心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

「草枕」とオフィーリア

2008-06-15 09:29:17 | Weblog
「山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい」。ご存知の「草枕」の書出しです。漢文の知識に乏しい私は、これまで何回か手にとりながら数頁ほど読み進んでは閉じてきました。しかし、グレン・グールドが愛読したことを知ると読まない訳にはいきません。
 まだ30頁ほど残っていますが、オフィーリアの名前が数か所に登場するので気になっていたところ、新聞の折込にミレイの「オフィーリア」が大きく印刷されていたので、じっと眺め考えていました。これまで何度か見かけたことのあるこの絵。きんぽうげ、いらくさ、ひな菊、紫蘭の花などを編み合わせた花環を手にした中世の美しい女性が、小川の流れに身を委ねて流れゆく姿。美しいけれども、なぜか悲しい風景です。昨年、涼を求めて滋賀県米原市の醒ヶ井に水中花(梅花藻)を見に行ったことがありますが、その美しさにも似ています。
 オフィーリアは、元はと言えば、シェイクスピアの「ハムレット」に登場する悲劇の女性です。ハムレットに父を殺され心を痛めた彼女が、ある日、花環を枝垂れ柳の木に掛けようとして、誤って小川に落ちてしまった。「祈りの歌を口ずさんでいたという、死の迫るのも知らぬげに、水に生い水になずんだ生物さながら。ああ、それもつかの間、ふくらんだすそはたちまち水を吸い、美しい歌声をもぎとるように...」(新潮文庫「ハムレット」)。
 ところが、草枕では、少し興ざめします。画家の主人公が「透き徹る湯のなかの軽き身体を、出来るだけ抵抗力なきあたりへ漂わしてみた。ふわり、ふわりと魂がくらげの様に浮いている」というくだりに続いて登場しますから、オフィーリアには少し可哀そうな気がしなくもありません。でも、よくよく考えてみると、人間って突っ張って生きていると、時々、全身の力を抜いて、母なる自然に身を任せてしまいたい。そんな気持ちになるのも事実です。私なんぞは、人生の最後は穏やかな心で迎えたいと、真剣に考えているのですから。それはともかく、とりあえず草枕を通読し、改めてグレン・グールドの心象風景に迫ってみたいと思っています。
 珍しく絵画の話題になってしまいました。実は、きょうの日曜日は、これから奥様とご一緒に京都国立近代美術館にお出かけなのです。印象派の巨匠ピエール=オーギュスト・ルノワールと、その次男でフランスを代表する映画監督ジャン・ルノワールをテーマにした「ルノワール+ルノワール」展のご鑑賞であります。どうも最近、いらいらが募るので無意識のうちに非日常の世界へ入り込んで行っているようにも思います。そんな自分にふと気づいて笑いが込み上げてきますから、まぁ、結構強かには生きているのでしょう。力んでみてもしようがありませんから。激動の時代、小川の流れに身を委ねる時間が、ひょっとしたら必要なんだと思います。きっと。
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