DIARY yuutu

yuuutunna toki no nikki

世界が、一定・同一の事態・事物(言葉の意味)の集合に、変形されることが、分かるということである

2017-04-21 09:55:41 | 日記
(1)
書くと気持ちが落ち着く。
なぜ、落ち着くのか?
形のないものが、形を獲得するから、落ち着くのだ。
(1)-2
そもそも、書くとは、何であるかを明らかにしたい。
たとえば、私が感じていることを書いてみると、気分が落ち着く。
書けば、自分が、何を感じているか、わかる気がする。
これは、どうしてなのか?
(2)
書くとは、言葉を連ねること。
言葉は、私において、あるいは他者たちにおいて、繰り返される現実(体験・経験)の重なりを、示す。
重なりとは、共通点。
共通点とは、抽象された一定・同一の事態・事物のことである。
つまり現実の体験からの抽象物。
この抽象物は、意味と呼ばれる。
(3)
言葉の意味とは、経過する現実の重なりである一定・同一の事態・事物を、現実から抽象したものである。
(3)-2
書かれることによって、過去に流れ去る体験・経験・現実としての世界が、《その経過する現実の重なり》である一定・同一の事態・事物(言葉の意味)の集合に、変形される。
これが、分かるということである。
そして、例えば、よくわからない私の気持ちが、言葉で書かれることによって、私に分かるようになり、私は落ち着く。
(4)
言葉は、この世に新たに生れてきた者にとっては、あらかじめ存在する。
彼の、また、他者たちの現実(体験・経験)は、すでに、言葉のもとで、《どのように現実を重ね、共通点を見いだし、一定・同一の事態・事物を抽象するか》、その仕方が、決められている。
世界は、一定・同一の事態・事物(言葉の意味)の集合に、初めから変形されている。
(5)
経過し過去に沈んでゆく一回限りの体験・経験・現実が、この私においてあり、また他者たちにおいてあり、そのすべてが、言葉において、初めから一定・同一の事態・事物(言葉の意味)の集合に、変形されている。
(6)
感じていることを書くとは、何であるかを明らかにすることだが、何であるかを明らかにするとは、感じていることを、言葉によって、一定・同一の事態・事物(言葉の意味)の集合に、変形することである。
(7)
そして言葉は、他者たちにも、共通である。
かくて《私が感じていることを言葉に置き換える、つまり書く》なら、それは《他者たちにも、理解できる事柄》となる。
これは、明瞭化である。
あるいは私の体験を、普遍化、つまり他者にもわかる形に変えることである。
(7)-2
ここには、新たな別の問題がある。
言葉が、私にも、他者にも共通であるとは、一定・同一の事態・事物(言葉の意味)が、私と他者で、共通に了解されることである。
だが、ある言葉のもとで、一定・同一の事態・事物(言葉の意味)が、共通に、私と他者で思い描かれると、どうしてわかるのか?
これは、言葉の了解の問題である。
この問題が、解かれねばならない。
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