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伊東静雄(1906-1953)「宿木」(1940年):内面世界が輝き外部世界を圧倒する時が、青春である

2017-06-09 20:21:06 | 日記
 宿木

冬のあひだ中 かれ枯れた楢の樹に
そのひと所だけ青んでゐたやどり木の、
いまはこの目に区別もつかずに、
すつかりすつかり梢は緑に燃えている。

何故(ナゼ)にまた冬の宿木のことなど思ふのか。
外部世界はみんな緑に燃えてゐる。
数え切れないほどの子供らが
花も過ぎた野薔薇のやぶで笑つてゐる。
そしてわたしの恋人はとうの昔
ひとの妻になつてしまつた。

疾(ト)うの昔に などとなぜに私は考へるのか。
いいえ、わたしに
やっと今朝青春は過ぎて行つたところだ。
窓辺につるした玻璃壷に
あはれに花やいで 金魚の影は、
はっきりそのことを私につげる。

《感想》
 この詩は1940年、詩人34歳の時、発表された。日中戦争が膠着していた時代だが、詩人は内面世界に目を向ける。
 彼は「青春が、今朝、過ぎ去った」と気づく。
 彼の内面世界が輝き、外部世界を圧倒している時こそが、青春である。
 今朝、詩人ははっきり気づいた。
 外部世界が燦然と輝き、彼の内面世界の輝きは見失われた。
 青春が終わった瞬間である。
 花やいだ金魚の影こそ、外部世界の輝きそして内部世界の凋落の象徴である。
 例えば、外部世界において、かつてのわたしの恋人が、とうの昔、人の妻になってしまったという事実が、私の内部世界を圧倒する。
 この詩は、半分、失恋詩である。
 「宿木」とは詩人の内部世界のことであり、それは、かつて輝いていたが、今は輝きを失った。彼の青春時代が終わった。

 A MISTLETOE

During all winter, on the oak tree that completely lost its leaves, there was a mistletoe.
It was green only at that place.
However, it now cannot be distinguishable while I see it, because the tree brights utterly in green as a whole.

Why I think of the mistletoe living in winter?
In the outer world, everything brights in green.
Uncountably many children lough in the bush of wild roses finishing their blooms.
And my sweetheart already became a wife of other man long time ago.

Why do I think that it was long time ago?
No, it's wrong.
As for me, just only this morning, my youth has passed away.
In a glass bowl hanging near the window, there is a goldfish that is sadly brilliant.
Its figure decidedly tells me the fact.
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