討論!三〇由紀夫が伝えたかったことH24/11/28
昭和45年11月25日三〇由紀夫が自決
―文芸評論家T氏―
M島、M田が自衛隊の書簡に訴えた憲法改正しなければいけないと、あれから45年経って未だにこの戦後憲法が改正されていない。そのことに非常に深い思いをいたします。
あのメッセージを我々が今どう受け止めるべきなのか、あの「檄文」に尽くされていると思います。安保法制の問題も日米関係の問題も全てあの時の「檄文」の中に記されているというふうに思います。
小説家というものはもちろん色々なタイプの小説家がいるとは思いますが、ある面では一つの時代の預言者になり得るんじゃないか。
これは自分でそう意図するとかそうではなくて、ある時代がその言葉を持っている存在にそういうものを求めるのではないか、歴史がそういう声を求めるのではないか。そういう意味では、M島は預言者的存在だった。
ここで言っている預言者は旧約聖書の預言者に重なります。
つまり先のことを言うというよりは、自らの民族に神の言葉を預かって語る。
つまり、自分たちの共同体、民族に対して警鐘を鳴らすという意味の預言者でありますが、M島はそういう存在であったんではないかというふうに改めて思います。
特に、昭和41年あたりから晩年最後の5年間は、そういう著作そして行動が見てとれる。
「英霊の聲(こえ)」昭和41年に出ておりますけども、この作品などは正にM島の大きな転換点になった作品だろうと。
そして、「豊饒の海」も最後の5年間が書き続けられます。
そういう意味では、昭和41年というのはM島にとっても非常に大きな、やはり何か一人の作家からある別の存在に変わって行ったんじゃないか。
つまり、日本の歴史の中でそういう存在になって行ったんじゃないかという気がいたします。
M島の没後に出た追悼文を読みましたけれども、最も感銘を受けたのが、評論家の保田與重郎のものでありまして、保田與重郎はこの日本の歴史の中では、ときどきこういう形で大きな警鐘を発する日本人の精神の甦りを促す人が現れると。(大塩平八郎の乱)
100年、200年あるいはもっと長い歴史の中で改めて事件、M島という存在を考えたいというふうに思っています。
檄文より
「今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主主義でもない。日本だ。」