DIARY yuutu

yuuutunna toki no nikki

(1)君は水になる&(2)現実の存在と幻の存在     

2017-03-21 10:15:41 | 日記
 ルイス・キャロル『鏡の国のアリス』の中の詩「セイウチと大工(The Walrus and the Carpenter)」の一部。

 海は濡れていた、最大限。
  砂は乾いていた、最大現。
 雲は見ることができなかった、
  なぜなら空に雲がなかったから。
 鳥は頭上を飛んでいなかった―
  飛ぶはずの鳥がいなかったから。

《感想1》
 海は、水だから、確かに「濡れる」ことの最大限である。
 砂については、砂は、砂粒だから、「乾く」ことの最大限でない。むしろ「味気無さ」の最大限である。(砂を噛む。)
 ところで、もし「ずぶ濡れ」が「濡れる」ことの最大限だとしたら、この理屈に従えば、君は水になる。
《感想2》
 雲を見るためには、まず雲が存在していなければならない。鳥を見るためには、まず鳥が存在していなければならない。
 雲が存在しないのに、雲を見れば、それは現実の雲でなく、幻の雲である。鳥が存在しないのに、鳥を見れば、それは幻の鳥である。
 現実の存在と幻の存在が区別される。
 ところが、この詩が想定する主体は、現実の存在しか知らない。
 幻を見ることが出来る主体なら、空に雲がなくても、雲を見る。また鳥が飛んでいなくても、鳥を見る。

The sea was wet as wet could be,
 The sands were dry as dry.
You could not see a cloud, because
 No cloud was in the sky;
No birds were flying overhead―
 There were no birds to fly.
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