にっぽんの文化的アイデンティティを発掘、発見、発信する会 ( JICP )

世界共通言語のひとつ「映像」でつながる、ひろがる、深まる!
日本の文化的アイデンティティを楽しく再確認しましょう。

第50回JICP会合「もうひとつの時空間 稲垣智子氏」議事録(6/21)

2016-06-30 07:31:08 | Weblog
みなさまこんにちは。
JICP新年度がスタートしました。
この度の会合では今年度の挨拶と共に、
ゲストスピーカーとして美術作家の稲垣智子氏をお招きしご講演いただきました。

会合の様子をご報告いたします。
どうぞよろしくお願いします。

*  *  *  *


第50回JICP会合

<内容>
・「JICP新年度ごあいさつ」
・「活動報告:ハンブルク 大阪サロン」
・「もうひとつの時空間 美術作家 稲垣智子氏 上映とトーク」

日時:2016年6月21日(火) 19:00〜20:30
会場:大阪府江之子島芸術文化創造センター 2F ルーム12 
出席者:20名



【はじめに:改めてJICPとは】

(司会:中野)
 第50回のJICP勉強会ということで皆様方にお集まり頂きありがとうございます。まず始めにJICPが初めての方もいらっしゃると思いますので、代表の奥村からJICPのご説明をさせて頂きたいと思います。どうぞよろしくお願い致します。

(代表:奥村)
 Jはジャパニーズ、Iはアイデンティティ、Cはカルチャー、Pはプロモーションです。もともとは2004年パリ日本文化会館(フランス)と在ベルギー日本国大使館(ベルギー)で日本人のアイデンティティという映像の上映会をさせて頂く事があり、そのバックアップをする団体としてスタートして、10年以上経っています。次第に日本人の感性や美意識、みなさんが着物から洋服に変わったけれども根底の部分で変わっていない精神性があるのではないかと考える勉強会など、または上映会や交流会をさせて頂く会になり日本の文化的アイデンティティを発掘、発見、発信する活動をしています。そして私は映像というのは世界共通言語のひとつだと考えているので、映像を通して都市と都市あるいは人と人を繋ぐという活動をさせて頂いております。その事例としては資料でもいくつか上げていますが、大阪ハンブルクがあり、フィンランドと豊岡などと共同製作や上映をさせて頂きました。


【2016年度の新体制と「マイネ」について】

(代表:奥村)
 これまでは、その場限りで会費を集めてそれでよいのではないかと活動してきたのですが、これだけ年数も経ち、たくさんの人と出会う事も増えてきたので、サポート会員制度というのを整備させて頂きました。そのため、本日は2016年度のサポート会員の説明を少しさせて頂けたらと思っています。

 目の前に飾らせていただいているのは「マイネ」というものなのですが、二枚の板と一つの球で出来ています。私だけのコーナーを作る「マイネ」。マイネというのは「間」がいいねと、ドイツ語の「マイネ(私の)」をかけています。私は4〜5冊の本を読んでいるので、ここへそれらを置くとここにもう自分だけの世界ができてきます。まさに自分のアイデンティティ空間がここに出てくる。これは、JICPコレクションのひとつとして是非続けていきたいと思いまして、サポート会員になった方にはまずこれを進呈させて頂くことと、今日の定例会合を含めて、年四回全部の定例会合が無料になります。それから、年二回開催している「大人の遠足」も参加費無料にさせて頂くということになります。それでは、このデザインをしてくださった北村さんにお話いただきます。


【「マイネ」デザイナー北村隆 氏】

(デザイナー:北村)
 僕はキッチンキャビネットをドイツの工法で作っているのですが、こういう端切れが結構残ります。それを利用して設計事務所さんの方とか、一般のユーザーの方とかそういうお客さま方にお土産で配るためにまず考えていました。今回は、奥村さんの企画とタイミングが合いまして、先行的にこちらに流してみようと思いました。球の色はジャパン・アイデンティティから日本のイメージで選んでいます。実際に、今ばらすと二枚の板がありますが、それらをダボに通してトントンと叩きながら組んで頂ければお使いになれます。パッケージは遊びでたまたま作ったものです(笑) 一応商品にするとだいぶお値段がつくかなと思いますので、是非お願いします。



*  *  *  *



【活動報告(奥村):ハンブルク「大阪サロン」】

(奥村)
 先程のJICPの説明の中で、文化交流の活動もあるとお話しました。実は、私はハンブルクへ毎年通っております。それは、映画祭に参加するためです。2001年にワールドメディアフェスティバルという映画祭で受賞してハンブルクへ行ったのが初めてで、それから今年で17回目の訪問になります。今年は、授賞式の参加だけではなく、「大阪サロン」というものを始める方がいらして、そこにも参加してきました。「大阪サロン」というのは大阪とハンブルクを何かのかたちで繋いで行こうという活動です。その主催者はドイツ在住の原サチコさんです。彼女は1964年生まれ、上智大学ドイツ文学科を卒業し、20歳のころから演劇を初めて1999年にドイツでクリストフ・シュリンゲンズィーフ(Christoph Schlingensief)の作品に参加します。彼は前衛映画の監督で、彼に魅かれてドイツへ渡ります。2001年以降ずっとドイツに住み、2011年にはハノーファー州立劇場の日本人初専属俳優となり、2013年からはハンブルクの劇場の専属俳優となります。現在ドイツの州立劇場で唯一の日本人専属俳優になっている女性です。2011年のハノーファー時代に何か日本人としてできることはないかと考えた時に始めたのが、「広島サロン」でした。それはハノーファーと広島が姉妹都市だということで、何かお互いのコミュニティができないかということで活動し、次に2013年からハンブルクに移られてからも、何かできないかと考えた時に、大阪とハンブルクが友好都市だということで「大阪サロン」を今年から始められました。第一回目が5月9日に開催され、実はわたしもゲストのひとりとして参加しました。そこではブリギッテ・クラウゼと一緒に撮った「水の記憶」の映像の話をしました。そこで、ちょっとびっくりしたのがゲストが発表の間に歌が挟まるのですがそれが、カラオケで「浪速恋しぐれ」とかすごくベタな曲が挟まります。それはなぜかと聞いてみたら、歌というものをすごく大事にしていて、歌というのは世代や国籍を軽々と越えてみんなで楽しめるものだから、それに加えコスプレのドイツ人も出てくるのですが、ようは若者と年配者が一緒に楽しめるもの、そういう出会いの場、共通点を持ってもいいのではないかとコスプレや歌をやっている。けっしてウケ狙いでやっているのではなくて、若者と年配の方の出会いの場として、一緒に笑ったり歌を楽しんだり、トークで日本の新たな一面を知ったりと、世代や興味対象を超えて、お互いを理解し皆で楽しめる場としてやっているので、その点を上手く伝えておいて欲しいとおっしゃっていました。
 原サチコさん自身は今年8月に大阪に来て、8月5日にenoco隣のフラッグスタジオでトークショーをやる予定なので、またご案内致します。すごくパワフルな女性です。

※大阪サロンの映像はコチラからご覧いただけます。


*  *  *  *



【ゲスト:美術作家 稲垣智子氏 トークと上映】

「もうひとつの時空間」

(ゲスト:稲垣智子
 今日はお越しいただきありがとうございます。本日のトークでは、「もうひとつの時空間」というタイトルで話させていただくということなのですが、「もうひとつの時空間」というのはけっこう難しい題材となりまして、最後の方に持ってきたいと思います。
 今回こういったお話を頂いたのが、奥村さんがハンブルクに行かれていた時に、私は5月4日からハンブルクの「FRIZE(フリーゼ)」というアーティストハウスで個展をしていました。現地で奥村さんが私の事を知って下さり、今回の機会を持つこととなりました。その時のハンブルクの展示と上映会「Melting Point」のお話、そしてハンブルクの前に行ったイギリスのシェフィールド(Sheffield)で参加したワントゥーワン・パフォーマンス・フェスティバル『WROUGHT』というちょっと変わったイベントのこと。ワントゥーワン・パフォーマンスとは、以前は欧州でもあったらしいですが、今はここしかやっていないかもしれないというパフォーマンスフェスティバスで、アーティストと観客が一対一で行うパフォーマンスというちょっと変わった点に着眼しているフェスティバルです。これらの話をしつつ、「もうひとつの時空間」に繋げていきたいと思います。




【過去作品の紹介】

 2001年にイギリスのミドルセックス大学の美術学部を卒業してから、作品を作り続けています。様々な作品があるのですが、主に映像インスタレーションが多いです。映像インスタレーションがどういうものか、もしかすると初めての人もいるかもしれないので、一応説明させて頂きます。
 1970年代以降に一般化した芸術表現のひとつ。ある特定の室内や屋外にオブジェや装置を置いて空間全体を構成し、作品が体験できる芸術です。その中で映像を上映して空間を構成することを映像インスタレーションといいます。これが私が主にやっていることです。空間全体が作品であるため、鑑賞者は作品を観賞するという要素と同時に作品に囲まれることで空間を体験することになります。私自身も作品を作る時、観客のことを考えてインスタレーションを作っている場合がとても多いです。私の映像インスタレーション作品の一例を説明させて頂きます。

・『Forcing House』(2013年) これは温室の意味。温室はグリーンハウスという訳もありますが、「Force」というのは「強いる」という意味が含まれているため、「Force」の方のハウスを取りまして温室と命名しました。これは2013年の京都芸術センターで展示しました。ここでは空間全体を意識して作品を作っていて、温室の中には緑の本物の植物と人工の植物が入っていて、その中に映像で女性をプロジェクションし、その中を女性が窮屈そうに動く映像が流れます。壁面はマジックミラーで出来ているため映像が全ての面に蜂の巣みたいに写ります。中に入ると周りが全く見えなくなり、閉ざされた空間でミラーハウスのような感じで反映がどんどん繁殖していく世界の中に入ってしまうという作品になります。

・『Voice』(2015年) 昨年サードギャラリーAyaで行ったインスタレーションの作品です。ケースの中に入った人形が昭和な感じで、たぶん若い人は知らないかもしれないです。私の時代は親がこのような人形を嫁入り道具として持ってきていました。ガラスケース入っているので、この作品をドイツ人に「なぜ人形が水槽の中に入っているのか」と聞かれてカルチャーショックでした(笑) これは日本人形とか西洋人形、リカちゃんの大きい版みたいなものが、マジックミラーになったガラスケースの中に入っていて、反射の仕方によってぐちゃぐちゃと日本と西洋の人形が入り混じるという作品になっています。

『Forcing House』(左)『Voice』(右)

・『GOHST』(2015年) 地域型アートイベント「学園前アートウィーク(奈良)」GALLERY GM-1で映像インスタレーションを行いました。これはじゃばらになっていて片面が鏡です。もう一方の片面には映像が写っている作品です。私はこの展覧会をする時に学園前で幽霊の話を聞き、それでゴーストを題材として作りたいと思い取り組みました。

・『Oasis』(2005年)映像インスタレーション。ずっと寝ているかと思っていた女性が遠くを見るような動きで状態を起こすと、同じパターンでミラーイメージになっている2つの映像がキスしているように見える作品です。

『GOHST』(左)『Oasis』(右)

・『春』(2004年) 映像インスタレーション。石鹸でつくられた彫像のインスタレーションの中に二点の大小の映像があります。彫像は体を洗いながら体が溶けていく様子。小さい画面の映像では女性がそっくりに作られた自身の彫像をオペラの椿姫を歌いながら溶かしていくという作品です。

『春』


【ハンブルクでの発表】

 今回のハンブルク滞在以前からハンブルクには縁がありまして、2009年に大阪市とハンブルク市の友好都市提携20周年記念事業としてのグループ展『TWINISM』(クンストハウス)に参加したのが始まりでした。その時には『さくら』という映像だけの作品を出展しました。また、同時に「Kunstler zu Gast in Harburg」というレジデンスにも参加しハンブルクのハーブルクに2009年から1年間滞在しました。このレジデンスは毎年、国内外から一人のアーティストを招待して滞在するという施設で、1600年代に建てられたとても歴史ある綺麗な建造物で、それほど観光地ではないが知る人は訪れる特別な地域でした。その最上階がスタジオで下の二階が住まいでした。

フリーゼ外観

 その施設の中で撮影し、一年後にパール(※偽物です)で作った蜘蛛の巣状の首つり縄のインスタレーションとハンブルクで7名の人に出演してもらった映像作品ができました。

『Pearl』

 またこの時期に縁があって、2009年に文化庁から綿引展子(わたびきのぶこ)さんという方もハンブルクに来ていて友人になりました。私は2009〜10年の一年で帰国したのですが、彼女はそのままハンブルクに住む事に決めました。また、彼女は2011年に東日本大震災を受けて『TEGAMI』というプロジェクトを始めます。2011年3月はちょうど綿引さんが日本に帰ってきていて東京にいました。その頃私も東京に住んでいて、共に3月11日の震災を受けて、彼女はその後すぐにハンブルクへ戻ったのですが、ハンブルクからこのプロジェクトを立ち上げました。その『TEGAMI』とは、日本にいるアーティストが何を考え、何を行動しているのか、その気持ちをハガキに託してドイツへ送って展示するというものでした。私もハガキを送りました。『TEGAMI』は継続的に何かしらのカタチで毎年行い、それが縁で今回はその『TEGAMI』を「アーティストの視点」というテーマで個展(5月4日〜15日/FRIZEフリーゼ)のためにハンブルクへ出向くことになりました。



【『TEGAMI –日本人アーティストの視点- 稲垣智子』展示作品について】

 会場は三部屋に分かれていて、全部で大きく分けて8点の作品を出展しました。作品のひとつ『Doors』は2013年から始めているプロジェクトです。色んなドアを選び、ドアを開けて中に開けて入るという行為を毎年一回ずつやって、それを映像に収めて編集で繋げて行くという作品です。バーモント・スタジオ・センター(アメリカ)、京都芸術センター、今回のフリーゼ(ハンブルク)で発表し、2013、14、15、16年まで溜まりました。毎年やっていくことで、自分が歳をとってくさまとドアを開けて中に入って次のドアに行くという行為の作品になります。

 会場の小さな部屋では『The Day It Is Raining(その日はずっと雨が降っている)』の映像を流しました。これはハンブルクの前に滞在したイギリスでのワントゥーワン・パフォーマンス・フェスティバル「WROUGHT」(シェフィールド)の様子を映像で撮ったものです。(※「WROUGHT」の詳細は後述)自分の中で『The Day It Is Raining(その日はずっと雨が降っている)』は、震災時2011年に東京に居て、その時の気持ちというかそういったことを含めた唯一の作品となります。ただ、2011年に『間 –あいだ-』という直後に作った作品があり、これを見て誰も震災のことを思い浮かべないと思うのですが、自分の中では震災の気持ちが入っている作品です。この作品の一番始めの台詞が「その日はずっと雨が降っていた」で、そういう意味で2つの作品を被せています。ちなみに、ここに登場する女の子は名前が「みさちゃん」というのですが、「みさちゃん」は作品『GOHST』の「喜」バージョンの女の子でもあり、花柄の服を着て、カツラをかぶっているという同じ装いで誰もがみさちゃんになれるという意味合いで作品を展開しています。

 『間 –あいだ-』は種明かしをすると、ビンタを境に台詞がひとつずつ戻っていきます。例えば、「風が強い日のことを覚えてるでしょ」「わかってるでしょ」「正直に話して」と言って喧嘩していき、ビンタをしてからひとつずつ戻って、「正直に話して」「わかってるでしょ」「風が強い日のこと覚えてるでしょ」というふうに、反対に台詞がやってくるので話が急速にダウンしていくのと同時に、音声がふたつにわかれます。それまではひとつで同じ人の声だったのが、ビンタを境に二人の声になり、二人の声が左右に違うように流れ、それと同時に巻き戻しなので、口と台詞が合わなくなっていきます。そういった作品になります。

『間 -あいだ-』

【上映会・映像作品に思うこと】

 『間 –あいだ-』の作品は、今回の上映会「Melting Point」(サードギャラリーAya)でも流しました。(※「Melting Point」とはハンブルクの個展時にイベントとして企画した上映会。稲垣智子が五名の映像作家を選出) 参加作家は、伊東宣明、大崎のぶゆき、小泉明郎、松井智惠、山城知佳子(ハンブルクのみ)です。これはすごく多くの方に来場頂きました。この企画がとても良かったと思ったのが、色んなところで色んな人に見てもらえたといということです。映像を作っているアーティストは一度作ってしまったものを、一カ所だけで流すだけでは見てもらえる機会が少ないのです。今回のシェフィールドでも、本来する予定はなかったのですが、海外のフェスティバルは柔軟なところがあって企画が面白いと思ったら、手軽にやらせてくれるというところがあります。提案すると実施できることになり、当初二日間だけでしたが人気だったので三日間やらせてもらえることになりました。日本でもサードギャラリーAyaさんのご好意でやらせていただけることになりました。私はもっとこのような上映会というのはバンバンと気軽にできればいいと思っていて、ロンドンでも掛け合いまして実現はまだ不明ですが、ベルリンでもできそうで、東京の恵比寿映像祭では流すことが決まりました。



【一対一のパフォーマンス「WROUGHT」(イギリス)について】

 「WROUGHT」(シェフィールド/イギリス)では『The Day It Is Raining(その日はずっと雨が降っている)』のパフォーマンスを行いました。透明のビーズで雨を演出し地面には塩で描いた世界地図のインスタレーション。その空間に机と椅子を置いて、一対一のパフォーマンスを行いました。

『The Day It Is Raining(その日はずっと雨が降っている)』パフォーマンスの様子
 
 ここで過去のパフォーマンス作品にも触れておきます。
・『海』(1999年) 大学生の頃に行いました。この作品では海外の色んな都市で行いました。
・『最後のデザート』(2002年) 映像インスタレーションとしても発表していますが、パフォーマンスでも行いました。ここにあるお菓子は生ものですが、食品衛生法で定められている最大量の添加物が入っているので見た目には腐りません。日本の添加物が怖いと思った瞬間でした。花も本物で原色ブリザーブドフラワー。ケースの中にシリカゲルが入っているので、本物よりも色が鮮やかでその中でだけで形態が保たれています。作品からは甘い匂いも出ています。キスをしているように見える男女ですが、実は女は口紅を持っていて、塗ったらそれを男性が食べるという作品です。男性は口紅一本がなくなるまで食べ続けます。
・『ガーデンズ』(2003年) これはファーストフードやレトルト食品等を食べるごとに服を脱ぐという行為を繰り返す作品です。
・「SUMMER 2」 ひまわりの造花と本物があり、本物のひまわりに色を塗って行くという作品。


『海』(左)『ひまわり』(右)

 「WROUGHT」では、お客さんと20分間対峙して、こちらはまったくの無言で水を飲むという作品です。水は日本から岩手県の水を持参して使用。何も言わずに一緒に飲むというコミュニケーションの作品です。これは、何もしないのに20分間がけっこう大変でした。ワントゥーワン・パフォーマンスは三日間あり、全員で30名と行いました。聞くところによると、そのパフォーマンスはワントゥーワンなので、たくさんの観客を望めないため、そのせいで助成金やそういった対象として厳しいのではないかと懸念され、今後なくなっていくのではないかと言われていました。



【おわりに】

 ハンブルクから始まって、ワントゥーワン・パフォーマンス・フェスティバルまで話をさせて頂いたのですが、「もうひとつの時空間」ということについて話させて頂くと、これについて話すのはかなり難しいなと思います。というのは、「もうひとつの時空間」というのは作っている時にあります。作り手にはそれがわかると思うのですが、例えば村上春樹さんの最近の本で書いてあったのですが、彼は地下二階まで行けるみたいな感じで書いてありました。ドイツでも他の作家さんと話したりしたのですが、作家というのはそういう深いところを目指していて、その感覚は作っている時にふと現れるというか、そういうのを目指していると思います。これを説明するのはなかなか難しく今回は表面的に作品について話してみました。もっとそういう話をしたい人は時間が必要なので、後でゆっくりお話ししましょう(笑)という事で今日はありがとうございました。




*  *  *  *



【質疑応答】

(質問:Aさん)
海外で上映会をする機会が多いと思うのですが、自分が日本人だなと思う瞬間はありますか?
どんな時に思いますか?

(回答:稲垣)
常にです。
例えば、東日本大震災の直後のことで関西のアーティストが東京に行かなくてはいけなくて、でもその関西の作家は水から弁当から食料まで全部持参で上京しました。また、東京のものを食べたくないと、東京で生活をする人に話しました。私はそれを東京で話すことは失礼ではないかと思ったのですが、ドイツで生活する綿引さんの意見はそれを言うことがなぜ失礼かわからないと考えます。彼女は自分よりドイツナイズされていると思うし、自分はどちらの言うことも分かるが…、というような出来事がよくあるので自分はやっぱり日本に住んでいる日本人だと思います。

また、ドイツにいると彼らに東日本大震災で日本は大丈夫?と聞かれます。直後は「大丈夫とはいえない」と答えるとドイツ人は「でも、あなたは無事でよかった」と言われたという話を聞きました。そういうことも、ちょっと感覚が違うかなと思う。でも、双方のその気持ちはわかります。細かい話になってしまいましたが、差異ですね。大きくはやはり文化によって影響を受けているところが違うと思うので、もちろん個人によっても違うので、そこの文化によって影響される部分というのがあって、そこに気づくことがあるとやはり自分は日本人だなと思います。

(感想:Aさん)
映像の『間 -あいだ-』というのは国民性によって全然違うかなと、間(あいだ)の取り方とか、『間 -あいだ-』の映像をサードギャラリーAyaで見たとき合気道を思い出しました。

(質問:Bさん)
日本人は空気を読むとか、相手のリアクションにあわせて自分が変わっていく、あわせていくというのが特徴としてあると思うのですが、『間 -あいだ-』の映像をみてみると、そのへんの身体感覚、例えば海外の人と話す時では自我を論理的にして、相手によって自分が触発されて自分が自分じゃなくなっていくというように感じられたりします。日本人らしさというところと「もうひとつの時空間」というのはかなり密接に結びついていますか?

(回答:稲垣)
日本人ということは日本にいると気づきませんが、日本人らしさというのはひっついているものだと思う。女、男みたいなものでひっついているものだと思っていています。今回パフォーマンスをして面白いなと思ったのが、日本人は間(ま)を読めるというのがありますが、私もそう思っていました。『The Day It Is Raining(その日はずっと雨が降っている)』で20分間しゃべらない中で、はじめはその人を読もうと必死だったのですが、結局は自分しかないということに気づきました。20分間その人とやっていたら、どうしてもその人のインフォメーションを読もうとするのですが、それを思っているのも自分なので自分の経験からでしか読めないので、結局読めない!となりました。ということがあり、自分は空気が読めないのではないかということに直面した面白い経験でした。

(質問:Cさん)
今回『間 –あいだ-』の映像ではトリックの種あかしをしていただきましたが、それを聞かなければ何となく映像が変わったかなというのは分かるがクリアにはわからなかった。トリックは全て気づく人はいないだろうし、或は作品の時間が長すぎて全部見ているわけではない場合もある。そのように芸術作品には往々にして秘められているところがあると思うのですが、鑑賞者はどのように向き合っていったらいいのでしょうか?どういう風な鑑賞者を求めますか?

(回答:稲垣)
私はその人の経験で見てもらえたらいいと思います。自分はこういうトリックで作っているので、それを分かって欲しいとかは思っていない。そういう風に作っていくと自分の中で綺麗なだけで、でも感覚に頼ってやっているところもたくさんあるので、その人によってどこの部分と響き合うかはわからない。例えば、声が好きな人は声を聞いた時にすぐにわかるかもしれないが、ある人は声を好き嫌いで認識するかもしれない。その人によって全然感覚は違うと思うので、自分は作品を作ってそれを観客に投げる。自由にその人の感覚や知識から見てもらいたいと思っています。

(質問:Dさん)
ひとつひとつの作品ができるまでのプロセスの様子が気になります。例えば、色々な芸術家によって違うと思うのですが、リサーチする人、長い時間をかけて1つの作品を作る人、どういったかたちでインスピレーションを受けてかたちにしていくのか。普段はコンセプトが先?

(回答:稲垣)
すごく昔に考えた事とかがたくさんあって、それがそれぞれ動いて行きます。例えば、『The Day It Is Raining(その日はずっと雨が降っている)』は大学生2年生の時、最初に一本だけビーズの紐を作りました。でもその時は作品にならなかった。それが15年以上たってやって実を結ぶ。そのような種がいつからかできて、その後も少しだけやってみたりもする。例えば『さくら』という作品はビンタの作品なのですが2009年に制作したが、始めに試し取りをしたのは2004年でした。イメージとコンセプトが合った時にやっと動き出すという感じです。コンセプトだけというよりは、ものごとで興味のある行為というのがあって、その行為が面白いなと思って心に止めて置く。そうしたら、ある時こういう考え方がこういうことなのではないかと思う瞬間があって、それとその行為がピタッと合った時に作品になるという感じ。だから、沢山のことを同時に考えていくという感じです。

(質問:Eさん)
ワントゥーワンのパフォーマンスは初め「話さない」とインフォメーションはあったのですか?

(回答:稲垣)
案内役がいて、作家は話しません。観客は自由ですと説明します。

(質問:Eさん)
観客が自由ということは、人によって反応は様々?
また、色んな反応が出て来たと思うが、それに対して彼らにインタビューはしましたか?

(回答:稲垣)
全然違います!ずっとしゃべり続けている人もいます。例えば、インスタレーションが前にあるので、「これは何か?なめていい?」と聞いてきて何も答えなかったら舐めました!
あとから、参加者と話す事はしていません。というのは、自身が思った事を大切にして欲しいから、話しかけて来た人はいますが、基本的には参加者とは話しませんでした。その人が20分間の中で自分と対峙したという経験が大事だと思うのでアーティスト(私)がどう思ったかより自分がどう思ったかという内面の事を知って欲しいのです。

(質問:Fさん)
制作のプロセスにおいてですが、さきほどの気になる行為というのについて傾向はご自身で意識されていますか?

(回答:稲垣)
はい、そうですね。
一番はじめ制作しだしたのが、イギリスだったのでその時一番ショックだったのが、今まで普通と思っていた日本という世界が不思議な世界だったということに直面しました。それで、社会のちょっとこれはおかしいんじゃないかな、ということが自分の中で作品になる要素が大きいです。例えば、『最後のデザート』での添加物の作品では、帰国して一年後に作りました。コンビニの食べ物がまずいと思った経験からです。添加物ってイギリスはそこまでなく四種類ぐらい?なので、日本のように添加物を食べていなかったため、日本に帰って来て添加物の入った食べ物の味が分かって、この作品を作りました。そういう風に世の中でコレは何かおかしいのではないか、とか、例えば私がイギリスに生まれていたら姿は違うけれど、もっとイギリス的な考えになっていたと思うし、それは逆も同じです。でも、前提に人間というものがあり、人間の生というか生きている素の部分に向かって作品をつくりたいと思っているところはあります。なので、変だと思うところをもっと変にしている部分もあると思います。

(質問:Fさん)
変にして知るきっかけを作りたい?

(回答:稲垣)
違和感を感じさせたい。不安定さとか、異物を感じるために作品にしているところはあります。

(質問:Gさん)
パフォーマンスを20分に区切られた意味は?

(回答:稲垣)
座禅とか好きで、私はやっていませんが、デヴィッド・リンチがやっている超越瞑想(TM)というのが20分間らしく、その20分に意味があるのではないかと思って、また長過ぎない方がいいと思って決めました。


(記録・南)
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第50回JICP会合「もうひとつの時空間 美術作家 稲垣智子氏」(6/21)

2016-06-07 13:21:46 | Weblog
JICP新年度最初の会合のご案内をさせていただきます。

映像表現のフィールドは広がっています。
映像インスタレーションを10年以上前から制作しつづけ、海外での上映や展覧会も多い美術作家の稲垣智子さん。
5月にハンブルクを訪問しているとき、ちょうどハンブルクのFRISEでは展覧会「Melting Point」が開催中でした。
その中の作品「間ーあいだ」(7分)を上映させていただき、お話を伺います。
脳みそに刺激を与えることができるかも。
日本人の感性、美意識を考え、再確認するJICPの勉強会です。
ぜひご参加ください。お待ちしています。

日時:2016年6月21日(火) 19:00~20:30 (18:30 受付開始)
会場:大阪府立江之子島芸術文化創造センター2F ルーム12
   大阪市西区江之子島2丁目1-34 〒550-0006
   tel: 06-6441-8050
   www.enokojima-art.jp

内容:ゲスト 稲垣智子(美術作家)
   www.tomokoinagaki.com
   映像「間ーあいだ」上映(7分)
   お話「もうひとつの時空間」

参加料:1,000円(サポート会員は無料)
   *当日、サポート会員にご入会いただくことができます。

補足:ハンブルクで今年から始まった「大阪サロン」に参加した
   奥村からのミニ報告 もあります。

参加申込:6月18日までに下記e-mailまでお申し込みください。
その際に、サポート会員(個人会員年会費5,000円)への入会希望かどうかをお知らせください。
JICP会員特典のグッズ「マイネ」( 私だけのコーナーをつくる二枚と板と一つの球 designed by Takashi Kitamura、めちゃくちゃいいよー) をご用意させていただきます。



JICP事務局
南、郷戸、中野、奥村
e-mail: info.jicp@gmail.com
www.jicp.org
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第6回大人の遠足「堺アルテポルト黄金芸術祭と南宗寺」(2016年3月20日)レポート

2016-03-30 08:55:45 | Weblog
第6回大人の遠足「堺アルテポルト黄金芸術祭と南宗寺」(2016年3月20日)レポート
2016年3月20日(日)13:00 南海高野線「堺東」駅集合 参加者10名

『堺の文化・歴史をテーマとした芸術祭』
 堺アルテポルト(SACAY ARTE PORTO)とはポルトガル語でアートの港という意。一風変わったSACAYの英表記もそこからきているという。黄金の輝きを見せた南蛮文化に敬意を表して命名したという。



 堺市は大阪市に次ぐ二つ目の政令指定都市であり、約83万人の人口を抱える大都市ではあるがここには美術館がない。しかし、地元を拠点として国内外で活動する芸術家は人口に比例して比較的多くいる。本芸術祭ではそのような堺のアーティストやものづくり産業の方々が大きく尽力されたのではないかと想像しながらアート巡りをスタートさせた。

 初めの会場に選んだのは、堺東駅から徒歩ですぐの堺市役所。ガラス張りでひときわ目立つ高層館の21階は展望となっている。ここでまず堺市の全容を上から俯瞰し地元ボランティアスタッフの方から仁徳陵古墳など歴史と地理の説明を受けた。ざっくりと堺のアウトラインを詰めたところで、地元の竹工芸作家の田辺小竹さんの作品を観賞。竹だけで組み上げられた「天と地」という作品。



 1階に戻り実行委員の古谷晃一郎さんの作品解説を受けながら、今井紀彰さんの古墳からインスピレーションを受けたという傘のインスタレーション、建物エントランスに大きく飾られた片桐功敦×小野晃蔵コラボレーションによる写真作品を観賞した。この写真作品では華道家の片桐さんが地元の一般の方をモデルに装飾を施し、堺能楽堂を舞台として写真家の小野さんが撮影をした。さらには全ての大型プリントがキングプリンティン社(本社工場堺)の協賛である。オール・メイド・イン堺にこだわった作品のひとつである。市庁舎前広場には、友井隆之さんの金属彫刻、路上アーティストの松本かなこさんの作品が展示されていた。





『JICPとして外せない南宗寺』
 芸術祭のルートに南宗寺が参加しているわけではなく、ここはオリジナルプランとして加えた。市庁舎前からタクシーで5分ほど南に移動。本年のJICPテーマ「余白」に相応しいいくつかの見所が含まれている禅寺である。建立したのは三好長慶(1522-1564)、堺は信長より20数年前に三好一族によって繁栄をもたらされたともいわれている。境内には三好一族四名の供養塔がある。また、千利休(1522-1591)一門とその師武野紹鷗(たけのじょうおう)の供養塔もあり、さらに奥には利休好みの茶室「実相庵(じっそうあん)」がある。その前庭には枯山水の庭が突如現れる。重要文化財の仏殿には「八方睨みの龍」が天井に描かれており、皆上を向きながらその眼光を確かめてぐるりと歩いた。ここでは一連の解説を市民ボランティアの方が丁寧にガイドしてくれる。ゆえに、思いのほか予定時間をおしてしまい、一行は足早に次の目的地「かん袋」を目指した。(※南宗寺内はすべて撮影禁止)



『鎌倉時代の甘味』
 南宗寺から徒歩で10分ほど、閑散とした街並に突如人が吸い込まれるように入っていく一軒の甘味処「かん袋」がある。茶道の銘菓としてここ堺のこのお店でしか手に入らないくるみ餅。現主人は27代目。温かいお茶とお餅で一服をして、いざ芸術祭の次の会場へ向けて再出発。



『生活感が残る江戸時代の町家』
 阪堺電気軌道阪堺線(通称チン電)に乗り、「寺地町」から「綾ノ町」まで移動。町家歴史館「山口家住宅」へ到着。ここはその名の通り山口さんというおばあ様が数十年前までお一人で暮らしていたらしい。建物の跡を継ぐ者がおらず堺市へ寄贈され一般公開されることとなった。



 この大きな町家では、三名の作家が展示していた。出展作家のひとりであるウエダリクオさんと会場で合流し、作品解説とともに西土蔵に展示された世界各地の風の作品を観賞。2001年から継続している本作では堺市民の協力を得た新作の三点を加えて全250点より抜粋した一部を展示した。デンマーク人作家スティーン・ラスムッセン(Steen Rasmussen)さんとの共作である。他には、土間にフジオカ・ヨシエさんの金属彫刻、庭園に柴辻健吾さんの石彫が展示。




『列車が駆け抜ける商店街』
 日も暮れ始め、夕方17時にはほとんどの会場が閉館。これ以上作品巡りをする時間がなくなってきたため、作家のウエダさんに地元の観光スポットを案内してもらう。既にシャッター街と化した綾之町東商店街が面白いというウエダさん。その狭く薄暗い様子に一同絶句。しかし、ここの中央にはチン電が通過するため線路で商店街が分断され踏切で歩行を妨げられるという大胆な構造に驚かされる。ウエダさん曰く、全国からマニアが撮影にくるほどの観光スポットだそう。我々も初めて見る摩訶不思議なシチュエーションに大興奮で撮影し列車の通過に歓喜した。



『アトリエ訪問~混沌製作所』
 綾ノ町界隈から徒歩で15分ほど南下するとウエダさんのアトリエ兼住居である。この日のために少し作品制作の過程がライブで観賞できるようにセッティングして頂いた。元鉄工所跡の建物は築90年を迎える。昨年引っ越したばかりだというが、長年の作品や道具類が空間にびっしりと収納されていて建物の強度が心配になるほどであった。ここで3つのウィンド・ドローイングの実演を堪能した後、アルコールやコーヒーで一日歩いた足を休めて二度目の一服をした。
 夕食は、再び堺東駅に戻り、ウエダさん一押しの居酒屋「とっつぁんのおかあちゃん」で海鮮料理を堪能して解散した。



(後記)
 今回のメンバーは大阪、奈良、京都、兵庫からの参加者。主に大阪をメインに活動する面々ではあるものの堺には詳しくない人間ばかり。大阪市から近くて、電車でもいくつかの路線で通過できる好立地だが、今まで特別知る機会がなくぼんやりとしたイメージのまま訪れた。芸術祭でもなければ一日かけて、ゆっくり街を見て歩く機会は無かっただろう。大都市がゆえに、芸術家も産業も多種多様であった。特に今回の発表では現代アートと伝統芸が同じプラットフォームで違和感なく融合していた点が印象深い。街並については混沌としていて公私が入り交じったような自由で個性的。生活感に溢れていた。忘れてはならないのは、ここの人々は1500年以上前からある大小44基の古墳の周囲を取り囲むように生活している。この特殊な環境は堺市民の特権だと羨ましく思う。



(記録:南 なつ)

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第6回 大人の遠足「さかいアルテポルト黄金芸術祭と南宗寺」のご案内(3/20)

2016-03-02 20:54:45 | Weblog
残寒もゆるみ、春が待ち遠しい今日この頃ですが、
皆様いかがお過ごしでしょうか。

本日は今月開催、第6回大人の遠足「さかいアルテポルト黄金芸術祭と南宗寺」のご案内です。

「さかいアルテポルト黄金芸術祭 2016」とは、堺市内の魅力的な地域を使って開催する現代アートの祭典です。
堺を拠点とするまたはゆかりのある国内外で活躍するアーティストの作品を街歩きを楽しみながら観賞しませんか。

美術館のない堺市ですが、かつては千利休や与謝野晶子、刃物や線香や和菓子など職人文化資源にあふれていました。
本祭典は過去の魅力を礎に次世代へ繋げていこうという試みの第一弾です。ビエンナーレやトリエンナーレでの継続を目指しています。

会場は、旧堺港エリア、さかい利晶の杜のある宿院エリア、堺市役所のある堺東エリア、山口家住宅のある綾之町エリアです。
旧境港では海の見えるカフェなどがあり、旧堺燈台からは綺麗な夕日が見えます。
宿院エリアは、チンチン電車が走りフランシスコ・ザビエルにゆかりのあるザビエル公園(戎公園)などがあります。
堺東エリアには、古くからの銀座商店街がありディープなお食事処がたくさんです。市役所のてっぺんからは、世界最大の古墳仁徳天皇陵を上から眺めることが出来ます。

これらの場所に以下の作家達の作品が点在しています。(http://sacayarteporto.com)
↓↓↓↓
【国内参加予定アーティスト】
今井紀彰/ウエダリクオ/大野知英/片桐功敦/小野晃蔵/河合晋平/七野大一/柴辻健吾/Theatre Group GUMBO/田辺小竹/友井隆之/中村岳/滑川みさ/西村佳子/藤井達矢/フジオカヨシエ/松本かなこ/ヨタ(Yotta)
【海外参加予定アーティスト】
Domènec [ドメネク]/Francesca Llopis [フランチェスカ・ヨピス]/Steen Rasmussen [スティーン・ラスムッセン]/Victoria Rabal [ヴィクトリア・ラバル]


また、近隣の観光スポットとして、千利休が修行し沢庵和尚が住職をつとめた禅寺「南宗寺」へも足をのばします。
茶の湯の発展には南宗寺ぬきには語れない。茶と禅を結びつけた拠点と言われています。

どうぞ、ご参加お待ちしております。


◎日時 2016年3月20日(日)13:00~夜 ※雨天決行です

◎集合場所 南海高野線「堺東」駅(市役所方面 西出口)

◎行程 芸術祭観賞(堺東エリア/宿院エリア/綾之町エリア)→チンチン電車で「南宗寺」→ 銀座商店街でお食事・解散

◎参加費 芸術祭は無料、有料施設およびお食事代は実費

◎参加申込 3月16日(水)までにメールでご返信下さい


[ 企画 ]JICP 事務局 南、郷戸、中野
このメールに返信でも結構ですし、
下記アドレスに参加申込メールを送っていただいても結構です。
よろしくお願いします。
info.jicp@gmail.com
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第48回 JICP会合「余白の世界」備忘録(要旨)

2016-01-08 15:35:20 | Weblog
新年あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
昨年11月に開催した講演会の記録をアップさせていただきます。

*   *   *

第48回 JICP会合 「余白の世界」 水墨画家 濱中応彦氏
 日時:2015年11月18日(水)18:30―20:30 
 会場:大阪府立江之子島文化芸術創造センター 2F ルーム8

【水墨画とは】
墨さえ使えば水墨画と言われています。
水墨画は、塗る(ペインティング)のではなく、筆勢によって描く(ドローイング)、修復のできない世界です。作家のイメージに加えて、水と紙にゆだねる部分があります。ですから仕上がった画は、「こうしたい」という作家本人の思いにとどまらず、「こうなったんだ」という世界になるんですね。
陶芸にも似ています。「窯の蓋を開けてみたら、こうなったんだ」と言う世界と同じです。

水墨画は彩色せず墨の色のバリエーションで表現します。色を押し付けるのではなく、どのように色を感じてもらえるのか、観る人にゆだねる世界です。観る人と対話する絵画です。




【日本と中国、水墨画の違い】
中国の水墨画の描き方は鉤勒法(こうろくほう)といって線描きが多く、日本では没骨法(もっこつほう)という面描きが主流です。面描きは線描きよりも水を多く使うので、水に強い紙が必要です。
ですから紙も麻紙(まし)や楮紙(こうぞし)といった水に強い紙を使います。
日本人は水に耐えうる紙を作ってきたのです。中国の紙を使って、日本の画法で水をたっぷり使って描くと破れてしまいます。日本と中国の水墨画は、そういうところにも違いがあります。



【日本の精神性】
日本では昔から中国の文化をそのまま真似るのではなく、日本の風土性をとり入れて独自の文化として育んできました。
例えば、お茶についてもそうですね。お茶をただ味わうだけではなく、正客(しょうきゃく)と主がお茶を介して時間を共有する。そのための「しかけ」が、茶庭の飛び石や「にじり戸」を辿って行きつく二畳台目(にじょうだいめ)です。飛び石を注意しながら渡り、「にじり戸」をくぐることで肉体的な刺激を受け、同じ精神性を共有する。そういう茶席の文化が育まれてきました。

庭造りもそうです。中国から伝わった庭の様式とは異なり、日本独特の庭造りが行われてきました。
夢窓疎石(むそうそせき)が創った枯山水に代表されるように、水のないところに水の流れを感じさせ、また「ししおどし」で静寂を表現する。見たまま、聞いたままでなく、そこに何かを“感じる世界”です。

木造建築も然り。日本の風土性に合わせて釘を使わない建築を生み出しました。何故でしょうか?日本は湿度が高く、釘が錆びやすいからです。そのために釘を使わずに建造します。そこに匠の技が必要となります。考えて、考えて、風土性に合うものを創り出す、そういうDNAが日本人の中にあります。

【間とは】
音楽、演劇、水墨にしても、最終的にたどり着くのは「間」(ま)です。ある時に、人間国宝の方が舞いをされている最中に扇子を落とされました。誰が見ても失敗をして落としたと思うのですが、彼はすぐには拾わないで床に落ちた扇子を主役に仕立てたのです。そして優雅に舞いながら扇子を拾ったのです。落としたのも芸のうち、というのが素晴らしい。人間は鍛練していくと「間」がすべてであることに気づきます。

水墨も「間」が大切です。「間」は読み切れないところもありますが、それを自分のものにするには、やはり鍛練が必要なのです。宮本武蔵が『五輪書』に鍛練と言う言葉を残しています。
人にはそれぞれ癖があります。その癖を自分のリズムとして磨き、鍛練することで「間」が生まれます。

【余白とは】
余白については絵、お茶、庭、建築すべてに共通することがあります。
《ホワイトボードに図を描く》(イ)(ロ)広がりについて説明します。


(イ)、(ロ)のどちらに広がりを感じますか?(ロ)のほうが枠からはみ出るリズムや動きを感じませんか。それが広がりを感じるということです。はみ出る状態をどう捉えるか。
余白というのは“ただ何もない”のではなく、そこに何かを感じるための導きなのです。すべてに共通するのは、感じることです。導きの中に感じさせることが大切で、それが「余白」です。

注)鉤勒法(こうろくほう):筆線で丁寧に物象の輪郭をとらえる技法
注)没骨法(もっこつほう):輪郭線を引かずに水墨や彩色の広がりある面によって形体づける技法
注)二畳台目(にじょうだいめ):丸畳二畳と台目畳一畳で構成された茶席の事で3畳に4分の1足りない広さ
注)夢窓疎石(むそうそせき):造園術に優れた臨済宗の僧。天竜寺、西芳寺など築庭

【質疑から】
◆ 余白は紙の白い部分ではありません。有るものを取っていく、引き算の世界です。でないと「描かずして描く」世界になりません。
水墨の世界は深く深く心で感じるところの日本の精神性があります。
◆ 日本には季節感を表現できる環境があります。絵の中にただ描くのではなく、ストーリー性があります。そして、日本には余白の文化があります。
長谷川等伯は「松林図」屏風では絵の中ストーリー性をつくり、余白/空間を描きました。主役は脇役があってこそ成り立ちますね。
◆ 昔の絵は伝達の手法としての役目もあったが、今はインテリアの中でどう対話するか、エネルギーを与えてくれるのかの要素に変わってきつつあります。インテリアや建築が絵を選ぶようになったと気づきました。
◆日本人は世界から見るとあいまいな人種と見られがちだが、そうではない。日本の誇るべき文化である俳句や水墨画にも、きちんとした定義があります。決してあいまいな文化ではありません。

(記録・郷戸)

【後記】
最後の方で、濱中先生がおっしゃいました。「余白は白だけではなく、黒でも同じではないかと思うようになってきた」と。つまり、何も描かれていない空間に何を感じさせることができるのか、
ということでしょうか。
RaRa Projectの映像制作で「余黒(よぐろ)」という言葉が出たことがあります。それは、通常であれば、映像を撮影画面で全部埋めるのですが、そうではなく実際の画面を小さくして廻りを黒のままにしたことです。
見ている人がそこに何かを感じ完成させる世界。無限の世界がそこには広がっています。
余白の美は奥が深いです。
濱中先生、ご講演をありがとうございました。
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