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第2霊犀社(元祖第一は、田中逸平主宰の私塾)@霊際社@P。ネタ帳・メモ書きなど、まあガラクタ。嫌疑76件わざと表示拒否中

朕の戦争に非ず

2008-04-22 17:44:31 | LinkRecords
日清戦争
朕の戦争に非ず
清国ニ対スル宣戦ノ詔勅

檜山幸夫
日清戦争100年 朕の戦争に非ず大臣の戦争なり
エコノミスト 72(46),p76~79,1994/11/01(ISSN 00130621) (毎日新聞社 〔編〕/毎日新聞社)
明治天皇と日清開戦--「朕の戦争に非ず」をめぐって
日本歴史 (通号 539),p57~75,1993/04(ISSN 03869164) (日本歴史学会 編/吉川弘文館)


伊藤博文文書 朕の戦争

明治天皇紀』第八,p480,明治二十七年八月十一日条には,結局,次のように記されている,,「今回の戦争は朕素より不本意なり,閣臣等戦争の□むべからさるを奏するに依り之をゆるしたるのみ,之を神官及び先帝陵に奉告するは朕甚だくるしむと。」

朕素より不本意
初代侍従武官長 岡澤精

日清戦争のはじまる二年前、瀬戸内海でイギリスの商船と衝突し沈没した日本の砲艦について、日本側ではイギリスに損害賠償の請求をしているが、瀬戸内海を「公海」とみなす上海のイギリス高等裁判所は却下の判決をくだし、日本国民を憤慨させる事件があった。

 キリスト教徒の内村鑑三まで正義の戦争とした日清戦争だが、昭和八年(一九三三)、軍国主義の流れのなかで完成した『明治天皇紀』には、「今回の戦争は朕素より不本意なり」とする天皇が、伊勢神宮への開戦奉告をする勅使の人選を願いでた宮内大臣・土方久元に、「其の儀に及ばず」と拒否した様子が記されている(『明治天皇紀』第八巻)。このころ精が渡辺幾治郎(『明治天皇と軍事』の著者)に話したところによれば、旅順が陥落したとき日本側の勝利を喜ぶとともに、明治帝は、「さるにても、清国皇帝には定めて憂悶に沈みたまはらん」と話し、声を曇らせたというのである。
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明治天皇紀〈第8〉明治二十五年一月-明治... (1973年) 宮内庁 (霊際)
明治天皇紀〈第8〉@amazon 明治二十五年一月-明治... (1973年) 宮内庁 (- - 1973) http://blog.goo.ne.jp/raycy/e/7bbd82b1a21026e08ad7fd09c0c312d6 『明治天皇紀』第八,p481,明治二十七年八月十一日条 「今回の戦争は朕素より不本意なり,」