心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

秋の夜長に古本と戯れる

2016-10-14 21:32:03 | Weblog

 朝晩の冷え込みが増して草木に宿る露が冷たく感じられる季節、それを「寒露」というのだそうです。きょうから長袖のシャツを着て朝のお散歩に出かけましたが、不動尊の境内には銀杏の実がたくさん落ちていました。そんな小さな変化に一喜一憂する季節、家内の今月のお花のテーマは「ハロウィン」でした。
 このところ奈良時代に生きた行基なる人物のことが気になっていましたが、先日、関西古書研究会主催の「四天王寺大古本祭」に出かけた際、1冊300円コーナーで金達寿著「行基の時代」(朝日新聞社)に出会いました。ページを開くと岸和田だんじり祭りの話、なんだろうと読み進んでいくと、そのむかし灌漑用の久米田池を築いたのが行基であって、その行基さんに感謝し五穀豊穣を願ったのが祭りの起源なのだと。知りませんでした。
 仏教が朝鮮半島から伝わったこと、当時の朝鮮半島では百済、高句麗、新羅など国同士の争いが絶えず、戦いに敗れた国の知識人たちがこぞって日本にやってきて帰化し、国づくりに一定の役割を果たしたこと.......。なにやら中学校の歴史教科書を思い出します。想像以上にグローバルな開かれた時代、内と外の境目がきわめて柔らかな時代だったのかもしれません。
 行基自身も百済系渡来人の出で、15歳にして都に出て官寺にはいり、般若心経をはじめ多くの経典を学びました。後年、国家に奉仕することよりも民衆の救済に軸足を置き、東国、西国と行脚するなかで、雨不足に悩む貧しい農民たちに出会います。彼らのために井戸を掘ったり、灌漑池をつくったり、はたまた当時は知識に乏しかった肥料の大切さを説いたり、薬草の知識を広めたりと、民と共に生きた、そんな人間・行基の姿がぼんやりと見えてきます。
 その百年後に登場する空海が、各地に池をつくり、井戸を掘り、病を癒したことの時代的な背景が理解できます。民間信仰というものが時として伝承の中身を誇張しがちだとしても、農民の生活向上に果たした空海の役割は否定できません。後々弘法大師として崇められることになった所以なのでしょう。
 たまたま出会った一冊の本を通じて、千五百年前の日本の仏教と農村社会を垣間見ることの楽しさは、古本の醍醐味でもあります。「大古本祭」ではこのほか渡辺照宏・宮坂宥勝著「沙門空海」(筑摩書房)を手にしました。
 四天王寺さんの次に向かったのは、地下鉄谷町線で20分ほどのところにある大阪天満宮で開催中の大阪古書研究会主催「天神さん古本祭」でした。規模は小さいけれど選書のし易さが気に入っています。この日は「名作狂言50」(世界文化社)、外山雄三著「音楽の風景」(新樹社)、宮本常一著「忘れられた日本人」「家郷の訓」(岩波文庫)などを買って帰りました。この日のお値段はしめて3千円。秋の夜長、たっぷりある時間の流れに身をゆだねて古(いにしえ)の世界に浸ります。
 今週は珍しくお出かけの多い週でもありました。そのひとつが、こころの未来研究センター主催の「第2回京都こころ会議」です。京都にでかけて久しぶりに脳みそを使いました(笑)。なかでも民族学者・赤坂憲雄先生の「遊動から定住へ~そのとき、こころの変容は起こったか」は、示唆に富むお話しでした。13歳の少女の「なぜ逃げてはいけないの」という素朴な疑問(詩)を提示しながら、一万年前の定住革命以前の「遊動」を常とする時代の人々の在り様に触れ、離合集散を繰り返しながらやわらかく関係性を維持していた時代は、逃げる、去る、離れるといった行動原理がプラスに働いていた時代ではなかったのかと。その後、定住することによって、閉じた社会が出現し、逃げる、去る、離れることのできない「逃げられない社会」に変わっていったのではないかと。いじめ、村八分......、人の「こころ」の深層に迫ります。
 ぼんやり聞き流していると大事なメッセージを見失いがちですが、定住によって人類は素晴らしい生活基盤、社会基盤を確立したけれども、一方で固い社会、組織を作ってしまった結果、「逃れられない社会」を作ってしまった、ということなんでしょうか。「こころ」の有り様が問われています。「こころの内と外(In and Out of Kokoro)」というこの日のテーマの主旨がぼんやり見えてきたように思います。

 そうそう、今週からシニアカレッジが始まりました。1日目は開校式、2日目はオリエンテーション、来週から本格的に始まります。受講生は総勢65名。平均年齢67歳の元気なシニアたちです。大学の先生や有識者のお話しを聞くだけでなく、参加型・対話型の受講姿勢が求められ、今後2年間、歴史・古典文化・近代文学・音楽・美術・自然科学・社会貢献など、知識の再学習を通じて興味のある分野を心と頭と身体で深掘りしていくことになります。
 仕事を離れて3カ月、現役時代の堅苦しい裃を脱ぎ捨てて、まったく新しい更地の上に新しい人間関係を築く、これも楽しそう。とりあえずは飲みにケーションからスタートです。(笑)
 明日と来週の土曜日は予定が入っているため、先週に続いて金曜日のブログ更新です。夕食後、若干のほろ酔い気分を引きずりながら、久しぶりにグレン・グールド奏でるバッハの平均律クラヴィーア曲をBGM代わりに、とりとめのないことを綴ってしまいました。

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2 コメント

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こんばんは! (みいやん)
2016-10-16 20:09:56
毎日のお散歩から季節の移り変わりがよく見えますね。

奥様の作品~ハローウィンとても可愛らしくそして素敵に出来上がりましたね。
お家の中がぱぁっと明るくなりますよね。

私は丁度歴史を習う中学の時に長く休んでしまい分からない事がたくさんあります。(笑)
ここへ来て歴史のお勉強みたいです(笑)

ran_coffeebraekさんの頑張り様にはびっくりです。
退職してからずっと忙しそうですものね。

シニアカレッジ~素晴らしいです。
四国遍路にしても意欲的です。
何事にも意欲的ですね。

私は難しいことは何一つできませんが
何か意欲的にしなければなぁ~と
今、力を頂いた気がします。

いつもありがとうございます。


カタクリの花の球根 (ran_coffeebreak)
2016-10-16 22:51:04
施設の文化祭やお母さまの介護、ワンズたちのお世話と、何かとお忙しくなさっているのに、いつもコメントをありがとうございます。

私の方は、既に両親が他界しているので、なんともお気軽なものです。これを悠々自適っていうんでしょうか。でも、こんな生活がいつまで続くのかと思うと、今のうちにという思いが前に出てしまっていけません。それに比べてみいやんさんは、きっちりとご自分の役目を果たしていらっしゃる。そんなお姿に頭がさがります。

歴史、そうですね。私は文系なのに日本史が苦手でした。身近過ぎたからなのかもしれません。それに比べて行ったこともない外国の歴史、世界史が楽しかった思い出があります。いずれにしても、何かに関心を持たないと歴史を学ぶ気持ちにはなれません。四国遍路をきっかけに、弘法大師空海のひととなりが気になって、なんとなく関連する本に目を通すようになりました。でも、読み終わってテストなんてことになると興覚めですけどね。(笑)

秋晴れのきょうは、ホームセンターにでかけてきました。チューリップの球根を5個買ってきました。カタクリの花の球根も売っていたので、それも。今は荒れ放題になっている湖北の山小屋の裏庭に、春になるとカタクリの花が咲いていました。来年の春、我が家の庭の片隅で、ひっそりと開花してくれたらいいなあと思っています。

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