DIARY yuutu

yuuutunna toki no nikki

「葉」八木重吉(ヤギ ジュウキチ)(1898-1927):無(死)から、有(Ex. 生命or葉)が生れ、再び無(死)に返る

2017-08-14 19:52:57 | 日記
 葉

葉よ
しんしんと
冬日が むしばんでゆく
 
おまえも
葉と 現ずるまでは
いらいらと さぶしかったらうな

葉よ
葉と 現じたる
この日 おまえの 崇厳

でも 葉よ
いままでは さぶしかったらうな

《感想1》
不思議な詩だ。
葉が、葉となる前の世界を語る。
《感想2》
無から、有の出現。
確かに、木の枝のなかに、葉のもとになるものがあった。
しかし、その出現以前、葉は無だった。
《感想2-2》
ただし、さらに考えれば、葉が木のなかに準備されていたとも言える。
さらに、木は、木の生命の連続のうちに、準備されていた。
木は、極めて長い生命一般の数億年の連続の内に、準備されていた。
それ以前について言えば、生命は無から出現したのでなく、物質の歴史が、生命を準備した。
だが始原の物質は、無から生まれた。《無から有の出現する奇跡》。
《感想2-3》
あるいは、宇宙は、永遠に有だったかもしれない。
そうであるなら、《宇宙が有であることの奇跡》。
《感想2-4》
宇宙は謎である。
その謎は、2種類のいずれかである。
それは、《無から有を出現させる》謎か、《永遠に有である》謎かの、いずれかだ。
宇宙が《永遠に無である》ことがないのは、現に有が出現していることで、証明されている。
《感想3》
無について、詩人は「いらいらと/さぶしかつた」ととらえる。
無は死である。
詩人は、死を恐れる。
無(死)から、有(Ex. 生命or葉)が生れ、再び無(死)に返る。
有が「この日/おまへの/崇厳」と詠われるにもかかわらず、有は無(死)へもどる。
《感想4》
一方で、無(死)から有の出現の「崇厳」な奇跡。
だが他方で、詩人は死を恐れる。
キリスト者として、彼は、信仰の足りない自分を許さないだろう。
《感想5》
出現した葉の生(有)は、その展開自身が、死の虚無へと、むしばまれていくことだ。

 A LEAF

You, a leaf!
Quietly, the sun in winter is destroying you.

You seem to have been irritatedly sad until you have come to appear as a leaf.

You, a leaf!
This is the day when you appear as a leaf.
You are marvelous.

However, you, a leaf!
You must have been sad till now.
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