DIARY yuutu

yuuutunna toki no nikki

穂村弘(1962-)「あした世界が終わる日に」『求愛瞳孔反射』(2002年)

2016-12-28 17:54:58 | 日記
 あした世界が終わる日に

あした世界が終わる日に
一緒に過ごす人がいない
あした世界が終わる日が
夏ならいちごのかき氷
舌をまっかに染めながら
輝く雲を見ていたい

あした世界が終わる日に
一緒に過ごす人がいない
あした世界が終わる日が
冬ならメリーゴーラウンド
つやつや光る馬たちの
首を抱えて廻りたい

あした世界が終わる日に
一緒に過ごす人がいない
あした世界が終わる日が
今日なら蝶のアロハシャツ
汗ばむような陽炎の
駅であなたと出逢いたい

《感想》
 詩人は、ほかの人々まで、巻き込んで「世界が終わる」と想定しているのか?
 そのような想定だとしたら、不遜である。だから、「あした世界が終わる日」は、自分が死ぬ日でよい。
 死ぬ日の前日に、「一緒に過ごす人」がほしいと、詩人は言う。
 戦争で、特攻隊として出撃する兵士なら、「あした世界が終わる」。そのような想定を、詩人はするのか?
 おそらく、そのような場面は設定していない。詩が抒情的すぎ、死を前にしての切迫感がない。
 あした死ぬなら、つまり「あした世界が終わる日」なら、何をしたいか、詩人は、センチメンタルに述べる。
 「夏ならいちごのかき氷」。子ども時代の幸せな思い出。「舌をまっかに染めながら/輝く雲を見ていたい」。夏の白い輝く雲。
 「冬ならメリーゴーラウンド」。これも幸せな子ども時代。「つやつや光る馬たちの/首を抱えて」いるから、確かに小さな子供である。
 「今日」は「汗ばむような陽炎」の日。つまり春の終り。
 「蝶のアロハシャツ」は詩人の気分。派手好きだ。
 「駅であなたと出逢いたい」のだから、彼には、好きな彼女がいる。死ぬ日の前日に、彼女に会いたいのだ。
 しかし、「あした世界が終わる日」に、来ると約束していない彼女なのだから、詩人の片想いである。

 ON THE DAY WHEN THE WORLD IS TO END TOMORROW

On the day when the world is to end tomorrow, I don’t have a person to stay with.
If the day the world is to end tomorrow is in summer, I eat shaved ice.
While I have my tongue turned really red, I want to see bright clouds.

On the day when the world is to end tomorrow, I don’t have a person to stay with.
If the day the world is to end tomorrow is in winter, I ride on a merry-go-round.
I want to go round embracing a neck of one of glittering horses.

On the day when the world is to end tomorrow, I don’t have a person to stay with.
If the day the world is to end tomorrow is today, I wear an aloha-shurt with a butterfly pattern.
Then I want to encounter you at the station in such a weather as I get sweaty and heat waves are shimmering.
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