DIARY yuutu

yuuutunna toki no nikki

石垣りん(1920-2004)「くらし」『表札など』(1968年、48歳)

2016-09-22 20:47:12 | 日記
 くらし
食わずには生きてゆけない。
メシを
野菜を
肉を
空気を
光を
水を
親を
きょうだいを
師を
金もこころも
食わずには生きてこれなかった。
ふくれた腹をかかえ
口をぬぐえば
台所に散らばっている
にんじんのしっぽ
鳥の骨
父のはらわた
四十の日暮れ
私の目にはじめてあふれる獣の涙。

LIVELIHOOD
You can’t live witout eating.
You couldn’t continue to live witout eating rice, vegitable, meat, air, light, parents, siblings, mentors, money and souls too.
You are stuffed and wipe your mouth while you see carrot ends, chicken bones, and your father’s bowels.
At sunset at the age of forty of yours, your eyes are filled with tears of a beast for the first time.

《感想》
①「メシを/野菜を/肉を」「食わずには生きてゆけない」のは生物学的事実
② 日本の1968年の「くらし」は高度成長期の真っただ中で、ほとんどのひとが、普通に「メシを/野菜を/肉を」を食べることが出来た。「昭和元禄」(1964年福田赳夫の言葉)と呼ばれた時代。
③「空気を/光を/水を」を食べるという言い方は、比喩である。食卓で食べない。
③-2 日本の1968年は、公害問題が焦点だった。大気汚染、日照、水質汚濁。「空気」「光」「水」は、「食わずには生きてゆけない」公共財である。
④「親を/きょうだいを/師を」「食わずには生きてゆけない」との言い方は比喩。
④-2 「親」を「食う」とは、親を困らせ、追い詰め、犠牲を払わせること。昔から“貧乏人の子だくさん”と言う。詩人は6人兄弟姉妹だった。
④-3 ただし1968年の日本の経済状態は、一般的に「親」を「食う」程、ひどい状態でなかった。評者は1949年生まれで、石垣りん氏の子供世代なので、当時の事情が体験的に分かる。
④-4 「きょうだいを」「食う」ことは、1920年代生れだと、十分あった。「きょうだい」が多数いると、年長者が学歴などで優遇されるのに対し、年下の「きょうだい」の学歴は、最小限だった。詩人は、第1子だった。ただし彼女の学歴は、高等小学校卒だった。他の面で優遇されたのだろう。
④-5 「師を」「食う」とは、「師」を利用したり、裏切ったりすること。詩人自身にそうした経験があったのだろう。
⑥「金もこころも/食わずには生きてこれなかった。」当時の人は、“金食い虫”と子どもを呼ぶことがあった。誰でも、金なしに生活できない。
⑥-2 「こころ」を売って生きるのは、世の常。金のためなら、信念に反しても、何でもする。
⑦「ふくれた腹をかかえ/口をぬぐえば」とあるから、詩人は満腹できたのだ。意地悪に言えば、この詩を書いた時点で、「ふくれた腹をかかえ」、詩人の生活は良かった。
⑦-2 ただし問題は、美味しいものを食べたかどうか。まずい物でもお腹はふくれる。まずい物しか食べられなかったら、悲劇。
⑧ 「台所に散らばっている/にんじんのしっぽ/鳥の骨」。これは普通のコト。
⑧-2 「父のはらわた」が「台所に散らばっている」のは比喩。余程、父に苦労をかけたのだ。
⑨ 「四十の日暮れ/私の目にはじめてあふれる獣の涙」。40歳にようやく、彼女の生活は一息ついた。「獣」が悔悟した。
⑨-2 詩人は色々な物を、「食わずには生きてこれなかった」。ただし当然食うべきものを除外すると、悔悟したのは、「親」(とりわけ「父」)、「きょうだい」、「師」に対してである。
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