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六代目三遊亭円生の噺、「稲川」 関西相撲のさわりの部分です。

2014年11月07日 | 落語・民話

六代目三遊亭円生の噺、「稲川」(いながわ)によると。
 

 大正2年の頃小染川(こそめがわ)という大阪の相撲取りが東京に出てきて、当時絶大な技量を持っていた横綱太刀山(たちやま)に破れた。

魚河岸の旦那連中に呼ばれ、太刀山に負けるのは当たり前だと慰めた。

その席で、金糸で魚河岸の名が入った廻しを贈られた。

魚河岸全体からの廻しは彼と小野川喜三郎しか居なかった。

 大阪の稲川という力士が東京に出てきて勝ち進んだが、どこからも贔屓の声が掛からなかった。

この場所を最後に帰ろうと思っていた。

宿を外から覗く乞食が居た。

稲川に会いたいという。

贔屓になりたいので私の蕎麦を食べて欲しい。

稲川は乞食が持ち込んだ竹の皮に包まれた蕎麦と欠けた茶碗で美味しそうに食べた。

大名の前で山海珍味をいただくのも、お菰(こも)さんからいただく蕎麦も贔屓の二字に変わりはない。

 わしは、恥ずかしながら江戸で贔屓は貴方が最初だ、末永くお付き合いをして欲しいと頭を下げた。

 気分が悪かったでしょう、お口直しを差し上げます。

と、外に待たせてあった仲間に合図して酒肴を運び込んで、乞食は早変わりで魚河岸の旦那に戻った。

 私は魚河岸の新井屋と言う者で

「大阪で関取を見て良い相撲取りだから江戸に出てきたら、何かしたいと思っていたが忙しく時間が過ぎていっ  た。

 その話を仲間内の寄り合いで話したら、

 『強いが人気がない。乞食が持って行ったら食べてくれるだろうか』

 となったが、誰一人食べるという者は居なかった。

 もし食べたら河岸中で贔屓になってやると話がまとまった。

 その茶番に私が出たが、天下の関取に申し分けなかった。

 大名でも乞食でも贔屓の二字は変わらないと言うのを聞いて、今度は私たちが大阪に返さない」。

 それを切っ掛けに大いに人気が出た。

 大阪天下茶屋に安養寺という尼寺に墓があります。

池田から出ました稲川重五郎の話で、「関取千両幟」のモデルになった、関西相撲のさわりの部分です。

 

 

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