DIARY yuutu

yuuutunna toki no nikki

長田弘(1939-2015)「嘘のバラード」『言葉殺人事件』(1977年):「ほんと」の語と「嘘」の語をめぐる考察1-9

2017-12-04 22:21:45 | 日記
本当のことをいうよ、
そういって嘘をついた。
《感想1》
①「本当のことをいうよ」と言った場合、選択肢は2つ。本当のことを言うか、嘘をつくかだ。
②嘘も色々。「外は雨だ」と言ったのに、外が晴れ(物理的事実)だったら、嘘だ。
嘘は、言葉の内容と事実の内容が反することだ。
②-2 「僕は君が好きだ」と言ったのに、僕は君が嫌い(心的事実)だったら、嘘だ
③「神は不死だ」と言ったのに、「神が死んだ」のなら、嘘だ。(論理的矛盾)

嘘じゃない、
本当みたいな嘘だった。
ほんとの嘘だ。
《感想2》
④「本当みたいな嘘」は「嘘」だから、「嘘じゃない」と言うのは、偽。(「嘘じゃない」が「嘘」を修飾する場合)
④-2「本当」が「嘘じゃない」のは、真。(「嘘じゃない」が「本当」を修飾する場合)
④《「嘘じゃない」嘘》は偽で論理的に成り立たないから、《「嘘じゃない」本当》が論理的に真で、かくて詩人は「本当みたいな嘘」が、「ほんとの嘘」だと主張する。これは正しい。

口にだしたら
ただの嘘さ、
どんな本当も。
《感想3》
⑤「口にだした」もの、つまり言葉は、「嘘」だと詩人は言う。
⑤-2 言葉とは何か?流れ去り、変転し続ける経験の流れは、そのままでは、不定形(カオス)で、かつ忘れ去られる。
だから、経験の内に重なりを見出し、その重なりを指示する印(音声or文字)(つまり言葉)(これ自身が経験の重なりだ)によって、変転し続ける経験の流れを、定形のもの(ノモス)とする。
⑤-3 どんな「本当」も不定形(カオス)にすぎない。
⑥詩人は、カオスをノモス化する言葉を「嘘」と呼ぶ。
⑥-2 詩人は混沌・不定形(カオス)を愛する。
⑦しかし、「本当」である混沌・不定形(カオス)は、ただ流れ去り、変転し続ける《有》だと言えるだけ、つまり《無》ではないと言えるだけだ。
⑦-2 言葉(「口にだした」もの)と、「本当」を詩人は対立させ、言葉が「本当」でないから「嘘」だと言う。
⑦-3 それは、その通りだが、その「嘘」を「ただの」と言ったところで、その「嘘」(言葉)を拒否したら、人には、何の経験内容も残らない。
⑦-4 「嘘」(言葉)を拒否したら、経験は、ただ《何かがある》というだけの混沌・不定形(カオス)としてあるしかない。世界は、ただの《ぐちゃぐちゃの何か》としてのみ出現するしかない。

まことは嘘からでて
嘘にかえる。
ほんとだってば。
《感想4》
⑧「嘘から出たまこと」という諺がある。「一犬影に吠ゆれば百犬影に吠ゆ」ということ。
⑧-2 もちろん、すべての「まこと」が、「嘘」から出るわけでない。「嘘」から「まこと」が出るのは、まれだ。
⑧-3 《嘘あるいは冗談半分で言ったこと》が、偶然に、本当になてしまうことがある。ここで「本当」とは《多くの人に事実として信じられる》ということだ。
⑧-4 それは、しかし、やがて「嘘」とわかることになる(「嘘にかえる」)。「ほんとだってば。」

その嘘、ほんと?
《感想5》
⑨「その嘘、ほんと?」と言われるのが、どんな場合か、考えてみた。
⑨-2 例えば、《お前を好きだ!》とお前に言われ、でも信じられない。お前は、追いかけたら逃げ、捕まえたらすり抜け、お前の本当の気持ちがわからない。「その嘘ほんと? 」私でもう遊ば ないでよ。求めてたのは、嘘じゃなく愛だ。
⑨-3 「その嘘」とは《言葉》のこと、これに対し「ほんと」とは愛という《心理的事実》のことだ。

ほんとは嘘だ。
《感想6》
⑩「ほんとは嘘だ。」の解釈は3通り。
(ア)「ほんと」は「嘘」と等価だ。心理的事実(「ほんと」)は、言葉(《お前を好きだ!》)と、等価ということ。
(イ) 心理的事実(「ほんと」)は、他者への欺瞞(「嘘」)or自己欺瞞(「嘘」)or単なる言葉(「嘘」)だということ。
(ウ)「その嘘、ほんと?」との質問に対し、実は(「ほんとは」)「嘘」だと回答している。

嘘は嘘、
嘘じゃない。
《感想7》
⑪「嘘は嘘」とは、「嘘」は、偽(「嘘」)だということ。つまり「嘘」は、「嘘じゃない」ということ。

ほんとに嘘だ。
《感想8》
⑫この言明は、ただの言葉遊び。
⑫-2 一方で「ほんと」(名詞)と「嘘」(名詞)が反対語であることを連想させる。
⑫-3 他方で、(「ほんと」(名詞)を含む)「ほんとに」(副詞)の語を使って、「ほんと」(名詞)と「嘘」(名詞)が類似語であるかのように錯覚させる。

嘘なんかいわない。
ほんとさ。
本当でも嘘でもないことを
ぼくはいうのだ。
《感想9》
⑬「嘘なんかいわない。ほんとさ。」が、ここでの話の前提。
⑬-2 その場合、「本当でも嘘でもないことを/ぼくはいうのだ。」という言明は、この前提を満たす。
《感想9-2》
⑭ところで、この場合の「本当でも嘘でもないこと」とは何か?
⑭-2 物理的事実に反さない言葉、心的事実に反さない言葉、論理的矛盾がない言葉は「本当」だ。(《感想1》参照)
⑭-3 だから、「本当」でないために、「ぼく」は、物理的事実に反する言葉、心的事実に反する言葉、論理的矛盾がある言葉を語る。
⑭-4 だが、これらは「嘘」だから、「ぼく」は、これらの「嘘」も語らない。
⑭-5 かくて、ぼくは物理的事実、心的事実、論理的矛盾のいずれとも無縁にならねばならない。つまり「ぼく」は《空想》・《虚構》を語るか、《夢》を語る。
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