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志ん生の「びんぼう自慢」

2014年10月30日 | 落語・民話

志ん生の「びんぼう自慢」からナメクジ長屋
 

 当時志ん生は柳家東三楼(とうざぶろう)と言って、金語楼とは兄弟弟子であった。預かった着物をまげて(入質)、師匠の三語楼には出入り出来なかったが、金語楼に頼んで寄席に出られるようになった。志ん生34歳で関東大震災の直後であった。
 
 笹塚で一生懸命つとめていると、それから間もなくでしたよ。浅草の立花館てえ寄席の楽屋で、ョイショ(太鼓持ち)をやっている男が、
 「店賃のいらねえ家があるんだが、誰かかりる人ァいませんかね」
 と、わきの人に話をしている。タダの家なんて耳寄りな話ですから、
 「えェ、そりゃァ、一体、どこだい?」
 とわたしがきくと、
 「本所の業平ですよ。電車の停留所はすぐ近いし、いま入ってくれりゃァ、家賃は本当にタダだって、大家ァいってますよ」
 「大方、半分かしいだ、化けもの屋敷と違うかい」
 「冗談じゃァありませんよ。長屋だが、六畳と二畳で、家ァ出来たてのホヤホヤですよ。ウソだと思ったら、案内してあげますから、見にいらっしゃいよ」
 半信半疑で出かけましたよ。本当にそんなところがありゃァ、道端にダイヤモンドが落っこちていて、 ひろって来てもお巡りさんにつかまらねのと同じですから、その足でついて行ったんです。
 するとどうです。まだ真新しい長屋がズーッと三十軒ばかりならんでいて、全部空家だが、電気も水道もある、たしかに六畳と二畳です。表通りの角の帽子屋さんが家主てえからのぞいてみると、おやじさんがいて、
 「あんた、はなし家さんならちょうどいいや、いまなら家賃はおろか、敷金もいりませんから、ぜひ入ってください。そうして、大いに宣伝していただいて、長屋が一ぱいになれば、あたしんとこはもとが取れますから、こっちから、お願いしますよ」
 てえから、こんなにありがてえ話はない。幸せを絵に描いたようなものですよ。
 「それじゃア、お言葉に甘えて、あしたにでも引ッ越して参ります」
 てんで、すぐきめてしまった。

 笹塚での生活てえのは足かけ五年ほどですが、前にも申しあげたように、あっちこっちを四回もかわって歩いて、どこも家賃を払ったことがない。本当は、どこの家も六円か七円ぐらいの家賃なんだが、 払ったことがないから、いくらでも同じことです。
 家賃が払えないくらいだから、米屋だの、酒屋だの、借りっ放しです。朝晩、大家と顔ォ合わすのがつらくってしょうかないから、うっかり水なんぞくみに行けないですよ。夜中にこっそり、かかァと二人で表の井戸へくみにゆくてえ始末です。
 引っ越すのは、おあつらえだが、引っ越すについては、いくらかとなり近所へあいさつしなけりやァならないからゼニがいる。そのゼニがないんだから、逃げ出すよりしようがない。そこで、夜逃げをすることにきめたんだが、荷車ァかりるのにマゴマゴしていて、朝逃げになっちゃった。
 荷物といったって、布団に風呂敷包みと、それに箱が二つ三つぐらいのものだから、何もありゃァしません。その上に喜美子ォのせて、前をあたしが引っぱる。かかァは清をおぶって、うしろから押す。美津子は、もうそろそろ学校へ上がろうてえ年だから、歩いてついてくるてえ道中です。
 四谷あたりまで来るまでは、あとを迫っかけられてるんじゃァねえかと、そりゃァ心配でしたよ。よく、途中で、お巡りさんに声かけられなかったもんですよ。


 業平へついたのは、もう昼もとっくにすぎた時間で、何しろ、九月の、まだ暑いさかりで、いやァ、ひや汗と両方で汗一ぱいでした。荷車は、友達があとから取りに来てくれましたよ。

「あとをたのんだよ」
 てんで、あたしは、その晩、すぐ浅草の金車亭へ商売ェに出かけて行ったが、夜になって帰ってみる と、おどろきましたね。あたしんとこ一軒だけが灯が点ってるから、蚊の野郎が、そこんとこにだけ集まって、運動会をやってやがる。
「おう、いま、けえったよ・・・」
 っていおうと思ったら、途端に蚊が二、三十も口の中へとび込んで来やがって、モノがいえやしない。 かかァなんぞ、破れ蚊帳の中で、腰巻一つになって、ベタンとすわってやがる。
 二、三日たって、大雨が降ったら、こりゃアひどいですよ。泥がつまってるとみえて、ドブ板が浮き上がって、水が家ん中まで、「こんちわ」もいわないで入って来る。
 業平ってえと、在原業平かなんか思い出して、知らないかたは、ちょいとイキなところだろうと思うでしょうが、とんでもない。もともと、池か沼だったところが、関東大震災のときからゴミすて場になった。そういうところを、そのままほォっておいては、衛生上よくないてんで、上に土をバラパラとまいて、バタバタと長屋ァおッ建てたんですな。排水だの、衛生だの、そんなこたァ一向にかまわないから、モノのわかった人は、見ただけで借りやしない。
 住むつもりでやって来た人もあるが、二、三日住んでみて、いのちあっての物だねとばかり、すぐどっかへ行っちまう。そこで、まず家賃をタダてえことにして、カモをおびき寄せる。一軒住めば、あとは順々に埋まるだろうてえ家主の心づもりだったんですよ。
 なんのこたァない、あたしがそのオトリみたいなことになったんですな。そういえば、注意してみると、はじめっから柱の下のところには、シミが一ぱいありましたよ。
 あたしのあとから入った人は、タダじゃァありません。六円ばかり家賃がついている。
 なるほど、これじゃァ、あたしんとこだって、タダでなきゃァ、二、三日で逃げ出したかもしれません。
 東武鉄道に業平橋てえ駅があるでしょう。都電の通りにも業平橋てえ停留所があります。あの、都電の大通りから、ちょいと南のほうへ入った通りの、すぐ裏手ですから、地の利としちゃァ、そう悪かァない。
 傘ァさしちゃァ通れないような路地ィ入ると、三軒長屋が六棟、四軒長屋が二諌、肩ァすぼめてならんでいる。あたしんとこは、手前から二側目の、四軒長屋の二軒目てえことになる。
 台所と玄関と兼用の土間があって、となりが二畳で、奥が六畳、その向こうに廊下があって便所があって、たったこれだけの間取りです。となり近所、全部同じなんです。

 そのうちにだんだん人が入ってくる。こんなところへ来る人てえのは、だいたい、生活が似ているか ら、気が合って、すぐ仲よしになる。あたしんとこの右どなりは、ビールの口金をくりぬく人、左とな りは時計の腕皮屋さんです。お向かいはてえと、お膳をつくる職人と、一銭コロッケ屋と、大工と左官がならんでいる。ほかに紙芝居屋だの、下駄の歯入れ屋だの、そういう人たちでした。
 みんな気分がよくって、わるい野郎なんぞ一人もいない。
 小学校もすぐ近くにあるから、美津子もそこへ上がりました。

 あの辺はほんとうに蚊が多いとこですが、あたしの住んだところは、まして、そんな.ジメジメしたところだから、いるなんてえ生やさしいものではない。夜が忙しいから、ひる間はてえと、天井なんぞにはりついて休んでやがる。まっ黒に見えるほどいるんですよ。だから、蚊帳てえものは、いのちの次ぎぐらいに大事です。寝るときなんぞ、布団なんかなくたって、蚊帳だけあればいいてえぐらいのものであります。
 あたしのとこも、笹塚から持って来た蚊帳ァあるにはあるが、もともと安物で、色なんぞすっかりあせている。そこへ子供が踏みぬいたり、あたしがトラになって帰って来て、乱暴にあつかうもんだから、 ところどころ破けている。そこを、かかァがツギをあててごまかすんだが、布がマチマチだから、花色木綿がはりついていたり、中にやァ赤ん坊のおむつのお古がくっついていたりする。

 いるのは蚊ばかりかと思うとそうじゃァない、蝿がいて、なめくじがいて、油虫がいて、ネズミがいるってんですから、人間のほうがついでに住んでいるくらいのものであります。
 地面か低くって、年じゅうジメジメしていて、おまけに食いものがあるてえことになると、なめくじにとっちゃァ、この世の天国みてえなところとみえて、いやァいましたねえ。虫の中の大看板はこいつです。

 出るの出ねえのなんて、そんな生やさしいものじゃアありません。なにしろ、家ん中の壁なんてえものは、なめくじが這って歩いたあとが、銀色に光りかがやいている。今ならなんですよ、そっくりあの壁、切りとって、額ぶちへ入れて、美術の展覧会にでも出せば、それこそ一等当選まちがいなしてえことになるだろうと思うくらい、きれいでしたよ。
 かかァが蚊帳の中で、腰巻一つで、赤ん坊ォおぶって、仕立物かなんかの内職をしていると、足の裏のかかとのところが痛くなったから、ハッとふりかえると、大きななめくじの野郎が吸いついてやがる。 なめくじがこんな助平なもんだとは、あたしゃァそれまで知らなかった。
 なめくじといったって、そこいらにいるような可愛らしいのじゃァない。五寸(15cm)くらいもあって、背中に黒い筋かなんかはしっているのが、ふんぞりかえって歩いている。きっと、なめくじの中でも親分衆かいい兄ィ分なんでしょうねえ。
 もうそんな奴になると、塩なんぞふりかけたってビクともしやしない、キりで突いたっててんでこたえない。血も出やしない。血も涙もねえ野郎ってえのは、きっとあァいう奴のことをいうんでしょう。 しようがねえから、そんなのを、毎朝、十能にしゃくっては、近くの溝川(どぶがわ)へ捨てに行くんだが、出てくる奴のほうが多いから、人間さまのほうがくたびれちまう。
 夜なんぞ、ピシッピシッと鳴くんですよ。奴さんにすれば、歌でも歌ってるつもりだろうが、あいつは薄ッ気昧のわるいもんでしたよ。
 なめくじは、別にあたしの家ばかりじゃあない。長屋じゅう同じなんですよ。一つしかない水道の回りに朝なんぞみんな集まっては、
「ひょっとすると、東京のなめくじが、みんなウチの長屋へ集まって来てんじゃないかねえ」
 なんて話をしている。

 そういう具合でありますから、長屋の中には秘密なんてえものがない。なんでもかんでも素通しです。仲がいいんですよ。
 醤油を切らしたといえば、となりがかしてくれる。お荼がないといえば、向かいの人がかしてくれる。となりが魚のアラを買ってくると、こっちから大根を出して煮て、そいつをわけ合ってたべるてえ具合で、お互いに都合しあって暮らしている。
 誰か体の具合でもわるいてえと、まわりのおかみさん連がドヤドヤッとやって来て、くすり屋へ走ってくれる。湯タンポをもって来てくれる。長屋のすぐ裏手が製氷会社だから、そこへかけ合って、氷を 一貫目ばかり持って来てくれるってんで、そりゃァ人情てえものがありましたよ。
 だから、みんな、長屋じゅうが一軒の家みたいでしたよ。夫婦喧嘩も、子供のいたずらも、どこの家へ客が来たなんてえことも、すぐにわかってしまう。

 人の心のふれ合いてえものは、暮らしのよしあしとは違いますねえ。お互いが理解し合って、助け合て、一緒になって笑ったり、泣いたりする。あたしなんぞ、いまでもあの時分の、なめくじ長屋の生活てえのが、とってもなつかしく思い出されてきます。

後年、息子の志ん朝は「親父はけっして貧乏でなかった。好きな事をして遊び歩いていた。貧乏だったのは母親と私たちだった」と、述懐していました。 志ん生自身も笹塚とここ業平の事は後になっても、細かい事はあまり語りたがらなかった。

 

 

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