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五代目古今亭志ん生の噺、「名人長二」

2015年04月21日 | 落語・民話

五代目古今亭志ん生の噺、「名人長二(めいじん_ちょうじ)」によると。


 

 これは享和(きょうわ)二年に十歳で指物師(さしものし)清兵衛(せいべえ)の弟子となって、文政(ぶんせい)の初め廿八歳の頃より名人の名を得ました、長二郎(ちょうじろう)と申す指物師の伝記でございます。

 およそ当今、美術とか称えまする書画彫刻蒔絵(まきえ)などに上手というは昔から随分沢山ありますが、

名人という者はまことにまれなものでございます。

通常より少し優れた腕前の人がひと勉強いたしますと上手にはなれましょうが、名人という所へはたゞ勉強したぐらいでは中々参ることは出来ません。

自然の妙というものを自得せねば名人ではございません。

此の自然の妙というものは以心伝心とかで、手をもって教えることも出来ず、口で云って聞かせることも出来ませんゆえ、親が子に伝えることも成らず、師匠が弟子に譲るわけにもまいりませんから、名人が二代も三代も続くことは滅多にございません。

落語界では三遊亭圓朝という師匠は本当の名人で、500人の弟子を抱えていました。

さてこの長二郎と申す指物師は無学文盲の職人ではありますが、仕事にかけては当時無類と誉められ、江戸町々の豪商(ものもち)はいうまでもなく、大名方の贔屓(ひいき)をこうむったほどの名人で、其のこしらえました指物も御維新前までは諸方に伝わって珍重されて居りました。

そのうえ、道楽はせず恵まれない人に施しをするのを唯一の楽しみとしていました。

 蔵前の坂倉屋助七(さかくらや すけしち)という大店に出入りしない者は一人前といえないぐらい力を持っていた。

そこから長二に仕事の依頼をすると断られた。

主人が丁重に出直し謝って、銘板・桑板を支給して頑丈で見てくれのイイ仏壇を作ってもらった。

しかし100両という大金を請求され、娘・お島が止めるのを聞かず、騙ってると疑って坂倉屋は才槌で叩いたが壊れなかった。

長二は持って帰ると言い張ったが坂倉屋は人を疑う事がいけないと言うのが良く分かったから、千両で置いていってくれと懇願したが、手間の百両だけ持って帰っていった。

その見事さにお島は惚れ惚れと見送った。

 長二は自分の背中に指の先の入る程の穴があるのを、九歳(こゝのつ)の時初めて知って母に尋ねると、母は泣いて答えません。

自分も其の理由を知らずにいた処、十一月職人の兼松と共に相州の湯河原で湯治中、温泉宿へ手伝に来た婆さんから自分は棄児(すてご)であって、背中の穴は其の時受けた疵である事が分かります。

長左衛門夫婦は実(まこと)の親でなく、実の親は名前は分らないが、自分達の悪い事を掩(おお)わんがために棄てたのであるという事を初めて知った。

実の親の非道を恨み、養い親の厚恩に感じて、養い親のため仏事を営み、菩提所の住持に身の上を話した。

その時、幸兵衛に面会したのが縁となり、其の後いろいろの注文をして過分の手間料を払い、ひとかたならず贔屓にして、度々尋ねて来る様子が如何にも訝(おか)しくあった。

 殊に此の四月、亀甲屋幸兵衛夫婦が尋ねて来た時、 幸兵衛の妻お柳が急病をおこし、また此の九月柳島の別荘が出来上がり招かれ、余儀なく身の上を話して、背中の疵を見せると、お柳が驚いて癪(しゃく)を発した様子などを考えると、お柳は自分を産んだ実の母らしく思える。

手を廻して幸兵衛夫婦の素性を探索すると、間違いなさそうでもあり、また幸兵衛が菩提所の住持に自分の素性をくわしく尋ねたとの事を聞き、幸兵衛夫婦も自分を実子と思ってはいるが、棄児にしたかどがあるから、今さら名のりかねていたのだろう。

よそながら贔屓にして親しむのに相違ないと思う折から、去る九日(こゝのか)の夕方(ゆうかた)夫婦して尋ねて来て、親切に嫁を貰えと勧め、その手当に五十両の金を遣るというので、もう間違いはないと思った。

 自分から親子だと名のってくれと迫った処、お柳は顕(あら)われたと思い、びっくりして逃出そうとする、幸兵衛は其の事が知れては身の上と思ったと見え、自分を気違だの騙(かたり)だのと罵(のゝし)りこづきまわして、お柳の手を取り、逃帰った。こんな人から、一文半銭たゞ貰う謂(いわ)れがないから、跡に残っていた五十両の金を返そうと二人を追いかけ、先へ出越して待っている押上堤で、図らずお柳と幸兵衛の話を立ち聞き正(まさ)しく実の母親と知った。飛出して名のってくれと迫るを、幸兵衛が支えて、粗暴を働き、短刀を抜いて切ろうとするゆえ、これを奪い取ろうと悶着の際、両人に疵を負わせ、遂に落命させた。

 外泊などはしない長二が珍しく酔って、親方の家を訪ねてきた。

親方の作った茶箪笥にケチを付けて、壊れるような物を作っているようでは大したことはないと、毒づき、持ってきた槌で叩くと木っ端みじんになった。

こんな親方の下で弟子だと言われたくないと啖呵を切って、縁切り状を書いて出ていった。

 その明くる日に、奉行所に出頭し親殺しだと自首して裁きを受ける事になった。

仔細を話すと親の恥が出るので、話せないからこのまま処刑して欲しいと言うばかりであった。周りの者の話を聞くと身柄良く、親思いで長二の悪いところは何処にもなかった。

残された50両の金子から、金取りが目的だろうと追求され、そんな卑しい事ではないと、一点の偽りなく事の顛末(てんまつ)を申し立て た。

 親方に累が及ぶのを心配し縁切り状を書いたり、長二が品行良く名人だと分かり、名人は国の宝だというので、どうしても奉行は助命したかったが、親殺しの罪状が盾になってどうしても罪状を消す事が出来なかった。

 たまたま奉行の屋敷に行儀見習いに来ていた坂倉屋助七の娘お島、名を改め島路(しまじ)からも長二の気っぷの良さについて聞かされていた。

 調べていくと、亀甲屋の元の主人は半右衛門で、女房お柳は経師屋の幸兵衛と密通していた。

出入りの医者に薬をもられ”病死”し、後添えとして幸兵衛が入り込んだ。

全てお柳、幸兵衛、女中、医者が100両で、ぐるになって仕掛けた殺人だった。

 長二は半右衛門とお柳の実子であったので、後添えの幸兵衛は親殺しにならないが、お柳は実の母親だったので死罪は免れなかった。

そこで中国の故事を調べると、離縁をした女房が死んだが、息子には喪につかせなかった。

その理由として離縁した女房は他人だから喪服は着せないと言う事であった。

奉行はその話から、実夫半右衛門は死んだ世界で、自分を殺したお柳を離縁しているであろうから、既に母親ではない。

この事から親殺しにあたらないと裁決した上に、親の仇を討ったとして褒美を授けた。

 

 

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