、うまくできてるんだなぁ、って思います。
望んで努力すれば、それだけ大変だったり、失うものもあるけど
ちゃんと必要なものは、必要なだけ努力しただけ、与えられるんだなぁ、って。


私は本当に食べるのも生きるのもギリギリの金銭的に難しい環境で育ったけれど
少なくても、いつも親友と呼べる友達がいたこと。

お金で苦労していても、その時々でアルバイトをすることが出来て
学費や弟妹になにかしてあげるお金を作ることが出来たし、
親にお金を出してもらうことなく自分の力で大学に行ったし上京もした。
親にも弟妹にも仕送りをすることが出来ました。

そして歌も、お芝居も、踊りもやったことはなかったけれど
生まれてすぐからミュージカルをやることは天命と信じて生活していたので
歌うことも、芝居することも、踊ることも、日常だったし、
3重苦でも、ものすごい倍率をかいくぐって某劇団にも入団できました。

子どもの為のミュージカルをやりたいと願って生活していたら
自然とそういう劇団に移籍して、しかも主演を長くやらせて頂いた。
多くの学校や子ども達、お芝居を必要としてる人の前で
心からの仲間たちとミュージカルを演じ続けることが出来ました。

幼いころは貧しく、病弱で、学校にも行けない日々もあり、
遠足も修学旅行もお金がなくて殆ど行けなかったけれど
役者になってから日本全国47都道府県すべてに旅しました。
そして、相方さんとピーちゃんと車で行ける範囲をすべて旅しました。

人生の時々で自分を助けて下さる素晴らしい人たちに巡り合ったし
イノチをかけても惜しくない、今も続く友情と魂の家族を得ました。
その人たちとは今でも魂の家族です。

中でも命を懸けられる素晴らしいパートナー2人に巡り合い、
共に演じ、暮らし、この厳しい世の中で、協力者を得て、
カフェや劇場の経営と言う形で自分たちの芸術の為の場を
2度も得て、その為だけに暮らすことが出来ました。

最愛のパートナーたちとは2度とも永遠の別れを経験しましたが
その分、彼らは大きなイノチを私の中に残してくれました。
たくさんの愛と真実をおしえてくれました。

パートナーたちとの子どもは望めませんでしたが、
変わりにお互いが愛した小さい命を預かることを許されました。
しかも娘が二人もいるて、さらに男の子も一人増えました。


そして、いま。

私の人生を聞いて、なんて可哀想な人生なんだろう、と言う人もありますが、
私自身は悲しみは大きくあれど、過去を振り返りますと、
その時々で、身の丈以上の、とても満足した人生を歩んできて
いま、相方さんと二人、いつか時が来たらこうしたいね、
と望んだ暮らしを手に入れています。

それは「家暮らし」の生活。

いつか自然の中で、自分たちの大切なものを大事にしながら、
犬たちに囲まれて暮らすという相方さんとの夢。
普通の暮らしの中で芸術を生かしていく暮らし。
家族を大切にした、ほっこりとした家暮らし。
自分の愛する人のために家事のできる暮らし。
あたたかで、ゆっくりとした、家暮らしの日々。

私は図らずもこの土地に戻ることを許され、
そして、相方さんが願ったように、
自分の大事なものを、大切にしながら
愛する家族であるちびさんたちと暮らしています。
私はこの日々を本当に感謝しています。


 

《小さな庭の畑仕事をするばあば。ばあばの為に家事を担当する弟
 ゆっくりとした、私の夢の暮らしがここにはあります。
昔から息づく、当たり前の、生きるための暮らしです。》



相方さんと共に願った未来の一部がもう既にあります。
ここに相方さんが隣に居ないのは、とても残念だけれど。

この暮らしは、私たちにとって、それこそ夢のような世界でした。
自分たちが生きている世界を全うしてからでなくては手に入らない世界。

それはもっと先に相方さんとの日々の終わりに来るべきものでしたから
彼の死と一緒に消えてしまっても仕方ないような願いでしたが
二人が長い間、強く願った分、叶えることが出来ました。
私の身の上ではここに戻ることはかなり難しいと思ったし、
本当に悩んで決断したけれど、頑張って良かったと今は思う。

この暮らしは間違いなく相方さんがくれたものなのです。
そして、たぶん、いま彼もいっしょに経験している。
私はそう思うのです。
だから、私はいまの暮らしを大事にしたいと思います。


もちろん、思いのままにならないこともたくさんあります。
今の状態では思いを抱いてもできないことだってある。
苦しいこともいっぱいあるけれど、
それでも、わたしは心から満足しています。


だって美しい暮らしというものは、形にとらわれるものではありません。
私はそう思います。
一番美しいのは、その時の自分がしっかり生きることだと思います。

だから
私は私の愛すべきものを愛して、いそがずにゆっくり暮らすのです。
大好きな人のために手を動かし、心を動かして生きるのです。

誰か本やエッセイを書いているような人みたいに
絵に描いたように暮らせなくてもいいのです。
私はちっとも恥ずかしくない。

私はただ、私の美しいと思ったものを、
美しいとしっかり認識しながら生きるのです。

そこに、今までの人生のすべてが生かされるのです。
ここから古いものを包括した新しいものが生まれるとわかります。

わたしはいま、それが心深く理解できるのです。


  

《ご神木に見守られてた昔の家。家族で作る平和の祈りの七夕飾り
 見える人には見える、庭のラベンダー畑に住む妖精たち(見えるかな?)
そして今も神社の下に住み、自然の中に暮らせています。
ここには私の大切にしている世界が確かにあります。》


私はいまは思うように動けません。
全く一人でもないので、願ったような暮らし方は出来ません。

そのかわり毎日、いろんなことを想います。
そして思ったことをノートに書いていきます。
心にある願いをはっきりとくっきりと。
今できなくても、何がしたいのかをはっきりさせるようにしています。
思いがなければ、何も動かないからです。

そして、少しを実践します。
少しでもいいから実行してみる。
それが大事。

そのうえで、いまの家族暮らしを心から楽しんでいます。
なんせ、この暮らしは相方さんが命を懸けてまで私にくれたものだから。

今は残念ながら、あれしたい、これしたいと願いを語る人がいないから、
ノートが相方さんのかわりですが。きっと傍で聞いていてくれるでしょう。

そして、こうして書いたすべては、願ったすべては、
私がちゃんと生きている限り、しっかりの望む限り、
例え、与えられる形は違っても、またかならず叶うのです。





《ある病者の祈り》


大事を成そうとして
力を与えてほしいと神に求めたのに
慎み深く従順であるようにと
弱さを授かった

より偉大なことができるように
健康を求めたのに
よりよきことができるようにと
病弱を与えられた

幸せになろうとして
富を求めたのに
賢明であるようにと
貧困を授かった

世の人々の賞賛を得ようとして
権力を求めたのに
神の前にひざまずくようにと
弱さを授かった

人生を享楽しようと
あらゆるものを求めたのに
あらゆるものを喜べるようにと
生命を授かった

求めたものは一つとして与えられなかったが
願いはすべて聞き届けられた
神の意にそわぬ者であるにもかかわらず
心の中の言い表せない祈りは
すべてかなえられた
私はあらゆる人々の中で
最も豊かに祝福されたのだ


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一以貫之〜一を以てこれを貫く

2012-02-08 | 愛と幸せ*まろぴぴぴちゃんの活火山ライフ


《まろたんのりりしい横顔》

今日もちびさんたちはお元気でした。
私はちびさんたちのフォルムが大好きです。
特に横顔、すきですね〜。
ムーミンに出てくる「めそめそ」ちゃん、知ってますか?


《めそめそちゃん》

横顔と言えば、私はめそめそちゃんです(笑)
可愛いです。
我が家のちびさんたちのめそめそフォルムもなかなかですよ。

 



さて、深夜です。
外はすごい風が吹いています。

今日は、親しいけれど、お忙しくてなかなか連絡を取れない方から
安否確認のメールをもらいました(^_^;)
何だか不思議なことが起きたからだそうで不安になったそうで
言われた方もびっくりしましたが、とてもうれしかったです(^^)
普段会わずとも、そうして日々の中で思い出してくれ、
安否を気遣ってくださる方がいるのは心から嬉しいものです。
優しいあの方に心から感謝デス♪ありがとうございました。


私は人と会うととても元気なんです。
本当は落ち込んでても落ち込むことができません。
だから、中には私がなにも悲しくないのだと思う人もいるでしょう。
悩みがないんだと思う人もいるでしょう。

でも、私は今はだれにも会えないくらい、外の世界の中に生きられてません。
ほんと、人間は不思議。


唯一、私の人生の中で本当に人前でダメだったのは、
10年前に突然死でパートナーを亡くした時と
一年前に相方さんを天国にお見送りした時だけです。

長女だからか、普通よりはちょいと苦労した人生だったせいかわかりませんが
先に落ち込む人が居るとさらに落ち込めません。
自分より人を慰める方が、落ち込むよりも
しっかり立っているのが、一番大事になります。

それでも、最初のパートナーを失ったときは
お母さんや周りがぼろぼろで私一人で動かなきゃいけなくて、
泣いている暇はなかったのです。
それに泣いている人を前に泣けなかった。

でも一年前の相方さんの時は泣いたなぁ。
ほんとボロボロに泣けて泣けて。
一生分くらい泣いたかもなぁ。

多分、ご家族が私が思うよりも泣いてなかったし、
葬儀なんかもすべてご家族がやってくれたからだと思う。
だから、自分が泣いてる余裕があったのだな。
泣けない性格の私にとっては本当に在り難いことでした。

10年前に亡くしたパートナーさんのお母さんは
長く一緒に暮らしたこともあるけど、大切な人で、
私は今でも自分のお母さんの一人だと思っています。
お母さんも今も変わらずに私をとてもかわいがってくれます。
だから隠し事も何もしないし、励ましあえる仲です。
亡くなった相方さんのことも最初からすべて伝えていて、
お母さんも二人の幸せを応援してくれて一緒に遊ぶ仲でした。
そりゃあ、一緒に居れば喧嘩もするし、いろいろあったのだけれど、
私が脇目も振らずにパートナーさんと必死に走ってた姿を、
新たにご縁をつないだ相方さんとの人生を
駆け引きなく、必死で走っていたことを、
誰よりも一番認めてくれていたのはお母さんでした。

そんなお母さんは相方さんの時もすぐに駆け付けてくれました。
そしてボロボロの私を見て
「うちの子が逝った時より全然悲しそうだった」
と皆に言ってたそうです(^_^;)

いやいや、お母さん、あの時はあなたがものすごく泣いてたからさ、
そんで私は全く泣けなかったんだよ。悲しみは変わりません。
私にはやることもあったし、本当に泣く暇がなかったのよ。
あなたは何もできなかったし、泣いてたら何もすすめられなかったし。
なんてね、この思い、いつか伝わるだろうか。
いや、きっともう心のどこかで知ってくれているね。


私は以前のパートナーさんにしても、最愛の相方さんにしても
一切妥協しないで走ってきたことを本当に善かったと思っているんです。
どこかで相手に対して手を抜いていたら後悔したけど
つたなくても、足りなくても、必死にやったなぁって思える。
それだけは相手に対しても善かったなぁって思っています。

たとえ、わたしの真実を知らない沢山の人が、
その人に見えない私の真実をどれだけ疑っていたとしても、
私の精一杯に嘘がないことを以前のパートナーのお母さんや
親友や友たちはよく解ってくれています。
そういう人が一人いてくれるだけで、
私は人生を安心して振り返ることができるのです。

そして、そうやって信じてくれる人が居るのは
自分が嘘をつかず、わき目も振らず一生懸命やってきて
その真実を生き様からちゃんと理解してくれているからでしょう。

人は見えないものは信じにくいものですが
そういう事実は見えない部分にも真実性を与えてくれます。

そういうことが大事だということは
今、ここにその信頼がない関係にしても
努力をしていくことで培っていけると信じられます。

だから、どんなに苦労しても、辛かったとしても、
一つの事をやりぬくってことは大切。
精一杯生きるってことは大事だと思う。
自分自身を、そして相手を一筋の疑いもなく
信じて生きるためにもとても大切だと思います。


私はいま、病気で、健康でもなく、お金もなく、
独りになってしまって未来は見えないし、不安で、
ひきこもりで誰に会う気持ちも全然芽生え来ないけど
それでも、できる限りの力でいいから
必死に生きるってことは大事だとなによりも思っています。


私自身、いつも100パーセントで頑張ろうとやってきたせいか、
(という、自覚は全然なかったけど、あたりまえでした)
周りも自分をしっかり持って、がんばって生きている人がたくさんいて、
ある時まで、あんまりいい加減な人というのを知りませんでした。
必死にならなければ生き残れない芸能界にいたせいもあるのかな。

10年前、以前のパートナーさんが天国に旅立って、
初めて芸能界以外の人の世界に行ったら、
いろんな基準がユルユルでびっくりしたことを覚えています。

業界に居たら自分自身が売り物だから、
自分が何かを身に着けないと生きていけませんが
世の中は自分が一生懸命やるというのではなくて
人や与えられるものに頼り切る人がすごく多いのにこれまたびっくり。

そして人は不完全だからか、できないこともある
できなくても仕方ないのが基準である事にも驚き。

うちらはできても出来なくてもまずやってみて
自分で出来る道を探さないとどうにもならなかったから
そういう感覚が驚きでありました。

ただ業界以外の世界の方とも沢山のつながりができて解ったことは
どんな世界でも「精一杯生きている人」は「自分をもっている」ってこと。
だから生き方が全然ブレない。それは変わらないって事でした。

でも、一般、というと、語弊があるかもしれないけれど、
普通と呼ばれる世界?ではそういう人とそうじゃない人の
ギャップっていうものがものすごく激しいと今も感じます。

「なんでそんなに必死にがんばれるんですか?」

と聞かれたことがあります。
必死にがんばらないなんて事がなかったので答えに困りました。

片や努力があたりまえ、片や楽をするのがあたりまえの現実。
このところ、身近でそういうギャップを感じていて
いま、ちょっと、それにへこたれています。

多分、ご本人もそういった部分に何かしらの違和感はあるのだろうけど
多分ですが、どうしたらいいのか全く分からないのかもしれない。
でも、私も何をどう手助けしたら、そこが突破できるものか難しく…(-_-;)
いろいろ立ち向かってみるものの、ガッカリ感に乗っ取られ
バッサリと一刀両断に蹴散らされてしまうのです。
それで今はそこにかかわることがかなりしんどくて、
本宅の街中のアパートに引きこもり逃走中なのでした(^_^;)

あ、仲が悪いとか、その人が嫌だとかじゃなくて
いろいろと自分が今はとろいので疲れちゃうから
敢えて手助けをしない手助けなんですけどね。

こんな身ですから、色々なことがトラウマになりやすくて。
ほんとにダメですなぁ。
もちろん、相手も頑張っているんです。
でも、なかなか本気が出せないのでしょうね。

お医者さんにそういうことを相談してみたら、
一人は「アスペルガーでしょう。今は多い」といい、
お一人は「否定型うつ病」があるのではないかとおっしゃっていました。

否定型うつ病っていうのは新型の欝なんだそうですね。
私の正反対の欝なのだと教えられました。
若い人にとても多いそうです。

『お天気屋うつ病』とも言われ、どんより沈み込んだ状態が続くものの、
よいことや楽しい出来事があると、それまでの不調がウソのように、
たちまち元気になります。しかし、長続きはせず、
また憂うつな気分に戻っていく、これが大きな特徴だそうです。
さらには過食に走って体重が増えたり、
いくらでも眠れるなどの特徴もあります。 

非定型うつ病になりやすい人は、
他人からよく見てもらいたいという意識が強く、
自分に対する評価が気になるタイプだとか。
みっともない姿をさらしたくない気持ちが強いため、
人前に立つとかえって緊張してしまうんだそうです。

楽しいことをしてもなぜすぐ憂鬱に戻るかというと
自分自身が本当に大切なものや楽しいことを
ちゃんと理解していないからなんだそうです。

つらいのが辛いから、簡単に楽しいことに惹かれて
それをやってないと居られずにいて、
でもそれもずっとは続けられず、
もっと楽しいことを求めてしまう。

出来ないと、ひたすら食べたり、眠ったり。
現実から逃避していくんだそうです。

確かに、見ているとそんな感じなんですよね。
鬱の人は不安があるとどんどん眠れなくなりますが
悩んでる様でも寝ちゃうんですよね(^_^;)
しかも、泣くくらい真剣に話してても横目でテレビ見てたりするし。
食欲もなくならない。
だから余計に真剣にかかわっているまわりの人との
ギャップが出来てきちゃうんでしょうね。

私も人の事なんて言えないし、偉くもない自分ですが、
そういうの見てるとかわいそうになってきちゃったりするんですよ。
だって、相手も気持ちがないわけじゃないんですもん。

辛いと思うんですよ、出来ないって言うのも。
でも、その場その場を取り繕うことだとか
辛くても頑張るって自分の心にすぐ負けちゃうんですよね。

若い方、多いんじゃないかな〜。
怒られたくない、変な風に思われたくない症候群みたいなね。
まずそこを考えちゃうから、大事なことを見落とすんでしょうね。

ちなみに私のような定型型はがんばるは禁物ですが
否定型うつは普通の欝と違って頑張った方がいいんだそうです。
なにかと叱咤激励が必要なんだそうですよ。
だって頑張る力さえ手に入れたらすぐなおるんだそうです。

多分、がんばる力ってのは
本当の「自分」を知ることです。
そこから目をそらさないことだと思います。


一以貫之

「一(いつ)以てこれを貫く」
と訓むこの言葉は、論語の里仁篇にあるそうです。
解釈は様々あるのだそうですが、簡単には
「一つのことを貫いてやり遂げる(やり続ける)。
立派な人間の道は真心のみである」
という意味だそうです。


小説家の浅田次郎さんは自分の母校に通う若い人に
この言葉を贈ったそうです。浅田さん曰く、

 「一つのことをやり遂げるということは、とても大切なこと。
若いうちは、あれをやりたい、これをやりたい……と思っている。
それはいい。
ただ、結果的に人生で成功を収めるのは、一つのことをやり遂げた人。
これを早く見つけて、脇目も振らずに頑張る。これが人生のコツ」

だ、そうですよ。

浅田次郎さんはものすごく遅咲きの小説家さんですが
自分を信じて、わき目も振らずに書いてこられたので
生きてきたすべてが小説の為に生かされている方です。
彼の小説を読めば、それはもう一目瞭然です。

ただ生きているだけの人には、それはできないと思いますね。
だからやっぱり、必死に生きるってことは大事なんだなって思います。
どんな状態でも、自分をはっきりと以て必死に生きるってことが大事。
脇目を振らずに決めたことをやりぬく力が必要だなって思う。
そして、それは大きいことでなくていいと思うんです。
小さいことで言いから、きちんと向き合って乗り越える。

私自身、いろんなことがあったときも、常にそう思い、
そう生きていられるから、今も生きているんだと思います。
多分、そうじゃなかったら、生きていない気がしますから。
そのくらい、今日をしっかり生きることは大事なきがします。

しっかり生きる意識がないと、理解する力も生まれてこないんですよね。
それが生まれてこないうちは、言われていることしかわからないし、
ましてや、自分の知ってる範囲から抜け出すことなんてできないし。
想像力がないと、相手も思いやれないのですが、それもできないんです。
それができないっていう事は善悪とかも理解が薄いってことだし、
善し悪しもわからないんじゃないかと思うし、判断もできないでしょう。
周りの若い人見てても自分の判断力のなさは半端ないですもんね。
解らない上に、自分で決められないし。人の意見在りきですもんね。

結局、生き方のいい加減さは人生のすべてにつながってくるんだなって思います。

結局、今の人はいろんな意味で恵まれているんだなぁ、きっと。
それで麻痺しちゃってるし、知らないままに来てたりする。
もちろん、そこに悪気なんかないし。
そういう人がまた親になって、知らないものは教えられないから
それでまた連鎖しちゃったりもして。
そんな感じがしますね、世の中ね。難しいものですね。

でも、自分の力で考えること、がんばってほしいなぁと思います。
時間がかかってもあきらめずに歩んでほしいです。
究極、自分の事ですから。

簡単なことからでいいんですよね。
たとえば、冷蔵庫にいれるものと入れないものを
きちんと考えて入れる、とか、
捨てていいものといけないものを判断するとか、
そういうことがしっかり出来ていくことが
全部に繋がってくると思うんですよ。

そして、小さなことでもいいのです。
一つでいいから、やり遂げてほしい。
結果はどうであれ、これは精一杯やった、
ってひとつくらい思ってほしいなぁと心から思うのです。

だって、そう思えるって、すごい幸せだから。
その喜びを私は知ってる。
だから、大切な人たちにも幸せになってほしい。


昔、アメリカンの友人に教えてもらった大切な言葉があります。

Yesterday is history
Tomorrow is a mystery
Today is the golden age
between

昨日のことはもう済んでしまったこと
明日のことなんて分からない
今日とはその間に存在する輝かしい時間なのだ


今日を脇目も振らず精一杯生きろ、という意味ですね。

今日を生きる。
自分を生きる。
簡単で難しく、そして素敵なことだと思います。






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免疫力・抵抗力

2012-02-07 | 愛と幸せ*まろぴぴぴちゃんの活火山ライフ


《目薬もらいました…》


先日の雪から一転、今日は20度もありました。
そして今宵はすごい雨です。

こちらに来てから、ほっとして老け込んでしまったせいでしょうか?
何故だか急に視力が落ちまして、随分と視界がかすむようになりました。
年齢的にもそろそろ老眼かな〜と思うのだけど
遠視とか近視が入っているみたいで手元も遠くも視えないのです。

眼が見えないと、何をする気も起らないし、疲れて熱とかも出ます(^_^;)
それで、眼科で調べて頂いて、メガネを作ろうかなと思い、行ってまいりました。

年末からずっと風邪気味だったんですが、先週、なんだか目に違和感が。
花粉症なのか、なんなのか、よく目がかゆくなってしまうのです。
それで、ちょうど両目も充血してまして、観てもらう事に。

診察の結果、炎症が酷いらしく、ひどいアレルギーかも知れないが
はやりめ(ウイルス性の結膜炎)のせんも否めない、という事で
2日ほど目薬を差してどちらか様子を見てから、
治療したのちにメガネなど作ることになりました。
病院に行くのは、今の私にはちょっと疲れちゃうんですけどね。




《この格好…(-_-;)ピピさん、どこまで自由なの。。。。》

病院で言われたんですが、このはやり眼もまた
免疫力・抵抗力が低下すると起きやすいのだそうです。
すっかり風邪をひきやすくなったり、熱が出たり、
関東に出ていく以前の体の弱さが復活しています…。

これはもしや東京にいたときに、内部被ばくが多かったせいか?
とか思っちゃったりもして…(-_-;)
かなり気は付けていたんですけどね。

311以降、心労もかなりあって、身体に影響は出やすかったけれども
もともと呼吸器が弱いから、影響受けやすかったのかもしれないなぁ。

こういう事書くと笑う人もいるんでしょうけれども。
私は笑えません。

真実、関東の汚染は深刻です。
現にいまだって、格納容器内は冷えている、電源はあります、
ってだけの話で、フレッシュな放射能はダダ漏れのままです。
そんなんで、環境に、人に、影響がないわけないです。
しかも、私たち、夏以降は日アンしてきたとはいえ、
高濃度の汚染があった時にその場にいたわけだから。

もともと
「あんたは豆の上に寝たお姫様か!」
と、突っ込まれるくらい、体感が過敏な私。
影響が出てきているなら、免疫力も落ちてても当然ですね。
昨年の秋以降、特に免疫力、抵抗力の低下を感じています。

だからって内部被ばくした〜、どうしよ〜とだけは言っていられません。
だって、もうその時は過ぎてしまったのだから。
自分に出来ることをするのみ。
今は家庭で出来る対策を自分なりにしています。

薬草茶を飲んだり、ワカメや昆布やショウガや紫蘇などを多くとったり、
庭でもハーブを植えたりして、今後に役立てようと思っています。

また今日はあんまりつらかったのでカンナちゃんにマッサージをしてもらいました。
足裏にアルニカオイル(ハーブオイル)をつけてもんでもらったら随分楽になりました。

少しでも、浄化して、また予防になって、
風邪ひきにくくなったりしてくれたらいいなぁ。

自然のちからに期待です。

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ザボンの皮むき

2012-02-04 | 愛と幸せ*まろぴぴぴちゃんの活火山ライフ


《爺ちゃんがお友達の庭からもいでもらったザボン(ぼんたん)と
皮をむいたおミカン♪とても美味しいおミカンです♪》


今日はみんな(カンナちゃんはアルバイト〜♪)がお休みで
それぞれが宿題したり、パソコンやったりしておりまして
なんだかゆったりモードの一日だったので
私もなにかやりたくなり、ミカンの皮むきをしました。
実に1年半ぶりです。

現在、天国にお住いの相方さんは生前はフルーツがとっても好きで
フルーツと生野菜とジャンクなスナック菓子(^_^;)が欠かせない人でした。

おリンゴでもおミカンでも皮をむいてあげないと食べない人だったので
毎日、何かしらのフルーツの皮をむくのが日課でした。

私はこういう皮むきとかお豆の筋取りとか、
細々とした、黙々とやる作業が大好きなこともあるし、
むいたら美味しそうに食べてくれる人がいたもんですから
結構楽しんで皮むきをしてました。

特にミカンの皮は油汚れやレンジを掃除したり、
ピール(皮の砂糖漬け)にしたり、ママレードにしたり
乾かして芳香剤を作ったりとか使い道が多いし。
何よりかんきつ類を相方さんが好んだのでよくむいてました。

とはいえ、もともと私は自分の事には基本無頓着で
自分の為に何かをしても嬉しくない、ってタイプなんです。
やっぱり食べてくれる人がいるからフルーツの皮もむくわけで
相方さんが天に引っ越してからは、すっかりそんなこともしなくなりました。
と言うか、いろいろ思い出すから、あえて出来なかったんです。

そしたら、おととい、爺ちゃんがお友達の家の庭に実った
ザボン(文旦とかぼんたんとも言います)という
メロンくらいの大きさのおミカンをたくさんもらってきたのです。

このおミカン、美味しいのですが、皮が一センチ以上の厚さがあって
むくのに力も時間もいるので、食べるまでに一苦労なんですよ。
ましてや忙しい人や子どもや老人には時間と労力のいる食べ物なんですね。
それでね、むいておこうかなぁ、ってね。自然にそう思ったんです。


周りにいる人の存在っていうのはすごいものですね。
出来ることを簡単にできなくもすれば、
出来なくなったことを動かしてもくれる。

たぶん、皮むきを必要とする家族が居なかったら
私は皮むきなんて、もう一生しなかっただろうからなぁ。
そう考えると感慨深いものです。

たかが「ミカンの皮むき」って思います?
でも、一生の出来事です。
「たかが〜」であれ、一生に関わってくることなんです。
私には大きなことだなーって思えます。




《このこたちも小さいけれど大きな存在です》


人であれ、動物であれ、なんであれ、
心を動かす「存在」ってものは大きいですね。

日々、実感です。




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はむたんといっしょ♪

2012-02-04 | 愛と幸せ*まろぴぴぴちゃんの活火山ライフ
雪降る南国から一転、今日は暖かな良いお天気になりました。
縁側ではアムままがハムスターの「はむたん」のお部屋掃除中です。

はむたん大好きのまろたんとピピちゃんは3匹で仲良くお遊び中(^−^)

 

《じいちゃんの額の中で遊ぶはむたんとまろたんとピピちゃん》


 

《はむたんもピピちゃんやまろたんと縁側をかけっこデス♪》




《はむたんもカメラ目線(笑)》


時々、ハムたんにさわりたいまろピピのミニパンチが
はむたんに降りかかったりしますが、噛んだり叩いたりはしないんですよ〜。
あくまでも一緒に遊んでるって感じのじゃれ方なんです。
ハムたんもお日様を浴びてとっても楽しそう♪

仲良しってのはいいですね(^^)


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心の冬と春のあしおと〜死を生きる《追記あり》

2012-02-02 | 愛と幸せ*まろぴぴぴちゃんの活火山ライフ
昨日、今日と日本列島は寒波で寒さがすごいですね。
南の我が故郷も類にもれず、夕方からぐっと冷え込んできました。
もしかしたら今夜あたりは雪かもしれません。

でも、暦の上ではあと二日で冬も終わりです。
まだまだとっても寒いけれど、それでも我が家では
あちこちで僅かながら春のあしおとが聞こえています。




《爺ちゃんの植えてくれた梅のつぼみが膨らんできました。丸くて可愛いデス♪》


 

《このところ、ちびっ子たちはお日様がでると日向ぼっこもできる位の陽気になりました。》

やっぱり毎日、季節は春に向かっているのですね〜。


でも、さすがに今夜はかなり寒いです〜。
風は強いし、雨もぱらぱらで、雪降りそうです。
あんまり寒いので今夜はおでんにいたしました。

我が家の寒がりちびっ子たちはといいますと…

 

《ふかふかおふとんの上であったかぽこぽこになってます(^^)》

 

《しかも、こんな格好で爆睡中(笑)》


自然の中、まっすぐに時間を生きている
このちいさい方たちの無邪気さを見ていますと癒されます。
いま、この子たちのイノチの輝きが私の大きな支えです。

時間は冬から春へと進んで、上手に巡っているのに
なかなか私は前に進むことが出来ずにいます(-_-;)

せっかく恵まれて、この南の地に戻ってこれたというのに
いまだ動くこともできず、関東や被災地から脱出したくても
出られずにいる方に申し訳ないと思ってしまいますが…(・。・;


相方さんの一周忌からこちら、プチ引きこもり中です。
今は病院にいく事すら難しいのです。
ほおんと、ココロって難しいものですねぇ。

早く元気になりたくて、引っ越してからこちら、
足しげく通院したりしてたんですが…今はどうしても難しくて。

私は見た目元気なんですが、結構、立ち直るのが難しい方です。
10年前、以前のパートナーさんを亡くした時もそうでした。

パートナーさんと過ごした思い出のある場所に住むこともできず
音楽やTVや映画もまったく見られなくなりました。
思い出の品や写真も見ることが出来ませんでした。

自分が命より大切にしていた世界(演劇と言う世界)で彼は逝ってしまったので
それを作る仲間の近くにも、劇場にも、その世界にもいられなくなりました。
それだけパートナーさんは自分の一体になっていたのですね。
それが何よりも一番つらかったですね。

それで、ぴーちゃんと二人、しばらく南の国に戻り、
数か月後、全く未知の世界だった北海道に渡ったのです。

でも、そこまで、本当に密接な仲間と世界の中で暮らしてきた私には
全くその片鱗のない世界にいるのは難しくなってしまったのです。
一年後、つてと北海道の友人たちの助けを借りて東京に戻りました。

元の世界に戻りたい、とは思いませんでした。
悲しみが深く、どうしても近寄れなかったからです。
でも、関わらなくても、大事な世界のある場所のそばに居たい、と思いました。

もちろん、逝ってしまった人を悲しませたくないから
その人と暮らしていた時以上に一生懸命生きようと思うのですが…。


愛した人の死は本当につらいものです。
突然の別れは特に。
思い出は消えないものです。と言うか、消せません。

時間が経てばたつほど、ああもしてあげたかった、
こうもしてあげたかったな、と思いが高まるのです。
自分の覚悟したことや、決めたことなら、思い切りもつくし、後悔もありません。
事実、わたしは自分で決めた道で後悔したことは一度もありません。
でも突然起きた愛する人への不可抗力の出来事は、
いつまでも思いはさめやらないものだと知りました。

すると長くて短く、短くて長いような時間が始まります。
相手が生きていたのか、それとも夢だったのかと思ったり
自分が生きてるのか死んでるのかわからなくなったりします。
色も、音も、何もない世界が訪れます。
感情というものは消えてしまったのだと思っていました。
でも、私の心の中の世界でのことなので誰にもわかってもらえません。

10年前、そんな孤独の中から、元の世界に戻そうとしてくれたのが相方さんでした。
嬉しかったですね。自分の心が動くという事が。

とはいっても、なかなか完全に元気になるという事は難しくて
やっぱり亡くなったパートナーさんと見た映画やTVは見れなかったし
一緒に聞いた音楽もお芝居も見られませんでした。
劇場で亡くなったから、今でも一人で劇場にも入れません。
思いでのある場所には足が全く向きません。
いまだにそれらは自分の中で乗り越えられないものとしてあるのです。

それでも、相方さんが付き添ってくれることで、
彼の為の公演や、そのお友達の公演に参加できるようになり、
相方さんの好きな場所や、音楽や、絵や、お芝居を
一緒に見られるようになりました。
失った以上に沢山の新しい世界が自分の中に生まれました。
一緒に新しい人生を歩むことで、私はこの十年生きてこれたのです。


でも、また大切なものがまっすぐ見られないものになってしまいました。
それは、本当に大きくて、なかなかその向こうに行けない。
ただでさえ、痛みはあったのに、しんどいもんです(-_-;)

ある時、親しい人にいろいろと言葉をかけてもらった事があります。
私は親しかったので、その事が過去の悲しみと繋がってしまう
と言うことを正直にお話したのですが、その方から
「福ちゃんは何を話しても悲しい思い出になるんだね」
静かに批難するように言われてしまったのです。
言っている意味はなんとなく理解できましたが
私にとって、それを繋げて考えないことはとても難しい事なのです。
でも理解はしてもらえなかったのです。
親しかっただけに、ちょっとショックでしたね。
その方には素直なお話は出来なくなってしまいました。

良く、多くの方は、死んだ人が悲しむから元気にならないとダメだ、とか
過去を引きずっていてもだめだ、とか、おっしゃって下さるのですが
(もちろん、それが愛からであることも十分理解していますが)
それが簡単に出来たらPTSDなんて病気はなくなるんじゃないかと思いますね。

それが難しい人も中にはいるのですが、常日頃から元気を唱える方や
前向き思考の方には特に理解してもらえないことが多いです。


死を通して、人が見えてきます。
いろんな人がいます。
びっくりするほど立ち直りの早い方がいるのも事実です。
そういう人は、上記に書いたようにすぐに前向きにご自身でも思えます。

でも、そうじゃない方もいます。
グリーフワーク(死別を乗り越える作業)の中にいる人には
私の様に痛みの大きく、前に進みづらい人もいるのです。
突然死や、震災や災害の様な衝撃の大きい死はPTSDを引き起こします。

PTSDになると、起きてしまった悲劇を意識の中で現実として繰り返し体験します。
永遠にその悲劇は続くのです。
さらにPTSDは鬱やパニックや多くの病を併発し苦しいものなのです。
簡単に癒えるものではありません。
私は10年の間、このPTSDと暮らしています。

そういう人にとっては元気にならないとダメだとか
死んだ人が可哀想だとか、くよくよするな、前向きになれ、なんて、
ただ心が深く傷つく言葉でしかなかったりします。

なぜなら、その人の中で相手の死は過去ではなく「現在に在る」からです。
現在進行形のものを、過去のものとして、全否定されたら
その人はそれこそ生きている場所を失ってしまうのです。

多くの方は単純に「死」はすべて過去のものであると思っているので
それをうまく理解することが出来ないのでしょうけれど。

でも、そうではないのです。
生や死はもっと複雑で繊細なものです。
肉体における事実だけでは定義できないものです。

でも人は目の前から死によって人が消えると、
その人によほどの感情をもっていなければ過去の者として定義づけるのです。

家族で会っても、友であっても、そうかもしれません。
でも、愛したもの、真実、共に生きた人にとっては違います。
死はただの過去ではありません。

だから、今もそういう無理解の中でひどく苦しんでおられる
被災者の方も多いのだろうなと思いますと胸が痛みます。

それらを理解するには同じように永遠の真実の愛を突然に失ってみるほかはありませんが、
でも、悲しみが理解できなくても、添う事は出来ると思います。
思いやることはでき、それは苦しんでいる人にも必ず伝わります。
もちろん、受け取る方の心の癒され具合で伝わり方は変わってしまいますが
決してまったくわからないなんてことはないと私は思います。
私自身、多くの方の愛を感じて、そう思います。

とは言っても、どちらの立場にしても難しいですよね(^_^;)

PHP文庫などで著書の多い、シスターの渡辺和子さんは
非常に自立心の強い方で頑張る前向きな方でした。
だから、多くの方に「前向きに頑張れ」と言い続けていたそうです。
弱い心になる人が悪いのだと思っていたそうです。

あるとき50歳を過ぎてから重篤な鬱になりました。
自死に向かう人の心を卑下していた自分が自死を望む立場になりました。
そして、身長が7センチも小さくなるような大病を通して
気持ちはあっても出来ない日々があることを知りました。

初めて「弱さ」の真実を知り、自分がどれだけ傲慢で
弱い人に向かって暴言を吐いていたかを知り
弱気を訴える人の気持ちを心で理解できるようになり
やっと弱い心の人に添えるようになったのだそうです。

そんな聖職者の神様に近い方でもそうなんですから、
普通に理解されなくても仕方ないのでしょうね。

死別と言う悲しみは、家族や愛する人や友がいれば誰にでも訪れますが
お医者様が言いますにも、やはり、愛し方やつながりや別れ方によって
癒えるのには何十年もの長い長い時間がかかることもあるのだそうです。


瀬戸内寂聴さんは、死別の悲しみの中にあるとき
なんでもいいのです、生きる理由を見つけなさい、
とおっしゃっていました。

傷みを忘れる必要や、自分の為に生きることを頑張らなくていい、と。
例えば、家族の世話でも、犬の世話でも、
ただ、その子のために生きなさい、それでいいのだ、と。
自分を弱い人間だ、ダメなどと思う必要はない、
大切な人の死を知らない人には、真実、人に愛を傾けられない、
死の痛みを知る人は深い愛を知る人なのだ、と。

また、大好きな先輩は、数年前に亡くなったお父様の事を上げて
「傷は決して消えないが、でもいつかかさぶたになる。」
そういってくれました。

私は10年前、一番つらいときに、それらの言葉にとても救われました。
今も、その言葉たちが、私を支えてくれています。


一年前、天国に行った相方さんは、常日頃こう言っていました。

「人は誰かを愛すると、その人が頑張っていれば自分も頑張れる。
相手の痛みも悲しみも喜びも自分の物になる。
そうして、いつしか自然に溶け合っていくものだ。」


劇団○季にいる時、ナルニア国を書いたルイスが主人公の
「シャドウランド」と言うお芝居についたことがあります。
(映画もあります。邦題は「永遠の愛に生きて」アンソニー・ホプキンス主演)
ルイスの妻、ジョイとの愛の日々のお話です。
ジョイは癌で死んでしまうのですがルイスにこう言います、
「私の死は神様との契約書の一部なのよ」と。

相方さんの言葉とジョイの言葉は同義語だと私は思っています。
生と死が一つのセットであるように。

溶け合ったものであるならば、この悲しみは相手の悲しみでもあるのです。
そしてその悲しみとは幸せとセットなのです。
ジョイの言う契約書に寄れば。

だから私は
「痛みを感じつくさねば決して本当の明日はやってこない。」
と、思っています。

そう、私は死と共に生きているのです。
なんだそれ?と思われてもいい。私はそこに大きな意味を持っています。

私は自分の経験からも、それを真実だと知ることが出来たし
だからこそ、落ち込んだ中にも喜びを見つけることが出来るし、
弱い心を自分から追い出さなくてもいいのだとわかります。
それは、生きるために、とても大切なことだと思っています。

だから人間、冬の時期はあっていいと思っています。
弱いときもあっていいと思っています。
ただ感じつくし、自分のちからで考えることはとても大事。
人智で越えられないものを手放すことも大事。
とにかく、今の私は冬。冬真っ盛りなのです。


そんな感じで、センシティヴになっているココロは
10年前から本当にいろんな事にへこみやすくなりました。
ここにきて、また更にさらに、それが深まった気がしてます。

今は相方さんを失ってしまった病院と言う場所に行くのがしんどくて。
人にも本当に会いたくない。会話をしたくないんです。
話すととっても疲れてしまうんです。
そうなると不安が募って悲しみがいっぱいになってしまったり。

急に老け込んで、目も悪くなったせいなのか大好きな本も読めず
いつもなら打てるメールも打てない。書ける手紙も書けない。
気持ちはあるのに、身体が動かず。

身体は緩んで順調に大きくなったものの(^_^;)
抵抗力は落ちているのか、風邪をひいては熱を出すの繰り返し、
そんなんで、プチ引きこもりな冬なんですわ。


それでも、家族が居るから、やることがあるし、
ちいさいさん達がいるから、お世話もしなくちゃならないし、
自然の中で生きているイノチたちは日々成長してくれているし、
友達はそれでもメールや手紙を書いてくれるから、
私はこうして喜びを捨てずに生きていられるのです。

それらは素直に嬉しい。
とても有難いことだって思います。

それが嬉しい、ありがたいと思えることが今は嬉しい。
以前、パートナーの死を経験したときには
今の時期にはもっと悲しい中に居て、そうは思えていなかった。
これは大切な人が命と引き換えに教えてくれたことなのデス。
とても大事な人生の学びです。

それらがいつか私の完全な春のあしおとになってくれるといいなぁ。
私は気長にそう思っています。


いまの日本には大切な方を突然に失って、
悲しみの中にいらっしゃる方が多いと思います。
私も「突然」に衝撃的な死の瞬間に立ち会い、
この世でもっとも愛する人を二人も続けて失いました。
だからこそ解ることもあります。

今でも目が覚めて、なぜ、私はここにいるのだろう?と思う事があります。
愛する人と幸せの中にいたとき、この未来は予定していなかったからです。
その様に愛する人の死とは、いまを生きている人の過去と現在と未来を奪うものです。

そこから立ち直っていくには自分の心を使って
また新しい未来を築いていくしかありませんが
その作業をするのには、それぞれの時間と力で
それぞれの目の前にある壁を越えていく事が必要なのです。

簡単じゃありません。人生を全く新しく変えるのだから。
そんな難しいことを、他人に簡単だとは言ってほしくないです。
くよくよしちゃいけない、なんて言葉でくくらないでほしいと思う。

周りの人には誰かが欠けたようにしか見えていなくても
その人失った人にとっては、それがすべてであることを
多くの方が知ってくれたら、感じてくれたらいいなぁと思います。

元気出せとか、明日に向かって頑張れとか素敵な言葉だけれど
それをしたくてもできず、なんとか違う方法で明日を探している
そんな人たちがいることも忘れずにいてほしいです。

そして、そんな人に出会ったら、話しを聞いてあげてください。
ただ、頷きながら、そっと聞いてあげるだけでいいんです。
それだけで、明日の音が、春のあしおとが心に響きます。


もし、ここに同じように悲しい思いをしている方がいたら
どうか、正しいという周りの言葉や気持ちに負けないでください。

周りの人には、なかなかわからないだけなのです。
だって、PTSDって現実離れした恐怖や悲しみを体験しないとならないんですから。
ある意味、解るはずがありません。

悲しんでいるあなたは、いまを生きているあなたは、絶対に間違ってません。
周りの言葉に自分を無理して、見えない未来を歩くより、
今日の現実(悲しみ)をまっすぐ生きていることの方が自然なのです。
それは忘れないでいてほしいです。

そして、自然やちいさな魂たちがそういう方を癒してくれますように。
無垢な生き物たちの生は、「今」に立ち止まり続ける魂の中に
そっと新しい風を吹き込んでくれ、新しい時間を教えてくれるから。
ちいさいけれど、何よりも大きな愛で包んでくれるから。
過去も現在も未来も失った人には、大きな大きな存在なのです。

私は被災されたり、この世で大切な方を失われた沢山の方のお心が
少しでも癒されることを祈っています。
すこしずつ、かさぶたになっていくのを一緒に待ちましょう。

そして
皆さんにも春の幸せなあしおとがきこえてきますように。
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インフルエンザの流行る理由って…

2012-01-30 | 愛と幸せ*まろぴぴぴちゃんの活火山ライフ
週末、少し寒さの緩んだ南国も、今朝からまた少しずつ気温がダウン中です。
それでも、ちびっ子たちの元気さが温かみを増してくれます。




《お日様が出ているうちに日向ぼっこ》

 

《アムママに抱っこでちょっと偉くなった気分のぴーちゃん》
《二匹と一人で一個のおもちゃを取り合う仲良し兄妹たち(笑)》



《今日も3匹は仲良く寝んね。寝る子は育つ、ってね(笑)》


さて、先週末、我が家でもインフルエンザが発症しました。
しかもA型(新型)ときたもんだ。。。。

我が家には老人と子どももいるし、働いてる人もいるので
患者さまには可哀想だけれど隔離状態になっていただいて、
出来るだけ安静にしてもらい、病状が重篤にならないように、
症状のない家族は出来るだけ免疫力を挙げてもらって
これ以上状況が悪化しないようにと祈るばかりです。

なんてったって我が家はサラリーマンの家庭ではございません。
定期的にお給料があって、有給があってなんてないのです。
家族それぞれの日々の稼ぎが生活に直結いたしますからぁ、
休めばそれだけ収入ダウン。きゃ〜((+_+))なんデス〜。

でもインフルエンザは強力な感染症ですからね。
厚生労働省でもインフルエンザになったら、
その家族も外に出ては行けませんと言っています。
学校や官公庁も家族に感染者が出たらお休みになります。

インフルになったら感染力がなくなるまでお休みするのは
世間の常識だと思いますが、厚生労働省によれば
通常のインフルエンザなら発熱が下がってから最低二日、
新型なら症状が出てから7日、感染者は外に出てはいけません。
インフルエンザは感染力が強いし、新型は生命の危険も伴うからです。

熱が下がって、自分は元気なつもりでも
感染力のあるまま出て行けば人にうつします。
学校や職場では大きな迷惑をかけてしまいます。
そんな危険を世の中に広めてはいけません。
だから、懐が寒くなっても、不自由でも、
治るまでは出かけてはいけないのです。


 
《風邪をひいたらゆっくり休みましょう》


という事で、この世にインフルエンザが流行るのは、
その感染力が強いのが理由かと思っていたんです、私。
でも〜、もしかしたら、これも理由なんじゃ?と思う事が…。

それは「いいかげんさ」と「自己中」(-_-;)

前回の続きみたいな内容になっちゃってますが(^_^;)
つまりは「危機管理能力の薄さ」と「思いやりの欠如」
そして「常識の欠乏」ではなかろうか、と…思う私。

お母さんにはお休みがありません。
それは世間の常識です。

働く人もお金の為にはちょっとでも良くなったら出ていきたい。
それは世の常です。

熱が下がったら学校にも行きたいし、遊びたい。
その気持ちもわかります。

だからと言って、病原菌をばらまいていいということではありません。

だからお休みすることは大切です。
病気を広めて人に迷惑をかけてはいけないからです。

皆さんのお家では子どもにそれをどう説明していますか?
それとも、そういう事はお話しませんか?

私は子どもの頃、感染症は自分を治すのと同時に、
人にうつさないことが大事と教わりました。

どうやら、周りを見ていると、そういう「当たり前」の常識が今は少ないみたいです。

お金のためには少しでも働きたいから、
子供が家にいるとうるさいから、
自分はもう熱もないし、平気だから…

などなどと、まったく自分だけの都合で
平気で病気をうつしに出かける人が多いのを知りました。

しかも、それを悪いとも思っていません。
当たり前だとすら思っているのです。
自分の都合の為には、他人の事は関係ないし、
風邪なんて勝手にうつるもんだし仕方ないじゃん、
と思う人がそれだけ多いのだという事でしょう。

とても残念です。

たぶん、そういう人が街に出て行って、新しい病人を増やし
中にはそれでうつされた方が聴力や視力を失ってしまったり、
時には命すら落としてしまうのです。

私は人の意識の欠如が死を招くことを
相方さんの病気や死を通してリアルに知っています。

例えば、抵抗力が極限に達している人のそばに
手も洗わない、風邪をひいている人がやってきたら?
その人の持つ普通ならなんでもない菌が相手を殺してしまうのです。

お見舞い、子どもはお断りなんて言えば、なんてひどい、と言う人もいるでしょう。
でもね、ひどいのは、ちょっとくらいいいじゃないと思ってる、その気持ちの方なんです。
手も洗えないような乳児やなんでも触って雑菌を持ち込みやすい
幼児や子供を連れてお見舞いに行くなんてとんでもないのです。
病気によっては、お見舞いのお花でさえも人を殺します。

その為、癌病棟などや、細菌感染が命を落としてしまう病棟では
お花も生もののお見舞いも一切持ち込めません。
家族であれ、マスクはもちろん、紫外線によって殺菌された衣服に着替え
病室には鞄等も持ち込めず、ひどいときはガラス越しでしか話が出来ません。

「そのくらい普通じゃないの?気にしすぎでしょ?」
と思う人がいたら、そんな気持ちのご自身が
「他者に死を招く人」であることをどうか忘れないでほしいと思います。


最近、特に若い方の言い分などを聞いていると
自分中心すぎて悲しいことが多いのです。

不思議に思って聞いてみると、


だって、皆もそうだから…
そういう人多いですよ…
あたし一人がやっても意味なくないですか…
どうせ、一緒じゃないですか…
誰々なんて、もっとそうですよ…


必ず、自分がどうだと答える前にそんなセリフが返ってきます。
自分がないというのか、自分しか考えないというのか…
ため息つくこと多しです。

でも、それって、そういう方の周りの人もそうだったってことですよね。
そういう大切なことを理解していない、教えられてないってこと。
そんな大人が少なくなったことも、とても残念。

しかもそういう体質は日本の体質になりつつある感じがして恐怖です。
政治にしろ、何にしろ。
今の原発事故を考えたってそうです。
病原菌が出ているのに、自分たちの都合で
解っていて広めている。悲しい事実。

田舎に帰ってきて、まだ、少しでも「風習」や「伝統」が
色濃く残っている場所に戻ってきたせいでしょうか?
今の日本ではそういう善き習慣がなくなってしまいつつあることに残念さを覚えます。

昔は風邪をひいたら焼きねぎの湿布とか
キンカン湯を飲んだり、薬草茶を作ったりしました。
普段からも病気にならないように、丈夫でいられるようにと
季節ごとに身体に善い食べ物を作ったり食べたりしました。
皆に流行り病がうつらないようにと努力をしました。

風習とはそういった美しい文化で実用的なものです。
そして、人が、家族が、思いやりながら暮らすための
暖かな心がはぐくんだ愛情や友愛が形になったものです。

私はそういったものが薄れていく事がとても残念です。
今はそういう伝統的な暖かさや美しさと言うものを
少しでも生活の中に息づかせていきたいと思っています。


風邪やインフルエンザ、人にうつす病気はうつさない努力をしなくてはならない。

つまりは人の迷惑にならないように努力をすること。
人を自分の様に大切にすること。

これらは人間が人間として生きる最低限の約束事の一つ。

人としてこの世で生きるための当たり前の常識
せめて身に着けてほしいですね。





《乾燥の強い季節、風邪をひくと肌がさらにカサカサになりませんか?》
震災や原発事故以来、いま生活の中のいろんなものが
自然や天然の素材にシフトしている日本。
肌につけるものも優しくて安心できるものが良いですよね。
アルガンオイル、気になってます。

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I Am Unicorn

2012-01-28 | 愛と幸せ*まろぴぴぴちゃんの活火山ライフ
巷ではインフルエンザが猛威を振るっているようです。
我が家でも一人、猛威にまかれた人が出しまいました…
深夜の救急に行きましたが、薬局が閉まってしまったので
インフルのお薬が出してもらえず、また早朝に病院に行きます。

この冬、乾燥からくる風邪とインフルと火事、地震には
皆様、くれぐれもお気をつけてお過ごしください。

という事で、病院に行く時間になるまでパソコンと向かい合っております。
では、動画を一つ、お楽しみください。


GLEE シーズン3より ミュージカルメドレー



《つくづくアメリカと言う国のミュージカルに対する本気と
 本気の魂に基づいた若者のレベルの高さに打たれます(ー_ー)!!》



さてリアル妹、アムさんはお仕事場で繁忙期を迎えつつあるようですが
このアムさん、非常にお仕事のできる方です。
なんせ、ご自身が会社を辞める際、彼女の仕事を引き継ぐのに
7人の人に振り分けたというつわものです。
なんと一人で7人分の仕事をこなしてしまう伝説の人です。

でも、彼女が「なんで仕事が出来るのか?」と言いますと
それは「仕事だから自分が仕事をこなすのが当たり前」
と言うベースの意識があり、「会社の事を一番に考えて動く」ので、
無駄なく、効率が良く、結果が出るのではないかと、観ていて思います。

そして、私には伊豆の伊東に仲良しの魂の家族ともいうべき友がおりますが
この人がまた見た目のイメージ(なんつか、遊び人的イメージなのか?笑)と違い
そりゃあ、仕事がこなせる方なんですのよ。

要はこの二人、頭が良いのはもう当たり前なかんじですが、
常に人の立場に立って物事が出来るってこと、
思いやり深い人なんだと思うのですが、
いかんせん、自分自身が出来すぎるせいでしょうか?
周りにいるのは仕事のできない人ばかり…
お仕事場の同僚に恵まれず、いつもその人の分まで
仕事をこなす羽目になり、大変苦労しています(^_^;)

その仕事のできなっぷりを聞いてますと相当なものです。
でも、私の周りにも多いです、そういう輩は…(-"-)
という事は、そういう人が多い世の中になってるってことなんじゃないでしょうか?


昨夜、タイムリーにヤフーのトップニュースにこんなのが出てました。
以下は抜粋です

***********************************
「仕事ができない人は何ができない?」
web R25 1月27日(金)7時15分配信

そもそも「仕事ができない人」とはどんな人なのか?
失敗を繰り返す人? 成績が悪い人? 
でも、職業によって仕事っていろいろあるし、
この不況な世の中じゃ、頑張ってもなかなか成果が出ないこともある。
そんな人を「仕事ができない」と言い切ってしまうのは、なんだかちょっと違う気も…。
では「仕事ができない」というのは何なのか? そのメカニズムについて調べてみた。

「“仕事ができない”という評価が下されてしまうのは、大きく分けて3つのタイプです」


《第1にコミュニケーション能力不足タイプ》

こういった人は『空気が読めず気が利かない』
『人の気持ちがわからない』など、
相手の考えや立場を察した行動ができません。

また『自分の失敗を上司に知られたくない』『そんなに重要だと思ってなかった』
などの理由から、“報・連・相”(報告・連絡・相談)を怠ってしまう人もこれに含まれます。

《第2に事業内容を把握するのがヘタなタイプ》

『仕事に優先順位がつけられない』
『スケジュールが立てられず納期の管理ができない』
『“自分がどれくらいでその仕事を処理できるか”が把握できてない』など、
物事を客観的に見ることができないのが原因。

このタイプは若手に多く見られるとか。そして3つ目は…。

《成長するという意識が低いタイプ》

いわゆる“傷つきたくない症候群”で『怒られないように』だけを行動様式にしてしまう人。
結果、今できることにしかチャレンジできず、自ら学ぶチャンスを喪失。
成長の“伸びしろ”がないと判断されてしまいます。

何もしないのが一番の大失敗、ということでしょうか。
では、どうしたら“仕事ができない”を返上できるんでしょうか?


“仕事ができない”人に共通してみられるのは、“自分目線”が強すぎて、
上司や先輩、取引先など相手側に立って考えられないことが主な原因です。
相手側の視点に立って物事を考えられれば、自分を客観的に見る視点も身に付くようになり、
だいたいの仕事はスムーズに進みます。
手始めに、好きな先輩やデキる上司の行動をマネてみては?

「仕事ができない」仕組みを知って、なんだか“デキる人”になれたかも!
 …こうやって調子に乗るのも、仕事ができない人の特徴ですね…(-_-;)

***************************************


如何ですか?あたしは善く注意される、怒られるという方、
思い当たる節はありませんか?

たぶん、妹も友人も私も、この記事には大きくうなずくところありだったと思います。
だって、本当に、お仕事できない、と言うより「しない人」って
これらの部分が共通してるんですもん。

もう一つ言えば、自己中で、楽なことを一番に考える事じゃないかと思いますね。
だから、そういう方は自分が嫌な仕事をしないように動くので
はっきり言って「働く気」はもともとないので、
最初から働けない、働かないのだと思います。
そういう方が多いってのは、本当に残念なことデス。

ただ、思うに、そういう個々の性質は善き個性に変えられると思うわけです。
それには、自分自身を見極めて、受け入れるべきものと
変えるべきを変える勇気が必要なんじゃないかと思うのです。

いま光TVなどで、アメリカの人気ドラマ
「GLEE」の新シリーズを放送しています。

これは、それぞれ性格などに問題を抱える高校生が
合唱部(と言っても歌って踊る)の活動の中で
自分の個性を見つけていくと言った様なお話ですが
まさに上の記事に出てくるような困ったチャンが
そりゃあいっぱい出てくるのですが、
それでも彼らは自分から逃げないで、自分を見つけていきます。

たとえば今回の内容に置き換えると、仕事が出来なくても、
なぜできない自分なのかを知る努力をすれば
それは自分自身で、いろんな方法で解決できる、
と教えてくれるような、そんなドラマなんです。

このシーズン3の2話目は「アイ・アム・ユニコーン」と言うタイトル。
人と違う個性を持った自分を、そのままに受け入れ、
変えるべき勇気をも持つ、そこに「美しさ」が生まれる、そんなお話でした。




《それぞれの個性を持ったちびさんたちもユニコーン》


さて、あなたは、そして私は、本当の意味での
「ユニコーン」(ONLY ONE、ただ一人の自分、特別な一人)
になることが出来るのでしょうか?
自らを「私はユニコーン」と呼べるのでしょうか?

今の自分に答えを聞いてみませんか?
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空のように 花のように*追記あり

2012-01-27 | 愛と幸せ*まろぴぴぴちゃんの活火山ライフ


《書き上げる途中でアップしてしまったので
 途中、追記してあります。
 早めに読んでくださった方ごめんなさい》

大寒を過ぎて日本各地、深い冬の中にいるようですね。
当地は今朝から少し寒さがやわらぎましたが
また寒波は戻ってくるようです。
雪で大変な地方の皆様の大変さが少しでもやわらぎますように。

 
《ちびたちは毎日元気です》

 

《眠る天使たち》

 



空のように きれいになれるものなら
花のように しずかに なれるものなら
これも捨てよう あれも 捨てよう
<八木重吉>




今週は家仕事やパソコンから離れていました。
所用があったことや体調崩したのもありますが
冬の静かな季節のせいもあるのでしょうか、
相方さんの一周忌前後から気持ちがなかなか持ち上がらず
元気にはしているのですが、なんにしてもやる気が起きないのです。

絶対しなければならない事は無理してもできる限りやりますが
私は基本的に手仕事でもお料理でも書き物でも
特に人様に関わる事は相手にたいしての
「想い」というものを一番大切にしたいので
その気持ちがざわめくときは手にとりません。
ですから敢えて行動にしないようにしています。
(という事で私のやることはお商売には向いてないのです…^^;)

また自分がして頂く時でも、お相手が快い気持ちで
心からして頂けることでなければ
失礼になるとは思ってもできるだけお断りします。
イヤイヤしてもらっても嬉しくないし、
そのことが私はずっと気になってしまうからです。

そのせいか、私は人に対して何かすることは好きだけど
自分がしてもらうのはかなり苦手なんですね。
そんな私を人は「愛を受け取るのが下手」といいます。
金銭に対する感覚もお金儲けが悪とは思っていないのですが
人生を導いてくださった多くの尊敬する方々が
スピリチュアルや善意を個人的なお金にすることを
良しとしなかったのを、とてもリアルにそうだなと感じていて
それで自分も同じ感覚でいるだけなんですが
スピリチュアルな人によってはそれを話すと
まるでそれが罪の様にもおっしゃる方もいます(^_^;)

確かに「ほどほど」って言うのが自分には難しいんですよね。
現役でバリバリ舞台に立っている時にも
「セーブしてやらないと死んじゃうよ」とか
「マグロみたいだから止まったら死ぬのではないか?」と言われていました(^_^;)
それなりに考えては見るのですが、どうしても「手を抜く」とか
「いいかげん」にあたるんじゃないか?と不安になり出来なかった…(−−)

でもまあ、それが私なので、なるべく笑顔で、
快く相手の気持ちを受け取れるよう密かに努力しつつ、
この性格と付き合っていくしかないんですがね(・。・;



《アムママのおひざでリラックスのまろたんデス》


フォーカシングという心理療法があります。
自分の中の憤りとか、やるせない気持ちとか不安を
自分の手のひらに乗っけてると仮定して、
この嫌な感情はいったいなんじゃらホイ?と
ただただひたすらに自分に問い、自分で答えを出すものです。

私は根っこがこのように陰な気質なせいか(−−;)
俳優って心を掘り下げるのが仕事のせいかわかりませんが
自分自身をもっとも鼓舞させる方法と
もっともリラックスさせる方法がこれなんです。
つっても、わざわざ手のひらに乗せたりはしないけど(笑)
たまたま、自分の常にやっている方法が
フォーカシングって言うのと同じって後から知ったんですけどね。

でも、不安を見つめて悶々と悩むというよりは、
私の中では先に記した八木重吉さんの詩のような趣の行為なのです。
だから「リラックス」のための行為でもあるんです。
なぜなら自分で自分に答えを出すので、答えが出た暁には
自分の中にはまったく不安が残りませんからね。
その安心感を得るために考える、見つめるといった感じです。

なーんて格好よさげな事をいってますが
答えが出せるまでにはかなりの苦痛と時間を要します。

もともと、私は人を信じすぎるというか、単純だから
相手に期待を持ち過ぎるといった癖があるのですね。
なので、自分の期待感にずれが生じるとショックを受ける。

ええ、ええ、単に自分自身の問題なんです。
その人がどうって事もないわけではないけど、
それよりも、自分が問題なんですわ、これね〜。

しかもわたしってやつは結構な理想主義の現実主義なので、
私の人生、常に理想と現実のハザマで葛藤しまくりです。
なんていうんですか?ほれ、金のことは言いたくない!
けどおぜぜがなくちゃはじまんねえ、みたいな葛藤??(笑)



人に対しても同じです。
完璧を目指すべき人間のサガと完璧ではない人間のサガに挟まれます。
しかもこの世は人と密接に関係しているので
人様との係わり合いには結構落ち込んだりもします。

つまり、いつでも人生に悩みっぱなしですね(^^;)
そんな浮き沈みのある毎日なわけですけれど
ナントカカントカ、フォーカシングしつつ乗り切ってるわけです。

大きな出来事の起きた後って時間が立てばたつほど
具体的にいろいろなことも考えねばならなくなります。
どんなことが在れ、生きている以上は生きて行かなきゃなりませんから
何もせず、考えもせず、行動もせずでは生きていけません。

我が家の場合は突然人生を共に歩む相手と
家庭と言うスタンスの中での大黒柱が居なくなったわけで
行く末はもうまったくと言っていいほど見えません。

自分には家族の助けは基本ありません。
助けてくださる方はいますが、すべてを預けるなんてできません。
大変だとしても借りたものは返していかなくてはなりません。
だから今までと同じく生きていく方法を考えねばなりません。
ちびたちもいるし、命の絆もつ支えるべき親も兄弟も居る。
だから同時に反対がわに常に不安が生まれます。
前がなにも見えないからです。

どうやって生きればいいんだろう?
一人でやっていけるだろうか?
病気になったら?体が動かなくなったら?

人との関係にも悩みます。
先に書いたように、人に対して信頼と思いを寄せすぎるのか
善意を利用されたり、その人の気持ちが嘘だったりすると
なかなかその人に対する信頼が取り戻せません。
許せないのではなく「疑い」が晴れなくなるのです。
その人の心の真実を疑ってしまいます。
親しければなおさらです。

そういう自分はとても嫌いなんですけどね。

以前、とても清らかだと思っていた人が
あることで嘘をついたことがありました。
それ以来、その人の力をまっすぐ見られなくなり
今もその方に対してそういう後遺症があります。

思えば、その話をしたときに、相手が私の質問を
私が考える範疇外でいやな気持ちで受け取り
それでそんな風に答えたのかもしれない、とか
いろいろ考えてみるけれど、でもやっぱりまだ信じられない。

家庭でも同じです。友人関係でも同じです。
大切に思えば思う程に真剣に話をするし、
アドバイスも叱ったりもするのだけれど
その真剣さはなかなか伝わらないものなのか、
いつまでも同じ失敗を繰り返していたり、
涙ながらに反省している、すぐその後で
何かを考える風でもなく、何かを始めてみるわけでもなく
TVを見たり、漫画を読んだり、ケータイをいじったり
そんな風景を見ているとこちらの落ち込みが止まりません。

「そんな見返りを期待しちゃダメ」

そうは思ってもパワー使った分疲れます。
心の底からため息でます。
そんな自分はいやだなぁと思うんですけどね。



だから私は時間がかかるんです。
想いを風の様に、花の様に変えるには。
憤りを捨てるには。

ただ、自分を弱い人間だから仕方ないとは言いたくないんだなぁ。
だから、その重みを乗り越えるのには、
ただひたすらに自分の魂を、心を信頼して
自分にうそをつく事を極力減らす勇気をもちながら
ひたすらフォーカシングを続けるしかないのです。
あくまでも私はなんですけどね。

八木重吉さんの詩のようにひたすら思いつづけるしかない。

だから、自分は人に疑われる嘘は出来るだけつかないように
宇宙に向かって嘘はつかないように、ナントカカントカ
できるだけの努力をしていきたいとおもう今日この頃なのです。



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「観」

2012-01-20 | 愛と幸せ*まろぴぴぴちゃんの活火山ライフ
今日は大寒。東京は雪がふぶいてるところもあるみたいですね。
こちらは今日は良いお天気です。

こちらの寒さのピークは来週からくるようですが
ちびさんたちは冬の合間に日向ぼっこしています。



《今日はお日様が射してるね〜》

 

《お日様が気持ちいいねぇ〜、ぽかぽか〜》

きょうもちびさんたちはお元気です(^^)


さて、先日、相方さんのご友人で、私も親しくさせていただいている
ガラス工芸家の木下良輔先生から一枚の絵ハガキが届きました。




《2010*木下良輔作 「観」 立像・板ガラス 》


そう、モデルは天国在住の相方さん「米澤観児」その人であります。

木下先生は相方さんが旅立ちを迎えた時にこの立像を手掛けていて
相方さんの帰天と共に、これを仕上げたのだそうです。

間違いなく、相方さんの中で親しみの強い存在であった先生は
芸能界と言うプライベートを見せない微妙な世界で生きる私たちが
プライベートで二人そろってお会いすることのできる貴重な方で
ピーちゃんも一緒に何度も遊びに伺わせていただきました。

ガラスの板を使って作られたこの立像は限りない透明感の中に
覗きこめないような深みがあって、それは美しいものです。

「芝居」と言う世界にすべてを捧げ、一瞬もひるむこともなく
ただそれだけにストイックに生きていた相方さんをよく表現していると思います。

一言で自分の世界を生きる、と言いますが、そう簡単ではありません。

普通、人はいろんな部分で妥協や折り合いをつけて生きていますが
何かを貫くという事は、それを限りなくしないという事でもあって
また、それをしていては歩めない道が芸術かもしれません。

でも、それに生きようとすると、世間の基準に合わないので
世界からはなかなか認めてもらえず、誤解も受けます。

そういう道をただまっすぐに歩くという事は
誰に認められなくても、自分が認められる道を
たとえ、どんなに困難でつらくてもひたすら歩くという事で
大きな孤独や痛みと常に歩くことになります。

時には愛したものでさえ、解っていて傷つけたり、
相手のために手放さなくてはならぬことも出てきます。
それは自分が一番苦しく、つらく、傷つきます。
それでも、と覚悟をもって歩む道です。

普通は自分が傷つくので、皆、そんな道を歩みません。
そういう道を歩んでいると、馬鹿だと言われたり
そんなことまでしなくても、とか、趣味に走ってるとか
本当にいろんなことを言われて、本質を見てくれる人は稀です。

家族であればこそ、一番、どうしてそんなことをしてるのだ?
ちゃんと生きろ!真面目に生きろ、と言ったりします。
やっている本人の真実を見ることなく、取り合ってくれなかったりします。

それは家族や周りの人からすれば、絶対的な愛でもあります。
言っている方には理解できずとも、言われている方にはわかります。

家族に本当のことを分かってもらえないという苦しみと
その愛にあえて背を向けなくては成り立たない世界を生きるのは
それはその道を歩む、本人にとって一番つらい事でもあります。

芸術をやってる人でも、心根が楽をしたい性格の人や
芸術の魂でなく、そこで得られる富や価値に重心を置いて感じる人は
生活のために、自分の為にのみ芸術を使っているので
同じような意見を言うし、まるで何かのパーツになった様に
いろんな妥協をして面白おかしく生きて居る人も多いです。

決して苦労をするのが正しいとは言いません。
それは仕方のない事でもあります。

ただ、彼の人生と、そして自分の人生を顧みるに
「真剣に生きる」ということは何より大事なことだと思います。

私の愛した人は、そういう辛さを苦しみがあることを受け止め
それでも、いつか自分の信じる道を理解してもらうためにこそ
妥協を一切せずに、ただひたすらにそういう道を真摯に歩んでいる人でした。
揺るがない自分と言うものをしっかりと持っている人でした。
そんな相方さんは今もこれからも私の誇りです。


「観」という作品はそんな相方さんの生き方をそのまま形にしたようです。
きっと同じように芸術に捧げて生きる方の心から生まれたものだからでしょう。
彼の持っていた喜びや苦しみを何も彼が言わずとも
先生が同じ芸術の世界に生きるものとして理解しているからこそ
こんな美しい作品となったのでしょう。

こうして形となったこと有難いことだと思います。
相方さんもきっと喜んでいることと思います。

昨日、甥っ子たちが見ていたドラマの中で
「亡くなった人の人生はどこにあるか」という答えは
「誰かの記憶の中で、その中で生き続ける」とありました。


そうであるならば、例え99パーセントの無理解の中にいたとしても
本当の理解者が1パーセントでもいるならば、
その「全き理解」ともいうべき、「君を受け入れている」
と言う大きな愛の中で生きていけるのではないか。

そうであれば、誰に認められなくても、私が認めていればいい、
それこそが、彼が生きたという証なのだ、
その証は私自身がこの身に持って生きるのだ。

そして、それはそれぞれの彼とのかかわりの中にある。
それぞれの証が生まれるのだから、自分との関係を大切にしなくては。
そんな風に感じました。


「観」と言う作品の中に、私の中に、家族の中に、友の中に
記憶に、そしてこれからの人生の中に、彼の人生が生きている、
私たちが生きることで、生かし続けねばならないと思っています。


なぜこんなことを思うのかといいますと、
このところ、妹や友人、まあ、私も含めてなのですが
若い人や周りの方との間でがっかりすることが多いのです。
それが、どう関係あんのか?って話ですが…(^_^;)

真剣さが気になるんです。
自分に対する責任感とか覚悟とか、自分を知るための努力とか?
そういう度合いが薄いというか、持ってないというか…。

時代が変わったんだなぁ、って言うのかなんというのか。
いい加減とか、合理的とか、はき違えている人が多くないですか?
いわゆる「ゆとり」ってやつなのかなぁ。
いや、そんなことで済ませたくないけど。

真面目に、真剣に生きてる人が本当に少ないんだなぁ、
って本当に思うんですよ。思いつきもしないというか。
死ぬ気で頑張る、なんて、今や本当に死語なんですね。
そう思うと、地震や災害で命を落とした方や
生きたくても生きられなかった人に申し訳なくなっちゃいます。

そのせいでしょうかね〜。
この世からいろんな風情が消えていくのは。
それも悲しい。さみしい。


そういう人に何かを言えば

「今はみんな、そうですよ」
「結局、一緒だからいいんじゃないですか?」

みたいな?(-"-)

いやいや、「みんな」って誰やのん?
お前の意志はどこやねん?
結局一緒だからって、全部一括りって?
君、合理的だからってトイレで食事して平気とか?
思わず、突っ込みたくなります。


私から言わせたら、最近の方は頭も心も使わず、
ただ理想だけをもっていて、天に手を広げて
降ってくるのを待ってる感じしかしないんですよね。

あくまでも、私の感じる事ではありますが…

そういう人は当然自分をもっていないから、
いろいろ考えているようで考えてません。
自分の頭で考えず、いつもどこかに答えを探しています。

そういう人は「ハイ」という言葉を軽々しく使います。
その結果、「ハイ」と答えたことが出来ません。
ハイと言う言葉に覚悟をもっていないから出来るわけがないのです。

「ごめんなさい」「すみません」を多用します。
でも「間違った」とか「許してほしい」なんてこれっぽちも思っていない。
「やばい」「怒られたくない」自分が窮地に立ちたくない
だから適当に「すみません」と言うのです。

そういう人は、人に言われたことしかできないし、しません。
しかも、それでいいとさえ、思ってる。
言われたことしたんだから、それでいいんでしょ?
なんで言われた以上のことすることあるの?って。

出身劇団の先輩である市村正親さんが昔、言ってました。
「いまの若い連中は何も考えていない。
だから言われたことしかできない。
俺が付き人をしていた頃は「紙」と言われれば
「紙がいるんだから、えんぴつもいるな、消しゴムもいるな」
そう考えて持っていくのが当たり前だった」
私ももれなくそう思います。

言われた事しかしない人、それでいいと思ってる人は自己中です。
人と仕事をしていながらも、周りの事なんか何も考えていません。
言われたことを一生懸命やってれば、それがすべてと思っています。

やるべきことを一生懸命やるのは当たり前。
それが物事を行うときの最低限の基本であるという事が解っていません。
だから、そこから先を考えません。
というか、先があるなんて思いつきもしません。


そういう方は「人間、完璧じゃないし」と常に言い訳をしながら生きてます。
完璧を目指さない人に、完璧が訪れるはずなかろう?
とこれまた突っ込みたくなります。

自分の事しか考えていないから、落ちてるゴミもまたいで通って平気です。
しかも、そういう人は、拾いもしないで「汚い」と言いいます。

そういう人は思うだけの「憧れ」と叶えるべき「夢」とをはき違えています。
いくら願っても、叶える努力のないあこがれは夢として叶いません。
だけど、願っても夢がかなわない、と言います。

そういう人は自分の努力しか見ないので自分がしたことが拒否されると、
それはなぜなのかを観ずに、自分が一方的に傷つけられたと勘違いします。
自分の努力を認めてくれない人は皆、悪人です。
例え、自分のしたことで、相手が迷惑してても気が付きません。
親切の押し売りをしているのに、自分は聖人だと思っています。

一番、残念なのは、自分にダメなところがあることを
本人が理解していても、自分を甘やかすだけで、努力しない事。
だれだって、完璧じゃないけど、それでも頑張ってるんだけどね。

そういうのを間近に見てると非常に残念です…。

そしてこれは恐ろしいことに連鎖します。
でもどこかで自分か自分の大事な誰かが
痛みを伴って学ばなくちゃならない。
そういうものですよね。


だからつくづく「有言実行」って大事だなって思います。
自分がそうする事で、相手の気持ちをも大事にできるんだなって
いま、心から思うのです。

だれしも快く返事をすることは簡単だけど、
答えただけでやらなかったら答えた人を裏切ることになる。
何よりも自分自身を裏切ることになる。
それは、人間として一番してはならないんじゃないでしょうか?

だからこそ有言実行の人生を歩まなくちゃって思う。
時間がかかってもいい。結果が失敗してもいい。
やると言ったことはやってみる。それが大事。

真剣に生きなくては。
自分から、世界から逃げずに向き合わなくては。
大事な世界は自分で作っていかなくては。


人に思いあふれるときは、自分に必要な事が与えられるときです。
自分にもしっかりと言い聞かせ、実行するべき時だと思っています。

人に言ったからには有言実行。
自分自身こそ、そうでなくては。

真摯に生きることは誇りになる。

「世を観、自己を観、心を観、天を観、…」
相方さんを思い出しつつ、いつもそう思うのです。

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きょうのチワちびーず

2012-01-19 | 愛と幸せ*まろぴぴぴちゃんの活火山ライフ
今朝は雨の南国です。
雨のせいかこの2,3日寒さは緩んでいます。

ちびさんたちは朝から元気。

 

《お布団をたたむのを布団の上でひたすら邪魔するピピさん
 毛糸玉を振り回しておいでです。》



《お利口ぴーちゃんがたしなめるのですが…ピピさんは無視。
 若干、「あんた、いい加減におしよ」とお怒り気味のお姉さま(^_^;)》



《まろたんはコタツのそばでコロリンしてナデナデ要求(^_^;)
 さすが、マイペース王子のまろたん。キュートでつ〜》



《そんなまろ兄たんに「どけ!」とタックルして噛みつく凶暴な妹(-"-)
 妹を溺愛する兄は、ひたすら耐えております(^_^;)え、えらい…》


そして、末っ子はさんざん走り回った挙句…



膝の上でちゃっかり眠ってしまいました。
さすが、末っ子、ゴーインニマイウェイです。

眠ってれば、かわゆいおりこう天使ちゃんなんですけどね(^_^;)


私はちび悪魔ちゃんがお眠りになられたので
やっと片づけひと段落してお茶を飲んでます。



昨日作った塩昆布を一枚入れて、薬草茶を注ぎ
かんたん昆布茶で御座りますよ。
おいしいです。


原発、地震、災害被災地、
そして、それぞれの困難に立ち向かう方々
全ての人に平和がありますように。
今日も一日善き日でありますように。
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塩昆布*完成(^^)

2012-01-18 | 愛と幸せ*まろぴぴぴちゃんの活火山ライフ


《昆布好きのぴぴたんはにおいに待ちきれない様子(笑)》

さて、とろ火で炊くこと一時間弱
できあがりました〜〜〜〜(^^)



思ったより善き出来で御座います。
先生の言うとおり、お茶でツヤッとなりました。

今日は練習でシンプルに作ったので、
今度はいろいろと足し物を工夫してみよう〜。

教えていただいた先生に感謝しつつ…。
今夜の食卓が楽しみです。

実は一足先にお茶でつまみ食い中ですが…(笑)
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手しごと日和〜塩昆布と布巾縫い*追記あり

2012-01-18 | 愛と幸せ*まろぴぴぴちゃんの活火山ライフ

今朝は冷えましたが、お昼になって陽が射して寒さも緩みました。
今日もちびっ子さんたちはお日様と戯れています。

 

《怒られても怒られてもお部屋で追いかけっこ(笑)
 毎日たのしく大暴れのまろ*ぴぴ兄妹》




《マイペースピーちゃんはお庭で日向ぼっこしながら探検中》


今日は薬草などを教えてもらっている先生から教わった
「塩昆布」を炊いてみたいと思い、準備中です。

まず、昆布を2センチ角くらいに切ります。
(昆布は311前に買っておいた北海道昆布)



《こういう黙々とした手作業が好きですの》


次はそれをひたひたのお酢で2,3時間つけます。



お酢はお気にいりの丁子屋さんのお酢で御座います。

うまくできるといいんですが。。。
まあ、そこは作りながら学んでいくのが一番かな。
料理はそういうものですからね。
まずは挑戦あるのみ〜。


さて、これから3時間は待ち時間があるので、
溜まっている古タオルを布巾さんに変身させようと思います。

 

《刺し子糸でちくちくと縫っていきます。運針、好きなんだなぁ。》

音楽を楽しみつつ、お茶を飲みつつ、
本日はゆっくりの手しごと日和を堪能です。

また、続きは追記しまーす(^^)

*************************************

さて、3時間がたち、塩昆布を炊きまする。



今日はお試し製作なので少量です。
厚手の片手雪平鍋に昆布をお酢と一緒に入れて強火にかけます。
ここでお醤油投入。
お醤油は丸丁のおいしいお醤油を使いました。

沸騰したらお砂糖とお塩と山椒などをいれます。



今日のお砂糖は奄美大島産の島ザラメ
お塩はフランスのお塩とかいろいろ悩んだのですが
アンデスの岩塩を使って作ってみることにしました。

調味料を入れたら、落し蓋をしてとろ火にします。



今回は先日食した鹿児島のお菓子「あくまき」の包み皮の筍の皮を使います。
重みがあるので、結構いいんですよ、これが。

そして、御汁が焦げ付かないように時々、番茶を入れます。
今日はお師匠さんのおすすめ通り、薬草茶を使います。



これは熊笹とかハトムギとかビワとか何十種類も薬草が入ったお茶。
原発事故前に親しい方がお届け下さった秘蔵茶であります〜〜〜。

現在、とろとろと進行中。

ああ、昔みたいなストーブあったらなぁ。
お部屋の中で炊けるのに。
最近はどんどん風情がなくなるわ。。。。

もう少しで完成です(^^)






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自然のちからと一緒に

2012-01-17 | 愛と幸せ*まろぴぴぴちゃんの活火山ライフ
太陽と土と水を/坂本九




「太陽と土と水を」

人さまは力があれば幸福が つかまえられると考えた 力をたくわえた

人さまは力があれば幸福が つかまえられるとやってみた 力は消えうせた

力は知恵に負けた 力は消えた

力は知恵に負けた 力は消えた

人さまはお金があれば幸福が つかまえられると考えた お金をたくわえた

人さまはお金があれば幸福が つかまえられるとやってみた お金は消えうせた

お金は知恵に負けた お金は消えた

お金は知恵に負けた お金は消えた

人さまは知恵があれば幸福が つかまえられると考える 知恵を働かす

人さまは知恵があれば幸福が つかまえられるとやってみる 知恵はただひとつ

太陽と土と水を この手でさがそう

太陽と土と水を この手でさがそう

太陽と土と水を この手に持とう

太陽と土と水を この手に持とう

*************************************

 

《今日もピーちゃんたちは光の中元気です》

今日は117、阪神大震災が起きた日です。
あの日の朝、私たちは須磨の小学校に公演に行く予定でした。
7時ごろ、集合場所で行けるかどうかの判断を待っていると
明石出身の運転手の子が来て、地震があったんだよと告げると、
あわてて家族の安否確認に行ったことをよく覚えています。

結局、一日遅れて、関西より西の学校に行くことになった私たちは
死者の数が増えるラジヲを聞きながら、
車でぼこぼこに隆起したブルーシートのかかる家々が並ぶ
宝塚辺りを黙とうを繰り返しながら進んだことを覚えています。

いまだ、悲しみ深くいらっしゃるご家族様と
帰天された魂に心よりお祈り申し上げます。



昨年、311の震災が起き、原発事故が起きたとき、
買占めの続く関東で、思い出したのはこの曲でした。

あのころにブログに乗せようとクリップしたけれど、
ひとつの面があるように、反対やいろんな方向に面があり
いろいろな感情を持たれて、つらい思いをする人もいるかも…
そう思って、ご紹介をやめたのでした。

10か月がたち、それぞれに選ぶべきものも見えてきたはずの昨今、
もうそろそろ私の中にあるものとして紹介してもいいかな、
と思いましたので載せてみました。

この歌は私の中に大きな思いを抱かせてくれた事は確かで
そういう思いが高まり、力になって、いま私は関東を出て南にいます。

この緊急時だからこそ、真実に大切にすべきものがあり、
その中にしか、私のしたいことも存在できない、と感じたからです。


《ピピちゃん、お空の鳥さんと会話中》

私の本職はミュージカルの役者ですが、
芝居はお客様が居なくては成立しない世界です。
そして人間は、衣食住、どれが欠けても生きていけません。
衣食住はこの世界の自然からの救けによって成り立っています。
その自然がなくなったら、私の住む世界も亡くなる、そう思いました。

私から芝居を取ってしまったら、実は何にも残りません。
そのくらい、お芝居バカです。

「あんた、最近、板乗ってないじゃん」
つってくる人もいるでしょう。
やんなきゃ意味ないと考える方も多いし、
実際、そういわれたこともあるし。

でも私はぜんぜん、そうは思わない。
本当の芝居バカだから、真の才能を理解出来て、自分の才がわかり、
人に道をあけることが出来て、裏にたってわが身を消しても
才能ある人を支えることが出来るのだと私は感じています。
そして、何がなくても私は役者として生きられる自覚がある。
それは舞台や場所やギャラがなきゃ役者で居られない人より
私にとっては大事なことデス。

私は本当に芝居が好きだから、芝居が良くなる事が大事。
何よりお客さんが喜んでくださることが大事。
たぶん、私は自分より芝居が好きなんですね。

まあ、人より先に芸術に魅入られて
芸術の魂と結婚しちゃった人種だからでしょうね〜。

そして究極、自分自身の役者としてのあり方として、
「私は作品や小屋(劇場)や金銭に寄って演じるのではなく
人が真に守るべきものを出来る限り大事にしながら、
どのような環境にあっても、自身がやるべき時に、求められたとき、
人が必要としたときに、いつでも演じられるような役者になろう。
どんな役者と言うならば、わたしはそんな役者で居たい。」
と思ったのでした。

大きな作品や人の中で生きることも魅力だし大切だったけれど
わが身を一つにして生きていた人も帰天して独りとなり
自分のできることを考えたとき、それがいいと思ったのです。
だから、生きる場を変えて帰ってこれたのです。



《雨が上がってお庭に出るのがうれしいまろたん》

こちら、南の国に戻ってきて、確かに関東圏
被災地との感覚の大きな違いを感じます。
311でも全く揺れのなかった場所では
地震や原発事故は遠い国の事としか感じられないのですね。

ただ関心はあります。
実際、こちらの方も東北産のものには躊躇があります。
ある意味、見えないから感じないし、見えないから気になる。
そんな感じかもしれません。

そんな中で、病んでる身の上でも、家の中に居ても
なにかできることはないだろうかと考えていたんです。

私はもともと保存食とか作るのが好きでよく作ってましたが
それはやっぱり食べてくれる人や喜んでくれる人がいるからで
相方さんが帰天してからは、それもなんかつらくなってしまい…。

でも人のちからはすごいですねぇ。
やっぱり周りに人がいると、つくろっかなぁって気持ちになり
昨年末は一年半ぶりにキンカン煮を作りました。
そしたらなんだかほっこり幸せな気持ちになりました。

そしたら今日、日ごろ、いろいろ内部被ばく対策を
教えて下さる方々がつぶやいいているのを聞きまして
私もこれなら、できて、周りの人や誰かの役に立てるかな?
と思ったのが「薬草茶」作りです。

いつも漢方薬を教えて下さる方が、お茶つくりも丁寧に教えて下さるので
是非今年は薬草茶つくりやハーブを育てて生活に取り入れていきたいなと。
もしなんらかの時に周りにシェアもできたらいいなぁと思います。
秋にまいたハーブも伸びてきたし。

《頑張って伸びるカモミールちゃん》


《フェンスの向こうは自然公園のお山なのです》

仕事柄、父が毎日、車で走り回るので、
くっついていった時に素材集めもできるし、
庭には紫蘇とかドクダミとかぽこぽこ生えてくるし。
家はお城あとのある自然公園の中にあるようなもので
いろいろな植物が道端のあちらこちらで見つかるし。

なにか人様の役に立つこと、わが身を助けることのできる事
そういうのを細かにやりながら、これからは過ごしていきたいなー。

昨年、親友大ちゃんがビワの葉エキスを作っておくってくれて
本当に嬉しかったのですが、作る気力までは起き上がらずでした。
今年は是非作ってみようかなぁ〜、って思えます。

10年前、最初のパートナーを突然にこの世から失い、
それまで縁のなかった自然を愛する人の中で暮らしました。
北海道でシュタイナーと言う世界に足を踏み入れ
その暮らしの中で自然と向き合い、毎日、この歌を歌いました。

「♪太陽と雨と人の手が育てた
めぐみの食べ物 神様 ありがとう♪」

注*シュタイナーでは全てをつかさどる力、
サムシンググレートに対し敬意を込め、
その自然とエネルギーや光の総称として「神様」を使います。
宗教による意識をもって呼ぶものではありません

自然とのつながりは10年の時を経て私の中に沁みこんでいきます。
いま、本当にこの歌が歌える気がします。

そしてこういう、いろいろな事が周りの私に対する見方に反して
私の中の役者の部分も変わらずにさらに育ててくれていると思うのです。

世のためにと言っても自分に何ができるかわからないけど、
少しずつでいいので、動いていきたいと思います。

ちなみに赤紫蘇茶や熊笹茶は被ばく対策にとても効果があるそうです。
安全な材料で、安心なものを作れたらいいなぁ。
そしてみんなに分けられたらもっといいなぁ。






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やんちゃぼうず*まろたん

2012-01-16 | 愛と幸せ*まろぴぴぴちゃんの活火山ライフ


今夜はあむママがお出かけなので、
いつもは乗っちゃだめでしょ!と怒られる
テーブルの上に乗り放題で大喜びのまろたん。
あまりに可愛すぎて怒れませぬ(^_^;)




《ピーたんもお炬燵布団の上に君臨しております》




《ピピたんは爺ちゃんのベッドでころころりん(笑)》

冬の雨の夜はゆっくり過ぎていくのでありました。


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