DIARY yuutu

yuuutunna toki no nikki

セオドア・レトキー(Theodore Roethke)(1908-1963)「嘆き」:この詩人が物から得る感情(「嘆き」)が、語られる

2017-06-30 22:51:13 | 日記
 嘆き

私は知っている、
①きちんと筆箱に並んだ鉛筆の《どうにもならない悲しみ(the inexorable sadness)》を、
②便箋や文鎮の《嘆き(dolor)》を、
③マニラ紙の紙挟みやゴム糊の《あらゆる惨めさ(all the misery)》を、
④ゴミひとつない公共の場所、寂しい応接室、洗面所、配電盤の《わびしさ(desolation)》を、
⑤洗面器と水差し、コピー機・紙クリップ・コンマの儀式、生命や物の果てしない複製の《拭いがたい哀感(the unalterable pathos)》を。
そして私は公共施設の壁から生ずる塵を見た、
塵は、(1)小麦粉より細かく、(2)生命を持ち、(3)珪砂より危険であり、
(4)ほとんど見えず、退屈な長い午後のふるいにかけられ、
(5)爪や細い眉毛に薄い膜を落とし、
(6)色の薄い髪や、複製的で灰色の標準的な顔に上塗りをかける。

 Dolor

I have known the inexorable sadness of pencils,
Neat in their boxes, dolor of pad and paper weight,
All the misery of manilla folders and mucilage,
Desolation in immaculate public places,
Lonely reception room, lavatory, switchboard,
The unalterable pathos of basin and pitcher
Ritual of multigraph, paper-clip, comma,
Endless duplicaton of lives and objects.
And I have seen dust from the walls of institutions,
Finer than flour, alive, more dangerous than silica,
Sift, almost invisible, through long afternoons of tedium,
Dropping a fine film on nails and delicate eyebrows,
Glazing the pale hair, the duplicate grey standard faces.

《感想》
まず、この詩人が、物から得る感情が、語られる。
それは、《どうにもならない悲しみ》、《嘆き》、《あらゆる惨めさ》、《わびしさ》、《拭いがたい哀感》である。
さらに、「公共施設の壁から生ずる塵」が、詩人にとって、いかなるものかが、感情と関係づけて叙述される。
塵は、小麦粉より細かい。《生命を持つ》。《危険》。《退屈》な長い午後を通り抜ける。爪・眉毛に薄い膜を落とす。髪・顔に上塗りをかける。
また、彼にとって、顔は《複製的・灰色・標準的》で、暗く特徴がない。
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