人間万事塞翁が万馬券 RASCALのファンラン日記

故障が治るまではとりあえずファンランナー、あきらめずにリハビリも続けます。

中野長者伝説ジョグ

2017-03-20 22:38:34 | ランニング
西新宿から中野坂上にかけての一帯に、中野長者伝説というのがあります。

応永の頃(1394~1427)、紀州熊野からやってきた鈴木九郎という若者は、ある日、総州葛西に馬を売りにいきましたところ、高値で売れました。信心深い九郎は仏様の功徳と感謝して、得たお金はすべて浅草観音に奉納しました。家に帰ってみたところ、あばら家は黄金に満ちていたのです。観音様のごほうびでした。
それから九郎の運は向き、やがて「中野長者」と呼ばれるお金持ちになりました。その後、故郷の熊野神社を移して熊野十二社を建てるなど信心深い生活をしていましたが、あふれる金銀財宝が屋敷に置ききれなくなった頃、九郎に邪念が生じました。
金銀財宝を人を使って運ばせて隠させると、隠し場所を知るその人を亡き者にしました。村人たちは、「淀橋」を渡って出掛けるけれど、帰りはいつも長者一人だということから、いつしかこの橋を「姿見ず橋」と呼ぶようになりました。
しかし、やがて九郎に罰があたります。九郎の美しい一人娘が婚礼の夜、暴風雨とともに蛇に化身して熊野十二社の池に飛び込んでしまったのです。九郎は相州最乗寺から高僧を呼び、祈りを捧げました。すると暴風雨はおさまり、池から蛇が姿を現し、たちまち娘に戻りましたが、にわかに湧いた紫の雲に乗って天に昇っていってしまったのです。以来、娘の姿は二度とこの世に現れることはなくなったのです。
九郎は嘆き悲しみ、深く反省して僧になり、自分の屋敷に正歓寺を建てて、娘の菩提を弔い、再び、つましく、信心深い生活に戻りました。(中野区HPより)

ま、伝説は何パターンかあるのですが、大体こんな話。
今日は中野長者伝説の足跡をたどってみました。


近所のスーパー前にでかい石碑。


淀橋には、「姿見ず橋」の伝説。淀橋の命名者は徳川家光って書いてあります。


大正14年の文字が、当時の橋柱を再利用したみたいです。


蛇に化身した娘が飛び込んだという池があった熊野神社。実際、昭和30年ごろまで、かなり大きな池があったようです。今、新宿中央公園になっているあたりかな。


案内板にも、鈴木九郎の名前が。


変わった狛犬。


正歓寺、今は成願寺に名前が変わっています。




こちらの長者伝説、細部は区のHPとちょっと違っています。
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