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三代目 桂三木助の噺、「三井の大黒」

2015年05月20日 | 落語・民話

 三代目 桂三木助の噺、「三井の大黒(みついのだいこく)」によると。
 

 江戸時代には八丁堀が神田にもあった。

今川橋の近所の銀町(しろかねちょう)に普請場があった。

 甚五郎は普請場まで来ると、働いている大工を見て、へたで、ぞんざいだとつい口から出てしまった。

それを聞いた職人達は甚五郎をみんなで殴りつけてしまった。

そこに棟梁の政五郎が来て収めたが、聞けば上方の大工だという。

まだ決まった先がなければ、何かの縁だから政五郎の家に来たら良いと、勧めた。かみさんが居たら先に相談した方が良いし、結果離縁話しになるよと言う。

絶対そんな口は聞かせないと橘町(たちばなちょう)の家に連れ帰る。
 おかみさんにも紹介して、聞くと生国は飛騨の高山だと言うが、腕の立つ大工の多くが居る所で、そのうちでも有名な日本一の名人甚五郎も同郷なので知っているだろう、と問うた。

名前を聞かれたが、それは私だとは言い出せず、即答出来ずに忘れたと逃げた。名無しでは困るので”ぽんしゅう”とバカにされた名前をもらった。

 次の日、忙しいので朝から仕事を頼んだ。棟梁の道具箱を借りて出掛けたが、板を削れとの指示で、カンナの刃を研いて3時頃になって、初めて削り始めた。

2枚の板をピタリと合わせて、剥がせるものなら剥がしてご覧と言ったが、誰も剥がせなかった。

それを見届けて先に帰ってしまった。

政五郎はぽんしゅうに小僧の仕事、板削りをさせたとは生意気だと怒鳴りつけた。

誰だってそんな仕事はいやだから、具合が悪いと口実付けて帰ってくるのは当たり前だと、説教した。

ぽんしゅうには気が向くまで2階で、寝ていて良いと言い付けた。

 そうなると、女房は愚痴りだし、離縁してほしいと言い出した。

やはり、そうなったかと女房に納得してもらい、ぽんしゅうに2階から降りて来てもらった。

 お前さんも分かったと思うが、江戸では表向き100人の職人の手が掛かっていると思っても80人しか掛かっていない。

反対に上方では100人の所150人掛かっている。

江戸は火事早いから手が掛けられない。

腕があるから上方で仕事をした方が良いと勧めた。

暮れが近づき、春まで遊んでも居られないので、暮れの市(いち)用にアルバイトで、踏み台、ゴミとり、など作ったらと勧めたが乗り気にならない。

それでは彫り物が出来るだろうから、恵比寿・大黒等はどうか。

と言われて思い出した。

 去年、国を出る前、江戸の越後屋から恵比寿様に対になる大黒の彫り物を依頼されていた。

2階に上がって、彫り物に取り組みだしたが、政五郎は数多く彫り上がるだろうと思っていた。

出来上がったからと風呂に行った間に2階に上がってみるとどこにも無い。

たった一つ、3寸(9cm位)近い大きさの大黒があり、その大黒がニャっと笑ったように思えた。

 その時、越後屋の番頭が来て、甚五郎様が出来上がったので、渡したいとの書面をいただいたので伺ったと挨拶した。

政五郎はこの時、ぽんしゅうはあの名人甚五郎であることを悟った。

風呂から帰った甚五郎に、水くさいというと、甚五郎も日本一と言われたので、名乗る事が出来なくなってしまい、申し訳ないと詫びた。

大黒と引き替えに内金の30両と持参した70両、合わせて100両で引き渡し、また、酒と別にお肴代として10両受け取った。

 運慶作の恵比寿様の木彫りには「商いは濡れ手で粟の一つ神(ひと掴み)」と唄が付いていて、その唄に「護らせたまえ二つ神達」と下の句を付けた。


三井に残る甚五郎の大黒様でございます。

 

 

     

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