King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

ブランドの限界珈琲の場合

2016年08月10日 13時08分56秒 | 珈琲
世にブランド好きというと軽薄、自己顕示欲と
いう代名詞のようにとらえられていますが、やむにやまれず
ブランドに頼るケースも時にはあるようです。

珈琲の場合はどうでしょうか。

味という大前提があるのですが、珈琲の場合プランドが
優先されているという印象はたびたび感じます。

業界でもそのブランドをいかに築くかに汲々とする姿が
たびたび見受けられます。

ラーメンのように行列ができるカフェというのが最近では
珍しくなくそれに見合うブランドの珈琲もカリスマ焙煎士まで
登場しています。

その底の浅さが露呈しているケースも結構見かけたり感じたりするわけですが、
それでももう付き合えないなと感じたのがブルーマウンテンの高値です。

もう飲めなくなるとか環境の変化や災害での供給減と危機感を煽り着いた現値に
もはや適性の範囲はとうに逸脱しているといわずにはいられません。

高値でないと満足しない人たちというのは存在し、それに見合うドラマが
あればよいという風潮につながっています。

時には珈琲の根源的なものを感じさせる豆に出会うなど違う醍醐味に
築いたときに果たして珈琲の高値はどこまで追随するのか興味があります。

喫茶店での一杯1万円の珈琲が話題になったことがあります。

それには豆より供し方にも独特のテイストがあり、器にこだわり記念に持ち帰る
ことも可能だったり、なんとなく納得させられるスタイルだったのです。

一方提供する人の独特の世界観がとことん押し付けられるケースもあり
同じ土俵から逸脱することの必要性も感じたりします。

当たり前の味で当たり前の供し方で当たり前の値段でいつもの味に
であえる幸せも十分に必要なことながらこれが実はなかなか手に入らない
幸運でもあると思います。

限界と限界の少し向こう側を志向することは実に重要で大事なプロセスです。


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