無理しないでボチボチ

ジョークとニュース間違え無いように  

全てNETのコピペで出来ています。不都合なものは連絡ください。

立川志の輔の噺、「帯久」

2014年12月15日 | 落語・民話

立川志の輔の噺、「帯久」(おびきゅう)によると。
 

 日本橋本町三丁目に呉服屋和泉屋与兵衛が住んでいた。

隣町本町二丁目に帯屋久七が住んでいた。

和泉屋与兵衛さんは大変繁盛していて篤志家であったが、帯屋さんは陰気で売れなかったので、世間では”売れず屋”と呼んでいた。

 帯屋さんは3月ごろ和泉屋さんの所に無心に来て、20両の金を借りた。

与兵衛は証文無しで期限も定めずに貸したが、20日程しないのにきちんと完済した。

5月には30両、7月には50両、9月には70両、と借りたがやはり20日ほどで返した。

11月には100両貸したがその月には返済がなかった。

12月大晦日、多忙な時に返しに来たが、久七と100両を残したまま、与兵衛はすぐ出掛けてしまった。

その金100両を盗んで久七は帰ってしまった。

 店中探したが当然無かった。

ところが、帯屋はこの金を元手に大繁盛。

一方和泉屋は一人娘と妻を相次いで亡くして、享保6年12月10日神田三河町から出た大火事で本町三丁目まで焼け、全てを無くし気力を無くして床につくようになった。

 番頭の武兵衛が分家をして和泉屋と名乗っていたが、こちらも落ちぶれて日雇いになっていた。

それでも主人を引き取って介抱し、アッという間に10年が経ってしまった。

快復した与兵衛は還暦を迎えていた。

 与兵衛は番頭の武兵衛に店を持たせようと、帯屋久七に金を借りに行ったが、悪態を付かれて店先に放り出されてしまった。

帰る意欲もなくして、帯屋の裏に回ると離れを普請していた。

そのカンナっくずにキセルを叩いた火玉が燃え移り煙が上がった。

放火の罪で町方に捕まってしまった。

 役人が自身番で話を聞くと、篤志家の与兵衛のことは良く知っており、窮状に同情、不問にした上1両の金をみんなで出し合って家に返してやった。

 これを聞いて激怒した久七の方では、今回のことが元で100両の一件が露見しては、と火付けの罪で与兵衛を訴えた。

 大岡越前守はそれぞれの様子から全てを見抜いたが、現行犯でもあり免罪する事は出来なかった。与兵衛に火あぶりの刑を申し渡した。

 そこで、久七に、「100両を返しに来たが主人が出掛けたので、間違いがあってはと持ち帰ったのを忘れたのではないか」と優しく尋ねる。

帯久があくまでも白を切るので、人指し指と中指を結び、「これは忘れたものを思い出すおまじないだ。

勝手に解いてはならんぞ。

解いたら死罪、家財没収。」と言い渡した。

帯久は指が使えないのでにぎり飯しか食えず、眠れず、とうとう3日目に確かに持ち帰って、忘れていましたと申し出た。


 100両を返す。奉行は利子として、年に15両、10年で150両を支払うよう命じる。

ただし100両は棚上げし50両だけをどの様に返すのか聞くと、帯久はケチって年賦として毎年1両ずつ返却するという許しを得、証文を作った。

これで損はないとほくそ笑む帯久。

 火付けの与兵衛には火あぶりの刑の判決であるが、ただし50両の残金を全て受け取ってからの執行とのお裁き。

驚いた帯久がそれなら今50両出すと言ったが、越前にどなりつけられ渋々納得する。

「与兵衛、その方何歳になる?」

「六十一でございます」

「還暦か・・・めでたいの~」

「還暦の祝いにこのうえない見事なお裁き、有り難うございます」

「見事と言うほどではないのだ、相手が帯屋だから少々きつめに締め上げておいた」。

 

 

 

          面白かったら、「ブログランキング」 

              

          人気ブログランキングへ↑↑↑↑↑↑↑↑       

 

 

ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 五代目柳家小さんの噺、「粗... | トップ | 選ばれたのは綾鷹でしたー! »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

あわせて読む

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
ブログ作成者から承認されるまでトラックバックは反映されません。