家庭教育の大切さに涙が出てくる。
勉強しろ、宿題やれ、としか言われず、
力ずくで勉強をさせられた環境。
興味・関心があることについて、
伸び伸びとできる状況ではなかった。
父親にファミコンのゲームで勝てば、
コントローラーを投げつけられ、怒られてしまう一方で、
将棋で僕自身が負けそうになると父親から笑ってバカにされる。
その嫌味な笑顔に腹が立ち、キレて駒を投げつけるとまた怒られる。
そんな状況だから、いつしか父親とは将棋を指さなくなった。。。
よくそんな状況で、ここまで生きてこれたと思う。
よくそんな家庭環境で、結婚や子どもを授かることができたと思う。
ここまで本当に良く頑張ったよ。
みんな幸せそうに過ごしているよね。
奥さん、子どもと幸せそうに過ごす写真がFacebookに出ているよね。
きっと温かい家庭で過ごすことができたんだろう。
親の方針が正しかったんだろう。
僕はどうなのかな。
全く正しくない訳ではないけど、
良い教育方針ではなかったと思う。
生まれてから着実に人と比較する習慣を身につけ、
人に勝つために努力や工夫という名のズルを覚え、
認められることをただひたすら求め、頑張ってきた。
本当はそれがしたいわけではないのに。
本当の自分は誰とも比較して欲しくなかった。
ありのままの「自分」を受け入れて欲しかった。
負けても良い、劣ってても良い、テストで点数が取れなくても良い、
そんな温かい家庭で過ごしたかった。
親戚のおじさんの家に行ったときに衝撃を受けた。
なんて、生ぬるいんだというのが正直な感想。
うちでは、高校生くらいまでリビングで、
ゆっくりすることはいけないこと、と教えられてきた。
だって、勉強しなきゃいけないんだから。
テレビを見ることは悪いことだ、と教えられてきた。
だって、勉強しなきゃいけないんだから。
恐怖と力ずくで、人をコントロールすることしかできなかった家庭。
感情的に怒ることで、子どもが自分の意志に添うように操ってきた家庭。
そんな家庭で育った僕は、結局、その方法を使ってしまったんだ。
感情的に怒ったり、相手をねじ伏せることで、問題を解決しようとした。
そのせいで、人を傷つけてしまうこともあった。
だから、僕はいつしか、喧嘩するほどの関係性になることを恐れ、
相手と距離を取ることを覚えた。
また、自分に余裕がある状態を維持し、
怒らないようにすることを覚えた。
これが僕の処世術。
また色々書いていこうと思う。
おわり